ジージのドイツ散歩

散歩中に見た物を写真に撮って、記事にしています。

ビールのつまみ

2012-12-31 | 食べ物、飲み物

                    今年も残すところあと1日となりました。
                    皆様は忙しくされていたと思います。
                    こちらでは新年へのカウントダウン、
                    爆竹、爆弾花火の音がどんどん激しさを
                    増しています。

     僕はおせち料理を作るわけでもないし、
     のんびり過ごし、今は 
     朝食は、昨日久し振りに買ってきた、
     僕の好きなカボチャの種パンです。



          もちろん全部食べたわけではありません。
          ごく当たり前の食パンもあるのですが、
          自分でスライスしないとならないし、
          特定のパン屋でないと買えません。
          普段はトーストパンか、パリパリパン
          ですが、たまには目先を変えて、と
          思いました。
          その外に、ひまわりの種パンも好きですね。



          今朝はちょっとリッチに燻製ハム。
          トーストパンやパリパリパンの時には
          ナイフとフォークを使いませんが、このような
          パンの時にはなんとなく習慣で、使ってしまいます。



               古いゴーダチーズです。
               右に見えているのはブルーベリー入りヨーグルト
               古いゴーダチーズは好きなんですよね。
               ビールやワインのつまみにもなるし。
               朝食はその他に小トマト2個、リンゴジュース、
               仕上げにバナナ1本とコーヒーです。

     僕はビール党ですが、ワインも飲み、
     (結局アルコールだったら何でもいいのかな?)
     ワインの時には古い塊のパルメザンチーズ、
     あるいはゴルゴンゾーラチーズをつまみにします。
     パルメザンチーズやゴルゴンゾーラチーズをつまみながら
     キャンティ・クラシコやバルドリーノなどのイタリア
     ワイン、あるいはスペインの赤ワインを飲むと、
     天国ですね 

          今、ドイツ時間で夜7時過ぎ。
           を飲みながらブログを書いて
          いるのですが、タマゴカラスミを食べる気になりました。



               これは醤油の小皿ですので、大きさがわかると思います。
               タマゴカラスミはおいしいのですが、
               このように小さくなってしまい、何となく
               損をしたような気になります。

     さて、今日のつまみです。
     用意するものは鶏の胸肉、あるいは
     七面鳥の胸肉、レモン、レタスです。
     まず鶏の胸肉を薄切りにするのですが、
     見当としてはブタばら肉の薄切り程度ですね。
     厚く切りすぎたと思った場合、包丁の腹で
     押してください。
     ケーキの生地を作る時に使うローラーで薄くすると、
     切れてしまうことがあります。
     薄く切った肉の写真は、撮るのを忘れていました 



          レタスとレモンをこのように用意しておいてください。
          そして天ぷら油を200度程度に温めます。
          鶏肉に片栗粉をまぶして、両手で挟むように
          したあと、油で揚げるのですが、
          温度の目安は、片栗粉を少し油に落としてみて、
          すぐ上がってくる程度です。



               お皿一杯に並べてから食べようと思わないで、
               揚がったら熱いうちに食べましょう。



     このようにレタスに巻いて、レモン汁を少々、
     それにお塩を振りかけて食べてください。
     お箸でお上品に、などと思っていると、食べる人の
     人数が多い場合、出遅れますよ。

          これはブタのばら肉の薄切りでもOKです。
          豚肉を適当な長さにして、そこにショウガを
          少々すりおろして入れ、醤油は入れすぎないように。
          そしてその肉を片栗粉でまぶして揚げればいいわけです。
          食べる時にレモンとお塩は必要ありません。
          牛肉も試したのですが、どうやってもダメでした。
          試したい方はどうぞ。

               このつまみは、当家ではチキンチップス、ポークチップスと
               名付けています 

                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

ジージの仕事納め

2012-12-29 | ハールブルクの散歩

                    今日は仕事納めの日。
                    ハンブルクでは、ここのところどんよりした
                    曇りの日が続いていたのですが、
                    今日は珍しくピーカンの青空だったのです。
                    でも冬に晴れていると気温が下がるんですよね。
                    今日仕事場で話題になったのが、ロシア寒波でした。
                    なんとマイナス55℃だそうです。
                    ハンブルクに来ませんように 

     僕は最近しまじろうさんの、
     ねこ日和~我輩はノラである~     
     というタイトルのブログをよく見ています。
     これはノラ猫の生活を描いたブログで、
     写真もすばらしいですが、ノラ猫生活の
     大変なこともあらわしています。
     誰も好きでノラ猫になったわけではない。
     猫が好きな方は、よかったら上記のタイトルを
     クリックしてください。

          今日は別に忙しくなかったので、寒かったけれども
          街中をブラブラしてみました。



          ハールブルク市庁舎です。
          もうクリスマスマーケットも片付けられて、
          市庁舎の前には大きなツリーが立っているだけです。

               まあブラブラしていたと言っても、することは
               あったのですが、以前仕事場への通り道にあった
               (今は方向が違います)花屋さんを見ると、
               もうさすがにモミの木やクリスマスリースなどは
               出ていませんでしたけれど、新春に向けて、
               鉢植えをたくさん売っていましたね。






     色とりどりのシクラメンです。
     価格が書いてありますが、1鉢1ユーロ99、
     220円くらいですね。
     かなり寒かった(0℃前後)のに大丈夫かな 






          鉢植えの球根も。水仙とヒヤシンスですね。

    

          これは幸運を運ぶ鉢、と名付けられて売っています。
          こちらでは、煙突掃除人を見るといいことがあるといいますし、
          また、クローバーも幸運のシンボルです 
          ブタさんも幸運のシンボルですよ~ 
          なぜかブタの貯金箱が多いのですからね 

               仕事場に戻る途中にある花屋さんでは
               チューリップの鉢植えを売っていました。



               そのすぐ近くにある魚屋で、この前のパーティで
               食べ損なったエビを売っていましたよ~



     仕事のあとで、2駅目にあるスーパーに寄ったら、
     クリスマス用サンタチョコやお菓子の半額セールを
     していました。
     でもそれと共に、今日から大晦日用花火、爆竹が
     販売解禁になったので、大勢買っていました。






          いろいろな花火がセットになっています。
          空高く打ち上げて、パーンと割れてキラキラ
          光る花火や、音をあまり立てないで、きれいな
          光を放つ花火ならいいのですけれど。
          爆竹もあまり好きではありませんが、あれはまだ
          ましですね。ドッカーンと大きな音を立てる花火、
          いや花火というよりも爆弾ですが、絶対お断りです。
          今も時々聞こえています。



               これがそうです。ああ、イヤだ  
               やはり日本人なのでしょうか、大晦日は
               静かに過ごしたいですね。



          永平寺、鐘楼堂です。この写真はWikipediaの
          基準を守って使用しています。

               永平寺、僕が意識して行ったお寺です。
               そこで座禅修行もしたのですが、
               その話はいつかまた。

                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

ジージの酒のつまみ

2012-12-28 | 食べ物、飲み物

                    味覚は十人十色で、ある人はおいしいと言っても、
                    別の人はまずい、という可能性もあるので、
                    これがおいしいですよ、とは書きません。
                    ラーメンでも、醤油ラーメンの好きな方がいれば、
                    味噌ラーメンを好きな方もいますね。

     ラーメンの事を書いて、思い出しました。
     パソコンのことで秋葉原をうろついていて、
     末広町の方に歩いて行ったところに一軒の
     ラーメン屋をみつけました。
     そのラーメン屋のドアは黒くて、ブタであろう
     骨がぶら下がっています。そして、定休日は…、
     それからスープがうまく出来なかった日、と書いてあります。

          店の名前は書きませんが、そこには醤油ラーメン
          しかありません。選択肢は、さっぱりとこってり、
          チャーシューと普通だけです。
          僕にはこの店が気に入って、パソコンの部品を
          買いに行く時はいつも食べていましたけれど、
          その店がまだあるかどうかわかりません。

               これはレシピとは直接関係ありませんが、
               包丁が切れなくなったとき、説明は難しいので、
               写真があればいいのですが、包丁を隙間に挟んで
               スッと何度か引くと、よく切れるようになる
               道具がありますね。
               もし良い包丁を使っているのであれば、あれは
               最終的に金属疲労をもたらすので、止めるほうがいいです。
               僕は100円均一で買った砥石を使っていますが、
               結構よく切れるようになりますよ。

     さて、今日の写真は失敗作ですが、失敗は
     何とやらで(言い訳)、何とか理解してください。
     皆さんはカラスミをご存知だと思います。
     ご存知ない方はこちらをクリックしてください。
     おいしいんですよね。まあ十人十色ですが 
     自分で作るとなると面倒くさいのですが、
     それでも試してみたい方はこちらをクリックしてください。

          さて、そんなカラスミの味に似ている
          タマゴカラスミの作り方です。



          味噌をお酒でといでください。お酒をあまり入れ過ぎないように。



          上の写真で、真ん中にへこみを作るのですが、
          それを撮りそこないました。

          そしてそのへこみにタマゴの黄身だけを入れます。
          実はタマゴが大玉で、味噌ベースが足りなくて… 
          あとで少し足します。



               このように、卵黄を味噌ベースで包むようにして、
               ラップをかけて冷蔵庫で最低3日寝かせます。
               箸の後ろとかスプーンでツンツンしてみて、
               ポヨヨンでしたらまだで、固くなったな、と思ったら
               食べてみてください。
               1週間くらい寝かせても平気ですから。

     1回使った味噌ベースは力が落ちるので、味噌汁にでも入れましょう。
     間違っても小鉢1つに卵黄を2個入れないように 
     (双子のタマゴだったらどうするのかな~~)

          僕は食い意地が張っているので、時々料理の
          レシピを見ますが、化学調味料を少々…と書いてあったら、
          先を読みません。そして材料を細かく、○○を何グラム、
          と書いてあっても読みません。なぜって味は個人好みだし、
          食べる人の体調や、気温、湿度で変わってくると思って
          いますので。そば屋の “こんくらい” ですね。

               さて次は、写真を撮ろうと思っても撮れないため、
               写真なしです。実はシソの葉がないので 
               材料は生食用のアジ、あるいはイワシ、シソの葉、
               それにショウガです。

     アジをハンバーグくらいの感じに叩いて、それにショウガの
     絞り汁を少々。それをシソの葉になすりつけ、上にもう1枚
     シソの葉を載せてサンドイッチにします。
     イワシはクセがあるので、ショウガを多めにすると
     いいかもしれません。
     あとはそれをロースターに入れて焼き、
     醤油でいただきます 
     あぁ、食べたくなったな~~ 

          さて、次は少々面倒くさいし、また好みのこともあるので、
          試して見たい方だけどうぞ。
          おそばの残りでいいのですが、普通おそばは残りませんよね。
          スーパーやコンビニで買える、そば玉でいいと思います。
          市販のそば玉でしたら湯通しをして、1口分見当に分けます。



               そしてそれをすぐ使わず、30分~1時間ほど
               そのままにしておいてよく水気を抜いてください。

     さて用意するものは天ぷら油、大根、ショウガです。
     聞いた話だと、大根は、コノヤロー、コノヤローと思って
     すりおろすと辛くなって、かわいいね、いい子、いい子、
     と思ってのんびり丸くすりおろすと甘くなるそうです。
     しかし今日の大根は、いくらコノヤローでも固かったし、
     それに水分があまりありませんでした 

          天ぷら油を200℃くらいに熱して、その1口ソバを
          揚げるのですが、かなり水蒸気が出るのでご注意を。
          それから2口分だったら平気ですが、
          まとめて3つ分以上を同時に揚げないようにしてください。
          油があふれますので。


               そしてその揚げソバの上に大根おろしとすりおろした
               ショウガを載せて、生醤油で食べます。
               今日は大根おろしが貧相ですが 
               アサツキを載せてもいいかもしれません。

               これはかなり好みの個人差があると思うので、
               あまり大量に作らない事をお薦めします。
               僕は好きですが。

     ざるソバを食べるのに、普通はつけ汁ですね。
     真田ソバという料理があって、ソバを、すりおろした
     ネズミ大根と辛口の特別なつけ汁で食べるのですが、
     これは食通の間でもかなり意見が分かれるようです。
     僕は、茹でたソバを冷たい水でよく洗い、それを
     皿に盛って、水気タップリのおろし大根と、おろし
     ショウガを載せ、生醤油をかけて食べます。
     生醤油をかけ過ぎないように 
     これも好みの問題ですね。

          ではざるソバの話が出たので、ついでに。



          ジージ特製冷やしタヌキソバです。

          見ておわかりのように、このようにした
          その上からざるソバのつけ汁をかけていただきます。
          ゆずがあるといいですね。
          ざるナメコもこのようにします。
          こうすると、洗うものが少なくて済むんですよね 

               さて、クリスマスが過ぎて、今度は大晦日ですが、
               ドイツでは、いや、日本を除いた世界的な
               傾向ですが、大晦日には大々的に花火を打ち上げます。
               これは中国人が習慣としてしていたものを、
               世界中の人が真似た、と言われています。
               中国人は、貿易で残った段ボールや木の台などを
               業者に卸すのですが、その利益は帳簿に載りません。
               そして年末に、そのお金を使って花火を上げたり
               爆竹を鳴らして年越しを祝うのですが、見栄もあって、
               それほど景気がよくなくても大量の花火や爆竹で
               大騒ぎをしたそうです。
               中国人は世界的に広まっていますからね。

     ドイツでは、大晦日の花火、爆竹に、
     約50億の金が消えてなくなるそうです。
     僕は別に反対するわけではないのですが、
     中には不心得な人がいて、信号弾で人を狙ったり
     花火を打ち上げたゴミや、シャンペン、ワイン
     を飲んだあと、そのまま道路においておいたり
     するんですよね。

          僕は聖ミヒャエリス教会大晦日のミサに参加
          したことがあるのですが、牧師さんの話は
          聞こえなくなりますから。
          そして毎年大量のけが人、死者も出るし、
          火事もあちこちで起こります。
          元旦になると、その残骸が残っていて、
          汚らしいんですよね。次のゴミの日まで
          片付かないし。
          それから気の早い人は、もう道路に爆竹を
          投げて遊びます。昨日はバンバンうるさかった
          のですが、今日はそれほどでもなかったですね。

               最後の写真です。
               さっきタバコを吸いに台所に行ったら、
               月の光が差し込んでいました。
               窓から空を見上げると、ハンブルクには珍しく、
               そして今日の昼は雨だったのに、きれいな晴天で、
               満月が輝いているではありませんか。
               一瞬、カメラと三脚を持って中庭に、と思ったのですが、
               ビールを飲んでいる事もあって、中庭には行かないで、
               風呂場の窓を開けて、三脚無しで撮りました。
               あまりうまく撮れていませんが、月だ、ということは
               わかると思います(大笑)



                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

ドイツのクリスマスパーティ+孫紹介

2012-12-27 | 特別編

                    娘夫婦はパリを少し出た所に住んでいるのですが、
                    12月22日から新年までハンブルクの
                    嫁ぎ先の実家にいます。
                    23日が家族、知り合いを集めての海鮮料理
                    パーティで、僕も行くことを約束していました。
                    しかし先週体調が悪かったので、1度は断った
                    のですが、娘に言われたこともあり、僕も気を変えて、
                    少しお邪魔することにしました 


孫とパパです。パーティが始まるまで孫はかなり不機嫌でした。


ママといてもご機嫌ななめ 


猫のキキです。娘夫婦の行く所、どこにでもついていきます 

     キキは大勢の人がいてもわが道を行く。
     好きな所で寝たり、のんびり歩き回ったりしています。


孫娘です。隣は孫娘のドイツ側のおばさんです。まだ若いですよ。

          その日は寿司も出ていたのですが、僕が
          写真を撮っている間にほとんどなくなって
          しまい、最後の1個を食べることが出来ました。
          冷凍寿司だとあとで聞いたのですが、以外に
          おいしかったですね。


もう1人のジージです

               娘の嫁ぎ先はインテリばかりで、
               僕なぞ恥ずかしくなります。


この左にテーブルが2卓あり、あと6人座っていたのですが、撮り切れませんでした

       
       これがその2卓。まだオードブルも配り終わっていません。



     ジャーン 

     ドイツのジージが、一生懸命貝柱を切ったのですが、
     牡蠣用ナイフではなかったので、てこずっていました。
     (僕は家に牡蠣用ナイフを持っていたのですが…)
     この牡蠣が出てきたあと、しばらく牡蠣の話が
     続いていましたね。
     フランスのどこで食べた牡蠣は、とか、アメリカの…
     果てはオーストラリアの… とか、世界中の牡蠣の話を
     していましたよ。

          でもそうこうしているうちに、なんとなくフラフラしてきたので、
          失礼を言って帰ることにしました。
          Hummer というイセエビのような大きいエビが人数分
          用意してあったのですが、結局食べずじまいになってしまいました。
          かなり後ろ髪を引かれましたけれどもね。
          ドラえもんのどこでもドアがあればいいのに…

               まあそのあと24日は買い物だけ、
               25、26日は全面休養だったので、
               無事すごすことが出来ました。
               28日が仕事納めで、新年は2日からです。


          喪中ですので、年末、年始のご挨拶を
             遠慮させていただきます。


                    今日もジージのブログを訪問いただき、
                    ありがとうございました。
                    どうぞお気軽にコメントください。

                    では次回まで  

車 + 笑い話 + 怖い話 その3

2012-12-26 | ジョーク 冗談 笑い話

皆様、良いクリスマスを過ごされたことと思います。
ドイツでは、12月25日が第1クリスマス日、
26日が第2クリスマス日で、やはり休日です。
その代わりに正月休みは無いですね。
もちろん元旦は祝日ですが、2日から仕事開始 

     僕は車の運転が好きなのですが、ある時、
     考えたことがあって、ここ15年、車は
     持っていません。どうしても必要な時だけ
     レンタカーです。

           男性に限らず、女性の方も、免許を持っているので
           あれば、ドイツのアウトバーンや、アメリカの
           フリーウェイを走って見たいと思うのではないでしょうか。
           アウトバーンに速度制限を設ける話は何度も持ち上がる
           のですが、そのたびにベンツ、ポルシェ、BMWなどの
           会社から横槍が入って、実現していません。


マセラティ MC12です。

こんな車、公道を走っていいのかな、フランスのナンバーだったけれど

アウトバーンに速度制限はありませんが、それでも
200kmを超えるスピードで走るには、かなり制限があります。
アウトバーンは最低片側2車線、4車線の場所もある
のですが、それはフランクフルトの近くで、平行して
やはり片側4車線のアウトバーンがあっても、
常に混んでいて、150kmも難しいですね。

     すっ飛ばしたい方で、自信があれば、夜間走行ですが、
     常にバックミラーを見ていないと大変です。
     150kmくらいで走っていると、後ろからチカッと
     パッシングをやられ、よけるとヒュッ 

          片側3車線のアウトバーンが多いですね。
          時々日本では見ることの出来ない標識も
          あります。それは上り坂で多く見られる
          のですが、最低速度110km、あるいは
          120kmの標識です。もちろん一番左の
          追い越し車線にしか適用されません。
          日本だと左右逆ですね。
          しかし夜間高速走行をすると、神経をすり
          減らします。まあ、130kmくらいが
          いい速度じゃないでしょうか。


ランボルギーニ・カウンタック

カウンタックの右にある黄色い車です。


やはりランボルギーニ・ディアブロです

この2台とも、フロントガラスの内側に
何かカードのようなものを置いているから、
展示会でもあったのかもしれませんね。

     さて怖い話です。ドイツの運転免許は
     永久免許で、更新の必要がありません。
     日本は4年毎に更新しなければならない
     ことをドイツ人に言うと、非合理的だ、
     と言うのです。
     永久免許を怖い、と思うのは僕だけかな?

          何か起こった時、警官は免許証以外に
          身分証明書の提示も求めます。
          30年前に撮った写真が免許証に印刷、
          あるいは貼られている場合があるのですから。

          今、ドイツで新しく免許を取ると、
          ヨーロッパ免許ですが、僕はまだ古い
          ドイツ免許のままです。ヨーロッパ免許に
          書き換えるのは義務ではありませんから。
          したがって、僕の免許証には35年前の
          写真が貼ってあります。若いですね 

以前僕が住んでいたマンションの隣に、50才くらいの
結構魅力的な女性が住んでいました。
その女性の所に、60半ば位の男性が、
定期的に来ていたのですが、杖を突いて、
よろよろ歩きなのです。
2階だったのですが、階段もしんどいようでしたね。
そしてその男性は、フォルクスワーゲンのゴルフに
乗っているんですよ 
杖を突かなければ歩けない人が車を運転していいのかな 
それを僕の息子に言ったら、ちゃんと歩けなくても、車を使って
どこにでもいける、それでいいじゃない、だそうです。
あいつは考え方がドイツ人だからな 


僕がまだ見たことのない南禅寺、水路閣です

     今、僕が働いている事務所は今月10日に
     引越ししましたが、その以前いた事務所の
     大家、その辺り一帯の大地主ですが、その人は
     70才前後だろうと思います。
     その人はベンツを運転していて、まあベンツは頑丈
     ですけれど、彼はパーキンソン氏病なのです。
     車のドアを開けて降りてくると、手が震えているのですから。


やはり南禅寺の水路閣です

          まだドイツで学生だった頃、大学本部の建物を
          過ぎ、大学図書館を過ぎて、郊外に向かって
          走っていたのですが、信号で停まった時に
          右側に停まった車を見たら、80才くらいの
          おばあちゃんがハンドルを握っていて、
          入れ歯をはずしたようなシワシワの口を、
          モグモグさせているのです。
          僕は出来るだけ速くその車から離れました。
          永久免許、絶対反対 

終わりにしようと思ったのですが、タイトルの
笑い話が無いですね。では1つ。
以前書いたケルンに住んでいるイギリス人の
マンションの近くに、おいしいアイス屋があるのです。
それは夏の暑い日、僕と彼がアイス屋にいると、
突然信号灯を点けて、サイレンを鳴らしたパトカーが
そのアイス屋の目の前に停まって、2人の警官が
降りてきました。2人ということは、以前も書いたように
勤務中で、ましてや信号灯を点けてサイレンを鳴らして来て
停まったのですからね。何事かと僕が思ってみていたら、
その2人の警官は、アイスを買って、椅子に腰掛け、ペロペロ
舐め始めたのです 
それってバレるとやばいんじゃないかな 


南禅寺三門


南禅寺天授庵


天授庵より見た紅葉です。

絶対いつか行きたいですね、それも紅葉の時期に。

          クリスマスイブ、あるいは当日の模様をレポート
          したかったのですが、風邪気味だったので止めました。
          来年まで待って… 
          それでは次回をお楽しみに  

車 + 笑い話 + 怖い話 その2

2012-12-24 | ジョーク 冗談 笑い話

まだなんとなく風邪っぽくてフラフラしているのですが、
パソコンの前に座って皆さんのブログを見て、読んでいると、
ああ、書こうかな、という気になってしまいます。
今日はクリスマスイブ。店が半ドンなんですよね。
そして25、26日は休日なので、何とか早起きして
買い物に行かなければなりません。
まあどうしても必要な買い物は  ですが。

     僕が運転免許を取ったのは、大学卒業後でした。
     東京で生活するのに、車は必要ない、と思って
     いたからですが、留学するかもしれないので、
     免許を取ったわけです。

          僕が高校、大学の頃、走り屋の黎明期でした。
          中学時代の友人Aも走り屋にはまり、大学に
          入学しても勉強そっちのけで、R・Qという名の
          レーシングチームに入り、彼は免許を取って
          間もなかったので、マネージャーをしていました。
          青山近辺で有名だった、足跡マークのステッカーが
          トレードマークでした。


今はあまりカーレースが好きではありませんが、これだったらいいかな

ある時Aが僕に「チームが新しい車を買ったから、
それでドライブに行こう。環八においしいピザ屋を
見つけたぞ」と電話してきたのです。
さっそく彼の所に行ったのですが、車はなんと、
フォルクスワーゲンのビートル、しかもカブリオと呼ばれる
屋根を折りたためるタイプです。

     その時は冬だったのですが、二人ともいきがって、
     屋根を折りたたみ、オープンでドライブ開始 
     そしてピザ屋の駐車場に着いて、屋根を元通りに
     しようとしたら、どうやっても留め方がわからない。
     仕方がないのでそのままにしてピザを食べ、
     帰りもオープンのままでした。
     でもあれって座席に座っていると、なぜか風が
     当たらないんですよね。
     信号で停まるたびに視線を感じましたが。


ジャガー Cタイプです。動くのかな?

           やがてドイツに滞在することになったのですが、
           車に関して、恐ろしい体験を2度しています。
           1度はまだ冷戦時代で、僕はリューネブルク
           という町の少し南で仕事をして、その帰り道です。
           僕が車を運転していると、なにやら赤いものが
           見えてきて、やがてすれ違ったのですが、赤い物は
           戦車の砲塔が発する赤外線の色だったのです 

ほぼ30分の間、切れ目なく戦車がボヤッと赤い
光を発しながら、ゴーッ、ゴーッとすれ違ったのです。
その時僕は、ああ、まだ冷戦の最中だ、と思いました。
日本にいたら、これは経験できなかったでしょう。
あとで聞いた話ですが、僕が仕事をしていたもう少し南に、
陸軍の演習場があって、僕が戦車と遭遇した翌日に、
NATOの合同演習があったそうです。
それから戦車が一般道路を走る件について、道路の強さに
基準があって、戦車が走れる道は決まっているそうです。
でも戦車が道路をね 

    2つ目は、僕は卒業後、しばらくハンブルクの東側に
    住んでいて、そこに帰るのに、80キロ制限の
    自動車専用道路を使います。
    それは冬の寒い夕方、路面は凍結していました。
    僕の前には1台も車がいなかったし、70キロ
    くらいのスピードで走っていたのですが、ホルン
    という名のジャンクションから1台のベンツが
    上がってきて、すぐ追い越し車線に入ったのです。
    前はガラガラだから、全くその必要はなかったのですが、
    ベンツを運転している人は、すぐ追い越し車線に行き
    たがります。
    そしてその瞬間、そのベンツは僕の100mくらい先で、
    制御不能になって回転を始めたのです 
    雪道はコントロールできますが、凍結していると無理です。
    落ち着け、落ち着け、僕は自分にそう言い聞かせて、
    アクセルから足を離し、ハンドルをゆっくり路側帯に向けました。
    急ハンドル、急ブレーキは絶対にダメですから。
    そしてハンドブレーキを軽くかけ、手をいつでも解除出来るように
    しておいて、フットブレーキも試しました。
    やがてそのアホベンツはコントロールを取り戻して
    走り去ったのですが、そのあとどうなったのか知りません。
    そのあとしばらく、僕の足の関節はガクガク震えていました。


ジャガー Eタイプです。シックですね

         さて笑える話です。
         ドイツには住宅地域、30キロ制限という場所が
         かなりあります。これが結構シビアで、カメラが
         よく設置されています。
         ある人がその30キロ制限の道路を、制限を守って
         走っていたのですが、突然フラッシュが 
         おかしい、30キロ以下だったのに。そう思って
         その人はまた同じ場所を、スピードに気を付けて
         走ったのですが、またもや 
         これは故障だ、そう思って彼は近所に住んでいる
         友人に同乗してもらい、またその場所へ 
         「おまえさぁ、見ていたよな。30キロ以下だったろう」
         「ああ、証人になってもいいぞ」
         しばらく経って、その人は交通警察から罰金の知らせを
         受け取りました。彼が封を切って、それを見ると、3回分の
         罰金が書かれています。その人はその手紙を持って、すぐ
         最寄の警察に行って、訳を話しました。
         「これは絶対にあの機械が故障していたんだ。
         証人もいるから」
         その担当になった警官は、その罰金の手紙を詳細に読んで、
         そして言いました。
         「済みませんが、なぜ罰金の対象になったか、よく
         お読みになりましたでしょうか?これはスピード違反に
         対する罰金ではなくて、シートベルトをしないで車を
         運転していたための罰金です」  

今日は、ドイツが永久免許であることと、
もう少し怖い(笑える)話を書こうと思ったのですが、
風邪で気力が続きません。その3を書きますので。

最後にスーパーカーです


ポルシェ996です。自宅前にさりげなく置いておくのがにくいですね

         では次回まで。よいクリスマスを。
            

車 + 笑い話 + 怖い話

2012-12-23 | ジョーク 冗談 笑い話

僕たち団塊の世代が中学、高校の頃、
日本経済は圧倒的な飛躍を遂げて、
車に関しては、1955年に国民車構想が
取り上げられました。
実際の話はわかりませんが、通産省が単なる案として
いたものを、ある新聞社がすっぱ抜いて、
結局国が後押しをする結果になったらしいですね。

    1958年にスバル360が発売されました。
    中学の数学の先生が僕たち3人に、車を買ったから
    海に遊びに行こう、と言うので、みんなその気に
    なりました。その数学の先生は僕の担任だったので、
    中3の時だったと思います。
    先生の車はそのスバル360でした。

         そして夏休み近い日曜日、みんなは学校で集まって
         さあ、海に向かって出発 
         先生は太っていなかったけれど背丈があったし、
         僕たち3人は中学生でも大柄な方でした。
         そして、ある上り坂にかかった時、
         車が動かなくなったのです。
         先生は、重すぎて動かないから押してくれ、
         と言いました。今だと“ダッサーイ”ですよね。
         でも僕たちは海へ行きたいので車を押したし、他の
         車のドライバーも笑いませんでした。何しろ車を
         持てただけで “スッゲー” の時代でしたから。

どの海岸だったか、まるで憶えていません。
車に乗るだけでもうれしかったのです 


トヨタスポーツ800です

これはトヨタパブリカを基本として開発された
スポーツカーです。団塊の世代の人はご存知ですね。
僕たちはこの車を“イモ8”と呼んでいました 

    さて、笑い話か、怖い話しか、皆様の判断にお任せします。
    その時僕は、初代サニー(800ccだったと思います)
    を借りて、首都高外回り、宝町(高速警察の出口近辺)辺り、
    地下トンネルに入る下り坂で渋滞に巻き込まれていました。
    僕はサイドブレーキを引いて、イライラしていたのですが、
    そのうちに、キーッ、ドッカーン、それからドンッ、ドンッという
    音が聞こえてきたではありませんか  バックミラーを見ると、
    トラックが追突して、その反動で玉突き衝突が始まったらしい
    のです。むち打ち症になりたくなかったので、姿勢を低くして、
    ブレーキを思い切り踏んでいました。やがて衝突の音が近づき、
    僕の運転していた車に当たったのですが、それはかろうじて何かが
    当たった、とわかるくらいで、僕は前に止まっていた車にぶつからない
    で済んだのです。損傷は全くありませんでした 
    でもイヤな気分でしたね。衝突がわかっているのに避けられない。
    前にも後ろにも、ましてや右にも左にも逃げられなかったのですから。


僕が世界中で一番美しいと思っている車です

          アルファロメオ・カングーロ、
          世界で1台しか生産されていない車です。
          所有者は日本人だそうですが、まるで不明です。
          高校の時にこの車のプラモデルを見て、           
          すぐに買って作りました。

さて、笑い話です。いや、笑っていいかな 
(影の声:笑っていいとも)
僕がハンブルクで暮らし始めてからしばらく経って、ある
領事館員と知り合いになりました。当時彼はハンブルクの
副総領事の立場にあったのです。名前もイニシャルも
挙げません。
彼はハンブルクに来る前、モスクワ勤務だったそうです。
当時はまだソビエト連邦でした。
ある朝、彼が与えられたマンションから領事館に行くため、
路上に停めてあった車の所に行くと、
タイヤの代わりに頑丈な木の箱が4つ置いてあったそうです。

    似たような話です。
    ドイツからイタリアに、バスがツアーで行き、
    運転手はホテルの駐車場にバスを停めておきました。
    翌朝、次の目的地に行こうと思って、ツアー全員が
    駐車場に行ったら、バスがない
    一番驚いたのはバスの運転手だったでしょうね。
    やがてバスは近くの公園で見つかり、金目の物は
    バスの荷物室に入れてなかったし、別に取られた
    物もなかったので、運転手は安心してキーを回した
    のですが、エンジンがかからない。何度試しても
    ダメで、運転手がエンジンフードを開けると、ベンツの
    ディーゼルエンジンがなくなっていました 


トヨタ2000GTです。ボンドカーですね
欲しいんですよ~ でもメンテにかかるだろうな 

          何度か僕のブログに登場しているF女史の話です。
          当時彼女はベンツを欲しかったのでお金を貯めて
          いたのですが、ある時、レンタカーの週末料金で、
          ベンツのスポーツカーが安く借りられることを知って、
          それを借りました。聞いた話だと、当時のレートで
          金曜日の昼12時から月曜日の昼12時までで、
          約2万だ、と言っていました。
          それは全く問題なかったのですが、その車に
          カーテレフォンが付いていたそうです。
          まだ携帯がなかった時代で、どのようなシステム
          だったのかわかりませんが、おそらく無線タクシーのように
          センターに電話が行き、そこから通話先に転送されたので
          あろうと思います。
          F女史はベンツを運転できたからうれしかったので、
          あちこち電話しまくりました。僕も電話をもらいましたよ。
          そして月曜日、彼女が車を返しに行ったら、電話代の
          請求が、レンタカー代の倍ほど来たそうです 
          今、F女史はベンツを所有しています 


アストンマーティンDB4。これもボンドカーですね

この車の左後ろを見てください。
カー気違いだとすぐに気付く、ガルウィングの
ベンツが停まっています。何人か覗き込んでいますね。

今度はソ連時代のジョークです。
ある夫婦が一生懸命お金を貯めて、何とか
車を買えるようになったので、国立自動車販売
センターに行きました。
夫婦はそこで改めて支払いのことや価格のことを
話し合った後で、奥さんが販売員に聞きました。
「あのぅ、シートの材質とデザインですが…」
「それは選べません。その時に余っている生地で
作りますから」 
「では、色ですが…」
「色も選べませんよ、余っている色で塗りますから。
戦闘用の迷彩色であればOKですが」
「いいえ、それはちょっと・・・」 
「まあ車を持てるだけでもいいじゃないですか」
やがて夫婦はあきらめ、その販売員が言ったように、
車を持てるだけ幸せなんだ、と思うようにした。
そして今度は夫が聞いた。
「あのぅ、いつ納車になりますか?」
するとその販売員は、まだコンピューターがなかったので、
あちこちから書類を引っ張り出して、調べたあとで言った。
「2年後の8月22日ですね」
すると奥さんが、
「あなた、夏だったらどこかドライブに行きましょう」
しかし夫は、
「ちょっと待ってくれ」
と言って、ボロボロになった手帳を引っ張り出して、
ページをめくって見てからその販売員に聞いた。
「8月22日の何時でしょうか?」
「何時かわかりませんよ。別に何時でもいいでしょう?」
「その日の午後3時に、電気会社が修理に来るのです」 

         怖い話も書こうと思ったのですが、
         ずいぶんスペースを使ってしまいました。
         それは次回に。

では最後にこの写真を

京都、南禅寺、正確には太平興国南禅禅寺です。

         では次回をお楽しみに  

風邪ひきです 団塊世代の主張でも読み直してください

2012-12-22 | 特別編

ハンブルクはここのところ曇りで、
どんよりした天気が続いています 
寒いのは仕方がないとして、陽が差さないのは
寂しいですね。
まあ冬至が過ぎれば昼が長くなるので、
それに期待しています。

     昔は少しくらいの風邪ひきであれば、そのまま
     生活していたのですが、年のせいですね 
     今日は僅かの写真で勘弁してください。
     団塊世代の主張を読み直していただくか、あるいは
     古い記事を読み直してくださるようお願いします 


仕事場近くの花屋です。





今は寒いので、花屋の店先も寂しいですね。
この3枚の写真は今年の6月に撮りました。
ここのところモミの木やクリスマスリースしか
売っていません。は~やくは~るにな~れ 


スーパーへの道筋です。寂しいですね。

     

霧っぽくて、陽が差していない、典型的な
ハンブルクの冬の様相です。

       そして壊されて欲しくない建造物。


天龍寺亀山天皇陵です


天龍寺大方丈と曹源池です

            今日は手抜きで申し訳ありません。
            早く風邪を治しますので。
            でも年だからな~~
            では次回まで  

団塊世代の主張 その2

2012-12-21 | 特別編

大学紛争が始まり、警察側も取り締まりに乗り出しましたが、
相手は大学生で、今後の日本を背負って立つかもしれないため、
初期のころの取り締まりは緩やかでした。
しかし過激派の学生が現れて、取り締まり側に亡くなった人が
出るようになると、取り締まる側の態度も必然的に過激になり、
今度は学生側にも亡くなった方が出ました。

     過激派の学生たちがテロに走ると、反体制運動に
     参加していても、ある程度の結果を見ることが出来たため、
     過激派から次々と人が離れていき、過激派はテロに走ります。
     そして過激派は赤軍となり、しばらく日本でテロ活動をしたあと、
     世界に、多く中近東に舞台を移し、テロ活動を続けます。

          アメリカには、長期化、泥沼化したベトナム戦争により
          反戦運動が広がって行きます。
          やがてギターを片手に音楽で反戦運動をする人が出てきます。
          その筆頭はジョーン・バエズとボブ・ディランですね。
          有名な歌に“風に吹かれて”がありますし、皆様も
          ご存知だと思います。
          ジョーン・バエズは“花はどこへ行ったの”を何ヶ国語かで
          歌っていますね。ドイツ語での“花はどこへ行ったの”
          もあります。

このギター片手での反戦歌は、ベトナム戦争終結後も、
アメリカで独自の路線を維持して、今に至っています。
そして日本でもギター片手に反戦歌を歌う人が現れます。
ボブ・ディランがギターを弾きながらハーモニカを吹く、
このスタイルを最初に取り入れたのが、吉田拓郎ですが、
彼は反戦歌でなく、独自の歌詞をつけたのです。

     それ以降、南こうせつとかぐや姫、さだまさしなど
     いろいろな人がこのスタイルを取るようになりました。
     アルフィーの坂崎幸之助は、この吉田拓郎のスタイルに、
     そして字余りの歌詞を無理やり音に押し込むのに
     驚いたといわれています。
     字余りの歌詞を無理やり音に押し込むのは、中島みゆきも
     そうですね。そして彼女の歌詞の方が、余りが多い(大笑)

          “外は白い雪の夜”、1979年篠島オールナイト
          コンサートの模様です。歌詞は松本隆。
          このコンサートで、吉田拓郎は咆え、そして泣いています。
          ぜひ聴いていただきたいコンサートです。


南こうせつです

かぐや姫はデビューしたあと、長くグループを
続けないで解散してしまいました。
そしてかぐや姫=南こうせつ、と思っている方が
多いと思いますが、伊勢正三も歌っているし、
歌ってはいませんが、グループには山田パンダもいます。


伊勢正三です

     伊勢正三とかぐや姫、“置手紙”です。
     伊勢正三は歌手としても活躍しましたが、作曲家、作詞家
     としても名を残しています。イルカも伊勢正三の曲を
     歌っていますね。



          これも伊勢正三とかぐや姫“なごり雪”です。
          この曲はイルカが歌ってヒットしました。
          伊勢正三もいいですよね、パルセットもきれいだし。
          この他に伊勢正三の作品として“22才の別れ”が
          ありますし、僕も好きです。リンクをあえて
          作りませんでした。興味のある方は探してください。

さて、さだまさしです。



故意にこの写真を選んだわけではなく、
カッコいい写真が見つからなかったのです。
これはさだまさしの“しらみ騒動”の1シーンです。

    さだまさしは、デビュー当時、吉田正美(現吉田政美)
    とグレープというグループ名で歌っていました。
    代表作の“精霊流し”です。


精霊流しの1シーンです

    これはグレープとしてではなく、さだまさしとして
    歌っている“退職の日”です。
    僕はこの歌を好きですね。



          さだまさしは若い頃の方がいいですね。
          まるで咆えないし、淡々と、そして高い
          音からも平気で歌い始めます。
          パルセット(裏声)も全く地声と変わらないし、
          音域は南こうせつよりも広いのではないでしょうか。
          さだまさしは“北の国から”の音楽担当も務めました。
          その他、“しらみ騒動”という曲もあるのですが、
          あまりにもくだらないので、リンクを付けませんでした。
          もし興味のある方がいらしたら、探してください。

そして吉田拓郎から始まった一連の流れが、
やがてJ-ポップとなり、ロックにまで発展します。
Exileやドリカムもいいですが、僕にとっては
拓郎の“きょうまでそして明日から”や“旅の宿”
かぐや姫の“赤ちょうちん”や“神田川”の方が
琴線に響きます。

          最後に、壊されてはならない物の写真です


東大寺金堂


東大寺法華堂(三月堂)


そしてもちろんこれ、東大寺盧舎那仏像、大仏という方がわかりやすいですね

         では次回をお楽しみに  

団塊世代の主張 その1

2012-12-19 | 特別編

僕はタイトルを決めるのに少し迷いました。
“主張”だと大げさすぎるような気がしたのです。
“言い分”も変だし、まあ読者の方々の考えに
お任せします。

     僕は“団塊世代”という言葉がキライです。
     バケツの中に何もかも入れて混ぜ、それを
     ポイっと捨てるような気がするのですが、
     僕と同じような世代の人で、この言葉を
     好きな人はいないのではないでしょうか。


吉田拓郎、団塊世代が始まった頃の人ですね。
僕が好きな歌手の1人です 

これはYou Tubeからスクリーンショット
で撮ったので、著作権は生じないと思います。
スクリーンショットをご存じない方は、
ここをクリックしてください。

         信じられないでしょうが、僕の小学校時代、
         5、6年生の時に、1クラス50人、それが
         4クラスでした。
         中学校でも1クラス50人、それが1学年
         10クラス、全校生徒数1500人ですよ。
         教える先生方も大変だったでしょうが、教わる
         生徒側も大変…なわけないか 

僕たちが中学生の頃は、ちょうど日本の
高度成長期で、経済が急激に伸びました。
興味のある方は、城山三郎著の
“官僚たちの夏”をお読みください。
これはテレビドラマになったので、
ごらんになった方もいらっしゃると思います。

    しかし最近のノートパソコンは便利ですね。
    Wikipediaでいろいろなことを調べられるし、
    You Tubeで様々な音楽を聴けるのですから。
    でもYou Tubeに出されている音楽は、出した
    人が下げてしまったり、あるいは著作権に引っかかって
    しまい、聴けなくなることもあります。
    僕もかなりの数をYou Tubeのお気に入りに
    入れておいたのですが、上記の理由により、聴けなく
    なってしまいました。

        これも個人の考え方次第ですが、絶対に消えて欲しく
        ない音楽は、僕はハードディスクにダウンロード
        します。僕の場合はほとんど動画付きですね。
        ハードディスクの容量が気になる方は、CDに焼いたり、
        外付けハードディスクに入れればいいと思います。
        動画、MP3ダウンロードで、僕がお薦め出来るのは
        Craving Explorerですね。
        無料でダウンロード出来るので、グーグルなどで
        検索を入れてください。インストールも難しくありません。
        インストールの際に気を付けることは、ツールバーを
        以前通りにしておく方がいいと思います。
        Craving Explorerをツールバーに
        しない方がやりやすいです。
        動画をダウンロードするのであれば、あとでいろいろ
        細工しやすくなるので、AVIがいいですね。

僕は吉田拓郎の音源を動画付きでかなり
ダウンロードしました。
つま恋2006年の吉田拓郎の歌は、ほとんど
ダウンロードしてあります。
吉田拓郎は弾き語りの方がいい、という方は
70年9月16日録画の
今日までそして明日から”をどうぞ。



団塊の世代が大学入学するころになると、大学紛争が始まります。
大学が始まっても、かなりの講義が休講になってしまいました。
僕はノンポリ派だったのですが、体制反対派の意見も聞きたくて、
体制反対派が僕の通っている大学に押し寄せた時、言い分を聞きに
行ったのですが、どうやらその時、僕の大学が特殊大学だったため、
体制反対派もなんとなくアジっているだけのような人を送ってきた
らしいのです。

    「我々は…」ハンドスピーカーで怒鳴るのですが、
    先が続きません。そのうち在学生からヤジが飛びます。
    「だからさあ“我々は”はわかったよ。主張を聞かせろ」
    そうヤジられても、反対派は、相変わらず“我々は”
    でした。やがて面白くもなんともないので、ひとり、
    ふたり、といなくなり、そして誰もいなくなった。
    これもオジンギャグかな?

         やがて過激派が現れて、テロが始まります。
         いわゆる赤軍の台頭です。
         政治改革、僕はそれに意義があるのならば
         反対しませんが、暴力、テロは絶対反対です。
         テロからは何も生まれない、破壊だけだ、
         というのが僕の考えです。
         人間は地球によって生かされていることを
         忘れてはいけない、と思うのですが。
         地球、このすばらしい自然を壊してはいけません。
         地球を壊す=人類の破滅だからです。
         自然だけでなく、人間が作ったものでも、
         すばらしいものがあり、それは永遠に
         壊されて欲しくないですね。


法隆寺西院伽藍


法隆寺西院回廊と大講堂

先日、You Tubeをサーフィンしていて、
面白い動画を見つけました。18禁ではないですよ。
吉田拓郎の“旅の宿”ですが、歌詞は“上弦の月”なのに、
画像は“下弦の月”なのです。いい加減だな…あっ、オジンギャグ 

でも現代のジェネレーションの方は、この歌を
聴いても面白くないでしょうね。でもジージの
年代の人には、あぁ、いいなぁ、なのです。


やはり団塊世代の人、僕と同年の南こうせつです。

   南こうせつも僕の大好きな歌手の1人です。
   これも若いジェネレーションの方にはわからない
   でしょうが、赤ちょうちん、続けて神田川
   75年、つま恋でのライブです。
   僕個人としては、赤ちょうちんのほうが好きですね。

       南こうせつ、というよりも、南こうせつと
       かぐや姫ですね。
       輝夜姫、全て漢字にするとこうなるのですが、
       読めないですね。檸檬もおそらく若いジェネレーション
       の人は読めないでしょう。
       
吉田拓郎は、歌う時に最近咆えなくなりましたが、
南こうせつは咆えません。咆えない歌手としては、
さだまさしもそうですが、それは別の機会に。
南こうせつの歌唱法はすばらしいですね。
地声でもかなり高い音域まで歌えて、パルセットと
呼ばれる裏声でも、かなり低い音域まで歌えて、
その音色の差がないのです。



   歌う時に咆えるのは、泉谷しげるですよね。
   咆えるというか、悪口で怒鳴ってばかり 
   やはり団塊の世代です。
   武田鉄也も団塊世代ですね。でも彼には陰に隠された
   強烈な自己主張があるので、嫌いな方もいると思います。
   泉谷しげる、武田鉄也、僕はこの二人を歌手としてではなく、
   俳優として好きです。

       何だか取り留めのない記事になってしまいました。
       今回の選挙の投票率が最低だ、という情報を聞いて、
       この記事を書く気になったのですが、団塊世代とは
       関係ない、というか、団塊世代が政治にも進出している
       だろうし、しりすぼまりの団塊世代かな 

投票しない、ということはあきらめです。
人間あきらめたら、そこで成長は止まります。
日本の現在の政治に不満があったら、ぜひ何とかしよう、
という心構えでいてください。
ネバーギブアップ、これは僕の主張の1つです。

       何か書いている本人もわからなくなってきました。
       僕と同じような団塊世代の方にコメントを
       いただけたらうれしいのですが。

       では次回まで。