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「報道の自由度」ランキング、日本はなぜ61位に後退したのか? 日本大学大学院新聞学研究科教授・福田充

2015-03-04 22:20:29 | シェアー

http://thepage.jp/detail/20150304-00000004-wordleaf?pattern=1&utm_expid=90592221-29.uzRA2AXrScmfXlXFfeP6qg.1&utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Flより転載

 

[写真]2013年11月21日、秘密保護法案に反対する大規模集会が都内で行われた。「報道の自由度」ランキングにおける日本の順位低下に拍車をかけたのは、特定秘密保護法の成立だった。

 国境なき記者団が発表する「世界報道自由度ランキング」で、2015年に日本が順位を61位まで下げたことが大きく報じられた。その理由は何なのか。言論・報道の自由が保障されている「はず」の日本に対して、なぜそのような評価がなされるのか。その背景を考察したい。

世界報道自由度ランキングとは?

 「国境なき記者団」(Reporters Without Borders, http://en.rsf.org/ )は、世界の報道の自由や言論の自由を守るために、1985年にパリで設立された世界のジャーナリストによるNGOである。活動の中心は、世界各国の報道機関の活動と政府による規制の状況を監視することであり、その他にも、世界で拘束された記者の解放や保護を求める運動や、戦場や紛争地帯で危険に晒された記者を守る活動など、幅広い活動が展開されている。

 その中心的な活動である世界各国の報道機関と政府の関係についての監視と調査の結果をまとめた年次報告書が「世界報道自由度ランキング」(World Press Freedom Index)である。これは2002年から開始された調査報告書であり、世界180か国と地域のメディア報道の状況について、メディアの独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などの側面から客観的な計算式により数値化された指標に基づいたランキングである。つまり、その国のメディアの独立性が高く、多様性、透明性が確保されていて、インフラが整備され、法規制や自主規制などの規制が少ないほど、メディア報道の自由度が高いとされる指標である。

世界的なトレンドは?

[図]世界報道自由度ランキング。白、黄色、オレンジ、赤、黒の順で順位が低くなる

 2002年から2015年までの間で13回発表されているが、国際的には、フィンランド、ノルウェー、デンマークなどの北欧諸国の報道がランキングの上位を占めてきた。一方で、毎年の変動はあるものの、アメリカやイギリス、フランスといった先進国は、その時代情勢によって10位代から40位代の中間よりやや上位を推移している。また、中国や北朝鮮、ベトナム、キューバといった社会主義諸国のランキングは170位代前後を推移し、常に最下位レベルである。中東のシリアやイラン、アフリカで紛争の続いたソマリアやスーダンなどのランキングも常に最下位レベルである。このように、国家の体制により、または国内の政治情勢により、政府とメディアの関係は大きな影響を受け、メディア報道の自由度が決まってくるという考え方である。同報告書では、2014年に報道の自由が世界的に低下したとされており、その一因をイスラム国やボコ・ハラムなど過激派組織の活動によるものと指摘している。

 

日本の評価は?

 

 日本のランキングは2002年から2008年までの間、20位代から50位代まで時代により推移してきたが、民主党政権が誕生した2009年から17位、11位とランキングを上げた。2008年までの間は欧米の先進諸国、アメリカやイギリス、フランス、ドイツと変わらない中堅層やや上位を保っていたが、民主党政権誕生以降、政権交代の実現という社会的状況の変化や、政府による記者会見の一部オープン化もあり、2010年には最高の11位を獲得している。

 

 しかしながら、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の発生の後、2012年のランキングでは22位に下落、2013年には53位、2014年には59位を記録した。そして今年2015年にはついに過去最低の61位までランキングを下げる結果となった。自由度を5段階に分けた3段階目の「顕著な問題」レベルに転落した状況である。

 

なぜ日本の順位は後退したのか?

 

 世界報道自由度ランキングのレポートでは、日本の順位が下がった理由を解説している。ひとつは東日本大震災によって発生した福島第一原発事故に対する報道の問題である。例えば、福島第一原発事故に関する電力会社や「原子力ムラ」によって形成されたメディア体制の閉鎖性と、記者クラブによるフリーランス記者や外国メディアの排除の構造などが指摘されている。

 

 戦争やテロリズムの問題と同様に、大震災や原発事故などの危機が発生したときにも、その情報源が政府に集中することにより、「発表ジャーナリズム」という問題が発生する。政府が記者会見で発表した情報をそのまま鵜呑みにして報道する姿勢である。また、同様に戦場や被災地など危険な地域に自社の記者を派遣しないで、フリー・ジャーナリストに依存する「コンプライアンス・ジャーナリズム」の問題も重要である。メディアとしての企業コンプライアンスによって、危険な地域に自社の社員を派遣できないという状況から、危険な地域に入るのはフリー・ジャーナリストばかりになるという構造的問題である。

 

 このような日本のメディアの状況下で一昨年に成立した特定秘密保護法の成立が日本の順位下落に拍車をかけた形である。特定秘密保護法の成立により、戦争やテロリズムに関する特定秘密の存在が自由な報道の妨げになるという評価である。日本が置かれる国際状況や、日本国内の政治状況が大きく変化している現在こそ、日本のメディア、ジャーナリズムに自浄作用と改革が求められている。

 


 

福田 充(ふくだ・みつる) 
1969(昭和44)年生まれ。コロンビア大学客員研究員を経て、日本大学大学院新聞学研究科教授。博士(政治学)。東京大学大学院・博士課程単位取得退学。専門はテロや災害などメディアの危機管理。内閣官房等でテロ対策や危機管理関連の委員を歴任。著書に『メディアとテロリズム』 (新潮新書) 、『大震災とメディア~東日本大震災の教訓』(北樹出版)などがある。







【ご案内】 祈るように語り続けたい~吉永小百合朗読会~ 第二楽章 福島への思い

2015-03-04 22:14:02 | ご案内

みんなが知るべき情報/今日の物語

ttp://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/30ec3f5af1d9ce76ab2ec0c95b5de3ec

【ご案内】
祈るように語り続けたい~吉永小百合朗読会~ 第二楽章 福島への思い | jtcf.jp – 公演/2015/3/10 火

(14時30分開場)15時開演、会場 津田ホール、入場料 5,000円 (CD付き、全席指定)CDは公演当日入場時に配布





吉永小百合、CDに込められた福島への想い 

2015年01月26日(月) 20時00分 〈週刊女性〉

 東日本大震災からもうすぐ4年。連日伝えられた被災地、被災者の今を聞くことは少なくなった。

そんな中、今年3月に自身も70歳の節目を迎える吉永小百合の朗読CD『第二楽章 福島への思い』が、3月11日に発売される。

「吉永さんにとって朗読はライフワークです。’81 年のNHKドラマ『夢千代日記』で被爆二世を演じて、それまで自分とは関わりのないものと思っていた、原爆と核兵器の問題が実はとても重要な問題だと認識したそう。

自分が原爆詩を読むことで被爆者の方たちが励まされるのであればと、取り組まれてきたわけです」(テレビ局関係者)

吉永小百合 原爆詩朗読『生ましめんかな』栗原貞子・詩!いま地獄の底のような地下室で、若い女が産気づいているのだ…:注)管理人

 そして’11 年3月に震災が起きると、原爆問題に加えて原発反対の意を表明。たびたび被災地を訪れるなど、現状を伝えてきた吉永。また朗読会としても、全国各地を回っては被災者の詩を訴えている。

 昨年12月6日、山形県山形市のイベントホール『シベールアリーナ』にも彼女の姿があった。チャリティー朗読会のチラシには《祈るように語り続けたい ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ》とある。

 山形は、東京と埼玉に次いで3番目となる、4000以上の福島からの避難者が移り住んでいる地でもある。福島出身者に向けた朗読会でもあったわけだ。

「山形では’05 年に小国町の小さな高校で朗読する機会がありました」

 朗読に先立って、今回が山形で2回目の朗読会であることを告げた吉永。その第1回目の朗読会を主催したのが、この日聴講者として来場していた、震災ボランティアなども行う活動団体『葉っぱ塾』代表の八木文明さんだ。

「’99 年だったと思うんですけども、山形でもぜひ朗読会をとお手紙を出させていただいたのが最初です。吉永さんは、手紙はすべて目を通して、時間をかけてご自分で返事を書かれる方だそうです。3か月くらいしましたら、吉永さんからお手紙をいただいたんですが、やはりご依頼がたくさんあるそうで、“今すぐにはお答えできませんが、いつか機会がございましたら”とありました。私のほうでは、やんわりとお断りされたと受け止めていたんです」

 それでも以降、『葉っぱ塾』での活動内容をまとめた小冊子を年数回送り続けていた八木さん。

すると’05 年2月、《秋くらいに時間がとれそうです》との連絡が。そして同年10月、ついに山形で初めて、吉永による朗読会が実現したのだという。

「そのときに初めてお会いしました。お話しさせていただくと、私どもの活動内容を読んでくださっているんだなと伝わってきましたね」(八木さん)

〈週刊女性〉より
http://www.jprime.jp/entertainment/woman_talent/6474/





吉永小百合 原爆詩朗読『生ましめんかな』栗原貞子・詩!いま地獄の底のような地下室で、若い女が産気づいているのだ…


吉永小百合さん【反核兵器、脱原発】桜井よしこさん【核兵器推進、原発推進】まさしく月とスッポン!



吉永小百合、戦後何年!という言い方が…ずっーと続いて欲しい!東京大空襲の3日後生まれ/反戦、反核、脱原発…



吉永小百合、核というものは【人類と共存出来ない】やっぱり私も声を上げて行かなければ… 






吉永小百合、朗読CD 『第二楽章 福島への思い』ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ

2015-03-04 22:09:18 | シェアー

みんなが知るべき情報/今日の物語

ttp://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/30ec3f5af1d9ce76ab2ec0c95b5de3ec

吉永小百合、朗読CDに込められた福島への想い『第二楽章 福島への思い』ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ

吉永小百合、朗読CDに込められた福島への想い

『第二楽章 福島への思い』

ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ


吉永さんは、

今もふるさとに戻れない

福島の方たちの思いを

私たちみんなで受け止め、

寄り添うことができたら

と福島に思いをはせる。 







女優の吉永小百合さんが朗読CD 

「福島に寄り添う」 




日本経済新聞 2015/3/2 11:31

 原爆詩の朗読をライフワークとしている女優の吉永小百合さんが、東京電力福島第1原発事故の被災者らの詩を朗読したCD「第二楽章 福島への思い」を制作した。東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。

 吉永さんは「今もふるさとに戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添うことができたら」と福島に思いをはせる。

 戦争や原爆の悲劇を二度と繰り返さないためにと、1986年から原爆詩の朗読を続けてきた吉永さんが、福島の詩人和合亮一さんの詩と出合ったのは震災の年の夏。その後も、和合さんが指導する「詩の寺子屋」の子供たちや福島県富岡町から避難を余儀なくされた佐藤紫華子さんの詩と向き合ううちに、CD化への思いが募った。


和合亮一オフィシャルサイト

 「佐藤さんの詩はやむにやまれぬ気持ちで書かれた詩で、静かに読んでも思いがすごく伝わってきます。つらい詩もありますが、希望が見えるような作品を選びました」。CDには23編の詩を収録した。

 吉永さんは昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾村を訪れた。「想像以上にショックを受けた。自分たちの村がまるまる帰れないところになっている。そういう悲しみは、私が朗読してもなかなか表現し足りないのですが」

 避難生活は続いているにもかかわらず、震災は風化しかけていると感じる。「経済最優先になっていて、政治家の方は福島の復興をどう思っているのか、ふるさとに戻すつもりがあるのか、私には見えない」と話す。

 「第二楽章」というタイトルは97年の広島編のCDから使用している。



「復興したけど(原爆を)忘れないように穏やかに語り続けようということで付けました。だから福島はまだ『第一楽章』かもしれません」。

長崎、沖縄、福島と続き「次に出さなくてはいけないようなことは起こらないでほしい。第二楽章の4編で終わりにしたいですね」と語った。

朗読には、尺八奏者の藤原道山さんに作曲と演奏を依頼して音楽をつけた。〔共同〕


藤原道山 | HORIPRO

日本経済新聞より
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASDG02H29_S5A300C1CR0000/





【原発】 強制排除を前に緊迫 経産省前・脱原発テント 

2015-03-04 22:03:03 | シェアー

田中龍作ジャーナルhttp://tanakaryusaku.jp/2015/03/00010787

強制排除を前に緊迫 経産省前・脱原発テント 

「3年半に及ぶ 経産省前テントひろば の戦いは何人もこれを無にすることはできない」。記者会見で声明を述べる渕上太郎(左)、正清太一共同代表。=4日、経産省前 写真:筆者=

「3年半に及ぶ 経産省前テントひろば の戦いは何人もこれを無にすることはできない」。記者会見で声明を述べる渕上太郎(左)、正清太一共同代表。=4日、経産省前 写真:筆者=

 

 東京地裁は先月26日、経産省前の脱原発テントに明け渡しを命じる判決を言い渡した。判決には仮執行が付いていることから国はいつでもテントを強制排除できる。

 緊急事態を受け、テント前できょう記者会見が開かれた。

 「いつ(強制執行に)来てもおかしくない、緊迫している」。被告(テント代表)側代理人弁護士の大口昭彦氏が冒頭から危機感を示した。

 明日未明に、執行官が夥しい数の制服警察官と作業員を連れてテントを強制排除に来ても不思議はないのだ。

 焦点は国が強制執行に乗り出した時のテント側の対応だ。テントは原発再稼働に反対する市民が24時間体制で守っている。

 テント共同代表の渕上太郎氏は「撤去を拒否する」と明言した。そのうえで機動隊の攻撃には「したたかに柔軟に対応していきたい」とした。

珍しくテレビ局のカメラが複数あった。NHK(中央)が来ていることは国の本気度を表している。=4日、霞が関 写真:筆者=

珍しくテレビ局のカメラが複数あった。NHK(中央)が来ていることは国の本気度を表している。=4日、霞が関 写真:筆者=

 

 テントを守る市民の層は硬軟幅広いことから、対応を予め一つに絞ることはできないという意味だ。

 「自主撤去はあるのか?」という記者団の質問に渕上氏は次のように答えた―

 「テントはどういう力によって支えられてきたのか? (テントを維持してきた)1271日を相当深刻に考えていきたい。原発廃止を願う全世界の声がそこにある」。簡単には明け渡せないという意思表示でもある。

 事故の原因究明も果たせず、東電は補償を満足にしていない。それでも国は原発を再稼働させる。これこそ不法ではないだろうか。

 「原発事故がなかったらこのテントが建っていることはなかった」。裁判でも貫かれた渕上氏の一貫した主張だ。