異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

反原発デモに市民約5万人 即時廃炉求める 台湾~4つ目の原発の建設を凍結する方針

2015-03-16 19:24:34 | シェアー

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http://www.dailymotion.com/video/x2jjldk

反原発デモに市民約5万人 即時廃炉求める 台湾

  • 公開日: 2015年03月15日
反原発デモに市民約5万人 即時廃炉求める 台湾 
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000046366.html 

台湾で大規模な「反原発デモ」があり、 
約5万人の市民が原発の即時廃炉を訴えました。 
「福島から台湾や世界が得た大きな教訓は、 
安全ではない発電方式に頼るべきではないということだ」 
台湾では日本の東日本大震災の後、毎年3月に 
大規模な反原発デモが開かれていて、今年で5回目です。 
集まった約5万人の市民らは、台湾で稼働中の3つの原発の 
即時廃炉などを訴えながら街中を行進しました。 
馬英九総統は世論の高まりを受けて、去年4月、 
4つ目の原発の建設を凍結する方針を打ち出しています。
 
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台湾 原発の建設中止求め大規模デモ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150314/k10010015541000.html
http://megalodon.jp/2015-0315-1012-26/www3.nhk.or.jp/news/html/20150314/k10010015541000.html
https://archive.today/HwDD7
子供連れで参加した母親は「原発事故はとても心配です。日本で起きた不幸な
事故を教訓にして、子供達により安全な環境を残したい」と話していました。



 
 
 
 
 
 
 
 
 

民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は見たことがない。全く異なる国家をつくろうとしている。

2015-03-16 17:58:23 | シェアー

日本はいま、これまでとは全く異なる国家をつくろうとしている。

 憲法に基づいた平和主義を守るのではなく、米国や英国の仲間になろうとしている。果たして、それでいいのか。

 大きな岐路、重要な局面に立っているのに、そうした議論が何もないじゃないですか。これは本当に不思議なことです。

 恐らく多くの国民は、戦後以来の大きな変化が起こっていることすら知らないんじゃないですか

※いずれにしても、民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は私の知る限り、見たことがない。戦前と似ていると言う人がいますが、野党不在で政権と違う意見を許さないという雰囲気においては、似ているかもしれません。(文中より)

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158019

NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」

国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常
 相変わらず安倍政権の支持率は高いが、不思議なことだ。庶民にアベノミクスの恩恵はまったくないし、イスラム国の人質事件は最悪の結末に終わった。政治とカネの醜聞が噴出し、大臣がまた辞任した。そんな中で、安倍政権は平和憲法をかなぐり捨てる法整備を進めているのに、世論は怒るわけでもない。その理由を尋ねると、来日して12年になるニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏からは明快な答えが返ってきた。

「報じない大メディアが悪いのです」――。

――この調子でいくと、今月中にも自衛隊が世界中に出ていって、戦争協力する法案が提出されることになります。国の形が完全に変わってしまうのに、日本人は関心も示さない。どう思いますか?

 こうなっているのは2つの大きな要因がありますね。ひとつは自民党一強、野党不在の政治状況。もうひとつはメディアが安倍政権を怖がって批判を控えていることです。

国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常

――やっぱり、怖がっているように見えますか?

 見えますよ。日本はいま、これまでとは全く異なる国家をつくろうとしている。憲法に基づいた平和主義を守るのではなく、米国や英国の仲間になろうとしている。果たして、それでいいのか。大きな岐路、重要な局面に立っているのに、そうした議論が何もないじゃないですか。これは本当に不思議なことです。恐らく多くの国民は、戦後以来の大きな変化が起こっていることすら知らないんじゃないですか。私は何も新聞に反安倍のキャンペーンをやれと言っているわけではないんです。安倍政権はこういうことをやろうとしているけれども、そこにはこういう問題点や危険性がある。こういう別の意見もある。せめてさまざまな立場の見方を紹介して、幅広い議論を喚起することが必要なんじゃないですか。

――しかし、それすら大新聞はめったにやらない。何か安全保障の問題はタブー視されているような印象すらありますね。

 なぜ、タブー視されるのでしょうか。9・11の直後、米国では国を守るためには団結しなければダメだという危機感がメディアの批判精神を鈍らせました。これは大きな失敗でした。あの時こそ、メディアは冷静になって、きちんとブッシュ政権に問うべきだったんです。本当にイラクに大量破壊兵器はあるのか。本当に、この戦争をしなければいけないのか。しかし、それをやらなかった。それと同じ失敗を日本のメディアは犯そうとしていますね。いま、日本の国家はどういう危機に直面しているのでしょうか? 台頭する中国への不安や懸念ですか? イスラム国の脅威ですか? そんな小さなことでジャーナリズムが批判精神を失うのでしょうか。

――イスラム国の人質事件ではニューヨーク・タイムズ紙に掲載された風刺画が非常に印象に残っています。「イスラム国は平和主義から逸脱する日本を後押しするか」というタイトルで、車夫(=日本人)の鼻先にイスラム国の旗をぶら下げ、「憲法改正」の車を走らせる安倍首相が描かれていた。キャプションには「安倍晋三“大統領”は復讐を呼びかけた」とあった。

 ニューヨーク・タイムズの論評を扱う部署には複数の風刺画家がいます。そのうちのひとりがアイデアを提示した。私が関わったわけじゃありません。
 
 
――人質救出に全力を挙げると言っていましたけどね。

 政治っていうのは、みんなそんなもんですよ。オバマ政権も一緒です。ただ違うのはメディアが政府の言い分をうのみにするかどうかです。私は列強の仲間入りをしたいという安倍首相が悪いとは言いません。彼は素直に自分のやりたいことをやっている。それは就任前の言動から容易に推測できたことです。問題はそれに疑問も挟まず、従って何の質問もせず、説明も求めないメディアの方です。だから、安倍首相が積極的平和主義を唱えれば、多くの国民が何の疑問も持たずに“そんなもんか”と思ってしまう。ここが危険なところです。

――積極的平和主義で、米国と一緒になって戦う。それが日本を守ることになる。こういう主張の政治家、官僚、学者、評論家たちは、米国がやっていることが正義であるという大前提に立っていますね。ただし、そういう人々の多くは、アーミテージ元国務副長官に代表されるジャパンハンドラーと呼ばれる人としか付き合っていない。

 このほど、ファクラーさんが出された孫崎享さん(元外務省国際情報局長)との対談本、「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)の中には、こういうことが書いてあって、本当に驚きました。ハンドラーという言葉は「犬を扱う」ようなイメージだというし、そのジャパンハンドラーの人々が米国を動かしているわけでもない。これは非常におかしなことだと思います。

 

権力を見ない新聞を国民が信じますか?
――ということは、米国人は一般的に安倍首相のことを、そういう目で見ているということですね?


 そうだと思いますね。ひとりがアイデアを出して、みんながそうだね、と賛同したわけでしょうからね。

――それなのに、日本の大メディアは風刺画どころか、安倍政権が人質救出に何をしたのか、しなかったのか。イスラム国と戦う国への2億ドル支援演説の是非もほとんど論じていませんね。

 私は中東で調査をしたわけではありませんが、東京から見ている限り、安倍政権はあらゆるルートを駆使したわけではないでしょう。最初からあきらめていたように見えます。身代金の支払いにしても早い段階から拒否しているし、この事件を政治的に利用し、テロに屈しないと宣言して米英の一員であることを国内外にアピールするのが狙いだったように感じました。

 ジャパンハンドラーの人々は非常に保守的で、オバマ政権にも入っていないし、決して米国の意見を代表しているわけではありません。それなのに、自民党の政治家や外務省の官僚はジャパンハンドラ―に頼ってしまう。

――対談本でファクラーさんは、「ジャパンハンドラーは『既得権益集団』で、コンサルティンググループなどをつくり、強欲な商売をしている」とおっしゃっていた。

 鳩山政権の時に脱官僚を唱えた瞬間、日米関係がぶっ壊れたでしょ? あんなにすぐ壊れるものかと驚きました。このことは日米のパイプがいかに細いかの裏返しです。一部の自民党の政治家や官僚とジャパンハンドラーとの付き合いしかないのです。日米関係に関わっている人は非常に少数で、そういう人が同盟関係を管理している。だから、普天間基地の移転問題にしても辺野古しかないという結論になってしまう。もっと幅広い人脈と付き合っていれば、さまざまな意見、選択肢が出てくるはずです。

――集団的自衛権についても、それが日米同盟では当たり前ということになってしまう。

 確かに戦後70年間、米国と一緒にやってきて、ある意味、安全だった過去の実績はあります。でも、今後もそれでいいのか。平和憲法を捨てず、平和主義を貫く選択肢もあるし、鳩山政権や小沢一郎氏が唱えたようなアジア重視の道もある。どちらがいいかは国民が考えた上で決めるべきです。

――ところが、日本人には、それを判断する情報すら与えられていないんですよ。新聞が選択肢すら報じないものだから。

 日本のエリートの上の方で、物事が決まっている。大きな新聞はそちらの方を見て記事を書いている。そんな印象ですね。新聞社は読者の側に立って、権力を見ていない。権力者の側に立って、国民を見下ろしている。そんなふうに感じます。こんな新聞を国民は信じますか? 

――このまま米国追随路線をエスカレートさせたら、この国はどうなっていくと思われますか?

 イスラム国のような事件がまた起こりますよ。米英豪仏などと同じ一員になれば、彼らの敵が日本の敵にもなる。日本人はそこまでの覚悟をしているのでしょうか。いずれにしても、民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は私の知る限り、見たことがない。戦前と似ていると言う人がいますが、野党不在で政権と違う意見を許さないという雰囲気においては、似ているかもしれません。健全な民主主義に不可欠なのは議論なのに、それを忘れているとしか思えません。


▽マーティン・ファクラー 1966年生まれ。ダートマス大卒業後、イリノイ大、カリフォルニア大バークレー校で修士。ブルームバーグ東京支局、AP通信東京支局、ウォールストリート・ジャーナル東京支局などを経て、ニューヨーク・タイムズ東京支局長。近著に「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)。















【詳報】「今、日本は戦後最大の危機を迎えている」大江健三郎氏、鎌田慧氏が会見

2015-03-16 04:53:14 | ご案内

http://blogos.com/article/107525/

記事

【詳報】「今、日本は戦後最大の危機を迎えている」大江健三郎氏、鎌田慧氏が会見

 

 
10日、ジャーナリストの鎌田慧氏と、作家でノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏が会見を行った。両氏は2011年、内橋克人氏、落合恵子氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏と9名で「『さようなら原発』一千万署名 市民の会」を結成、「さようなら原発1000万人アクション」を続け、署名や集会などの活動を行ってきた。 

両氏は東日本大震災と福島第一原発事故の発災から4年を迎えるのを前に、改めて原発の再稼働反対を訴えた。 

鎌田氏の冒頭発言要旨

 
私たちは「さようなら原発運動」を3年以上やってきまして、世論を高めるための運動に一定の成功をしてきたと思っております。なんとか4周年を契機にして、新たな運動を作っていく力にしたいと思っております。
明日で4年になりますけれど、原発事故の状況は収束に向かうというよりも、むしろ拡散と言いますか、核分裂と同じような、日本社会の分裂に向かっていっていると思います。 

4年経ってもどこに住んだらいいのか、どういう仕事をしたらいいのか、まだわからない人が11万人以上います。こういう人たちを見捨てる形でまた原発を動かそうとしている、これは本当に、人類の叡智に対する挑戦だと思います。間違いを改めない、犠牲者を振り捨てて新たな利権に向かっていく。全く人間のモラルに反することを、今、日本政府と電力会社はやろうとしているのだと思っています。 

福島に行ってご覧になった方もいらっしゃると思いますけれど、第一原発がある大熊町、双葉町、第二の原発がある楢葉町、それから近くにある浪江町、全く人が住めない。あるのはススキの白い色と、セイタカアワダチソウの黄色い色と、汚染物をいれた黒い袋。黒と白と黄色で埋め尽くされています。
そして100人以上の子どもたちに甲状腺がんが現れています。それから、仮設住宅に住んでいて、目の前に家があるけれど放射線に阻まれて戻れない、そういう人たちが続々と亡くなっていまして、原発関連死は1,200人以上にもなっている。そういう惨憺たる状況です。これが4年経った現実でして、これを全く解決しないうちに新たな5年目、つまり再稼働に進もうとしています。 

故郷を失い、居住する場所を失うということは、精神的なダメージが大きいわけでして、人権に関わる問題です。人間がどういうふうに生きていくのか、どこに住むのか、住む環境はどうかという、古来の人権に対する挑戦として、新たな再稼働を進めようとしています。
20万人にも及ぶ福島の人々の夢と居住権と人権を奪って、なおかつそれに対する補償もできていない中で、川内原発とか、あちこちの危険な原発を再稼働させようとしている。これは政治的な犯罪と言っても間違いではないと思います。 

5年目に入るにあたって、ドイツからメルケル首相が来られたのは象徴的です。
再稼働しようという国と、きっぱりそれをやめて新たな道に進むという国の首相が相まみえて、これからの日本の進路を考えていく。つまり自己決定したドイツと自己決定しない日本のその対比が明らかになって、これからの原発反対運動に大きな力になっていくと思います。 

私たちは3月28日、新宿で大江さんなどの講演会を開きまして、5月3日には、みなとみらいの臨港パークで3万人規模の大集会を開きます。これは原発反対運動と戦争反対運動、全ての運動を一緒にした大運動を行いながら、新たな日本に向かってやっていこうと思っています。 

大江氏の冒頭発言要旨

 
私は昨日インタビューや講演をなさったメルケル首相の発表に非常に強い印象を受けたものです。
大きい福島事故の後、日本人が本当に考えなければならないことを回避するという方向に進んできた、その4年間だったと思います。その出発点には、私どもの首相である安倍という人の考え方があります。 

それを端的に申しますと、あの原発事故が起こった後、彼が世界に向けて発言したのは、事故を起こした福島の原発は、すでにコントロールされたということでした。
これからどうなるのか、その人間的な、倫理的な、自然全体に対する全ての問題を解決しなければいけない中、すでに原発そのものの直接的な状況は回避されたと世界中に言ったんです。皆さんもお聞きになったでしょう。それを信じる人は少なくとも世界にはなかった。ところが、日本人の中には、これを信じようと考えた人々がいる。
この4年の間に、原発事故というものはそれこそすでにコントロールされたと考えているひとが多くなってきているんじゃないでしょうか。 

そして同時に、メルケル首相がおっしゃった、"ドイツは原発によるエネルギーでやっていこうとする方針を完全に放棄した、そして自分たちはそれを実現する"ということ、そして"これは自分たちの政治的決断だった"ということ。私は、この「政治的決断」という言葉が、ドイツの政治家と日本の政治家の違いを明確に示していると思います。 

非常に総合的な、多様を視点を持った重要な問題で、ドイツ人全体が人類に対して決断しなければいけない。しかしその出発点で、政治家として自分たちは強い決断を行った。そしてそれを今、実現していくことでドイツ人の現在観、将来観が固まっていく、ということをメルケル首相は言っておられる。 

私の小説をお読みになった方は、森ということ、あるいは樹木ということが重要であることを知っていただいていると思います。
あの事故によって放射能の影響を受けた原発周辺の森林をそのまま放っておくことは出来ないと、復興を求め願い、福島の人たちはその木を伐採しました。
葉っぱも含め、集めた樹木は、8万本という大規模なものです。近づくこと、あるいはそれに触ることは非常に危険ですし、それを燃やしてしまうと、重量は少なくなるかもしれないが、放射能を大きく広げてしまうことになります。しかし、まず燃やそうと、燃やした後の灰で放射能の害を与えないように保存しよう隔離しようとしていますが、ともかく私たちは人間、子どもたちの将来を考えて言えば、この樹木が象徴的な形、象徴的な表現を示していると思います。 

メルケルさんと安倍首相が話をしたということは、私は非常に大きい、象徴的な、あるいは現実的な意味を持っている出来事だと考えています。
メルケルさんはまず最初に、非常に高度なテクノロジーを持っている日本の人々が原発を十分にコントロールできなかったということは事実だと言われました。ドイツは福島の事故を見て、これからのエネルギーの課題として原発を用いるということは全く不可能だということを認識した、そしてそれに向かって働き始めているということです。
それに対して安倍氏は、今いくつもの原発が稼働をやめているけれども、今年のうちに4つ、あるいは5つの再稼働を行うということを言った。そしてその方針を変える気はないとも言った。

それに対して私たち民衆はどう考えているか。私たちはメルケルさんと安倍の態度を見て、現在の政治的な、人間的な意思、態度をいうものを完全に作り変えなければいけない、そのことをを今強く感じている。今までもそれに基づく行動はあったし、これから大きく広がっていくだろう、それを広げていきたいというのが私の考えです。 

昨日の記者会見を見て、非常にはっきりしたことは何かということをお話しました。
もう一度繰り返しますと、日本の政治家には、この大きい原発事故という福島の悲劇がありなながら、それを全く別の方向に作り変えていくという政治的意思はないと。すなわち原発事故に対する反省、あるいは再出発という意思がまったく無い政治家が政治を決断していて、例えばメルケル首相などから、そのことについて批判する声が明瞭に示されても全く耳を貸さないという点が今の政府にあるということです。 

この日本の態度はヨーロッパに対してそうであると同時に、アジアに対しても最も明らかになっているということは、皆さんがよくご存知だと思います。今、戦後最大の危機を我が国が迎えているということだと考えています。 

今、日本の状況はこのようにフクシマ以後、光に向かって、希望に向かって進むということ無しに、現状がそのまま続けられて、しかもこれから原発の再稼働も行われる。
次の事故が起こればこの国の現在と未来は無くなってしまうという認識が非常に広くありながら、それを作り変えようとはしない、その風習も改めようとしない。
福島、国内からの声にも、ドイツからの新しい世界の核政策についての決断、そこからの呼びかけにも全く答えないでいる政府がいる。

それは尖閣諸島の問題につきましても、竹島、韓国の方々の言い方では独島の議題とも同じです。アジア諸国との関係も非常に悪い状態にあるということを明らかに知っていながら、政府にそれを作り変えようという意思があるとは思えない。そのための努力を何もしていない。

その証拠に、今の首相が韓国、あるいは北朝鮮の政治家たちと話し合いをすることは途絶えたままですし、中国に対してもそうです。アメリカの占領期は別ですが、戦後、こんな日本に全くなかったことが行われて、福島以後の危機を最も全面的なものにしてしまっている。
それが現状だということが僕の申し上げたかったことなんです。

今、現在の私たちが陥っている窮状について考え方を申し上げました。考え方というよりも、どのような現実を生きているかを申し上げました。

これからご質問を頂いて、それを展開していく、そこで私は政治家たちが聞こうとしないでいる、日本のことををよく知ってっておられる海外のジャーナリストの方々を声を聞かせていただき、私たちが考えを答えるというセッションが重要だと思いますので、そちらに移りたいと思います。 

その前に一つだけ、小説、文学をやってきた人間として、どういう状態で小説家としての終わり、人間としての終わりを迎えようとしているのか、社会的背景はこういうものだということを、お話する、それをごく短くお話して、みなさんの質問に移りたいと思います。 

私は小説家として22、3歳から書き始めました。80歳になりましたので、非常に長い間小説家として生きてきました。5年前、私は小説家としての生活を、文学に関係のある生き方を終わりにしようと考えていました。そして、晩年に近づいていく私のエッセイを読んで、私が文学的な人間であることをやめるということをはっきり方向付けてくれた、それ以外の道が、生き方が君にありうるかもしれないと、私に非常に内容のある勧告をしてくれた方がいました。
その人は、皆さまもよくご存知の、エドワード・サイードという、私が最も重要な、20世紀の終わり、21世紀の初めの文化理論家と考えている方です。 

私は自分の仕事、文学の仕事がどういうものだったか、70歳になった時に全て検討しようと考えて、作業を初めていました。ところが突然、エドワード・サイードが白血病で倒れてしまうということが起こったのです。
サイードは亡くなる前に、人間が、あるいは文化がひとつの非常に決定的な最終段階に立ち至っていると考える時に、我々の最後の表現のスタイルがどういう形をとるのか、ということを考えていました。
病気の自覚もありますが、イスラエルとパレスチナの問題が彼の生涯の課題で、その社会運動を続けた上での、非常に辛いところでの文学観、あるいは人間観の表現でありますけれども、人間の表現する「最後のスタイル」というものがあるんだと。
今まで、あらゆる時代に、いろんな人たちが人類の最後、あるいは個人として自分の最後を重ね合わせて考える、そして独特の表現をしてきた。それがなければ人間の芸術の歴史はある程度単純化されただろうというのが彼の考え方でありまして、それについて彼は"On Late Style"という論文を中心にまとまった仕事をし、亡くなりました。
彼が亡くなった後、私は彼の取材の文書を集める仕事に参加しまして、ここに刊行することができたのです。本を編集しながら、サイードの"On Late Style"という考えを私が理解していくのと同時に、私たちの国が、世界が一挙に終末的な、非常に危機的な状況に立ち至ったと私は自覚しています。 

人間、文明、あるいは社会のそのLate Styleは、例えばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のように、芸術家に非常に優れた特別の作品を作らせる。そういうことがずっと、この19世紀、20世紀、21世紀に至っても続いているというのがサイードの考え方で、その上での自分の最後、自分の死後についての見通しを考えるのがこの"On Late Style"ですが、私もこの3年間、同じことやっています。 

サイードはアドルノという思想家の良い後継者で、彼自身もアドルノを継ぐ人間だと書きましたが、アドルノは"アウシュビッツの後で人間が表現を行うこと、それ自体が野蛮なことなんだ"と言いました。
これにはいろいろな理解、解釈がありますが、アウシュビッツの後、そして広島・長崎の後、そしてサイードがもし生きていたら福島の後、そこで人間が表現活動をする、文学活動をするということ自体が野蛮なことなんだろうか。それは人間が新しい人間になるための手段として、そこをどう乗り越えていくかが我々の仕事だと、サイードは言うかもしれない。 

この状況はもっともっと悪化している、もっと究極に近づいている。そして個人的に言えば老人として死のうとしている我々がどういう表現、人間はどういう足場に立って、どういう精神でもって表現活動を続けることができるかをサイードさんは "On Late Style"の中で述べています。私はそれを掘り出して、みんなに伝えるということを願ってきました。 

そして、この本を編集したジャーナリストは、最晩年のサイードは楽観的だったと、そう言っていました。彼はパレスチナに関しても、人間全体の将来についても非常に悲観的で、絶望しか無いと考えていたんだと。しかし絶望した人間の表現のスタイルを作っていく展望について、サイードは楽観的だったと言うんです。 

それを私は自分の信条としたいとも思っているんです。今、私はサイード的な最後の楽観性を自分のものにしたいと考えて、文学的な仕事が終わった所で仕事をしています。その、非常の絶望的な中で、なぜ人間が楽観的でいられるのか。そのことを申し上げて、私の話を終わります。

 
 

質疑応答

ー東京地検が東電の経営陣の不起訴を決めたタイミングについて。一回目がオリンピックの開催地が決まろうとする時期、もう一回は総選挙の直後でした。何か政治的な配慮があったと思いますか。 

大江:もちろん彼らは政治的な言葉を発している。日本の裁判官たちも、あるいは官僚たちも、政治家とともに、非常に不思議なほど、安倍政権のやり方を支持するほかない、というところに固まっていて、原発の再稼働に向かって、あらゆることよりもそれを第一目的としている。すなわち今や我が国は原発再稼働に向かっての動きにおいても、非常に危険な状態を迎えている。 

これを日本人が、我々が集会や運動によって作りかえなければいけない。
今、原発事故の大きな悲劇の後で、どのように人間的なものを回復していくかを中心に考えて、それ以外のことは二次的なものとする、そしてその原則に従って我々が今取ろうとしている態度はすなわち、ともかくも原発は再稼働させよう、それだけの目的で全日本的な宣伝活動が行われ、オリンピックの決定も含めて明るい要素があるかのごとく振る舞おうとしているのは間違っていると。
その大きい大きい一番の間違いがわかるのは次の原発の大事故がおこるときでしょうが、そのときは我々の未来はないんですから、芸術はないんですから、今の政府の原発に対する態度を根本的に改めさせないといけない。 

そのために唯一あるとすれば、選挙によって完全に安倍を打ち倒すということですが、その希望はこの2年ほど、なくなってしまっている。まさに我々は窮地にある。しかし、そういう窮地にも、強い認識でもって新しい動きをはじめなければいけない、それが一番大切な問題だと、そう考えたい。
皆さんからの知恵を頂きたい、励ましを頂きたいと考えている。

ー原子力規制委員会は、原発の現場で働く人材について、バックグウランドのチェックを義務付けないとしているようです。極端に言えば、犯罪者でも仕事ができる状況になります。ISILが日本をテロの対象とすると言うような状況の中、これをどう思いますか。 

鎌田:これは物理的に不可能な状態になっています。いま、第一福島原発の廃炉と修復作業では5,000人から6,000人が働いていますし、これからオリンピックの工事で労働力をかき集めなければならない状況なので安全に手が回らない状態です。 

やはり日本は遅れてきた資本主義ということがありまして、とにかく追いつけ、追い越せで頑張ってきたわけなんで、基本的には国の政治は民衆にすこしくらいの犠牲があっても、国益というか、国の富、名誉、権威が先行しているということが続いています。戦争責任をきちんととらなかったということもありますし、やはり、これからの問題は、経済優先という中で、人間性のある社会にどうしていくのか、パラダイムを変えていく、それが問われていると思います。 

ーサイードの話には大変感銘を受けましたし、社会に訴えかけて作り変えければならないというのは素晴らしい話ですが、福島で一生懸命に生きようとしているひとたちにとっては、インテリたちが自分たちの頭の上でやっている議論に聞こえてしまうのではないかと思います。 

また、復興を実現するために、彼らには何が必要だと思いますか。
 


鎌田:生活に対するリアリティが政治家に少ないし、まして安倍内閣には、人々の生活をどうするのかという発想がないわけです。国の名誉とかそういうことしか無い。たとえば強制移住をさせられている人たちの精神的なダメージについての思いが全くない。どういうふうに還すのかというイメージもない。補償金を払えばいいということになっている。そういう政治家としての人間性が問われている。 

どういう解決策がいいかと言えば、やっぱり政治家たちが仮設住宅に行って、丹念に人々の話を聞いて、それを総合して政策に結びつけていく。
今は機械的に、とにかく原発から復興したということを証明するために無駄な除染の作業をしている。果たして住めるのかどうかということを、人々の話をきちんと聞きながら、新たな所に住むようにするとか、明確なイメージを出すのが精神的に一番安定することだと思います。

私たちの運動は、原発反対とか再稼働運動とか反対の運動で精一杯でして、被害者をどう救済して、地域で人々の意思の沿った復興をしていくかというところにまで手が回らない。これは政治家の仕事なんですけど、ですから、原発反対の運動ともう少し後ろを向いた、ゆるやかな運動をどういう風にしていくかのが今問われている課題で、4年目の課題はそこが重要なものになってくると思います。

ー私はインドネシアの記者ですが、今のインドネシアの経済はものすごく順調で、政治家も原発を検討しています。その件について、できれば大江先生からメッセージをいただきたいと思います 

 
大江:非常に単純なことで、今現在、日本の政府、日本人、日本社会が新しい原発の開発を世界に求めることはできない。
いかなる国に対しても、我々は原発は人間の手段としてはもう終わったんだと言い続けたい。 

今までやってきた経済的繁栄があるから、そういうものがあるから、そういうことを言っているんじゃないか。"我々が貧困を乗り越えるためにどうするかを、あなたは何も考えないのか"、と言われると思います。 

しかし私は、日本も悪い状態そして、世界の国々には確かに原発を必要としている人々がおられる。しかしそこで踏みとどまって、原発というものを我々の文化から押し戻してしまう。それが私の主張で、日本人として世界に何か最後にいうことがあるとしれば、そのことなんだと。そのことを私の「最後のスタイル」にしようと。 それはもちろん、あらゆる意味で、いろんな批判がありうるわけで、インドネシアの人々からの批判も確実にあるでしょう。 

原発がない社会というものを実現するほかない、それが次の世代に対する一番根本的な態度であって、それを修正して次の原発に希望を託すということを私をしない、少なくとも私はできない。そこで声を発し続けるというのが、私が今やれるかもしれない、唯一最後の仕事として思っていることです。 

ー東電の経営陣は不起訴になりましたが、福島原発を建設した人たち、許可を出した人たちの責任も追及するべきではないでしょうか。何か犯罪的な行為があったかもしれません。 

鎌田:日本の原発はご存知のように国策民営、政府の方針に従って民間が儲けていくということで、明治政府以来一貫しています。政府が資金を出して産業を振興、誘導する。原発もそうなので、国の方針ですから責任はない、従っただけだという考えが強いわけます。 

メーカーの責任を弁護士さんも検討してみたようですけれど、なかなか製造者の責任までは裁判では争えない。これは日本の司法の問題なんですけれども、事故を起こした経営陣の責任でさえ追及できないですから、それを作ったメーカの責任の追及までは残念ながらできないという状態です。行きたいんだけど、状況を見ると行けないというまどろっこしい状態です。 

政府の責任を追及することがなかなか今までないわけで、これはひとえに戦争責任の追及がうやむやになってしまって、追及できたイタリアやドイツと違うところですが、最高責任者が追求しきれなかった。責任はどんどんどんどん下の方にいってしまう、これがこの国の現状で、あまりこれ以上は恥ずかしくなるので言いたくないですが(笑)

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【拡散!】集会デモ案内 「安倍政権NO!☆0322大行動」〜民主主義を取り戻せ!〜

2015-03-16 04:26:39 | シェアー

http://abe-no.net/

 

「安倍政権NO!☆0322大行動」〜民主主義を取り戻せ!〜

2015年3月22日(日) 13:00〜 集会@日比谷野音(大音楽堂)

               14:00〜 巨大請願デモ・国会大包囲【主催】安倍政権NO!☆0322大行動

 

 


0322_frontA   

日時】2015年3月22日(日)
13:00~ 集会@日比谷野音(大音楽堂)
14:00~ 巨大請願デモ/国会大包囲

【場所】日比谷野音(大音楽堂)・国会議事堂周辺

※14:00から請願デモと国会包囲を同時スタートします。野音集会参加者は国会包囲へのご参加をお願いします。

※デモ出発は14:00に開始し、15:00までに完了を予定しております。ご協力宜しくお願いいたします。

予定は変更の場合があります。HPにて詳細をご確認ください。

【主催】安倍政権NO!0322大行動 実行委員会
事務局:首都圏反原発連合/原発をなくす全国連絡会/PARC NPO法人アジア太平洋資料センター)

<アクセス>

「日比谷公園」最寄り駅:東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷駅」、東京メトロ丸ノ内線・千代田線・日比谷線「霞ヶ関駅」、都営三田線「内幸町駅」、JR「有楽町駅」
「国会議事堂」最寄り駅:東京メトロ有楽町線「桜田門駅」、東京メトロ丸ノ内線、千代田線「国会議事堂前駅」、東京メトロ丸ノ内線・千代田線・日比谷線「霞ヶ関駅」、東京メトロ有楽町線・半蔵門線・南北線「永田町駅」

<安倍政権NO!0322大行動 実行委員会>

【事務局】
首都圏反原発連合/原発をなくす全国連絡会/PARC NPO 法人アジア太平洋資料センター
【実行委員会参加団体】
自由と民主主義のための学生緊急行動(ex.SASPL)/東京デモクラシークルー/秘密保護法を考える市民の会/若者憲法集会実行委員会/C.R.A.C. /差別反対東京アクション/官邸前見守り弁護団/自由法曹団/TPPに反対する弁護士ネットワーク/国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会/日本婦人団体連合会/新宿BEER&CAFEベルク/農民運動全国連合会/全日本民主医療機関連合会/全国商工団体連合会/全国労働組合総連合/東京地方労働組合評議会/新日本婦人の会/全国農業協同組合労働組合連合会(3/11 現在)

【賛同団体】
国際環境
NGOグリーンピース・ジャパン/のりこえねっと/ヘリ基地反対協議会/高江ヘリパッド建設反対現地行動連絡会/高江ヘリパッドいらない住民の会/沖縄平和市民連絡会/麺屋どうげんぼうず/株式会社鹿砦社・『NO NUKES voice』編集委員会/阿佐ヶ谷イネル/私が東京を変える/安倍政権にNO!東京・地域ネットワーク/アベ NO THANK YOU ! /東京平和委員会/ママデモ/東埼玉百人委員会/FB憲法九条の会/ONE LOVE 高江/中野協同プロジェクト/0301 Countdown Live実行委員会/早稲田9条の会/立川平和委員会/パパママぼくの脱原発ウォークin武蔵野・三鷹/杉並コマまわしの会/みん宿ヤポネシア/ふじさわ・九条の会/ゆんたく高江/日本平和委員会(3/11現在)

●趣旨に賛同頂ける団体やグループを募集しています!

申し込みはこちらから


よびかけ

第二次安倍内閣が発足して以降、日本は戦前に戻る方向に進んでいると、多くの人々が指摘しています。イスラム国による人質事件を契機に、自衛隊の海外派遣を策動しています。イスラム国・テロをなくす取り組みでも、軍事を前面に出し、人命を重んじる姿勢が弱かったのではないしょうか。また、地方切り捨てや経済政策による格差や貧困層の拡大、国際的に批判をされている人権擁護・ヘイトスピーチ対策への無策など、「平和で安心して暮らせる社会」という市民の願いとは逆方向に突き進んでいます。

 「原発」「集団的自衛権」「憲法」「沖縄米軍基地」「秘密保護法」「TPP」「消費税増税」 「社会保障」「雇用・労働法制」「農業・農協改革」等の多数のイシューにおいて、安倍総理は一部の人々の利益や利権などの都合を重視し、民意に逆らい独裁的な方法で政策を進めています。この政権は全ての問題に立ちはだかる障壁になっていると言っても過言ではなく、問題の解決のためにはまず政権を打倒する必要がある事は、多くの人々の意識にある事でしょう。

 今こそ安倍政権に異議を、そして私たち主権者の意志を突きつける時です!4月の統一地方選を見据えたタイミングで、首都・東京から大きく「安倍政権NO!」の意志を可視化するため、独裁政権から民主主義を取り戻すため、322日は日比谷野音に大結集しましょう!


<注意事項>

当日の天候に注意し、水分補給や雨具、防寒具の用意などをお願いします。
初めての方もぜひご参加ください。
気分が悪くなった方は、スタッフにお申し出ください。
特定の団体や宗教団体による参加者への勧誘およびこれに準ずる行為を禁止いたします。
当日の会場内で参加者に対して、主催の許可の無い印刷物の配布を禁止いたします。ご協力お願いします。
この行動は非暴力で行われます。趣旨をご理解いただいた上でのご参加をお願いいたします。

<カンパのお願い>

【安倍政権 NO! 0322大行動】は全てみなさまからのカンパにて運営しております。カンパのご協力をお願いいたします。

ゆうちょ銀行(郵便局)からの場合
[口座名称]首都圏反原発連合 [記号番号] 00170-1-291074
他銀行からの場合
[
銀行名]ゆうちょ銀行 [口座名称]首都圏反原発連合 [店名]〇一九(019)
[預金種目]当座 [記号番号]0291074
通信欄に「0322カンパ」とご記入ください。

<フライヤーの配布ご協力のお願い>

フライヤーの拡散にご協力ください。基本無料で発送します。
申し込みはこちらから。

 

【問い合わせ】

実行委員会/Eメール:infoabe-no.net@に差し替え送信ください)
プレス問い合わせ/Eメール:prabe-no.net@に差し替え送信ください)

<事務局>
首都圏反原発連合
Eメール:infocoalitionagainstnukes.jp@に差し替え送信ください)
Twitter@MCANjp
Tel080-9195-2668 

原発をなくす全国連絡会 事務局
東京都文京区湯島2-4-4 平和と労働センター 全労連会館内
Tel03-5842-6451

 
 
 
 
 
 
 

「新戦争論」小林よしのり~「ようござんすね?このまま戦争で」「過剰に右傾化した日本の舵を・・・」

2015-03-16 04:03:45 | シェアー

http://lite-ra.com/2015/03/post-946.htmlより転載

ネトウヨの生みの親・小林よしのりが右傾化を憂えている! 安倍とネトウヨを徹底批判

2015.03.15
 
kobayashiyoshinori_150315.jpg
『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 新戦争論1』(幻冬舎)
 

「ようござんすね? このまま戦争で」
「過剰に右傾化した日本の舵を、いったん真ん中に切り戻す」


 今年1月に発売された小林よしのりの新刊、『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 新戦争論1』(幻冬舎)の帯にある文言だ。

小林氏といえば、「大東亜戦争肯定論」をぶちあげた『戦争論』(1998年)の大ヒットにより、“ネトウヨの生みの親”とも言われている人物。

 最近はネットで“よしりん左傾化”などと揶揄されるようになっていたが、とうとう自ら右傾化を批判し、「真ん中に戻す」と宣言したというわけだ。いったいよしりんに何があったのか。さっそく本書を読んでみると、たしかに、小林は確実に変わっていた。

 象徴的なのが、昨夏、安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定した際、社民党が作ったポスターについての論述だった。これは、うつむいた少年が「あの日から、パパは帰ってこなかった」とつぶやくポスターで、当然のようにネトウヨや保守主義者、御用メディアらから「自衛官の家族を脅すとは卑劣きわまりない」「アメリカ人なら何人死んでもエエんか」とバッシングされた。だが、小林はむしろ、バッシングについてこのように批判するのだ。

〈自衛官の戦死にリアリティを感じ始めたから、自称保守&ネトウヨは、このポスターに動揺している。タカ派発言ばかり楽しんでいるくせに、自衛官の戦死から目を逸らす自称保守&ネトウヨは欺瞞的である!〉

 どうやら、小林は実際に戦争への危機感を持っているようだ。その根拠となっているのが中東情勢だ。

 イスラム国はアメリカのイラク侵攻が生み出した。絶対に許されない侵略戦争だった。日本はその大義なき戦争を支持したことに対する総括がまったくできていない。そんななかで集団的自衛権が行使されれば、日本はいっそう米軍と一体化し、必ずや戦争に巻き込まれる。改憲の後「普通の国」になれば徴兵制だってありえる──。

 これらは、イスラム国人質事件を機に本サイトが主張してきたことだが、実は、小林は同じことをもっと前から『新戦争論1』で記しているのだ。「FLASH」(光文社)2月24日号のインタビューでもこう語っている。

「いま、アメリカを中心とする有志連合が必死にイスラム国を空爆しているけど、あれば勝てないよ」
「要は、アメリカのイラク侵攻がなければ、イスラム国はできなかった。だから、一番悪いのはもちろんアメリカだよ。でも、よく思いだしてほしい。当時、日本の政治家はアメリカを擁護したし、多くの知識人がイラク戦争に賛成していた。そうした政策や言論こそ、間接的にイスラム国の成立に手を貸したと言っていい」

 そのうえで小林は、アメリカに追従しイラク侵攻を肯定した小泉純一郎、その安全保障のブレーンを務めた岡崎久彦、京大名誉教授・中西輝政らを「恐米ポチ」と名付ける。そして、そこに連なる安倍首相についても、日露戦争以降醸成されてきた中東からの評価を、あの“カイロ2億ドル支援演説”の「たった一言で壊した」と批判し、こう締めくくるのである。

「アメリカ様様のポチ連中のせいで、このままだと国民がまったく知らないうちに戦争に引きずり込まれてしまうよ」

 よしりんが戦争への懸念として持ち出すのは、イスラム国をめぐる日本の外交姿勢だけではない。『新戦争論1』からは、中国・韓国との国交断絶やジェノサイドまで煽動するネトウヨやヘイト団体に対する忸怩たる思いも伝わってくる。

 本書には「『戦争論』の正しい読み方」と題された章がある。ここで小林氏は、「ネトウヨの生みの親」とされることに対して、「ネトウヨは『戦争論』の副作用である! 圧倒的に効く特効薬に副作用があってもしかたがないっ!」と苦悶の表情を浮かべつつ、ネトウヨや行動保守などは幼稚な「覚悟なきナショナリズム」であると反論し、「嫌韓本」や雑誌・週刊誌の「嫌韓特集」についてもこのように分析している。

〈似たような内容の本が次から次に出版される光景は、その質と量の両面で「自己啓発本」の粗製濫造と同じ現象だ。〉
〈何の努力もせず、人生経験も教養もなく、手っ取り早く安直に、考え方一つで成功する、別の人間になれると錯覚させる、それが自己啓発本だ。
 今の自分に自身のない者が、等身大の自分に下駄を履かせるのだ。〉
〈実は「嫌韓本」も売れる構図は同じである。卑小な自分でも自信を持つためには、自分以下の存在を差別すれば手っ取り早い。〉
〈「嫌韓本」は、等身大の自分に下駄を履かせる「自己啓発本」であり、「癒し本」なのだ。〉

 小林は、これは「ナショナリズムの悪用」で、最近「嫌韓本」にとってかわって盛況を見せている「日本自賛本」もセットとし、まるで「危険ドラッグ」ではないかと嘆く。そして、行動保守などのヘイト市民運動について、こう言い放つのだ。

〈隣の国の悪口で自我を肥大させ尊大になっている日本人なんて美意識のカケラもない!〉
〈結局、愛国心を掲げて運動する者たちは、等身大の自分を見たくないのだ。〉
〈嫌韓のためのデモや、ヘイトスピーチは「公共性」を破壊するサイテーの悪行である!
 嫌悪や憎悪のナショナリズムは、日本の「公」を毀損するだけなのだ!〉

 

 この右傾化への懸念は、間違いなく小林の本心だろう。実際、昨年の「週刊東洋経済」(14年9月27日号)のインタビューでもこう述べている。

「以前はね、世の中が徹底的に左に寄っていたから、慰安婦は強制連行ではないと主張する「つくる会」や『戦争論』は極右と思われた。(略)
 ところが『戦争論』以後、この十数年で、世の中が一気に右に振れてしまった。排外主義的な動きまで広がっている。政治家もそれに振り回されている。
 『戦争論』では、戦前のよき伝統すら認めない戦後的価値観、あるいは一国平和主義的な戦後民主主義を否定するために、あえて「大東亜戦争論」の立場を採った。それを好戦的だと単純に受け取った連中もいたが、それは表層的な理解だ」

 だが結局、ネトウヨや一部の保守主義者たちが『戦争論』に見いだしたのは、「ただ単に戦争の肯定とか、自分たちは悪いことはしていないという、『自虐史観』ならぬ『自尊史観』だった」。

 安倍首相を中心とする自民党政権、親米保守を批判し、ネトウヨやヘイトスピーチを“危険なナショナリズム”と位置づける『新戦争論』。

 だが、これはネトウヨのいうような“小林の左傾化”とはちょっとちがうような気がする。

 思えば、あの『戦争論』から、よしりんは一貫して、「公共性の喪失」について説いてきた。90年代が終ろうとしているあの頃、戦後民主主義という「空気」に逆らえぬ現状のなかで、「個」を育むための「公」が欠如していると見た小林氏は、「大東亜戦争」の特攻隊を象徴的に持ち出し、「彼らは個をなくしたのではない」「公のために敢えて個を捨てたのだ!」「国の未来のためつまり我々のために死んだのだ!」と書いた。

 翻って2015年現在。ネトウヨや保守メディアはそろって「国益」「国賊」「反日」と叫んでいる。それが東アジア情勢を鑑みたものかどうかは、実はどうでもいい。問題は、彼らのいう「国」が意味するのは、日本の伝統や文化ではなく、無省察な現状肯定と優越感、批判する者やマイノリティを排除する“政体”だという事実だ。今、本当に「国」は「公」に換言できるのだろうか。小林は『新戦争論1』でこのように言っている。

〈「国」と「公」はズレることが多い! 「国」か?「公」か?と問われたら、わしは「公」に付く! 「公」のために「国」と戦うことだってあるだろう!〉

 戦後民主主義という「サヨク」な「空気」は、いまや「国」を盲従する別の「空気」によって塗りつぶされた。そして今度は、この「空気」に乗った人々が「公」を破壊しようとしている。そう小林は考えているのだろう。「歴史や伝統」を守るふりをして、その実、日本の70年になる“戦後という歴史”を覆そうとする安倍政権。その勇ましい口ぶりに同調する御用マスコミ。イラク侵攻を顧みない恐米ポチ。自らを慰撫するだけのネトウヨ……。日本はアメリカの属国として好戦国になる。報道の自由は抑圧される。差別主義国家と見なされる。

『戦争論』から『新戦争論』の間に、日本という国はここまで変容してしまったのだ。それを一番痛感していたのは、他ならぬ小林よしのり自身だった。小林は昨年、衆院選の結果を受けて、ブログでこう書いていた。

「出口戦略もなしに、満州事変や支那事変から米英仏蘭との開戦で、アジアに異次元規模の軍隊を派遣して、『神風が吹く』と叫んで敗戦した戦前と、現在の状況はよく似ている。社会は最悪になる、わしの単行本は売れる、これは喜ぶべき状況なのだろうか?」

 今回の『新戦争論1』の冒頭は、17年前の『戦争論1』と対になっている。ぜひ、読者諸賢の目で確かめてもらいたい。
梶田陽介