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日記(3.23)桜のニュース

2015-03-23 17:11:07 | 日記
3月23日 (月曜日)  晴れ


午前中は眼医者の通院補助で時間が過ぎ去った。
風が結構あって、花粉であろう、目が痛痒い。・・・
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おとといは鹿児島や名古屋、きのうは高知や静岡などでソメイヨシノが開花したと発表があった。。
平年より少し早いところが多いようだ。
ここ最近、桜の開花を巡って報道もにぎやかだ!
普段でも何かと気ぜわしいのに、それに桜の話題が絡みつくと更にだ・・!

世中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平


この世に桜がまったくなかったら、春も穏やかな気持ちでいられるのにということらしいが・・・
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記事に・・シンガポールのことが
何回か仕事やプライベートで行った国。
歴史や国の成り立ちなどにも当時は興味があってここの首相のすごさは聞いていたので
今回目に留まった。
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シンガポールの首相を30年以上にわたって務め、
同国建国の父と呼ばれたリー・クアンユー元首相が
23日未明に死去した。91歳だった。

首相府が声明を発表した。同国の首相は現在、リー氏の長男、
シェンロン氏が務めている。

リー氏は重い肺炎で2月5日から入院し、
6週間以上にわたって人工呼吸器をつけていた。

同氏は1923年生まれ。シンガポールが英連邦の自治州となった
59年から首相を務め、
65年にマレーシアから独立したシンガポール共和国の初代首相に就任。


天然資源のない小国を清潔で安定した国際経済の中心地に育て上げ、「シンガポール建国の父」としてたたえられた。

90年に首相の座を退いたものの、その後もシェンロン氏が首相に就任する
2011年まで閣内にとどまるなど、大きな影響力を維持した
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メモ)

リー氏は1923年、英国植民地だったシンガポールで生まれた。
5人兄弟の長男。19世紀半ばにリー氏の曾祖父が中国からシンガポールに移民、
祖父の代から英語の教育を受け、父は外資系企業に勤務していた。
一族すべてが英語教育を受けた知識人であり、
家族は英語とマレー語で会話をしていたという。
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1942年に日本がシンガポールを占領、軍政を始めるとリー氏にも危機が訪れる。
日中戦争で中国側の抵抗の激しさに苦しんでいた日本軍は、
それを支援していたシンガポールなど東南アジアに済む華僑を弾圧する
シンガポールでも中国人男子全員に対し
「数日間の食糧を持って、市内各地5カ所に集まるように」命じ、
それに応じたリー氏は「処刑すべき」リストに入る。
だが、間一髪、逃げることができたという。
この時処刑されたシンガポール華人は、
日本軍関係者で5000人、同地の歴史家は5万人としており、
戦後もこの問題が保障問題として浮上したほどだ

詳しくは
リー・クアンユー氏死去、91年の偉業とは
ここをクリック。

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コメント
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