中さん

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日記(12.3)公園散歩

2017-12-02 20:48:46 | 日常
12月3日 (日曜日)    秩父夜祭の日だ!

乾燥も出来た唐辛子を選別しながら空き器に詰めた。


獲り終えた丹波の黒豆をお日様に干す。


サトイモも出来は上々。泥を落とさず乾燥を。


~~~~~~~
先日、地震の防災講話で聴いた便利な被災食のお粥を”アマゾンで注文。
翌日届いた。試し食い。塩味が薄くついていてそれなりに良いかもしれない。

陽も出て暖かく穏やかな天気なので公園散歩に・・。


イロハモミジが色づいて綺麗だ。




ピラカンサスも真っ赤だ。
~~
コブシの実が種になって最後の一つがぶら下がっている。


通路には枯葉がいっぱいだ。



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お寺のすぐ前を20m幅の道が通るので土盛りなどが行われている。

便利な市道路になる。のだが交差する細い道がいくつも遮断されてしまうので不便さもある。
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日記(12.2)UAEのフィギュアスケーター

2017-12-02 10:02:13 | 日常
12月2日  (土曜日)  晴れ

 UAEのフィギュアスケーターの記事が目にとまった。
 丁度1年前に旅した国なので・・!
 泊まったホテルの前がスキーのジャンプ競技の建物だったのには驚いた。
 50度近くにもなる砂漠の国にスキー場とは石油金満大国の繁栄の今を観た感じだったが
 スケートがあってもおかしくはないなあ~!
~~~~~~~~
  アラブ首長国連邦(UAE)の女子フィギュアスケーター、ザーラ・ラリさん(22)は、
 イスラム教徒の女性が髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」を
 着けて国際大会に参加した初の選手だ。

 世界選手権出場を夢見て練習に励むラリさんに、CNNがメールでインタビューした。
 UAEは灼熱の砂漠というイメージが強いが、
 実はアラブ諸国のトップを切って国際スケート連盟(ISU)に加盟した。
 湾岸諸国から初めて国際大会に出場し、スカーフ姿で演技を披露したラリさんのおかげだ。


 アブダビ出身のラリさんがスケートを始めたのは12歳の時。
 ディズニー映画「アイス・プリンセス」を見たのがきっかけだったという。
~~~~~~~~~~~
 アブダビに1カ所しかないスケートリンクへ通う日々が始まった。
 朝4時半に起きて登校前に練習し、午後にまた練習する。
 だがUAEの女性たちは人前に出る時、
 ヒジャブや全身を覆う黒い衣装「アバヤ」 を着用することになっている。
 ぴったりとしたスケートの衣装を着て男性の前で演技を見せるのは、
  簡単なことではなかった。

~~~~~~~~~~~
 ラリさんの父は当初、女子がスポーツ競技に出ること自体に反対だった。
 ラリさんは父に迷惑をかけたくないと思い、競技には出ないことにした。
 だが仲間の競技に家族で出かけ、熱心に応援するラリさんの姿を見るうちに、
 父の気持ちは変化した。「今では父が最大のサポーターです」と、ラリさんは話す。

 2012年にイタリアで開かれた国際大会に出場した。
 スカーフを着用したアラブ女性選手の前例はなく、衣装違反で減点された。
 判定をうらんではいないという。

 「審査員は当時、スカーフを着けた選手など見たことがなかった。
  だから私をどう採点していいのか分からなかったのです」

 ラリさんはその後、ISUにルールの変更を求めた。
 すると責任者から、ラリさんに直接会ってスカーフの安全性を確認したいと連絡があった。
 今年9月に出場したドイツでのネーベルホルン杯では、
 スカーフを衣装違反と見なさないようにという指示が出された。
 ただしこれは1回限りの措置。
 ISUでは今も、ルールについての
 検討が進められていると ころだという。
 同じ9月には18年冬季五輪の予選にも参加したが、通過はかなわなかった。
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 「私の目標はUAE代表として冬季五輪に出る最初の選手になること。
  それだけでなく、四大陸選手権と世界選手権にも出場すること」と話す。
  今年は、アラブの女性スポーツ選手を応援する米ナイキのネット広告にも起用された。

 現在はアブダビ大学で環境安全衛生を学んでいるが、
 卒業後はフィギュアスケートの指導者になるのが夢。
 父も今ではUAE初の正式なスケートクラブを設立し、
 母がその最高経営責任者(CEO)とラリさんのマネジャーを務めている。
 クラブのメンバーは75人まで増えた。

 アブダビ唯一のリンクはホッケーチームが優先的に押さえてしまうため、
 トレーニングのタイミングを思うように調整できないのが目下の悩みだという。
 ラリさんはそれでも前を向いて進み続ける。
 人々に送りたいメッセージを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「一生懸命練習すること、集中を切らさないこと、情熱を持つこと、
 そして全力を尽くすこと。自分を信じ、目標を達成するのに遅すぎることはありません

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日記(12.2)改元は’19年5月1日’ 

2017-12-02 09:34:32 | 日常
12月2日 (土曜日)  晴れ
放射冷却で朝が冷たい!

今朝の新聞、改元は’19年5月1日’と決まったようだ

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コラムに
 今は「乙巳(いっし)の変」というそうだ。
 中大兄皇子らの蘇我氏打倒の政変で、
大化の改新」と覚えている方が多いだろう。


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 だが日本初の元号「大化」はこの政変で生まれ、
 「改新」と呼ばれる改革は以後のことだ。


 ▲庶民に元号が普及したのは江戸時代というが、
  庶民は幕府が改元をすると思っていたようだ。
  そして頻繁に変わる元号より乙巳のようなえとを使う人が多かった。

  だから明治政府による天皇と元号の一世一元化は一大発明だったのだ。

 ▲西欧から太陽暦などの新文明を導入した日本で、
  天皇の代替わりごとに更新される時間秩序は国家意識の形成に格好の手立てとみられたようだ。
  その近現代日本が初めて経験することになった天皇陛下の退位とそれに伴う改元である。

 ▲退位は2019年4月30日、翌5月1日には皇太子さまが新天皇に即位し、
  新元号が施行される。
  きのうの皇室会議を経て、このような日程が固まった。
  19年3月の年度末案も示されるなか、
  政治日程を重視した決定になったようだ。

 ▲思えば「象徴天皇」という言葉に豊かな彩りを与えた陛下の「平成」の歩みである。
  その継承への強い願いをにじませた「おことば」と向き合い、
  主権者たる「国民」が定めた史上初の皇位継承と改元の「日取り」ということになる。
 
▲今後は新元号を早くに決め、国民生活や経済への影響を熟慮しながら
 「継承」を準備しなければなるまい。
  未来へと進む時間と、過去を取り込んで改まる時間とが交差する
 「その日」までの17カ月間である。
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★私にとって平成元年の幕開けは病いのスタートであった。
 折れそうになる気持ちを
 勇気づけられ、家族・友人・仲間・後輩に助けられた。
 人生観も大きく変わった。人の痛みに敏感になった。

 アッという間に平成が過ぎ去って行く感じである。
 改元まで体調を維持していきたいものだ。

 新元号は´18年度内に事前公表される。
 さて、新しい元号は何となるのか気にかかる。
 昭和がどんどん遠くなるなあ~!
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