中さん

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日記(12.30)タテ社会の人間関係

2017-12-30 17:13:34 | 日常
12月30日   (土曜日)    晴れ   冷たい風

いまだに騒ぎのおさまらない相撲界、年を超えて4日には結論が出るという。
しかしその後も確執は治まらない事であろう。
そこで次のコラムが・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  刊行50年を迎え、今も日本社会論のロングセラーである
  中根千枝さんの「タテ社会の人間関係」は


東大の教授会での着想から生まれた。
海外から帰ったばかりの著者は思った。
「この感じ、前もどこかで……」▲

人類学者の中根さんは
日本の各地でも調査を行ったが、
この時の教授会が以前に立ち会った
漁村の寄り合いを思い出させたのだ。

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その類似を考察するところから、
上下の序列を重視しウチとソトを差別する日本社会の特質を摘出した。


 ▲この考察の多くが今もあてはまるから同書が売れ続けるのだろう。
   だが一方でグローバル化の力学が企業の年功制をはじめ日本社会を大きく変えもした
   この半世紀だ。
   そのせめぎ合いの中、タテ社会の原形を残す相撲界の騒動である。

 ▲ 横綱の引退を招いた暴行事件だが、
  一連の騒ぎへの世の関心の盛り上がりがすごい。

  まず師弟や力士間のタテの人間関係に潜む暴力的な気風が非難の的となったのは、
  モダンなオフィスでパワハラがまかり通る社会の現実ゆえだろう。


 ▲世が驚いたのは相撲協会の調査を拒む被害者側の親方である

  テレビのワイドショーなどではいつしか
  モンゴル勢と貴乃花親方の確執が最大の関心事となっていた。
  「国技」をめぐるウチとソトのあつれきが引き上げた視聴率である。

 ▲タテ社会の紛糾や対立に世が興奮するのは、
  そこからの脱却を求めてか、
  なじみ深かった世界を懐かしんでか。

  交錯するウチとソト、
  変わらぬ序列意識と個の不安、
  日本社会の現在を映す相撲界の大乱だ。


★武士道などと言っている親方が
 TVに映る態度など又座る姿はいかがなものか?
 私はいささか疑問である。
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記事がある。
蛇足)
  「タテ社会の人間関係」ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん

 日本の社会構造のあり方を分析した中根千枝さん(87)の
 名著『タテ社会の人間関係』
 東大名誉教授で社会人類学者の草分けとして知られる中根さんに聞いた。

 人類学の研究は本を読むばかりでなく、現地に長期滞在することが必須の条件です。
 昭和28年からインドに3年、
 さらに34年から37年にイギリス、イタリアで研究しました。
 米シカゴ大や英ロンドン大でも研究を積みました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 日本に戻ったとき、月刊誌『中央公論』から
 「どんなテーマでもいいから論文を書いて」と注文がきました。
 そのとき思いついたのが、
 日本の集団構造はどこでも同じ-ということだったの。
 インドに行く前、東北から鹿児島まで農村の調査をしています


 民族学の研究者は「関東と関西の文化は違う」と差異を強調するのね。
 もちろん、風習や食べ物、お祭りなどは違うけど
 人間関係、集団内の意思決定プロセスは同じだと気づきました。

 一方のインドはカースト制で、
 英国は階級制
 同じ階層でつながる機能をもつヨコの関係に対して、
 日本の社会は常にタテになっている、と。

 論文では分析する用語として「■(属性)」と「場」を設定しました。
 どの社会にも資格格が重要なのに対し、
 日本ではどんな職業かという「資格」より、
 ○○会社の構成員という「場」が重視される。
と場はあり、
 インドや英国では資こうした内容を、ホテルにこもって2週間くらいで書き上げたものが
 「日本的社会構造の発見」(昭和39年5月号の中央公論掲載)です。

 日本をウチ側から分析する従来の手法とは違うから、
 読まれないと思っていました。
 そうしたら、京都大の猪木正道教授(1914~2012年)が
 ほめてくださったこともあって評判になり、
 いくつかの出版社から本にしないか、と持ちかけられました。

 《論文を加筆・修正した『タテ社会の人間関係』は昭和42年に刊行。
  現在までに124刷116万部超のロングセラーとなり、
  英国で出版された英語版は、13カ国で翻訳出版されている》
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 旧知のシカゴ大の教授には
 「女性だから書けた。
 「日本の男性はタテのシステムにどっぷり漬かっているから書けない
 と言われました。
 私は小学校高学年から6年ほど、父が弁護士をしていた北京で暮らしました。
 中国人だけでなく他国の人も周囲にいて、それが普通のことと思ったのが大きいわね。
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 上昇期や安定期には、タテの組織はよく機能しています。
  ただ、何か危機が起きたときに優秀なトップがいるとはかぎらない。
  それは悲劇


 明治維新や終戦直後のような混乱期には、
 若くて立派なリーダーが出てきた。
 能力があると周囲が認めて、
 実際に行動力がある人がリーダーになれば、
 その集団はとてもうまくいく。
 
 タテの関係を認めつつ、もう少し柔軟なシステムになるのが望ましいのでしょうね。
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【プロフィル】中根千枝
 なかね・ちえ 大正15年、東京都生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院修了。
 東大東洋文化研究所助教授などをへて昭和45年に東大教授。
 平成2年に紫綬褒章、5年に文化功労者、13年に文化勲章を受章。
 インドの奥地アッサムを探検、調査したものをまとめた『未開の顔・文明の顔』で
 毎日出版文化賞受賞。ほかの著書に『適応の条件:日本的連続の思考』など。
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日記(12.30) そば打ち

2017-12-30 12:28:12 | 日常
12月30日  (土曜日)   晴れ

朝8時から素人がそば打ちを開始。
そば粉とつなぎ粉を混ぜる。

3回分に分けて打ち始める。


適当ではあるが、まずまずに打てた。
11時には終了。
結構、エネルギーを使った。
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宮崎の新聞コラム”くろしお”に”年越しそば”の事が12月30日

 料理は不得手。
 しかし雑誌などでそばの特集を見ると、
 食べるのも作るのも大人の渋い趣味で興味を引く。
 それで近くの公民館講座であった「十割(じゅうわり)そば打ち体験」に参加した。
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 つなぎとして小麦粉を二割入れる「二(に)八(はち)そば」と違って、
 十割そばとはそば粉だけで打つ。
 その分そばの風味は感じられるわけだが、
 水だけでそば粉をくっつけるのでこつがいる。
 この水を入れるタイミングや量、回数が難しく

 講師の指導を受けながらこねる。
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 力を込めてボウルの中をかき回していると
 「つままない」「粉にストレスをかけない!」などと注意が飛ぶ。
  子供の教育のような繊細さが大切と納得。
  やがて小さな粒がビー玉大、ピンポン球大になり、
  一つの大きな団子になってくる。

~~~~~~~~~~~~~~~~
 それを棒で延ばして細く切るのだが、講師との差は歴然。
 粉をこねるときに均質化を図るように、切るときも太さを統一しなければ、
 ゆでた際にむらが出る。
 どうにか完成して食べたら結構うまい。
 たぶん味わう方面も、まだまだ趣味の世界には程遠いのだろう。
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 「そば打ちの道に、終わりはありません」。
  東京の老舗そば店をルポする上野敏彦著「そば打ち一代」で、
  老職人が述懐する至難の道にプロとのはるかに遠い差を痛感した。
  材料からゆで湯まで徹底的にこだわって、客の志向に合わせる。

 今ごろ、そば店は年越しそばで大わらわだろう。
 麺が切れやすいから「この一年の災厄を断つ」という江戸時代からの風習だ。
 うれしいことに本県産のそばを出す店も増えている。
 今年は畑の白い花や作り手の苦労を思いながら味わおう。
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