青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

ヒオウギ等

2015-07-31 09:00:32 | 日記

ヒオウギが咲きました。盛夏らしい濃いオレンジ色がお気に入りです。今年も種がたくさん採れそうです。

向日葵も咲きました。まずは二輪ですが、全部で七輪咲くはずなので、こちらもたくさん種が採れそうです。

フウセンカズラに袋が出来はじめました。写真は、玄関側のプランターに植えたものです。庭に直植えしたものも蔓の成育が良くないながらも袋が出来ています。こちらもたくさん種が採れそうです。
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魔界転生

2015-07-29 08:23:38 | 日記
『魔界転生』(1981年)は、深作欣二監督。千葉真一・沢田研二主演。原作は山田風太郎。江戸城が炎上するクライマックスはCGではなく、実際にセットを燃やして撮影された。猛火の中で柳生十兵衛(千葉真一)と柳生但馬守宗矩(若山富三郎)が切り結ぶシーンは必見である。

《寛永15年の島原の乱で、天草四郎時貞(沢田研二)率いる、およそ3万7千人のキリシタンが惨殺された。キリシタンの曝し首を肴に、勝利の祝宴を楽しむ松平伊豆守(成田三樹夫)ら、幕府軍の面々。その時、四郎の生首が目を開き、宙を飛んだ。その場に居た者はすべて気を失う。四郎は、キリシタンの曝し首に語りかける。「自分は神を呪う。もう天国は望まない。天国へ行く貴方たちとは別れなければならない」と。

「エロイムエッサイムエロイムエッサイム…」魔界の力を得た四郎は、自らと同様に無念の死を遂げた者たちを魔界衆に引き入れる。夫・忠興に見捨てられ、炎に包まれて死んだ細川ガラシャ(佳那晃子)。柳生但馬守宗矩・十兵衛親子と戦えなかった宮本武蔵(緒形拳)。女性への煩悩を捨てられず自殺した宝蔵院胤瞬(室田日出男)。甲賀組頭・玄十郎率いる甲賀衆に伊賀の里を襲われ、殺された霧丸(真田宏之)。彼らは、四郎とともに徳川幕府打倒の気焔を上げる。

伊賀の里へ着いた十兵衛は、一人の生存者もいない惨状を目の当たりにし、愕然とする。それでも逃げ延びた者がいないか探していると、馬上の魔界衆と遭遇した。胤舜が十兵衛に襲いかかるが、十兵衛は木の上へ飛び躱す。十兵衛は、死んでいるはずの武蔵や胤舜がいることに驚く。四郎は、江戸へ向かうことを宣言し、去っていった。十兵衛は、四郎の正体が分からないながらも危機感を覚え、急ぎ宗矩に書状を書き送った。

ガラシャは巫女のお玉として、四代将軍・家綱の側室となる。家綱はお玉に溺れ、政を怠るようになった。幕府の先行きを危惧した松平伊豆守は、玄十郎にお玉の暗殺を指示。その場に突如、四郎と霧丸が現れた。四郎は、キリシタンの遺髪で編んだ鞭で伊豆守を殺害。霧丸は、玄十郎を倒した。

宗矩は、お玉を斬るために刀匠村正(丹波哲郎)に鍛えさせた妖刀を携え、江戸城へ向かう。その直後、武蔵が柳生家へ現れ、宗矩か十兵衛に決闘を申し込む。十兵衛の弟・左門友矩が対したものの、一撃で頭を叩き割られた。一方、道中の宗矩には、胤瞬が立ちはだかった。宗矩は胤瞬を倒すが、瀕死の重傷を負う。宗矩は、四郎からの魔界への誘いを一旦は拒む。しかし、剣の天才である息子・十兵衛と決闘したいという心底の望みを見透かされ、魔界衆への転生を受け入れた。

宗矩が魔界に堕ちたことに衝撃を受けた十兵衛だが、宗矩と武蔵を倒すため、村正に妖刀を依頼した。だが村正は、「既に精魂使い果した」と断る。その時、武蔵が村正の家へ乗り込んできた。しかし、村正が、養女・お通の姪に笛を奏でさせたため、お通との思い出が蘇った武蔵は、戦う気が失せ、引き上げていく。村正は「化物を斬るには自分の妖刀しかない」と、再び刀を鍛え始める。

四郎は、天領佐倉で呪詛を行い、百姓一揆を画策する。呪いの効果は覿面で、すべての作物が凶作になった。しかし、代官が年貢を免除しなかったため、百姓たちは将軍に直訴しようとする。百姓たちは、ある者は矢で射殺され、また、ある者は磔にされた。四郎は、百姓たちを扇動。代官を殺害し、江戸城へ向かう。その頃、霧丸は、百姓の娘・お光に恋をし、苦悩していた。十兵衛との再会で、迷いを捨て、魔界衆の首領が天草四郎時貞であることを伝える。しかし、お光と逃亡しようとしたところを四郎に咎められ、殺害されてしまうのだった。
霧丸の死を知り、改めて打倒魔界衆を誓った十兵衛は、村正が命と引き換えに鍛えた妖刀を携え、舟島へ向かう。そして、波打ち際で激しく切り結び、武蔵を倒した。

江戸城では、ガラシャが忠興の名を口にしたため、家綱から詰問されていた。二人は揉み合っているうちに、行燈を倒してしまう。猛火の中で、四郎は喜悦の笑みを浮かべ、宗矩は十兵衛を待ちわびていた。やがて、身体中を梵字で埋め尽くした十兵衛が登場。柳生親子の真剣勝負が幕を開ける…。》

髄所に見せ場を用意しているので、最後まで飽きさせない。燃え盛る江戸城での決闘シーン等、命がけの撮影にはプロの矜持を感じさせられる。
配役は、これ以外には考えられない。千葉真一は娯楽性たっぷりに野性的な十兵衛を演じている。魔界衆役がまた、沢田研二、緒形拳、若山富三郎、任那晃子、真田広之、室田日出男と、錚々たる面々なのだ。十兵衛VS武蔵、十兵衛VS但馬の剣豪対決は迫力満点だし、辻村ジュサブローの衣装を纏った天草四郎は、妖艶で凄味たっぷりだ。名脇役・成田三樹夫が松平伊豆守を演じているのも嬉しい。
続編を期待させるラストシーンであったが、それももうこのメンバーでは叶わない。それだけが、残念である。
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こびとづかん

2015-07-28 09:03:08 | 日記

ちょくちょく借りるなら買ってしまおうと思い、『こびと観察入門』を購入しました。モモジリ(秘密の桃園)、イエコビト(こびとハウス)編とオトリマダラ、ハナガシラ(ムシクイの友情)編のセットです。
教育番組のような丁寧な作りとキモチワルいキャラクターデザイン、それから、こびとと人間の適度な距離感が気に入っています。
敵でもなく、仲間でもなく、あくまでも観る者と観られる者という交わらない感じが良いですね。

特典の絵葉書セット。

Amazonの箱は、桜のもの。

凜は箱なし。
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夏祭り

2015-07-27 07:19:20 | 日記

土曜日に地元の夏祭りに行って来ました。近所に神社が無いので、小学校が会場です。今年は雨天のため、平塚七夕祭りに行けなかったので、今回が初浴衣です。女の子は浴衣が良いですね。

ジャンボ風船。私も子供の頃に買って欲しいと思っていました。

ラムネは瓶がプラスチックで残念。あとは、色々買い食いしました。

日が落ちて、提灯の灯りが映えて参りました。
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カッコーの巣の上で

2015-07-24 07:47:17 | 日記
『カッコーの巣の上で』(1975年)は、アメリカ映画。監督はミロス・フォアマン。原作は1962年に発表されたケン・キージーのベストセラー小説。ジャック・ニコルソン演じる主人公が、患者の人格まで支配する病院から自由を勝ちとろうと試みる。なお“カッコーの巣”とは、精神病院の蔑称である。

《刑務所へ収監されていたマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)は、労役から逃れるために詐病し、精神病院に送られてきた。その病院は、婦長ラチェッドの厳しい規律に支配されており、患者たちは無気力に従っていた。しかし、マクマーフィーは誰が相手でも自由に発言し、問題行動を連発する。

単調な入院生活に飽き飽きしたマクマーフィーは、テレビで野球中継を観たいと主張した。多数決で決めることになるが、あと一人で過半数というところで、婦長から時間切れを宣告されてしまう。しかし、電源を切られたテレビの前でマクマーフィーが中継の真似を始めると、患者たちが集まり、はしゃぎだした。その楽しげな様子を苦い表情で見つめる婦長。

マクマーフィーは、患者たちに水飲み台を持ち上げられるか賭けを持ちかけた。マクマーフィーの力では噴水台は動かせず、彼は賭けに負けた。それでも彼は「でも努力はしたぜ。チャレンジしたんだ」と言った。
患者たちは徐々にマクマーフィーに感化され、人間らしい活気を取り戻していった。それに伴い、病院の風紀が乱れてきた。

ある日の面談で、マクマーフィーは院長から「君に精神障害の兆候は見られない」と告げられた。刑務所に送り返されると思ったマクマーフィーは、女友達のキャンディと共に、無断で病院のバスに患者たちを載せ、港まで繰り出した。そして、漁船に乗り込むと、皆で海釣りを楽しんだ。その間、病院側は大騒動になり、警察のヘリが出動する事態になっていた。

病院ではマクマーフィーの処置について話し合われた。「精神病ではないが、危険人物だ」という意見が出たので、院長はマクマーフィーを刑務所に送り返そうとする。しかし、婦長は尤もらしいことを言って、彼女の了承なしではマクマーフィーを退院出来ないようにしてしまった。

ある日、マクマーフィーは興奮状態になった患者を救おうとして、看守と乱闘になった。ネイティブアメリカンの大男で聾唖のチーフは、マクマーフィーを助けようとした。そのため、懲罰として2人は電気ショック療法を受けた。
チーフの聾唖は、実は演技だった。そのことに気づいたマクマーフィーは「一緒に逃げよう」と誘った。しかし、チーフは「お前はデカイ男だ。だけど、俺は小さい男だ」と、断った。そして、亡父の話をした。親父もデカイ男だった。一人で何でも出来た。しかし、酒に溺れて衰弱し、最期には始末されてしまった、と。

クリスマスの夜、マクマーフィーは脱走計画を実行に移す。そのために夜勤の看守を買収して、キャンディとローズを病棟に呼び込み、患者たちに酒をふるまい、お別れのパーティーを開いた。パーティーが終わると、マクマーフィーはチーフと逃げようとしたが、彼らを見つめるビリーに気づいた。マクマーフィーはビリーも誘うが、ビリーは「心の準備が出来ていない」と尻込みする。ビリーがキャンディに好意を寄せていることを知ったマクマーフィーは、キャンディにビリーの相手をしてやるように頼む。しかし、二人を待っている間に寝込んでしまい、脱走に失敗してしまうのだった。

翌朝、荒れ果てた病棟を見た婦長は激怒した。そして、ビリーがキャンディと寝ているのを見つけると、彼が母親を恐れていることを承知の上で「このことを母親に報告する」と執拗に繰り返した。恐怖が極まったビリーはガラス片で首を切って自殺した。
マクマーフィーは激高し、婦長を絞め殺そうとしたが、看守に殴られ、気絶してしまう。そして、彼は姿を消した。患者たちは、マクマーフィーは脱走に成功したのだと囁き合った。

ある日の深夜、マクマーフィーが病室に戻された。チーフは、マクマーフィーのベッドに駆け寄り、「一緒に逃げよう」と誘った。しかし、反応がない。マクマーフィーはロボトミー手術を施され、廃人になっていたのだ。チーフはマクマーフィーを抱きしめた。
「このままでは置いて行かない」
チーフは、マクマーフィーを窒息死させた。そして、マクマーフィーが持ち上げられなかった水飲み台を投げつけて窓を破り、外の世界へ去って行った。》

人権意識の未発達な時代、精神病院の環境は悲惨だった。精神障碍者にも人としての尊厳があるなどとは、医療従事者でさえ考えなかった。
己の正義を疑わない人間の恐ろしさを婦長が体現している。彼女は自分を残酷だと思ったことはないだろう。院長の評価通り、患者への理解がある優秀な医療従事者だと思っているはずだ。彼女は暴力を振るわないし、怒鳴らない。しかし、患者たちが思い通りに動かない時、彼女の表情は歪んでいる。マクマーフィーが電気ショックを受けた後やビリーを糾弾した時に浮かべた表情は、支配欲と加虐が滲み出た実に醜いものだった。
チーフは、マクマーフィーに父の面影を見ていたのだろう。一人で何でも出来るデカイ男。息子にとって憧れの父親像。マクマーフィーはチンピラだったが、明るく自立心旺盛な性格ゆえに、患者たちに問題を提起する役割を果たしていた。「考えない」ということは「生きていない」ということと同じだということ、自由から逃げてはいけないということを行動によって示したのだ。そのマクマーフィーが、病院の現場を掌握する婦長と対立し、権力に押しつぶされ、人格を破壊されてしまった。チーフはマクマーフィーの魂を解放し、その遺志を受け継いだ。去っていくチーフの背中には、人間としての誇りと未来につながる爽やかさがあった。
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