青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

恐竜博2019

2019-07-29 08:04:50 | 日記



先週土曜に、国立科学博物館の『恐竜博2019』に行ってきました。
科博に行くのは、一昨年の『深海2017』以来です。例によって開館前から並びましたが、夏休みに入ったばかりで、その上台風が来るという気象予報だったためか、『深海2017』ほど混んでなくて、比較的ゆっくり見学することができました。

恐竜博を2019年に開催することを提案したのは、50年前の1969年にアメリカで発見された新種の獣脚類恐竜がデイノニクスと命名されたからだそうです。この小型肉食恐竜は後ろ脚の人差し指に大きなカギヅメがあるのが特徴で、それで、デイノ(恐ろしい)+オニクス(ツメ)を意味する学名が付けられました。
デイノニクスは始祖鳥やその他の鳥類の様な形の手首を持っていたことから、「鳥類の恐竜起源説」が支持を集めるようにもなりました。
デイノニクスの命名から50年、恐竜研究は目覚ましい進歩を遂げました。10年前までは分からなかった恐竜の色や模様も、羽毛化石の研究から分かるようになってきています。

また、北海道むかわ町では、日本の恐竜研究史上最大ともいわれる「むかわ竜」の発見がありました。その化石は当初、首長竜のものと考えられていましたが、調査研究の結果、恐竜であることが確認され、大型恐竜として全長の約8割の骨が見つかったことが話題になりました。

むかわ竜の全体骨格は、地元むかわ町以外では今回の恐竜博が初めての公開です。
他にも抱卵や子育て、色、性別、絶滅の謎など、恐竜研究の常識を塗り替える貴重な実物化石や全身復元骨格が多数展示されていました。
私は幼少期から恐竜が大好きで、父親に科博の恐竜展に連れて行ってもらったこともあります。タイトルと開催年は憶えていませんが、年代的におそらく81年の『中国の恐竜展―魚類から猿人までの4億年』だと思います。恐竜の大腿骨を触らせてもらって証明書を貰った記憶が。
当時は、まだ、恐竜の皮膚の色や体毛の有無は謎で、日本には大型恐竜がいないと言われていたと記憶しています。恐竜学は日進月歩と言われていますが、今回の恐竜博の見学で、恐竜研究は当時からは考えられないような領域にまで達したのだと、大変な驚きと好奇心を掻き立てられました。


デイノニクス。学名の由来は、恐ろしいツメ。


テノントサウルス。学名の由来は、腱のトカゲ。


デイノニクスがかぎ爪を利用して、自分より大きなテノントサウルスに襲い掛かるさまが、再現されています。


デイノケイルス。学名の由来は、恐ろしい手。肩関節から指先までが2.4mもある前肢は、獣脚類のものとしては史上最長。その大きさと形から新種新属デイノケイルス・ミリフィクスと名付けられた。デイノ(恐ろしい)+ケイルス(手)+ミリフィクス(変わった)を意味する学名である。


マイアサウラ。学名の由来は、よい母親トカゲ。恐竜の中には子育てを行っていたものがいたという可能性が初めて示唆された恐竜。


シノサウロプテリクス。学名の由来は、翼をもった中国のトカゲ。始祖鳥の進化以前の獣脚恐竜として、初めて鱗ではない繊維状の外皮構造が見つかった種。


カウディプテリクス。学名の由来は、尾の羽。前上顎骨にまだ歯があることなど、原始的な特徴が残っている。


シチパチ。学名の由来は、墓場の王。卵の上に覆い被さるようにして化石になっている。


デイノケイルスの全体標本。


デイノケイルスの足と脊椎骨。


デイノケイルスの頭骨。


サウロフスの頭骨。


スピノサウルスの頭骨。


アンセリミムス。学名の由来は、がちょうモドキ。


マクロエロンガトゥーリトゥス。学名の由来は、大きな細長い卵石。長径が40~60センチの細長い楕円形の卵。卵の形が細長くなることで、恐竜の子は大きく生まれるようになった。


タルボサウルス。学名の由来は、恐るべきトカゲ。


カーン。学名の由来は、君主。雄雌隣合わせで発見されたことから、ロミオとジュリエットの愛称が付けられた。


オヴィラプトル類。休息していた獣脚類たちが一緒に化石になったと考えられる。




むかわ竜。少なくとも222個の骨が確認されており、全体の骨の8割が発見された全身骨格の化石。新属新種の恐竜であると考えられている。


モササウルス類。和歌山県有田郡有田川町で産出。


ティラノサウルス。学名の由来は、暴君トカゲ。


ガストルニス。学名の由来は、ガストン(人名)の鳥。




お土産は、図録とボールペンと絵葉書。
それと、海洋堂の『恐竜博2019』オフィシャルカプセルフィギュア。デイノケイルスミーリフィックス、むかわ竜、ティラノサウルスレックス、モササウルス類、デイノニクスアンティロプスの全5種。夫と娘はティラノサウルスを当て、私はむかわ竜を当てました。私はむかわ竜が一番欲しかったから嬉しかったです。娘はティラノサウルスで喜んでいましたよ。
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代書人バートルビー

2019-07-25 08:07:35 | 日記
メルヴィル著『代書人バートルビー』には、ボルヘスによる序文と、表題作が収録されている。

本書は、ボルヘス編集の“バベルの図書館” (全30巻)の19巻目にあたる。私にとっては19冊目の“バベルの図書館“の作品である。

メルヴィルの代表作と言えば、大海を舞台にエイハブ船長の復讐を描く『白鯨』である。
ボルヘスは、“『白鯨』と『代書人バートルビー』の〈共通点と相違点〉を綿密に調べ上げるには、この短い序文では尽せない注意点を必要とするであろう”と述べられているが、個人的には相違点にはそれほど関心が無い。
一方で、大海を股に掛けたエイハブと、狭い弁護士事務所の中の更に衝立の内側から殆ど出てくることの無かったバートルビーとの間にどんな共通点があるのか、それには大変興味がある。
ボルヘスは彼らの共通点を“両主人公の狂気の沙汰と、その狂気が両主人公を取り囲んでいるすべての者に感染していく信じがたい状況にある”と指摘している。それから、“エイハブと代書人の気違いじみた執念は死に至るまで一瞬たりとも動揺することがない。これら二人の主人公は、彼らがそれぞれ別個の影を投げる存在であるにもかかわらず、彼らがそれぞれ別個の具体的な個性の輪郭をえがいているのにもかかわらず、同一の人物なのだ”とも。

恐らく、両主人公はメルヴィルの不運で貧しく孤独だった人生の代弁者であり、この世界に対する皮肉の体現者なのだろう。
とは言え、海上での冒険という熱狂的な非日常空間に身を置くエイハブと、小さな弁護士事務所という何一つ心躍るものの無い日常空間に身を置くバートルビーとでは、本人自身の持つ訳の分からない感染力においては後者の方がはるかに上だ。
そして、ホーソーンが語ったというメルヴィルの印象は、バートルビーから受ける印象に酷似している。

“彼の荷物はうんと使い古したバッグ一つに限られ、中身もズボンが一着、色もののシャツ一枚、それに一本は歯みがき用、もう一本は髪の毛用の二本のブラシだけだったが、いつもきちんとしていた。”

私は、このメルヴィルの飾り気のない姿を思い浮かべると何だが胸が痛くなってしまう。そして、その痛みは本作を読んでいる間ずっと付きまとっていたのだった。


バートルビーを雇うことになった弁護士のわたしは、この道三十年のベテランである。
事務所には、既に筆耕のターキー(七面鳥)とニパーズ(やっとこ)、それから、雑用係の少年ジンジャー・ナット(しょうが入りビスケット)の三人がいた。言うまでもなく、これらの呼び名は本名ではない。それぞれの個性をあだ名としている。バートルビーが登場するまでかなりのページ数があるが、それらの殆どがこの三人のエピソードに費やされている。物語の本筋には特に必要のない描写であるが、彼等の個性は物語に活き活きとした彩を添え、バートルビーの不活発で灰色な印象と好対照をなしている。
彼等三人は、個性の強さゆえに、愛すべき人物でありながら欠点も多い。そのために、四人目の事務員としてバートルビーを雇う運びとなったのだ。
わたしの出した広告に応じて、訪ねてきたバートルビーの印象は以下のものであった。

“生気に欠けるほど身だしなみがよく、哀れになるほど上品で、癒しがたいほど孤影悄然”

この男の登場した瞬間、物語はそれまで纏っていた色と音を失う。
が、すべて読み終えた今になっても、私は彼を拒絶しきれないのだ。それは、弁護士のわたしも同じ様子だった。
何処の町にもありそうなありふれた事務所に、ひっそりと現れた奇妙な人物。同じ言葉を話しながら、何一つ意思の疎通の出来ない異星人のような男。気が付けばわたしの事務所に根を張り、何をどうやっても排除することの出来なかった雑草のようにしぶとい男。彼はいったい何者だったのか。

バートルビーの第一印象は悪くなかった。
わたしはこんなにも際立って平静な様子の人物を迎え入れたら、ターキーの気まぐれな気質やニパーズの激しやすい気質に好影響を与えるかもしれないとさえ思った。
始めのうちバートルビーは、非凡な量の筆耕をこなした。手を休めることはなく、食事の時でさえ外出せず、昼夜を分かたず仕事に励んだ。単調で、退屈で、眠くなるような仕事を機械的にこなし続けていた。

ところが、平穏な日常は、バートルビーが「せずにすめばありがたいのですが」と言い出したところから狂い始める。
バートルビーは、彼独自の判断で頼まれた仕事を拒否するようになったのだ。それは、雇い主のわたしや先輩事務員たち相手に留まらず、時折事務所を訪れる顧客や同業者に対しても同じだった。あの事務所には奇妙な筆耕がいるという風聞と、事務所内の険悪な空気に頭を抱えたわたしは、バートルビーの身になって考え、何とか事態の改善を試みようとするのだが、すべてが空振りに終わってしまう。
事務所の奥の衝立から一歩も外に出ず、口を開けば「せずにすめばありがたいのですが」一辺倒のバートルビー。彼はひっそりとした地味な人物から、得体の知れない怪物のような様相を帯びるようになっていた。

バートルビーは、いつも平静で、丁寧な言葉で話し、身だしなみも良い紳士である。仕事をこなす能力もある。これらの点においては、身だしなみに問題があったり、気分にムラがあったりする先輩事務員たちより優秀であると言って良い。
だからこそ、彼の「せずにすめばありがたいのですが」には、毎度当惑させられる。
わたしは狼狽え、気味悪く感じながらも、彼を切り捨てる気にはなれない。何とか折り合いをつけようとするが、その度に「せずにすめばありがたいのですが」でブロックされてしまう。ターキーやニパーズなどは、嫌悪感をむき出しにしてバートルビーを排除しようとする。
が、わたしはいつの間にか自分達も「ありがたい」を口癖にしていることに気が付いて、愕然とする。気が付けば、わたしたちの日常は完全にバートルビーに侵食されていたのだ。彼に対して何一つ親しみを感じないどころか、意思の疎通さえ図れていないというのに。

もはや一緒に働くことは不可能と判断したわたしは、出来るだけ良い条件でバートルビーを解雇しようとする。
ところが、これも「せずにすめばありがたいのですが」で、拒否されてしまうのだ。それどころか、バートルビーがいつの間にか生活道具を持ち込んで事務所に住み込んでいたことを知ったわたしは、深刻な無力感に駆られ、自分達の方が引っ越すことを心に決める。なんせ、バートルビーに事務所で生活するのをやめるように勧告しても、例によって「せずにすめばありがたいのですが」と打ち返してくるだけなので。

“徐々にわたしは、代書人に関してわたしにふりかかったこれらの災難が、すべて悠久の過去から予定されていた運命で、バートルビーはわたしごときただの人間風情には計り知れぬ全治の神の不思議な何かの思し召しから、実はわたしのところに割り当てられたのだと、いつしか確信するようになった。いいよ、バートルビー、屏風のなかにそのままでいてくれ、わたしは思った。もううるさいことは言わないよ”

かくて、わたしは、バートルビーを置き去りにして、新しい部屋を借りて事務所を再開するのだが――。


わたしはバートルビーに対して、何度も怒りを爆発させそうになるが、その度に尻すぼみに終わってしまう。怒りを抑える努力をするまでもなく、思考の迷路に嵌り込み、無力感に支配されてしまうのだ。この、人の皮を被った無限の虚無の体現者に、逃げる以外にどんな対処をすれば良かったのだろう?
バートルビーは、死の瞬間まで「せずにすめばありがたいのですが」を曲げなかった。
誰からの共感も救済も受け入れずに「すめばありがたい」と言わんばかりの彼は、いったいどんな人生を送って来たのか。物語の最後には、そのヒントになるようなことが記されているが、私はそれを読んで余計に混乱してしまったのだった。

“ああ、バートルビーよ。ああ、人間とは。”
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中学最初の夏休みと庭の植物

2019-07-22 08:02:55 | 日記
娘コメガネが夏休みに入りました。
長期休暇といっても、部活動と塾の夏期講習でカレンダーがかなり埋まっていて、これまでの様にのんびり過ごせる感じがしません。
今夏は、今のところ、国立科学博物館の『恐竜博2019』と東京国立博物館の『特別展 三国志』を見に行く予定です。場所は同じ上野ですが、一日でまわると疲れるので別々の日に行きます。
あとは、コメガネに余裕があれば、よみうりランドにでも行こうかと。でも、二学期早々、前期の期末試験があるのでそんな時間が取れるかどうか。

話が変わりますが、今年の梅雨は雨の日が多いせいか、我が家の植物たちも生育があまりよくありません。
少しでも日照条件を良くしようと、馬鹿デカくなった紫陽花や庭木の剪定をしたり、不要になった鉢の整理をしました。


千日紅。


這性日々草。


木立性ブーゲンビレア。


カルーナ。


朝顔は柵に這わせています。まだまだ花の咲く気配はありません。


支柱仕立ても。


蒸し蒸しした天気が続いているせいで、桜もバテ気味。私達夫婦も日曜に選挙に行ってきましたが、大した距離を歩いた訳でもないのにグッタリしてしまいましたよ。
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白壁の緑の扉

2019-07-19 08:08:17 | 日記
ウェルズ著『白壁の緑の扉』は、ボルヘスによる序文と、「白壁の緑の扉」「プラットナー先生綺譚」「亡きエルヴシャム氏の物語」「水晶の卵」「魔法星」の五編が収録されている。

本書は、ボルヘス編集の“バベルの図書館”(全30巻)の8巻で、私にとっては18冊目の“バベルの図書館”の作品である。

ウェルズは、ヴェルヌと並ぶSF界の大家である。
ウェルズの主要作『タイムマシン』『モロー博士の島』『透明人間』『宇宙戦争』などは、SFとしては古典の部類で、SFの基本的なアイデアの大半は、ウェルズが出していると言っても過言でない。

ウェルズは1866年、ケント州に生まれた。
当時のイギリスは、18世紀半ばから19世紀にかけての産業革命によって形成された能率優先的な文化に支配されており、物質や効率が何よりも優先されていた。
富める者はより富み、貧しい者は赤貧に喘ぐ格差社会で、ウェルズは小商いの父と女中の母という下層中産階級の家に生まれ育っている。貧困と病苦とを身をもって知るウェルズの作品には、機械文明への警告、物質主義への批判が多く含まれている。

本書に収められている五編は、そんなウェルズによる幻想小説だ。
これらの作品の世界観は、SFよりも児童向けファンタジー小説のそれに近い。しかし、いかにも子供の好みそうな異界往復譚や変身譚を描きながら、その根底には絶対的な冷酷さとある種独特な幸福が横たわっているのだ。


「白壁の緑の扉」は、少年時代に一度だけ迷い込んだ扉の向こうの美しい世界の幻に、生涯囚われた男の物語だ。

世の中の人間を勝ち負けの二組に分けるとすれば、ライオネル・ウォーレスは間違いなく勝ち組の人間であった。
彼の人生は成功の連続だった。幼少期から大学まで優秀な成績を収め続けた彼は、社会に出た後も、いとも無造作に世間的成功を手に入れ続け、若くして国会議員になった。亡くなったのはまだ四十にも届かない歳であったが、もし生きていれば新内閣の閣僚になっていただろうと評された。

彼は工事現場の穴に落ちて死んだ。
その一ヵ月前に私は、彼から不思議な打ち明け話を聞かされていた。実に不可解な内容だったが、少なくとも彼自身はこの話を真実だと信じていると感じられた。

二歳の時に母親を亡くし、厳格な父親と叔母、家庭教師に育てられたウォーレスは、将来偉くなることだけを期待されて育った。頭は良くても、彼の人生は暗く退屈だったのだろう。五歳のある日、彼はふらりと家を出た。

ウェスト・ケンジントンのどこをうろついたのか、その経路も覚えていない。
ただ、白壁と緑色の扉だけはくっきりと記憶に残っている。たくさんの汚い小店の並ぶ通りに、その扉はあった。
迷いつつも扉を押し開けた彼の眼前には、その後の人生をずっと支配し続ける信じられないほど美しい庭園が広がっていた。
豊かな緑に囲まれたその世界では、光もこの世より暖かく、透明で、柔らかかった。動物たちは人懐っこく、人々は親し気で優しかった。彼はそこで初めて遊び仲間に出会ったのだ。何もかもが優しく美しいその世界で、彼はそれまで知らなかった幸福という概念を知った気がした。彼はそこで見たすべてのものを今でも覚えていると語った。
ところが、そのうちに、青白い顔をした陰気な女がやって来て、彼の上に被さって額にキスをした。その瞬間、美しかった世界は掻き消え、彼はひとり、元の陰気な小汚い通りに立っていたのだった。実に惨めだった。この灰色の世界に引き戻されたのが悲しかった。

それからの人生で、緑の扉は度々彼の前に現れた。場所はその都度バラバラだった。
しかし、それはいつも彼がどうしても外すことの出来ない要件に追われている時で、その向こう側に行くことは叶わなかった。緑の扉を諦める度に、その代償のように、彼はどんどん出世していった。恋愛もいくつか経験した。
けれども、あの魔法の庭園は千回も夢に見た。忘れることなどできなかった。どれほど他人から評価されようと、彼の主観では、人生は失望の連続だった。大きな犠牲を払ったことを痛感していた。
あの扉の向こうに確かに存在する、平安の世界、歓喜の世界、夢も及ばない美の世界、地上の人間には理解も出来ない優しさの世界。それを拒否して手に入れた成功に、彼は何一つ歓びを感じることが出来ない。

“わかるさ。わかってるんだ。ぼくはもう、あの仕事をやりぬくしかない。せっかく大事な瞬間が訪れたときにぼくを縛ってしまった仕事に、しがみついていくしかないんだ。ぼくは成功者だというのかい――人には羨ましがられていたって、こんなに俗悪で、安っぽい、退屈な生活をしているのに”

緑の扉の向こう側から戻された瞬間から、彼にとって現実の世界は、それまで以上に無味乾燥なものとしか思えなくなっていたのだ。それはそうだろう。ひとたび至上の世界を味わった者に、現実の世界が色づいて見えることなどありはしないのだ。彼はその後の三十数年の孤独と倦怠によく耐えたと思う。

抑えようがない後悔に苛まされる。夜、あまり人目につかない時間を選んで、こっそり外出する。人に知られたらどう思われるだろうとは思うけど、悲しみに暮れて、時には嘆きの声を上げながらふらつくことが止められないのだ。一枚の扉を、その向こう側にあるあの美しい庭園を探して。

彼の死体は早朝、イースト・ケンジントン駅近くの深い穴で発見された。
地下鉄を延長する工事に伴って掘られたその竪穴には、板囲いがしてあったのだが、労働者の出入りのための扉が付けてあったのだ。
夜、彼は議事堂から歩いてきたのだろう。そして、粗末な板囲いの扉を、あの緑の扉と思いこんだのかもしれない――。

若き政治家の不慮の死は、人々の間で話題になった。
あの白壁の緑の扉というのが本当にあったのかは分からない。それは病んだ精神が見た幻覚だったのかもしれない。でも、この世とは全く別の、比較を絶した美しい世界に通じる秘密の扉が存在しないと、誰に決めつけることが出来よう?

“われわれは、この世を常識で見ている。板囲いは板囲い、穴は穴だとしか思わない。われわれの白昼の基準で考えれば、彼は安全な場所から闇へ、危険の中へ、死へと転落していったのだ。
だが、彼はそう考えただろうか?“

現実世界の基準で云えば、ウォーレスは非業の死を遂げたことになる。
だが、ウェルズは物語の最後に、その物差しに疑問を投げかけている。ウォーレスは、夢みる力、幻想や想像力に恵まれた人にしか見つけることの出来ない扉を、遂に開くことが出来たのかもしれない。少なくとも、人生の最期の瞬間、彼が幸福に包まれていたことを決定的に否定する材料など誰も持ってはいないのだ。


私は子供時分にそれなりの数の異界往復譚を読んだものだが、それらの多くにはある決定的な不満を感じていた。
この種の児童文学では、主人公はだいたい元の世界に帰って来てハッピーエンドになるのである。そんな馬鹿な?至上の美と愉しさを知った者を満足させられるものなど、この世界にあるものか。彼らはなぜ、嘆きもせずにその後の人生を生きていくことが出来るのだろう?なぜ、再びあの世界に戻りたいと熱望しないのだろう?そのこと一つをもってしても、これらの作品には、子供心に所詮は子供だましだなという印象をぬぐえなかった。
それに比べて、「白壁の緑の扉」のリアルな心情描写には、深い共感と満足を得られた。ウォーレスという男の孤独と熱望が、我が事のように感じられたのだ。私は、彼が緑の扉を開くことに成功したことを願わずにいられない。


「プラットナー先生綺譚」は、理科の実験中の爆発事故で、九日間だけ異次元に飛ばされた中学教師の物語。
本書に収められた作品の中では、異色なほど剽軽な語り口だった。特にプラットナー先生が、異次元に飛ばされた時と同様の乱暴な形で帰還した場面では笑いが漏れた。しかし、コミカルな雰囲気とは裏腹に、爆発事故と失踪事件を起こしたプラットナー先生への学校側の対応は世知辛いものだったので、彼は帰って来なかった方が幸せだったなとは思った。

「水晶の卵」は、水晶の中に偶々見つけた世界を眺めているうちに、その世界の観察に耽溺し、遂には死体で発見された小商いの物語。
ケイヴ氏もまた、「白壁の緑の扉」のウォーレスのように、特別な秘密の逃走路を見つけることに成功したのではないだろうか。他人の評価では成功者だったウォーレスに対して、ケイヴ氏の人生は、誰がどう見ても酷いものだった。そのせいもあってか、彼の死に顔には微笑が浮かんでおり、幸福な死であったことがはっきり分かるように表現されている。どのような経緯を経て死に至ったのかは謎であるが。

「亡きエルヴシャム氏の物語」は、他人の人生を乗っ取る薬を開発した老学者エルヴシャム氏と、彼に人生のすべてを盗まれた若者イーデンの物語。
よくもまあ、こんな恐ろしい物語を思いついたと思う。肉体を自由に取り換えるという設定は、SFでは割とよく見るが、これを最初に思いついたのもウェルズなのだろうか。
遺産相続を餌に、学費と生活費の捻出に汲々している苦学生を釣る。そして、健康な若い肉体という何物にも代えがたい宝を騙し取る。エルヴシャム氏としては、乗っ取った若者の肉体が老いる度に別の若者の肉体の乗っ取りを繰り返し、もちろん、その間に築いた財産は次の肉体に相続させて、永遠の若さを謳歌するつもりだったのだろう。
が、そうは問屋が卸さない。胸糞悪くなりそうな展開になる寸前で、因果応報ともいえるオチがついたので、読後感は不快ではなかった。
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三連休のパン焼き

2019-07-16 07:56:01 | 日記
折角の三連休でしたが、天気が良くなかったので遠出はしませんでした。
最近のおやつ作りは冷たい物ばかりだったので、三日連続でパンを焼きましたよ。


クリームパンは、今回が初挑戦です。


包みやすいように、カスタードクリームは固めに作りました。


二次発酵前。
クリームぱんだちゃんみたいな切れ目を入れたのですが、焼きあがったらくっついて唯の線になっていました。


チェダーチーズとソーセージのパン。


ココアとチョコチップのパン

成型はテキトーですが、三種ともまあまあ美味しく焼き上がりました。
私の基本の生地は、強力粉300g、ドライイースト3g、バター10g、砂糖大匙山盛り一杯、お湯200㏄です。
ココアパンは、ココアを20g入れたので、その分強力粉を減らしました。
一次発酵は炊飯器のパン生地発酵機能を使い、二次発酵はオーブンを40度に設定して行っています。


ドライイーストはちょっと割高になりますが、劣化の心配の少ない分包タイプが便利です。


夏服を買い足しました。
一応コメガネ用ですが、私も貸してもらうつもりです。

娘コメガネは、連休中、お友達と映画『アラジン』を観に行きました。
出先から、お友達と食べた美味しそうなパンケーキの画像を送りつけてきたので、今度私も案内してもらおうと思います。
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