青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

一千一秒物語

2016-09-29 06:59:53 | 日記
新潮文庫の稲垣足穂著『一千一秒物語』には、『一千一秒物語』『黄漠奇聞』『チョコレット』『天体嗜好症』『星を売る店』『弥勒』『彼等』『美のはかなさ』『A感覚とV感覚』の9編の作品が収録されている。一冊の本の中にこれほど多岐にわたる内容が詰まった作品集は珍しいだろう。ふり幅の大きさに驚嘆する。

『一千一秒物語』は、足穂自身が、「以後の私の作品は全て 『一千一秒物語』 の注釈に過ぎない」と述べているほどの足穂世界のすべての要素が詰まった代表作。

大正6年(足穂17歳)頃から手がけ、200編ほど書かれた中から68編自選して、大正12年(足穂23歳)に金星堂から出版された。昭和32年の改訂版では2編増えて70編収録。佐藤春夫が序文を書いたが、春夫の序文は初版及び復原版以外では見ることが出来ない。

星あかりにキラキラする雲母みたいなショート・ショート。
荒唐無稽で少し野蛮。ノスタルジックでメルヘンチック。一文字一文字が、真冬のガス燈か、誘蛾灯に燃え落ちる羽虫の如く発光している。

ニッケルメッキの月光が降り注ぐ街をシガレット片手に歩く。
お月様にピストルを突き付けられたり、ガス燈とつかみ合いになったり、片手に握ったブランデーの瓶の口から匍い出したり、ポケットの中の星屑でパンをこしらえたり。電車から飛び降りたはずみに自分を落として失くしたりもする。
ビール瓶の中に隠れる箒星。冷たくてカルシュームのような味のする星。鋏で切られると黄色い煙になる黒猫のしっぽ。……人肌の温もりを感じさせない冷え冷えとした世界が、妙に懐かしく慕わしい。

それにしてもこの人は、水道に突き落とされたり、井戸に落とされたり、煙突の中に投げ込まれたり、お月様にぶん殴られたりと、夜ごと手荒な扱いを受けているが、不思議と少しも辛そうではない。かといって別に楽しそうでもない。彼にとっては、これが日常なのだろう。

幻想美を極めた世界でありながら、耽美的な臭みがしないのは、怒鳴ったり、殴られたり、投石したりと、暴力的な描写が意外と多いせいかもしれない。
ヒューマニズムもナルシシズムも排した無機質な世界は、案外多くの人に受け入れられやすいのではないだろうか。

『黄漠奇聞』は、アラビアンナイトみたいな幻想奇譚。
赤い太陽が砂から昇って、砂の中に沈む。来る日来る日の風は世界の果てから運んできた多くの物語を囁く。

白いバブルグンドは、砂漠の中で、超然と神々の都のように輝いていた。
蜘蛛の巣状に宮殿を取り囲んだ道路の敷石は純白の大理石、辻々には紅い夾竹桃。噴水の虹の下を隊商の群れと水瓶を肩にのせた女が通り過ぎる。広小路の向こうからは、羽団扇や日傘に飾られた乗り物が静々とやってくる。夜が来れば、家々の窓からはオレンジ色の燈影がこぼれて夾竹桃の梢や水盆を照らし、人々は飲み物と音楽とカードに笑いさざめく。

バブルグンドの王は、自ら監督してこの白い都を作り上げた。
王が星を祀らず、祭司を軽んじていることを案じる声もあったが、多くの人々は、この驚くべき才智と力量の所有者に従っているうちは、星々について懸念など無用と考えた。王が、神のような人、神に等しき人、或いは神々の一人ではあるまいかとさえ考えかけられた。

王は、シンの神の紋章である新月を自身の吹き流しにつけるが、それは夕暮れに現れる本物の三日月にははるかに及ばなかった。王は、三百の騎士を引き連れ、三日月を砂漠に追い詰めて、槍で落とし、箱に詰めた。しかし、月の無い星空の下を幾年月もかけて戻った時、王と僅か三人にまで減った家来の前に広がっていたのは、廃墟と化したバブルグンドの都であった。そして、三日月の入った箱が開いた途端、数千年の時が流れ、あたりは元の砂漠に還った。

夢のような都は、夢のように消滅した。
どのように人間が己の能力を信じて努力しても、広大無辺な宇宙から見れば砂粒のように微々たるものあり、神には遠く及ばない。それでもまだ神に近づくことを追求する人間がいることを身の程知らずと片付けるか、そこに儚い美を見るかは人それぞれなのだろう。

『チョコレット』『天体嗜好症』『星を売る店』は、天体嗜好のあふれるメルヘン。夜の遊園地にでも迷い込んだ気分になる。
土星ってハイカラ。箒星も素敵。天にあるものはどれもみなへんてこで、そしてきれいで、面白い。地球儀も、星や月と同様に大変良い。だけど、お日様だけは、なんだか俗っぽくてつまらない。なぜなら、お日様は、ガス燈が家々の壁に人影を刻むのを邪魔するから。

これらの作品の中で美しいのは、天体だけではない。硬質で発光するものは、すべて星々の眷属として冷たく儚い美を湛えている。
例えば、『星を売る店』のきらきらしたコンペイ糖は、実はすべて星なのだ。
普通の宝石の大きさのものから、ボンボンの粒くらいまで、色はとりどり、あらゆる種類がある。これらがガラス棚の上にのせられて、互いに競争するように光っている。
このコンペイ糖は、煙突の中に入れるとおもちゃの汽車を走らせることができるし、マンドリンやギターのサウンドボックスに入れてみても、糸はひとりでに鳴る。そして、コクテールの中に入れても風味、体裁、なかなか洒落たもので、粉末にして煙草の中に巻き込むと、ちらちらと涼しい火花が散って、まことに斬新無類なのだ。

日本的な湿った情緒を排した冷たく乾いたメルヘンは、文句なしに私好み。昔話や寓話の定型を無視した変則的な展開に宇宙的な広がりを感じる。物語よりは、詩に近いテイストだ。

最後に自伝的小説であるという『弥勒』にふれておきたい。
第一部「真鍮の砲弾」は、主人公・江美留の学生時代から上京するまで。
江美留は新進作家H・S氏に書いた作品を送り、感想を貰うなどして作家になることを夢見ている。作家としての芽はなかなか出ないのだが、古畳の上で赤貧と格闘しつつ創作・思索を重ねる。
 
第二部「墓畔の館」では、江美留の極貧生活が微に入り細に入り綴られる。
親戚からは自殺したとしても自業自得だと見離される。支援してくれた人にも失望される。収入が無いので、必然的に断食生活。売れる物は売り、預けられる物は質に入れ、文字通り身一つになる。着る服も無いので裸体に古カーテンを巻きつけて、震えながら暮らす。衣食住のすべてが不足した状況の中、人から貰った書き損じの原稿用紙の裏に細かい字で文章を綴る。……いつ果てるかも知れない困窮エピソードの連続を読んでいるうちに、私は不安で息が詰まりそうになった。もはや、発狂とか餓死とか、悲惨な結末しか予想できない。

ところが、物語は予想外の方向に展開するのだ。
「赤貧洗うがごとし」が洒落では済まない生のどん底で、江美留は同人雑誌『コギト』の表紙にあった昆虫めく半跏思惟像に瞠目する。そして悟るのだ。
五十六億七千万年の後、衆生を済度すべき使命を託された者は、まさにこの自分でなければならないということを。弥勒とは、裸体に古カーテンを巻いた哀れな自分であることを…。
江美留の窮状が、弥勒の崇高に結び付く。運命の鮮やかな逆転である。
魂の救済とは他者から齎されるものではなく、己の内側から湧き上がってくるもの。弥勒は、穢土に生きる全ての人間の心に在ることをこの物語は教えてくれるのだ。
コメント

コスモスまつり

2016-09-26 08:49:33 | 日記
日曜に、くりはま花の国のコスモス園に行ってきました。
9月9日から10月30日までコスモスまつりが開催されているのですが、今年は台風の影響で残念ながら例年より園内の花の数は少ないそうです。




それでも黄色系のコスモスは満開でした。鮮やかな黄色が久しぶりの晴天によく映えていましたよ。




ピンク系はまだまだ満開には程遠いですね。この状態で一分咲きとのことでした。ピンク系がお好きな方は、10月半ばごろに行かれると良いのではないでしょうか?


花が少なくても娘はルンルンです。


向日葵もまだ開花していました。


ゴジラの滑り台が目印の冒険ランドで、暫し娘を放牧。早朝に行ったので利用者が少なく、ほぼ貸し切り状態でした。

敷地が広いので園内バスを使用せずに徒歩で廻ったら、筋肉痛になってしまいましたよ。普段あまり歩きませんからねぇ…。気温も夏日と言っても良いほどの高さだったので、帰ってからもグッタリしていました。

コスモスまつり最終日の「無料花摘み大会」では、園内のコスモスを持って帰ってよいそうです。我が家はポピーまつりの時にお花をいただいて帰りましたよ。
コメント

座敷牢な犬猫

2016-09-23 07:10:40 | 日記




白アリ予防と除湿剤の業者さんが作業に来たので、凜と桜には猫ハウスに入牢してもらいました。
我が家はシロアリや耐震性には問題がないのですが、湿気が多いので床下に除湿剤やファンを設置しています。今回は今まで置いていなかったところにも除湿剤を追加してもらいました。

二匹はお客さんが大好きなので通常の来客時はハウスに入れないのですが、作業中は床下を開けるので、念のために身柄を拘束しておきました。
桜は大好きな凜と一緒なので平気でしたが、凜はたいそう不満気でした。高さは180㎝くらいあるハウスですが、床面積は狭いので凜には窮屈なのだと思います。時々、前足で檻を叩いたり、後ろ足で床を踏み鳴らしたりしていましたよ。ごめんね。業者さん二人も凜と桜に「ごめんね。すぐ終わらせるからね」と声をかけてくれました。


二匹、しょぼくれてきました…。


凜、飽きました…。

初めてうちに来た方は、凜と桜が穏やかに共存していることに驚きます。犬と猫は仲が悪いというのが、一般的な捉え方ですものね。
今回も若い方の方が動物好きみたいで、作業後に興味津々な顔でハウスの中を覗き込んでいましたよ。

初めての方には、「喧嘩しないんですか?」とよく訊かれますが、基本的にはしません。桜がしつこ過ぎる時に、凜が軽く唸ることがありますが、それも稀なことです。
桜が気を使っている訳ではないので(猫って奴は…)、二匹の平穏は偏に凜の忍耐の賜物ですね(犬って気の毒)。戦闘力に差がありすぎて、凜がその気にならないのだと思いますよ。凜は、散歩中に小型犬にキャンキャン吠えられても知らん顔ですし…。そういうところは人間より賢いですね。
コメント (2)

秋のお彼岸

2016-09-19 09:20:21 | 日記

今年のシルバーウィークは最終日まで雨で出かけられないようですが、我が家では昨日おはぎ作りを楽しみました。
去年も家族三人で作ったなぁ…。行事の度に思い出が増えるのはいいですね。

毎年十五夜にも家族でお月見団子を作るのですが、今年は雨だったうえに、娘が熱を出したので、何もしませんでしたよ。残念。


小豆が足りなくなったので、黄粉も。


ついでにお赤飯も炊きました。

敬老の日のお祝いは、月並みですがお茶を送りました。元気で長生きしてください。
コメント

秋雨と長崎出張

2016-09-15 07:05:58 | 日記
気が付けば始業式から二週間経ちました。秋雨シーズン突入です。一雨ごとに残暑から解放されていくのを肌で感じますね。


凜はお庭に出られなくて退屈かもしれません。


桜もちょっぴりアンニュイ?


水曜日に夫が出張から戻ってきました。今回は長崎でした。雨の中、お疲れ様です。
お土産は定番中の定番、福砂屋のカステラ。そして、蒲鉾。長崎土産は唐草の長崎物語も好きです。でも、娘がクリームの中に入っている柑橘類の皮の砂糖漬けを嫌がるんですよね。それが美味しいのに…。彼女はマーマレードも苦手なので仕方ないですね。


カステラは紅茶が一番あうと思います。今回はルピシアのロゼロワイヤルと一緒に。

ここで、ちょっとしたカステラ論争が勃発しました。
長崎出身の夫は「カステラは和菓子だから緑茶が一番」と主張するのですが、私の中では、カステラは洋菓子なんですよね。だって、ポルトガル伝来でしょう?でも、夫が子供のころは、カステラは和菓子屋やお団子屋で売っていたそうで、それを根拠に夫はカステラ和菓子説を唱えています。
ウィキペディアに拠ると「ポルトガルから伝わった南蛮菓子を元に日本で独自に発展した和菓子である。」だそうで、夫は「でしょ?」と得意がっていましたけど、ウィキペディアだしね…もう南蛮菓子ってことで良いよ(負け惜しみ)。
コメント