青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

興福寺・春日大社散策

2022-03-31 09:19:02 | 日記

奈良滞在最終日は、興福寺と春日大社を訪ねました。
どちらも実家から近いので歩いて行きましたよ。奈良の観光スポットは全体的に駐車料金が安いのですが、このエリアは少し高めということもあります。
それと、この辺は鹿がたくさんいるので歩いた方が楽しいと思います。




興福寺エリアに到着。
早速鹿が寄ってきました。

興福寺は、藤原氏の氏寺として710年に平城京遷都とともに創建されました。
五重塔、三重塔、東金堂、南円堂、北円堂などの建造物に、東金堂内の日光・月光菩薩、国宝館内の阿修羅像や仏頭など見どころ満載です。

国宝館、東金堂は後で見学することにして、まずは五重塔から。






五重塔
古都奈良のシンボルタワー、釈迦の舎利を納める墓標です。
730年、藤原不比等の娘・光明皇后の発願で建立されました。
その後、5回の消失を経て、1426年に再建。創建当時は日本で最も高い塔でした。
現在は室町時代に制作された薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が初層のそれぞれ須弥壇四方に安置されています。


うまい具合に鹿と撮影することが出来ました。手前のカラーコーンが無粋ですが、境内整備事業中なので仕方ありません。


南円堂
「西国三十三所」の第九番札所です。
813年に藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立しました。鎮壇には弘法大師空海が大きく関わったことが伝えられています。
現在の内陣には、本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置されています。これらはすべて慶派仏師の康慶一門による制作とされています。

北円堂は修復工事中でした。
北円堂は、日本に現存する八角円堂の中で、最も美しいと称賛されるお堂です。この日見学できなかったのは残念でしたが、美しく修復された姿を見る日を楽しみにしておきます。


三重塔
1143年に崇徳院の中宮皇嘉門院聖子が建て、1180年に焼失、間もなく再建されたと伝えられています。
北円堂とともに興福寺で最古の建造物。

境内の一番隅っこ、南円堂の斜め後ろに建っているのですが、参道の木立に隠れて見つけ辛いです。なので、付近には私たちともう一組しか参拝客がいませんでした。
興福寺は五重塔の方が有名ですが、この三重塔も可愛らしくて良いものですよ。木割が細かく優美な線が特徴です。
現在の内陣には、かつて興福寺子院であった世尊院の弁財天座像とその諸尊(十五童子)が安置されています。


中金堂
仏伝では創建者を藤原不比等とします。創建当時の規模は、当時の奈良朝寺院のなかでも第一級だったそうです。
しかし、六度の火災・再建を繰り返し、1717年に焼失後は財政難により再建が進まず、1819年に町屋の寄進により規模を縮小した「仮堂」を再建しました。
この仮堂は材木に不向きな松が使用されるなどしたため老朽化が激しく、2000年に解体。その後、発掘調査を経て2010年に立柱式、2014年の上棟式を経て、2018年に再建落慶を迎え復元されたのでした。




一旦境内を出て、猿沢池へ。


猿沢池の付近で仏像コレクションのガシャポンを引く。
右から娘コメガネ金剛力士立像、夫の弥勒菩薩半跏像、私の阿修羅像。

再び境内に戻り、東金堂と国宝館を見学しました。


東金堂


中の撮影は禁止です。
堂内はこのような配置になっています。

本尊の銅造薬師如来坐像、その補佐の銅造日光・月光菩薩立像も必見ですが、一番の目玉は木造十二神将立像だと思います。12体すべてが残る貴重な作例です。


コロナ厄除けのお札。


国宝館
こちらも内部は撮影禁止です。
一番人気の阿修羅像は、他所の地域の博物館に貸し出されていることが多いのですが、この日はおられました。
奈良に来て、国宝館の阿修羅像に会わないという手はないですよ。案外スルーする人が多いみたいで、娘コメガネの修学旅行も国宝館には入らなかったそうですが。
阿修羅像のほかは、迦楼羅像が私のお気に入り。
体は正面を向いていますが、お顔はチャームポイントの尖った嘴を強調するように斜め横を向いています。

国宝館を出てから、春日大社へ移動。


参道入り口。ここからが長い。




鹿にせんべいをあげたり、纏わりつかれたり。






本殿










春日大社の境内は3,000基もの燈籠があることで有名です。
春日大社は藤の季節の訪れるのが一番良いと思いますが、朱塗りの回廊に並ぶ吊り燈篭はいつ観ても美しいものです。




藤波之屋
鏡張りの暗室に万燈籠が再現されています。

本殿を出てから、若宮十五社を巡りました。








若宮の周辺には、人が生涯を巡る間に遭遇する様々な難所を守ってくれる十五社がお鎮まりになっているのです。十五社すべてをお参りすれば、幸多い人生が保証されるかも?

春日大社のすぐそばには開運招福の水谷神社があり、また、800mほど歩くと新薬師寺に辿り着けます。
個人的に新薬師寺の十二神将は日本一だと思っています。コメガネにも見せたかったのですが、今回は時間がないので諦めました。
次に奈良を訪れる時には、水谷九社巡りと新薬師寺参拝を実行したいです。
関東の人と話すと、薬師寺と新薬師寺を混同している人が多いと感じますが、宗派も違う別のお寺です。コメガネの修学旅行は薬師寺には行ったそうです。

若宮から戻って、春日大社国宝殿へ。


春日大社が所有する国宝354点及び重要文化財482点を主に、多数の文化財を所蔵・展示する美術館です。
この時の特別展は『秘められた大和の名刀』でした。


館内は一階のホールとインスタレーション空間「神垣」以外は撮影禁止です。
写真の鼉太鼓は、二階の展示室にオリジナルが所蔵されています。
今回の特別展では、春日大社秘蔵の名刀、国宝・重要文化財・重要美術品、初公開を含む奈良県指定文化財の名刀、宝蔵院流秘蔵の名槍が公開されていました。


特別展の図録は売っていなかったので、代わりに『春日大社の甲冑と刀剣』という図録を購入しました。


まだ早い時間でしたが、藤沢まで帰ることを考えて観光はこの辺で終了。

お昼は近鉄奈良駅8階の『北京料理 奈良百楽』で食べました。








こちらのお店は、広々とした窓から奈良の風景を眺めながら食事を楽しむことが出来ます。
この日は連休だったのでものすごく混んでいて、窓側の席には座れませんでした。それでも、私たちの席からでも風景を見ることは出来ましたよ。
かなりのんびり目の接客スタイルですが、美味しいしリーズナブルなので、せっかちな人以外にはお勧めのお店です。

お食事と言えば、今回は夜もずっと外食か買ってきたものを食べていました。
チェーン店ばかり。奈良のお店は全体的にのんびりなので(笑)、パッと食べて帰りたい時にはそういう選択になってしまいます。












母が病気をしてから台所に立てなくなり、私もよその家の台所は勝手がわからず。
実家なのによその家とは?と思われそうですが、今の実家は私の生家ではなく父の実家で、しかも父が継いでから建て替えているので、私はそんなに滞在したことがないんです。というわけで、これまで私の中では帰省=観光という感じでした。
でも、今回の帰省で母がだいぶ弱っていることが分かったので、次回はちゃんと屋内の片づけや庭の手入れなどもしようと思います。
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明日香紀行その2(橘寺~高松塚古墳まで)

2022-03-25 08:49:37 | 日記

前回のブログでは、明日香観光の午前の部(石舞台古墳~岡寺)から昼食までを載せました。
今回は午後の部です。
橘寺→飛鳥寺→高松塚古墳→高松塚壁画館の順に移動。その合間に、飛鳥の石造物も見て回りました。

飛鳥の石造物とは、明日香村を中心とした地域に残る飛鳥時代の石造物の総称です。
用途が謎の物が多く、日本文化の基底である仏教美術とも異なる存在です。
明日香は日本仏教のスタート地点ですが、その地に仏教伝来以前の文化の遺物が約20点も残っているのが面白いですね。






橘寺
新西国三十三番霊場第十番礼所
聖徳太子生誕の地と言われ、太子建立の七カ寺の一つです。当時、ここには橘の宮という欽明天皇の別宮がありました。
元々は六十六もの堂宇が並ぶ大寺院でしたが、現在は江戸時代に再建された本堂など、いくつかの諸堂を残すのみです。おまけに現在改修工事中のお堂もあって……。
でも、私がここで見たかったのは二面石なので問題はありませんですよ。






二面石
太子殿の左側にあります。高さ1m、長さ52㎝の花崗岩の左右に、二つの異なる相の顔が彫刻されています。人の心の善悪二相を現したものだそうです。
私、橘寺には四回くらい来ていますが、一つの頭に二つの顔という異形は何度見てもインパクトがあります。こんなデザインのキャラが出てくるゲームとか漫画とか結構ありますね。


往生院の格子天井には華の天井画が260点奉納されていました。
往生院の仏像も本堂の仏像と同様、撮影は出来ませんでしたが、清潔な畳の上で天井画を眺めながら休憩させてもらいました。

橘寺を出て、飛鳥寺へ移動しました。
途中の民家のそばで亀石を見学。


亀石。
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨大な花崗岩の下の方に亀のような顔が彫刻されています。
全体的な印象は亀よりも蛙に近い気が…(^-^;
何はともあれ、穏やかに微睡んでいるような表情が愛らしく、悠久の時の流れを感じました。


飛鳥寺(安居院)
新西国三十三番霊場第九番礼所
日本の仏教文化の起点と言える重要な寺院です。
596年に蘇我馬子が創建した日本で最初の仏教寺院。当時は現在の約20倍もの規模の大寺院で、塔を中心に東・西・北の三つの金堂を配し、外側には回廊が廻らされていました。
創建時の伽藍は火災で失われ、現在は塔や金堂の礎石だけが残っています。


本堂の釈迦如来像(飛鳥大仏)
609年に仏師・鞍作止利によって作られた日本最古の仏像です。東大寺の大仏よりも約150年も前に造られたと言えば、どのくらい古いか実感できると思います。
現在の本堂は飛鳥大仏の大きさに比べるとこじんまりとしていますが、その分、飛鳥大仏を至近距離で見学することが出来ます。
住職の丁寧な解説は、大変ためになるので必聴。堂内の写真撮影も可です。以前訪れた時には美大生らしき若者たちがスケッチをしていました。




面長の顔型とアーモンド形の目や長大な耳たぶに大陸の影響が色濃く残っていて、後の時代の仏像とは大きく異なる風貌をしています。また、左右で表情が若干異なります。
胴体は正面を向いているのに、お顔は少し斜めを向いているのは、聖徳太子が生まれたとされる橘寺を見守っているからだそうです。


聖徳太子立像
飛鳥大仏の隣に安置されています。


本堂の中庭。


蘇我入鹿首塚
飛鳥寺の西側の出入口を抜けてすぐの田畑に建ってるのが見えます。
蘇我入鹿が暗殺されたのは明日香板蓋宮ですが、そこから入鹿の首がここまで飛んできたという伝説が残っています。

飛鳥寺を後にして、高松塚古墳まで移動。
この時点ですでに雨が降っていたので、予定をいくつかカットしました。途中で酒船石遺跡(亀形石造物)、酒船石を見学。




酒船石遺跡(亀形石造物)
長さ2.4m、幅2m。花崗岩を加工した石造物。
飛鳥板蓋宮跡の東方に位置する小高い丘陵にあります。日本書紀の斉明天皇2年の条に記された「宮ノ東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘」に符合する遺跡であると推定されています。
遺構は斉明期に造営され、改修を重ねながら平安時代に廃絶されるまで約250年存続したことが判明しています。斉明天皇の「両槻宮」ではないかとも推定されています。




酒船石。
長さ5.3m、幅2.3mの巨大な花崗岩の上に謎の溝が彫られています。
酒船石遺跡そばの藪の中にあります。


酒船石遺跡から酒船石に向かう途中の道にある遺構。酒船石遺跡の一部らしい?

雨脚が強くなってきたので、石造物巡りはこれだけ。
飛鳥の石造物は古代史のロマンなので、本当はもっとたくさん見たかったです。明日香には何度か来ているので殆どの石造物は一度は見ていると思いますが、我が家のある藤沢からは気軽に来れる場所ではないので今回の天気は残念でした。




高松塚古墳
埋葬者不明。飛鳥地方の西南部に位置します。この一帯は桧隈と呼ばれ、渡来人が特に多く移住したと言われています。周辺には天武・持統天皇陵、欽明天皇陵、文武天皇陵や中尾山古墳、岩屋山古墳などが築かれています。


高松塚古墳壁画館
館内は一部を除いて撮影できます。
高松塚古墳内で発見された彩色劇画や副葬品を原寸・原色で再現したものや当時の貴族の衣装を再現したものが展示されていました。








男子群像、女子群像、神獣、星宿図など。




副葬品。

これにて今回の飛鳥紀行は終了。実家のある奈良市まで戻りました。




この日の晩御飯は、奈良名物の柿の葉寿司や棒寿司などを両親の分も買って帰りました。

上にも書きましたが、今回は天気に恵まれなくて残念でした。石造物はもっとたくさん見たかったし、天武・持統天皇陵にも寄りたかった。それらはまたの機会、ですね。

奈良滞在の最終日には、興福寺と春日大社に行きました。
奈良から藤沢まで車で帰ることを考えたら、最終日は実家でゆっくりしていた方が良かったのですが。娘コメガネの修学旅行が京都・奈良でしたが、コロナで一泊二日に短縮されたせいで、奈良は東大寺と薬師寺しか見ていないと言うんですよ。エェ…興福寺の阿修羅像を見なかっただと?
それは勿体無いということで、実家からは興福寺や春日大社は徒歩圏なので散歩がてら連れて行くことにしたのでした。
その時の写真などは、次回のブログに載せたいと思います。
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明日香紀行その1(石舞台古墳~岡寺まで)

2022-03-22 09:15:21 | 日記

連休に久々に私の実家の奈良に帰りました。8年ぶりくらいですかね。
車での帰省なので柴犬凜ちゃんは連れて行きましたが、猫たちはお留守番なので二泊三日だけです。ペットを飼っていると泊りがけのお出かけは難しいですね。

猫ちゃん達の活動スペースは、一階の居間と台所のみにしました。
前夜のうちに、壊されたくない物は押し入れに仕舞ったり廊下に出したりして、電話線も抜いておきました。
初日は朝3時に起きて猫ちゃん達のトイレの砂を全取り換え、餌と水は複数の皿に分けて多過ぎるくらいに出しておきました。金魚の餌も多めに。
それから4時半頃に出発し、実家のある奈良市に着いたのは11時ごろ。
この日は実家でゴロゴロさせてもらいました。両親は久しぶりに娘コメガネと凜ちゃんに会えて嬉しそうでしたよ。

翌日は明日香観光。
明日香に行くのは多分13年ぶりくらいです。たくさん写真を撮ったので、複数に分けてブログに載せます。


まずは石舞台古墳から。
六世紀に築造された、巨石30個を積み上げた造られた石室古墳です。盛土が失われて露出した天井石が平らなことから石舞台と呼ばれています。


一辺50mの方墳で、石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6mと、その規模は日本最大級を誇っています。
誰の墓なのかは不明ですが、付近に蘇我馬子の庭園があることから馬子の墓説が有力です。


こんな風に作ったと考えらえています。

今は上に登るのは禁止されていますが、うちの父が幼かった頃は(昭和20年代後半~30年代前半?)、上に乗っても良かったのだそうです。そう言われると、幼稚園くらいの年頃の父が、友達と石舞台古墳の上に乗っている写真を見たことがあった気がします。


古墳の入り口は暗い。






でも、中に入ると思ったよりも光が差しています。


上から覗いてみる。


石舞台古墳そばの駐車場に車を置いたまま、徒歩で岡寺(龍蓋寺)に向かいました。


岡寺付近の大通り。
この通りに並んでいるのはお店ばかりなので写真を撮りましたが、ここに出るまでの住宅街にも細かな格子戸や格子窓の美しい、風情のある民家が多かったです。人様のお宅なので撮影はやめておきましたが、良いものを見せてもらえました。
岡寺までの坂道が予想以上に急だったので車で来た方が楽でしたが、歩かないとああいう地元の空気に触れることは出来ませんね。


ここから少し歩くと急坂が始まります。向こうに見える丘の上が岡寺です。
前回たくさん歩いたのが二月の湯河原観光だったので、何かが楽しいことが無いと歩かないのがダメですね。岡寺に辿り着くまでにだいぶ体力を消耗しました。


到着。
岡寺がある場所は、飛鳥京の中心地・明日香板蓋宮(大化の改新の現場)のすぐそばです。
創建時は『東光山 真珠院 龍蓋寺』という名でした。












寺伝によると、約1300年前に天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立。
西国三十三所観音霊場の第七番札所として信仰を集めており、また日本最初の厄除け霊場としても知られています。


















明日香の丘にある寺ということで岡寺と呼ばれているこのお寺、境内も地形を生かした作りになっていました。




一番上まで登ってそこから少し下りた場所に建つ三十宝塔。
ここまでの道にはシャクナゲがたくさん植えられているので、開花時期に訪れたらさぞかし美しいことと思います。


見晴らしもよい。頑張って上った甲斐がありました。

岡寺を下りてからランチにしました。




岡寺に向かう通りにある『カフェ ことだま』というお店です。予約制なので落ち着いて食事を楽しむことが出来ました。




築170年の元酒蔵をを改装した風情のある店内でした。
お客さんが何組かいたので、あまり店内の写真は撮りませんでしたが、床も柱も艶々に黒光りしていて、調度品や欄間にもレトロな趣がありました。
私たちは一番奥の席に通してもらえましたよ。






この日のメニューは、梅風味の春色ポテトサラダ、ひよこ豆のポタージュ、にんじんのしりしり、地鶏のマーマレード焼き、菜の花のチーズキッシュ、生姜だれの温奴、古代米ごはん~おかず味噌のせ、白ゴマのムース、お飲み物(「珈琲屋ならまち」のブレンドコーヒーor伊勢の和紅茶)

地産野菜を生かしたヘルシーなメニューですが、全部食べたらお腹いっぱいになりました。食器が可愛かったです。

食事の後は、橘寺に向かいました。
続きは次回のブログで。
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私誕生日2022

2022-03-16 09:21:17 | 日記

今月の18日が私の誕生日なのですが、当日は他に予定があるので、早めにお祝いをしてもらいました。

今回のメニューは、チキンのトマトクリームスープ、パンのキッシュ、カボチャとクリームチーズのサラダ、エビマヨ、スコップケーキ風ジャンボプリンです。
今月は行事が多く、毎週何かのお祝いをしています。


スコップケーキ風ジャンボプリン。
先週ケーキを焼いたので、今回はプリンにしました。


いつものジャンボプリンをフルーツと生クリームで飾ってお祝いっぽく。


チキンのトマトクリームスープ。


パンのキッシュ。


エビマヨは夫が作ってくれました。


カボチャとクリームチーズのサラダ。


誕生日のお祝いは、モヘアのビックカーディガンとノースリーブのワンピースです。
コメガネさんからは、「こんな感じのワンピ、既に持っているよね?」と指摘されました。好みの範囲が狭いので、どうしても似たり寄ったりのチョイスになってしまいます。


紺地にオレンジの花模様。
ノースリーブなので夏の花だと思いますが、名前がわかりません。


マカロンもプレゼントしてもらいました。
バニラ&塩キャラメル、フランポワーズ、ピスタージュ、ショコラ、シトロンの五種のマカロン+オランジェです。


コメガネさんからは、バナナクリップとバレッタをもらいました。


コメガネさん、自分にも華奢なデザインのネックレスを買っていましたよ。
自分への合格祝いなんだそうです。受験勉強から解放されたので、いっぱいオシャレを楽しんで下さい。




合格者説明会の帰りに、コメガネさんのリクエストでオムライスを食しました。少し遅めの昼食です。
私が蟹と海老のオムライスで、コメガネさんはデミハンバーグ&オムライス。

この日は夫が在宅勤務だったので、彼には総菜パンやアップルパイを購入。その後、コメガネさんとプラプラお買い物歩き。

合格発表からこっち、思った以上にやることが多くて少々戸惑っています。
私や夫の時代には、こんなに親が高校に出向くことは無かったような?一度の集会では済まないものなのでしょうか…。

各種書類は提出したし、制服の注文も完了。教科書、体操着の支払いも完了。
あと、コメガネさん専用のノートパソコンと、通学用の自転車も購入済み。
他にはやり残したことはないかな?何度も確認しているので大丈夫のはずですが、子供のことになると神経質になってしまいます。


ホワイトデーのお菓子たち。
少しずつ食べています。


こちらは、お雛様にお供えしていたお菓子たち。
雛あられは撮影する前に食べてしまいました。
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中学校の卒業式

2022-03-11 08:55:41 | 日記

娘コメガネ、無事に卒業式を終えました。
四月の頭にお店で卒入学祝をする予定なのですが、それまで結構日にちが空くので、おうちでもちょっとしたお祝いをしました。

夫と私の実家からもご祝儀を送ってもらいました。
コメガネは一万円だけお財布に入れて、ほかは貯金するそうです。


コロナ禍なので、前年に続き今年も短縮バージョンでしたが、シンプルで良い式だったと思います。
制約の多い中で何とか思い出に残る式にしようという、先生方、事務員の方の気持ちが伝わってきました。
卒業証書は学年を代表して一人がまとめて受け取ったのが残念でしたが、それ以外は来賓祝辞などの大人の出番をカットして、生徒たちの出番は極力平時通りにしてくれたのが嬉しかったです。
参列を許されているのは各家庭一人だけなので、我が家を含め殆どの家庭が母親が出席していました。
式が終わってから最後の学活の間、参列した保護者は体育館や昇降口付近で生徒が出てくるのを待ちました。
その間に母親たちから連絡を受けた父親たちが登校。式には参列出来なかったけど、校門の前で写真を撮ることが出来ました。

卒業アルバムに添えている青い花のコサージュは、手作りだそうです。それと、担任の先生から、ハンカチとお手紙をプレゼントされました。
花束は茎を切り戻して花瓶に活けたら、翌日にはだいぶ元気を取り戻していました。


ケーキ。
写真を撮り忘れましたが、中にはキウイをサンドしています。


スポンジは前日に焼いておきました。
焼きたては、はみ出そうなほど膨らんでいます。


ちらし寿司。
錦糸卵の黄色、桜でんぶのピンク、アボカドの緑、ホタテのクリーム色で春っぽく。


白身魚のアクアパッツァ。


春巻き。
中の具は、豚コマ、春雨、干し椎茸、筍です。


茶碗蒸し。

雛祭りのメニューと結構被っていますが、お気になさらないで下さい(^-^;
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