青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

鎌倉観光・その2(BAM英国アンティーク博物館)

2024-05-28 08:25:00 | 日記

ちょっと体を壊しまして、前回の更新から間が空いてしまいました。鎌倉観光のその2です。今回はBAM英国アンティーク博物館。

鶴岡八幡宮を出て、若宮大路を鎌倉駅の方に歩くと、1分ほどでBAM英国アンティーク博物館に着きます。
隈研吾が建築した建物は、モダンな外観でアンティークな感じはまったくしませんが、そこはあえてなんでしょうね。
実は私、この博物館のことは存在すら知りませんでした。
娘コメガネが美術部員で、作品のネタに撮影しに行きたいと言っていたのですが、私も夫も全然期待していなくて。でも、館内に入れば本物のアンティークの数々に魅了され、行って良かったと思ったのでした。豊かさとは、時間の蓄積なんですよ。




入り口には、本物のロンドンタクシーと電話ボックスが展示されています。


ロンドンと言えば、シャーロック・ホームズ。


細い階段を上って移動。
館内は、一階がミュージアムショップ、二階がジョージアン時代の銀器の間、三階がシャーロック・ホームズの部屋、四階がヴィクトリア時代の調度品の間になっています。


まずは二階から。
薄暗い部屋にひしめくジョージアン時代の銀器たち。














こんなに数が多いと、毎日ピカピカに磨き上げるのが大変でしょうね。
銀器はデザインの美しさ以上に、日々のメンテの手間暇に豊かさを感じます。手入れにかける時間とコストを惜しんでいては、文化も芸術も死んでしまいます。カズオ・イシグロの『日の名残』を思い浮かべたりしました。



































階段を上って上って三階へ。





三階は、おそらく一番人気であろうシャーロック・ホームズの部屋です。




























コナン・ドイルの書簡や私物、ホームズの部屋の再現などが展示されています。




ホームズって大男なイメージでしたが、ベッドは案外小さいんですね。






四階はヴィクトリア時代の調度品の間。








「エキスパート社」の最上級モデル、世界最高級の蓄音機。


















贅沢な部屋の中に、贅沢なミニチュアの部屋が置いてあるのが印象的でした。
私、ミニチュアに弱いんですよね。人形サイズになって、中に住んでみたいです。

展示物を一通り見て回った後は、一階のミュージアムショップでコメがお買い物をするのを待っていました。コメさん、色々買いこんでいた御様子。美術部の作品のネタも拾えたようで、コメ的にはここでやり遂げた感満々でしたが、観光はもう少し続きます。
次のブログでは、小町通り散策から極楽寺周辺についてまとめます。

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鎌倉日帰り観光・その1(鶴岡八幡宮)

2024-05-20 08:55:37 | 日記
今年のGWは家族で鎌倉観光してきました。
鶴岡八幡宮→BAM英国アンティーク博物館→小町通り散策→極楽寺・成就院・御霊神社の順です。
相変わらずブログにまとめるのが遅いうえ、画像の枚数が多いで、数回に分けてアップしていきます。今回は、鶴岡八幡宮。


小町通り付近の駐車場に着いたのは8時台でした。GWは大混雑のこの辺りもまだ人の姿は少ないです。こんな時間に空いている店はコンビニ位なので。


若宮大路。
左側に移っているイワタ珈琲店には後ほど寄ります。


テクテク歩いて三ノ鳥居に到着。


こっち側が平家池だったかな。
反対側の源氏池は、帰りに池上の旗上弁財天社に寄った時に見ました。








御手水。


舞殿。




茅の輪くぐり。










階段を上って本殿へ。


本殿。





参拝を済ませて、丸山稲荷社に移動。






丸山稲荷社。祭神は倉稲魂神。
鶴岡八幡宮本宮の西側の小高い丘の上にあります。
鶴岡八幡宮が鎮座される以前からあったそうで、大臣山に祀られていたが、鶴岡八幡宮造営の際に現在地へ遷されたといわれています。別名「地主稲荷」
鶴岡八幡宮境内にある最も古い建造物で室町中期のものと伝えられ、国の重要文化財に指定されています。
鶴岡八幡宮には何度か着てきますが、丸山稲荷社の鳥居をくぐるのは初めてかもしれません。




帰りは登ってきたのとは別川の鳥居をくぐって下に出ました。


国宝館方面の階段を下りて、白旗神社に向かいます。








柳原神池を国宝館とは反対の方向に曲がって、白旗神社へ。
白旗神社の現在の祭神は、源頼朝と源実朝です。
1200年に朝廷から「白旗大明神」の神号を賜り、頼朝を祭神として北条政子が創建したのだと伝えられています(頼家の創建説もある)。
もとは上宮の西側にあったが、1885年に実朝を祀る柳営社と合祀され現在地に遷されました。
白旗神社は、藤沢市にある方は何度か行っていますが(去年は藤の季節に、義経藤と弁慶藤を見に行きました)、鶴岡八幡宮の白旗神社を参るのはもしかしたら初めてかもしれません。
鶴岡八幡宮、何度か来ているのに、本宮以外はちゃんと見てないなぁ…。


国宝館の前を通り抜けて、鳥居をくぐり、源氏池の旗上弁財天に向かいます。






旗上弁財天社は鶴岡八幡宮の境内社で、源氏池に浮かぶ島に建てられています。
鎌倉・江ノ島七福神の一つ。祭神は、多紀理毘売命・市寸嶋比売命・多岐都比売命。
頼朝の旗挙げに際して霊験があったそうで、北条政子が建立したものとも伝えられています。
弁財天は仏教の守護神であることから、明治の廃仏毀釈で破壊されたが、1956年に再興されました。現在の社殿は、鶴岡八幡宮創建800年にあたる1980年に、文政年間の古図をもとに復元されたものです。


参道や島に並ぶ旗は、奉納された源氏の二引の白旗。




政子石。



このあと、鶴岡八幡宮境内を出て、若宮大路のBAM英国アンティーク博物館に向かいました。
続きは次回のブログで。
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母の日&こどもの日2024

2024-05-12 10:30:25 | 日記

今年は母の日とこどもの日を合同でお祝いしました。


イチゴケーキ。


スポンジを焼くのは久しぶりだったので、ちゃんと膨らむか不安でした。


焼き上がり。
ちょっと膨らみ過ぎでは?あんまり膨らむと熱が冷めて萎んだ時に表面がしわくちゃになるんですよね。まあ、二段にスライスした時に、しわくちゃになった面を内側にすればいいだけですが。


お取り寄せした鰻で鰻丼。


枝豆の冷製スープ。
実物はもっと緑色でしたが、なんかうまく撮れませんでした。


紫玉葱とモッツァレラチーズのサラダ。
生ハムも入れる予定でしたが、忘れました。生ハムは後で紫玉葱とマリネにしました。

今年の母の日とこどもの日のプレゼントは、二人ともお洋服でした。


私はブラウスとカーディガン。
別々のショップで買いました。先にブラウスを買って、それに合わせてカーディガンを買った次第です。カーディガンは黄色ですがそこまで主張の強い色ではないので、手持ちの服といろいろ組み合わせられそうです。


ブラウスは第一ボタンがビジューになっています。
半袖で、袖口がひらひらした感じです。下にあげてるコメガネのワンピースの袖もそんな感じでしたし、最近の流行りでしょうか。


コメガネはロング丈のワンピース。
背が伸びたので、選択の幅が広がったと喜んでいました。
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『HHhH』ローラン・ビネ

2024-05-08 08:33:04 | 日記
ラインハルト・ハイドリヒ。
ゲシュタポ長官及び親衛隊諜報部長官を務めたほか、ドイツ海軍・空軍軍人でもあった。親衛隊の最終階級は親衛隊大将および警察大将。
〈金髪の野獣〉、〈第三帝国で最も危険な男〉、〈プラハの処刑執行人〉、〈虐殺者〉、〈鉄の心臓を持つ男〉、〈地獄の業火が想像した最悪のもの〉、〈女の子宮から生まれたもっとも残虐な男〉・・・。
いくつもの物騒な通り名で呼ばれた男は、ヒムラーの右腕として第三帝国の政治警察を掌握し、様々な政治工作・迫害・虐殺に関与し、1942年5月27日、メルセデスで執務室のあるプラハ城に向かう途中に襲撃を受け、6月4日、死亡した。死因は「負傷による感染症」。

《類人猿作戦》と呼ばれたハイドリヒ暗殺計画は、ロンドンに亡命したチェコ政府が送り込んだパラシュート部隊によって決行された。それに続くナチスの苛烈な報復と、パラシュート部隊の青年たちや協力者たちの辿った悲惨な運命。
ハイドリヒとは何者だったのか?レジスタンスとは?英雄とは?
史実を小説に書くということの本質とは?

タイトルの『HHhH』とは、Himmlers Hirn heiβt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)の頭文字をとったものだ。
長身・金髪碧眼というアーリア人の理想的な容姿に恵まれたハイドリヒだが、父方にはユダヤ人の血が流れていたと噂される。この噂は後々まで政敵から利用された。

歴史を描く小説というより、歴史を描く姿勢を問う小説といったところか。
それ故、作者ビネが唐突に物語の前面に現れ、《類人猿作戦》ともハイドリヒとも直接関係のない作家としての姿勢、歴史との向き合い方、小説の作法などを語るページが多く、スムーズな物語の進行を妨げている。
個人的に、読みやすい小説ではなかった。だが、ビネの誠実な姿勢には好感を覚えたので、何とか主人公二人が前面に出てくる場面まで読み続けることが出来た。

本当に「何とか」という感じだったのだ。
というのも、主人公のヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュが物語の前面に現れるのが、本作の半ば頃。
そこまでは、ハイドリヒについて、ナチスについて、ナチスを取り巻く世界情勢ついてなどの解説に延々と頁が割かれている。占領地におけるユダヤ人問題、チェコ国内のレジスタンス活動が骨抜きにされていく過程、それらの任務の責任者であるハイドリヒの効率的かつ冷酷な実行力・・・。
この辺は、《類人猿作戦》が立案・決行されるに至った流れを理解するためには必要な描写だ。だが、知識として必要だから読むだけで、小説としての面白みは感じられなかった。
なので、ようやくガブチークとクビシュにスポットが当たった時には、「待っていました!」という気持ちになった。

ハイドリヒがチェコスロヴァキアを統治するようになってから、国内の非合法活動は次々に摘発され、わずかに残った組織もゲシュタポによって骨抜きにされた。
この状況を打破するためには、ロンドンに亡命したチェコ政府はどうすればよいのか。
国内の抵抗運動が死に瀕しているのなら、外から加勢するほかない。
訓練の行き届いた士気の高い武装兵士に国際的にも国内向けにも華々しいミッションを成し遂げさせる。それが、《類人猿作戦》だ。
この計画の目的は、国際的にはチェコスロヴァキアを侮ってはいけないことを証明し、国内向けには愛国心を刺激して抵抗運動を蘇らせることにある。
故にビネは、ベネシュ大統領が実行部隊としてチェコ人とスロヴァキア人を選べとモラヴェッツ大佐に命令したに違いないと確信している。二つの民族の統合のシンボルとしての二人だ。
モラヴェッツ大佐が当初選んだのは、スロヴァキア人のヨゼフ・ガブチーク軍曹とチェコ人のアントン・スヴォボダ軍曹だった。
暗殺の標的として何人もの候補者の名が挙がったが、ガブチークとスヴォボダに迷いはなかった。殺害すべきは、〈プラハの虐殺者〉、〈死刑執行人〉、〈金髪の野獣〉・・・ラインハルト・ハイドリヒを置いて他にいない。
だが、スヴォボダはパラシュートの落下訓練中に負傷してしまった。
スヴォボダに代わる人物として、ガブチークが推薦したのがモラヴィア人のヤン・クビシュだった。

ガブチークは自動小銃、クビシュが爆発物という役割分担だ。
プラハの軍事博物館に残る資料から、この二人の容姿や性格の一端が伺える。ガブチークは小柄でエネルギッシュな熱血漢。クビシュは大柄で温厚、思慮深い。
陽気で外交的なガプチークと、慎重で生真面目なクビシュ。ともに好感度の高い人柄で、多くの協力者を必要とする《類人猿作戦》には、最適な人物だっただろう。
スロヴァキア人のガブチークとモラヴィア人のクビシュは、プラハに行ったことが無い。
これは二人が選ばれた基準でもあった。知り合いがいなければ、彼らの素性がばれる危険も低い。
しかし、プラハの土地勘が無いということはハンディでもある。なので、任務遂行の学習の中には、首都の地図学習も含まれていた。だが、それだけでは限界があるだろう。
全く知り合いのいない状態から、命がけの任務の協力者を得るためには、他人に好印象を与える彼らの性格は大きなプラス要因だったのではないだろうか。
彼らは現地で友達もできたし、恋人もいた。結婚を夢見たりもした。でも、死の覚悟はできていた。

私はガブチークとクビシュについては名前さえ知らなかった。
パラシュート部隊の面々がなぜ、成功しても失敗しても生還できる見込みの無い作戦に参加したのか。この絶望的な状況の中にどんな希望を見出していたのか。
ハイドリヒについての記述が重ねられれば重ねられるほど、パラシュート部隊への興味が煽られジリジリした。
ハイドリヒについてもだが、ビネは、ガブチーク、クビシュ、ヴァルチーク、そのほか《類人猿作戦》に関わった人々の記述に際し、エンタメ的な盛り上げ方は極力排除している。
それでも、物語の進行的に憶測で描かなければいけない、彼はあの時こう言っただろうとか、こんな表情をしただろうという描写を加える場面に行きつくと、必ずと言っていい程、ビネ自身が前面に出てきて、あれこれと思いを表明し出す。
どうしても「チープな比喩」を用いなければならない時には、「〇〇と僕は想像する」とか「△△にちがいない」とか付け加える。

“僕はいつものようにオスカー・ワイルドのことを考える。思い出すのはいつも同じ話だ。「午前中ずっとかかって、ある文を直そうとして、結局はコンマをひとつ取るにとどめた。午後、私はそれを元に戻した」”

ビネが本書を執筆中にワイルドと同じことを何度もした様子は頁の端々からうかがえる。
それが煩わしくなかったと言えば嘘になるが、どうしてこうもクドクドと弁明したがるのかが、《類人猿作戦》決行の場面以降、ハイドリヒのしぶとさや7人のパラシュート部隊メンバーの死の描写と共に、押し寄せる波のように理解が追い付いてきて、もらい泣きしそうになった。

ナチスやハイドリヒの資料は豊富にある一方で、《類人猿作戦》の実行者であるパラシュート部隊の資料は少ない。
《類人猿作戦》に協力した無名の人々のついての資料は猶更少ない。
彼らについては、いつ・どこで・何人殺されたという数字が情報のメインだろう。
その事実にビネが、魂が引き裂かれるほどの痛みを感じていることが、この小説の端々から伝わっている。

“この物語に協力してくれた人々は、ただの脇役ではない。結局は僕のせいでそうなってしまったのかもしれないけれど、ぼく自身はそんなふうに彼らを扱いたくない。重い腰を上げ、文学としてではなく――少なくとも僕にその気はない――あの一九四二年六月十八日に、まだ生きていた人々の身に何が起こったかを記すことにしよう。”

ここから、《類人猿作戦》に協力した無名の老若男女の残酷で悲惨な最期の記述が続く。
ビネは可能な限りの人名を記したが、それでも、それは犠牲者のごく一部なのだ。
逮捕され、拷問され、収容所送りになった人もいたし、銃殺された人もいた。
拘束される直前でかろうじて自殺した人もいたし、ガス室送りになる前に発狂した人もいた。丸ごと焼かれた村もあった。
パラシュート部隊員の血縁者というだけで罪に問われ、一族郎党すべてマウトハウゼン収容所に送られたクビシュ家の人々、ヴァルチーク家の人々もいた。

“現在、ガブチークとクビシュとヴァルチークは救国の英雄となっていて、定期的に記念祭が催されている。襲撃場所の近くには、それぞれの名を冠した通りもできているし、スロヴァキアにはガブチーコヴォという名の小さな村もある。死後、軍隊の階級も昇進しつづけている(たしか三人とも、今は大尉になっているはずだ)。それに比べて、彼らを直接的であれ間接的であれ、助けた人々はそんなに知られていないから、こういう人たちにこそ敬意を払うべきだと一所懸命頑張りすぎたせいか、すっかり消耗してしまい、無名のままで死なせてしまった、数百、数千の人々のことを思うと、罪悪感で震えてしまうのだけれど、彼らはたとえ語られなくても生きているのだと思いたい。”

この無名の犠牲者たちへの熱い思いが、ビネが苦心して資料を集め、試行錯誤しながらこの小説を描き切った原動力なのだろう。
この感想文の最初にも書いたが、この小説はお世辞にも読みやすいとは言えない。
ビネのためらいや苦悩によって小説のリズムは不規則に停滞しがちで、作品としての完成度は高くないかもしれない。それでも、そこから伝わる非人道的行為への怒りや悲しみ、作家としての罪悪感こそが、この小説の最大の魅力なのだろう。
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藤棚と柴犬

2024-05-06 10:31:59 | 日記

GWの頭に、柴犬凜ちゃんを連れて、藤沢市の引地川親水公園の藤棚見物に行ってきました。
引地川親水公園の藤棚を見に行くのは、ここ数年の我が家の恒例行事になっています。
しかし、去年に続き、今年も天候と開花のタイミングに恵まれず・・・。
それなりに綺麗ではあったのですが、近年では一昨年見に行った時が行楽日和で藤の開花と躑躅の開花のタイミングもピッタリ合っていて、素晴らしい景観だったのです。その記憶と比べるとやっぱり残念な気持ちになってしまいます。この日来ていた他の見物人も同じことを言っていました。


まずは、園内奥のサツキの傾斜のある藤棚へ。


躑躅の道が続きます。












サツキが終わりかけで少し寂しい感じです。躑躅はまだ綺麗でしたけど。
一昨年は、真っ赤な綴地絨毯の向こうに、これまた花房のたっぷりとした藤棚が見えてとても綺麗でした。またああいう感じのが見たいです。




















藤と凜ちゃん。


遊具広場の自販機で、アイスとクッキーを買って、プチお茶会。


ロング藤棚も花が終わりかけだったり、まだ咲く前だったりして、全体的にスカスカな感じでした。こちらも開花のタイミングが良ければ、もっと綺麗なのですが。




























それはそれとして、今回はコメガネも参加でお出かけできました。なかなか家族全員の予定が会うことが少ないので、みんなで遊べただけでも満足です。


園内でもおやつ食べたのに、ミスドのドーナツを買って帰りました。

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