青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

ひな祭りパーティ2017

2017-02-27 07:07:01 | 日記
今年の三月三日は主人の帰りが遅いので、週末にひな祭りパーティをしました。


ひな祭りケーキ。
桃の花をイメージして、クリームを食紅でピンクに染めました。クリームがピンクなので、フルーツは苺です。仕上げにアラザンを散らしましたよ。


ひな祭りご飯。
主菜は定番のちらし寿司。副菜は春なので春巻き。中は、ひき肉、春雨、もやし、タケノコ、シイタケです。小さいのは、おまけに作ったチーズ巻。娘の好物です。それから、豆腐の創作料理。すりつぶした木綿豆腐に卵白を混ぜ、味を調えてから、カニカマ、干しシイタケ、グリーンピースを加えました。蒸してから干しシイタケの戻し汁をベースに作ったあんをかけて出来上がりです。サラダは、水菜とプチトマト、雑穀、豆です。


我が家のお雛様です。毎年娘の部屋に飾っています。


娘の誕生祝の市松人形。


柳川土産の吊るし雛。
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遊戯の終わり

2017-02-23 07:07:25 | 日記
コルタサル著『遊戯の終わり』

コルタサルの作風は、他のラテンアメリカの作家と比べると泥臭さが少なく、洗練されている。それを読み易いと捉えるか、食い足りないと捉えるかは、読者の好み次第だろう。

収録作は、三章に分けられている。
Ⅰ:「続いている公園」、「誰も悪くない」、「河」、「殺虫剤」、「いまいましいドア」、「バッカスの巫女たち」
Ⅱ:「キクラデス諸島の偶像」、「黄色い花」、「夕食会」、「楽団」、「旧友」、「動機」、「牡牛」
Ⅲ:「水底譚」、「昼食のあと」、「山椒魚」、「夜、あおむけにされて」、「遊戯の終わり」

異界と繋がるには、通常それなりの場所と手続きがいる。
それは、古びた城や屋敷だったり、伝統ある学校の寄宿舎だったり、逢魔が時の路地裏だったり、華やいだ祭の雑踏だったり、色々だけど。そんな特殊な場所に、特定の時間と小道具、招かれるべき人物が重なると、異界の口は広がる。
多くの幻想小説は、そのルールをふまえて書かれている。
だから、ポーにしてもブラックウッドにしても、読者はこの先何かが起きることをある程度予測して読むことが出来る。

ところが、コルタサルの作品には予兆が無い。
前触れも改行も無く、現実世界と異界がするりと繋がっている。それは、特殊な場所、選ばれた人々にのみ起る希少な現象ではない。普通の人々が極めて自然に道を逸れてしまうのだ。何処で道を踏み外したかが分からないから、戻って来られない。サラリと書き流しているようでいて、恐ろしく巧妙な仕掛けが施されている。読み終わってから、出だしと結末の想定外の乖離に気付いて、「どうしてこうなった?」と途方に暮れてしまう。

コルタサルには、他のマジックリアリズムの旗手たちのような強烈なインパクトはない。緩やかで淡々とした筆運びは、一読すると没個性的だ。その薄さこそがコルタサルの個性ともいえる。

最も印象的だったのが、「誰も悪くはない」。
完成度が高すぎて、感想を述べるのに勇気がいるくらいだ。
“セーターを上手く着られなくて妻との待ち合わせに遅れそう”という、馬鹿馬鹿しい日常の一コマが、何故か出口の見えない悪夢と繋がってしまう。
何処かへ逃げよう、そう考えて、十二階の窓の外へ。彼は毛糸に絡まったまま、どんな世界へ落下していったのだろうか?

「河」は水死体にまつわる幻想譚。
ベッドに眠る〈ぼく〉の隣に横たわる妻の髪がどうしたことか水で濡れていて、もう手遅れだと悟る話。
妻は今、桟橋の石の上に横たえられ、その周りを靴や話し声が取り囲んでいる。彼女は髪をびっしょり濡らして、目を見開いたまま、あおむけに横たわっているのだ。

「水底譚」もまた、夢と水死体の話。
夢に出てきた自分の水死体を、友達と一緒に砂州まで見に行くのだ。
得体の知れないなにものかが桟橋をよじ登ってくる。立ち上がったそいつの体にはごみくずがいっぱいついていて、魚に齧られた痕まで見える。そいつが〈ぼく〉を水底に引きずり込もうとするのだけど、そいつはきっと〈ぼく〉なのだろう。

「山椒魚」は、水槽にいる山椒魚に心惹かれて通い詰めるうちに、意識が山椒魚に乗り移ってしまう話。
山椒魚になった〈ぼく〉は水槽の中から、ガラスに押し付けられた彼の顔を見る。〈ぼく〉は彼という人間を知っている。〈ぼく〉は彼自身でありながら、しかも自分の世界の中にいるのだ。以前、彼はよくここに来ていたが、最近はあまり来なくなった。最初のうち、〈ぼく〉たちは互いに意思を疎通し合っていたけれど、今では人間としての彼と、山椒魚になった〈ぼく〉との間に渡された橋は絶たれてしまった。それでも、いずれ彼が〈ぼく〉たちについて、山椒魚について、このような物語を書いてくれるだろう、そう考えることが〈ぼく〉の慰めになっているのだ。

「遊戯の終わり」は、思春期独特の脆く移ろい易い心の動きを瑞々しく描き出している。
三人の少女は、毎日のように線路際で《彫像ごっこ》を楽しんでいた。しかし、一人の少年が車窓から手紙を投げ寄越すようになってから、彼女たちの間に亀裂が生まれる。誰が悪いわけでもないのに辛い結末で胸が痛くなるのだが、それが思春期の少年少女なのだろう。
誰もが子供の時には持っていて、成長の過程で必ず失ってしまうキラキラした感情。「殺虫剤」も似たような傾向の作品だが、暴力性が無い分、こちらの方が読後の寂寥感が深かった。
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オーランドー

2017-02-20 07:05:05 | 日記
ヴァージニア・ウルフ著『オーランドー』

エリザベス朝から20世紀まで生きてきて、1928年に36歳、途中で男性から女性に変身したオーランドー。彼/彼女は、何者なのか?

本作の最大の特徴は言うまでもなく、男性から女性への変身である。その両性具有性には、フェミニズム的な価値観を認めることが出来る。オーランドーの両性具有が、最初から男女両性の完全性を備え、己の意思で使い分けているのではなく、時代の影響で変化した点には留意したい。

『オーランドー』は、〈伝記作家〉ヴァージニア・ウルフが、両性具有の詩人オーランドーの360年の人生を紐解く伝記という体裁で綴られている。
オーランドーは詩人である。エリザベス朝以来いつも書いている。オーランドーが書き続けた「樫の木」は、過去の英文学の歴史と伝統があってこそ生み出された現代詩であり、伝記『オーランドー』は、英文学史のパロディである(著名な作家がぞろぞろ出てくる)と同時に、一人の詩人の精神的成長の物語でもあるのだ。

奇書、と言ってよいだろう。非常にややこしい内容なので、まずは頭の整理のために筋を纏めておきたい。

【第一章】
オーランドーは、エリザベス朝のイングランドに生まれる。
菫色の瞳をした美少年のオーランドーは、エリザベス一世の寵臣となり、女王に薔薇水の鉢を捧げた。
数々の女性と浮名を流したオーランドーは、ロシア皇女マルーシャ・スタニロヴスカ・ダグマール・ナターシャ・イリアナ・ロマノヴィッチと知り合う。彼は皇女をサーシャと呼び、熱烈に愛した。婚約者のいる彼とロシア皇女との交際はスキャンダルとなる。サーシャという呼び名は、彼がかつて飼っていた狐と同名だったが、このロシア皇女はまさしく狐のごとき性質の女性だった。大洪水と大寒波の日、オーランドーはサーシャに裏切られる。

【第二章】
権力者たちの不興を買ったオーランドーは宮廷を追放される。
失意の彼は館に引きこもり、七日間の眠りの後目覚めて悲劇を書きまくる。創作熱に憑りつかれた彼は、わが民族最大の詩人となり、わが名に不滅の光輝を添えてみせるぞ、と誓う。館に人気作家ニック・グリーンを招き、批評を乞うために自作の悲劇を手渡すが、グリーンに風刺詩のネタにされ、徹底的にコケにされてしまう。
オーランドーは、再び失意のどん底から立ち直ると今度は屋敷を大改装し、近隣の貴族郷士を招いて華々しき饗宴を始める。そんな生活の中でも少年時代から書き続けてきた「樫の木・詩」のノートは、書いては消し消しては書いて大切にし続けるのだった。
せっかく生活を立て直したというのに、今度は変な声で笑う長身・馬面のルーマニア皇女ハリエット・グリゼルダに付きまとわれてしまう。ハリエットの行動は悪質なストーカーそのものであるが、オーランドーは立場的に強く抗議することが出来ない。万策の尽きたオーランドーは、特命大使としてコンスタンティノープルへ派遣していただきたい旨、チャールズ二世に願い出る。

【第三章】
トルコに派遣されたオーランドーは国家的公のレベルで極めて重要な役割を果たす。
また、私生活でも様々な逸話を残した。そして、ジプシーの血を引く踊り子ロジーナ・ペピータとの間に子供をもうける。
暴動のさなか、七日間の昏睡状態に陥ったオーランドーは、目覚めると30歳の女性になっていた。腰にピストルを二挺はさみ、エメラルドと真珠の首飾りを数連身体に巻き付けた彼女は、痩せ犬一匹を連れ、驢馬にまたがり、ジプシーの集団に身を投じてコンスタンティノープルを後にした。
ジプシーとともに旅を続けていたオーランドーであったが、ペンとインクの無い生活や、ジプシーとの価値観の違いから、望郷の念やむなくやがてイギリスに帰国する。

【第四章】
当世風の婦人服一式を纏ったオーランドーは、女性としての人生を謳歌する。
オーランドーは、男性だった頃の自分も含めた世の男性たちが、女性たちに対して一方的に押し付けてきた男女観に批判的になる。

「わたしたちにはアルファベット一つ教えようとしないくせに、自分たちは知識で完全武装してる」
「女性の暗き衣なる貧しさと無知を身にまとうている方がよい、この世の支配統制は男性族に任しといた方がよい、武勲の野心、権力愛その他あらゆる男性的野望なんかご免蒙りたい、そして、人間精神最高の歓び、つまり瞑想と孤独と愛を満喫するのだ」

しかしながら、この価値観の変革も法律の前では無力であった。
ブラックフライアーズの館についた途端に、オーランドーは自分が告訴されており、主たる訴訟三件及び数え切れぬほどの派生関連小起訴の被告であることを告げられる。
当時のイギリスにおいては女性に財産の相続権はなかった。つまり女性となったオーランドーは男性としては死亡したことになり、父の遺産を継ぐ権利を失ったということになるのだそうだ。ロジーナ・ペピータとの間に設けた三人の男子は、父(つまりオーランドー)の死亡にあたり、その全財産の相続権を主張しているのであった。
更に頭の痛いことに、オーランドーの元にあのハリエット皇女がまた押しかけてくるようになった。しかも、ハリエットは実は男性で、男性だったオーランドーに恋したために女装して求愛していたのだという。女性となったオーランドーに対して、ハリエット皇女はハリー大公として、ぬけぬけと求愛の仕切り直しをする。面白くないオーランドーは、ゲームでわざといかさまをしたり、大公の服の中に蟇蛙を入れたりして、大公が怒るように仕向ける。オーランドーは、人生と恋人探しのために社交界に出入りするようになる。そこで、アディソン、ポープ等と知り合い、文士達のパトロンとなった。

【第五章】
19世紀のオーランドーは、ヴィクトリア朝独特の時代精神に染まり、気の抜けた詩句しか書けないようになる。
周囲の人々の中で、自分だけが結婚指輪をしていないことに動揺したオーランドーは、結婚願望を強く抱くようになる。やがて荒野で知り合った海の男マーマデューク・ボンスロップ・シェルマーダインと婚約をする。チャペルで挙式すると、南西風とともに海に去る夫を見送った。

【第六章】
館に戻ったオーランドーは、航海で不在がちな夫との関係に悩みつつも創作に励む。
およそ300年ぶりに再会したニコラス・グリーンに託した「樫の木」の詩稿は、7版も重ね、バーデット・クーツ記念賞を受賞した。
もう20世紀だ。オーランドーは、1588年ごろに知った樫の木の根元に「樫の木」の本を埋めようとするが、埋めずに地面に落ちたままにしておいた。男子を出産し、36歳になったオーランドーは自分で車を運転し、立派な船長になった夫シェルを迎えに行った。1928年10月11日、木曜日の真夜中である。

物語の中でおよそ360年の時が流れているが、オーランドーは最後の章でようやく36歳だ(男から女に変身したのは30歳)。つまり、オーランドーは10年に1度しか歳をとらないのである。
オーランドーとは、ウルフの同性の恋人ヴィタ・サックヴィル及びサックヴィル一族の集合体である。オーランドーの性転換は、ヴィタに一族を収斂させるための仕掛けと考えられる。なお、36歳は『オーランドー』が発表された当時のヴィタの年齢である。
挿入された肖像のうち、英国に戻ったオーランドー、1840年頃および現在のオーランドーは、ヴィタの写真である。残りのオーランドーの肖像は、過去のサックヴィル家の人々の肖像画だ。『オーランドー』は、サックヴィル家の年代記でもあるのだ。

一人の詩人の伝記という体裁をとりながら、英文学史のパロディであり、サックヴィル家の年代記でもあり、さらにはウーマンリブ論も内包している。ファンタジック・ロマンスとして気軽に楽しむことも可能だ。男オーランドーとサーシャの恋と、女オーランドーとハリー大公の恋との対比にフェミニズムの匂いを感じることも可能だろう。もっとも後者は恋と言ってよいのか疑問なほどのディスコミュニケーションぶりだったけど。それから、シェルの存在感の薄さにも何か理由があるのかもしれない。
半端ではない情報量と幾層にも重ねられた仕掛けによって何度読んでも新たな発見が得られる傑作である。
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金柑の甘露煮

2017-02-16 07:08:20 | 日記
庭の金柑を収穫しました。
我が家の金柑は、日当たりの悪い場所に植えているせいか、なかなか黄色くなってくれないのですが、甘く煮てしまえば問題ありません。


まずは洗ってヘタを取ります。


半分に切って、種を取り除きます。
ヘタを取った段階では綺麗に見えた実も、割ってみると中が傷んでいるものが結構あります。


三温糖・蜂蜜・みりん・レモン汁に水を適量入れて、灰汁を取りながらコトコト煮ます。
この間、家中が甘酸っぱい匂いで満たされるのが嬉しいです。
火を入れる前は青かった実も、出来上がる頃には綺麗な金色になります。冷ましてから、煮沸したガラス瓶に詰めました。そのまま食べても良いし、お菓子の材料にしても良いです。


とりあえずクッキーの生地に混ぜてみました。
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バレンタインデー2017

2017-02-13 07:14:18 | 日記
バレンタインデーは明日ですが、平日は主人の帰りが遅いので、日曜日にバレンタインデーのお菓子を焼きました。


チョコレートケーキは、溶かしたチョコレートでコーティングした後、ココア入りホイップクリームと缶詰のフルーツで飾り、側面にアーモンドダイスをふりかけました。


うずまきクッキーも焼きました。
アーモンドプードルを混ぜて、サクサクに仕上げましたよ。


娘はココア入りの生地を猫の型でくりぬきました。


猫クッキーです。
お友達と交換する約束をしているそうです。
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