青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

ハロウィンと秋薔薇(大船フラワーセンター)

2020-10-30 08:48:07 | 日記

明日はハロウィンですね。
それに合わせて、先週大船フラワーセンターで撮ったハロウィン装飾と秋薔薇の画像をアップします。














本館前の広場は、ハロウィンらしい飾りつけにあふれていました。


植物園らしく、ハロウィンに合わせて「こわい植物展」も。






見た目が不気味な植物や毒を持っている植物が展示されていました。


キンギョソウ。
ヒラヒラした花びらが可愛いキンギョソウですが、種を包んでいる殻は小人のガイコツみたいな形をしていて不気味です。


リトープス。
触ると磨き上げられた小石みたいにスベスベしていました。




芝生広場のおばけカボチャは、先月から展示されていたのですが、この日は人が多すぎて近くで写真を撮れる雰囲気ではありませんでした。
先月のうちに来ておいて良かった。


先月撮ったおばけカボチャ。9月28日にブログに載せた画像の縮小再掲。
まだ、秋薔薇もハロウィンもシーズンではなかったので、人が少なかったです。

一通りハロウィンの空気を楽しんでから、この日の本命、バラ園へ移動しました。


大船フラワーセンターのバラ園は、中央の休憩所を中心に原種、オールドローズ、四季咲きのモダンローズ、つるバラなど、約370品種、1200株が植栽されています。
先月訪れた時には、春咲きのバラがまばらに残っていただけで寂しかったバラ園も、この日は秋咲きが見頃を迎えていて、大変華やかでした。


















































































































私たちが大船フラワーセンターの中に入ったのは9時過ぎでした。
なので、バラ園に到着したのは10時前だったと思うのですが、すでにそこそこの人出でしたよ。
時間の経過とともに、加速度的に混雑が増してきたので、早目に廻っておいて良かったです。




バラを浮かべた水鉢は、園内に四つか五つ置いてありました。
全部花の色の組み合わせが違っていて可愛かったです。


バラ園を出てから、レストハウスへ移動。


バラのソフトクリームとラムネを買って休憩しました。

その後、大船フラワーセンターを後にすることにしたのですが、本館の出入り口前に行ってみたら、チケットを購入する人達でものすごく混雑していてビックリ。この日は売店に寄るのは諦めました。
多分、この時11時半くらいだったと思いますが、本当に早目に入退場して良かったなぁと。あの混雑では、きっとバラ園でろくに写真も撮れなかった……。
駐車場も駐車待ちの列が出来ていましたよ。
私たちが入園前に駐車したのは9時ごろで、その時にはまだ充分空きがあったのですが。イベント期間中は、早目に来て早目に帰るのが吉ですね。
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娘誕生日2020

2020-10-27 09:04:32 | 日記

娘コメガネ、24日に14歳になりました。
相変わらず、甘えん坊で大きな赤ちゃんみたいな女の子です。でも、この前一緒に『プラダを着た悪魔』を観てから、「私もダイエットをしようかな」と言うようになりました。
……とか言っているそばからテーブルいっぱいにお皿を並べていますが、お誕生日会は特別ということで。

今回のメニューは、コメガネのリクエストで、エビマヨ、春巻き、カボチャサラダ、お刺身、パイナップルのデコレーションケーキです。


パイナップルのデコレーションケーキ。


スポンジが焼けた直後です。
メレンゲに薄力粉を投入する時に、うっかり一編に入れてしまったので、膨らむか心配しましたが、巧くいきました。


十分に冷ましてから、半分に切って、下半分に生クリームを塗り、パイナップルを並べ、その上に上半分を被せます。その後、ナッペをして完成。
生クリームが緩いと口金から綺麗に出てこないので、少し冷凍庫に入れおいたら、今度は固くなりすぎたようで、やっぱりうまく絞れないのでした……。


エビマヨ。


春巻き。
具は、豚肉、春雨、タケノコ、シイタケです。


カボチャのサラダ。
カボチャのほかに、サツマイモ、ゆで卵、チーズが入っています。味付けは、マヨネーズと塩、コショウ。


お刺身。
コメガネの好きなネタだけを並べました。


飲み物は、コメガネがオレンジジュース、夫と私は自家製梅酒のソーダ割です。



誕生日プレゼントは、ワンピース二着です。
二着とも淡い色なので、ベージュか茶色のベルトが似合うかな。


コメガネは、ミントグリーンのパネル柄の方が特に気に入ったようです。
裾がクレーになっているのがアクセント。普段は子供っぽいコメガネも、この服を着るとちょっと大人っぽい印象になります。
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鎌倉文学館の秋薔薇と「川端康成 美しい日本」展

2020-10-23 08:44:20 | 日記

水曜日に鎌倉文学館に行ってきました。
目的は、今が見頃の秋薔薇と、開館35周年記念の特別展「川端康成 美しい日本」展です。
鎌倉文学館は、去年の五月に「三島由紀夫 豊饒の海」展に行って以来、約一年五ヵ月ぶり。そこそこ近くに住んでいるのにこんなにも期間が開いてしまったのは、コロナ自粛の影響ではなく、単に私が出不精なだけです。今回も一緒に行ってくれる人がいなかったら、見送っていたかもしれません。
今回の同行者は、鎌倉文学館に行くのは初めて。
それどころか、江ノ電すら乗ったことがなかったそうで、車中では江ノ電独特の沿線の民家との距離の近さを面白がっていました。


由比ヶ浜駅から徒歩約7分。
鎌倉文学館に到着。門の向こうに見えるトンネルを抜けると、毎回少し別の世界に足を踏み入れた気持ちになります。短いトンネルですが、空気を冷たく感じるのですよね。


まずは薔薇園へ。
この日は平日でしたが、年配の方々や校外授業らしき女子高生たちで賑わっていました。






















































鎌倉ゆかりの「鎌倉」「静の舞」「流鏑馬」といった品種から、フランスやドイツから齎された薔薇など、約200種、250株の薔薇を楽しむことが出来ます。
秋薔薇は春薔薇に比べて地味だと言われていますが、この日は天気が良かったこともあってとても華やかに感じました。

薔薇鑑賞のあとは、文学館館内へ。




この館は、旧前田侯爵家の別邸です。
館内は撮影禁止なので写真を残すことが出来ませんが、彫刻を施された扉やステンドグラスをはめ込まれた丸窓などが上品な豊かさを醸し出しています。
さすがに、三島由紀夫が『春の雪』の松枝侯爵家の別荘「終南別業」のモデルにしただけのことはありますね。






テラスから見る庭園と、その向こうの海です。
鎌倉文学館の敷地は、鎌倉の地形の特徴である谷戸の一つを占めています。三方を山に囲まれ、前面のみが海に向かって開けているのが技巧的で面白いです。
借景と言うのとはまた違いますが、周囲の風景すべてを計算の内に入れて建築されたのですね。

その後は、特別展の部屋へ。
「川端康成 美しい日本」展は、二部屋に分かれていました。
鎌倉市名誉市民の川端康成は、昭和10年から長谷に住み、この地で『雪国』『千羽鶴』『山の音』など多くの作品を発表しました。
今回の企画展では、川端の原稿や手紙、愛用の文房具や日用品、川端が蒐集した美術品などが展示されています。それらの品々を通し、川端の愛した「美」と「日本」について紹介しています。
太宰治の「晩年」、中原中也の「山羊の歌」の献呈署名本は、今回が初公開なのだそうですよ。
それと、ノーベル文学賞のメダルも展示されていました。


川端展を見学後、鎌倉文学館を退館しました。
トンネルをくぐってまた、日常に還ります。


少々歩き疲れたので、途中のカフェで休憩。
チーズケーキやプリンも美味しそうだったのですが、二人して同じ洋梨のタルトを注文しました。見た目がとても綺麗だったので。




その後、江ノ電に乗って藤沢に戻りました。
少し遅めの昼食は、中華料理です。すごいボリューム、お昼から全力で食べてしまいましたよ。
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息吹

2020-10-16 08:34:58 | 日記
『息吹』は、テッド・チャンの第二短編集。
「商人と錬金術師の門」「息吹」「予測される未来」「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」「デイジー式全自動ナニー」「偽りのない事実、偽りのない気持ち」「大いなる沈黙」「オムファロス」「不安は自由のめまい」の9編と、テッド・チャン自身による作品ノートが収録されている。

テッド・チャンは、たいへん寡作な作家だ。
1990年に「バビロンの塔」で商業デビューして以降、現在までに出した本は、第一作品集『あなたの人生の物語』とこの『息吹』の二冊のみ。『あなたの人生の物語』と『息吹』の間は17年空いている。
テッド・チャンの熱心な読者は、常に彼の新作に飢えていることと思う。
が、私個人としては、この作家とは緩く長く向き合っていたいので、このくらいのスパンでの新刊発行で丁度いい。同じ作品を何度も読み直したくなる稀有なSF作家だ。

SFを読み慣れていない私には、『あなたの人生の物語』同様に、脳の普段使わない部分を使う読書体験となった。
進化論や量子力学などについてある程度の知識が無いと(私には無い)理解しにくい作品集だが、そこまで敷居が高い訳でもない。
訳者あとがきに、SFマガジン(2010年3月号)のインタビューで、テッド・チャンが、“「息吹」は、ボルヘスの短編「バベルの図書館」のやり方を踏襲したつもり”と述べたことが取り上げられている。

「バベルの図書館」は、我々の住む世界とは全く別の世界を舞台にしている。
いや、「バベルの図書館」に限らず、ボルヘスの作品の殆どが、もっと言えば、ラテンアメリカのマジック・リアリズムの殆どが、当たり前のように我々の住む世界とは別の世界を舞台にしており、我々の世界では有り得ない事が、その世界の住人には日常の出来事として受け入れられている。読者も、「誰がこの世界を作ったの?」とか「なんでこの世界の常識はこうなっているの?」などとは思わない。そこに違和感を覚える人には、このジャンルは向いていない。

テッド・チャンは、「息吹」に対して、SF読者から、それと同じような反応を期待していたという。
だが、SF読者の中には、「息吹」の宇宙を誰が作ったのか質問する人はいたそうだ。どうやら、SF読者は作品内の世界の成り立ちについて、明確な説明を期待するものらしい。そこがボルヘスの読者とは違う。
多分、私がSFについて敷居が高いと感じてしまうのは、SF作品そのものより、SF読者のそのような姿勢のためなのだろう。
私などは相当突飛な設定でも、「この作品の中では、それが普通なんだろう」と、秒で納得してしまうので、SF読者が求めているような謎解きへの欲求は希薄だったりする。

テッド・チャンは、『あなたの人生の物語』の頃から、SF的センス・オブ・ワンダーより、親子間の情とか自分の人生とどう向き合うか、自由意志は存在するのか等、心の問題の方に重心を置いているように感じていたので、私の中ではとっつき易い部類(理解出来ているとは言わない)のSF作家だった。
で、この度、『息吹』のあとがきで、テッド・チャンがボルヘスを意識していたことを知って、彼に対する親近感は急上昇したし、ある種の免罪符を与えられた気にもなったのだ。

そんな私なので、『息吹』の中で一番刺さったのは、「商人と錬金術師の門」だった。
殆どのタイムトラベル物語が、過去を変えられることを前提に描かれているのに対し、この物語は、過去を変えられないものとして描かれている。
SFとアラビアンナイト的世界を融合させたこの作品は、あらゆる意味で未知の世界観であるにも関わらず、どこか郷愁を感じさせる芳醇な味わいの物語だった。

物理学者キップ・ソーンの、“相対性理論と矛盾しないタイムマシン”というアイデアを取り入れれば、映画や漫画でありがちな乗り物タイプや転送装置タイプのタイムマシンの持ついくつかの疑問(地球の動きはどうなるのかとか、未来からの訪問者がなぜ一度も目撃されていないか等)をクリアすることが出来る。
ソーンのタイムマシンは、“時空の虫食い穴”と呼ばれるワームホールを利用することで時間移動を実現させる。
このタイプのタイムマシンは、一対のドアみたいなもので、二つのうちの片方を光速に近い速度で移動させてから元に戻すと、ウラシマ効果によって時間が遅れ、二つのドアの間で時間の差ができる。そのため、片方から入ると過去へ、もう片方から入ると未来へ移動出来る、ということらしい。
さらに、ソーンは、このタイムマシンでは過去は変えられないこと、自己矛盾のない単一の時間しか存在しないことを、数学的な分析によって示した。
ちゃんと理解出来ているか些か心許ないが、とりあえずは、ソーン式タイムマシンが、過去を変えられないということさえ押さえておけば、この物語を読むことは出来る。

“この世にはもとにもどせないものが四つある。口から出た言葉、はなたれた矢、過ぎた人生、失った機会だ”

舞台は中世のバグダッド。
ある商人が錬金術師の店を訪れる。錬金術師は商人に〈門〉を見せる。この〈門〉の両側は、20年の歳月で隔てられており、これを通ることで過去と未来を行き来できるという。

錬金術師は、〈門〉に関心を示した商人に、かつてこの〈門〉をくぐった三人の人物の物語を語って聞かせる。
三つの物語――「幸運な縄ないの物語」「自分自身から盗んだ織工の物語」「妻とその愛人の物語」は、それぞれ独立した物語のように見えて、互いに影響しあった三部作でもある。
主人公たちは、それぞれ20年後の自分と出会い、〈門〉をくぐらなければ知ることのなかった知識を得て、現在に戻って来ている。しかし、だからと言って、彼らの人生が、未来を知る前とは別のものになることはなかった。過程が変わっただけで、到達点は変わらなかったのだ。

商人はこれらの物語、特に三番目の「妻とその愛人の物語」に心を捉えられた。
この物語が示しているのは、過去を変えることが出来なくても、過去を訪ねて思いがけない事実に出会うことはあり得るということだ。
商人が行きたいのは、未来ではなく、過去だった。
彼は過去に大きな過ちを犯しており、その後の人生を悔恨にくれながら生きてきたのだ。三つの物語の主人公たちとは反対の側から〈門〉をくぐれば、自分の若いころを訪ねることが出来るのではないか?

しかし、錬金術師が言うことには、この店の〈門〉を作ったのは一週間前なので、20年前のこの場所には、商人が出られる戸口は無い。あと20年ほど経てば、〈門〉の左側から中に入れるようになるから、商人が自分の過去を訪ねることが可能になるのだが、今は無理だ。
さらに、錬金術師は、すでに起きてしまったことを無かったことには出来ない。また、既に経験した苦難を避けることも出来ない。アラーがお与えになった試練は、受け入れなければならないと諭す。
それでも、商人の思いつめた様子を見て取ると、カイロの息子の店にある〈門〉なら20年前に行くことは出来るから、息子が商人に力を貸すように手紙を書こうと申し出た。

こうして、商人はカイロまで旅をして、〈門〉を使って20年前のカイロに赴き、そこからバグダッドに戻るというタイムスリップを経験することになる。

テッド・チャンは、この作品について、作品ノートに「個人的には、過去を変えられないことがかならずしも悲しみに直結しないようなタイムトラベルものが書いてみたかった」と記している。
未来についての情報を得ても、未来を変えることは出来ない。変えられるとしたら、未来についての情報を得たことにならない。それと同じことが、過去についても言えるということだろうか。

作中で、錬金術師は、過去と未来は同じだ、という意味の言葉を度々述べ、その点について商人も疑問や不満を述べていない。そして、その通りに、たいそう手間のかかる旅をしたのに、商人は過去のあやまちをやり直すことが出来なかった。
それでも、商人は、自分の過去のあやまちを再訪し、どのような癒しであればアラーがお赦しになるかを学ぶ機会を与えられたことは、計り知れないほど幸運だったと言う。
過去は変えられない。だが、過去について、知らなかったことを知ることは出来る。そのことが救いに繋がる。変えられない過去を受け入れることは、諦念とは似て非なるものなのだ。
理解しようと努力することにこそ意味があるというメッセージが、この物語の印象を明るいものにしている。

“なにをもってしても過去を消すことはかないません。そこには悔悛があり、償いがあり、赦しがあります。ただそれだけです。けれども、それだけでじゅうぶんなのです。”

テッド・チャンは、タイムマシンの理論とか、タイムトラベルという行為そのもの以上に、それらを舞台装置として、未来あるいは過去の情報を得られた場合、その人物がどうふるまうのかを突き詰めたかったのではないか。
このテーマは、「あなたの人生の物語」と共通している。「あなたの人生の物語」が気に入った読者は、きっと「商人と錬金術師の門」も気に入ることだろう。『息吹』収録作の中では、「予期される未来」もまた、このテーマを扱っている。

物語の中で物語が語られる入れ子構造が、『アラビアンナイト』の構造と共通していたり、運命の受容というイスラームの基本的な教義が、キップ・ソーンのタイムマシンの理論と案外相性が良かったりして、SFと言われなければ、一つの寓話として受け止めることも可能なエキゾチックな魅力溢れる物語だった。

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手作りおはぎとジャンボ・ホットケーキ

2020-10-13 09:02:17 | 日記
めっきり冷え込んできました。夜は長袖を着ていないと寒くて敵わないです。
なのに、夫は未だに半袖で暑がっていて、隙あらば窓を開けようとするのでちょっと困っています。


お彼岸からだいぶたってしまいましたが、夫がおはぎを作ってくれました。
私が作るのより、だいぶ小さめの可愛いおはぎです。私の方が手は小さいのですけどねぇ。私が作ると、おはぎもおにぎりもジャンボサイズになってしまいます。


ジャンボと言えば、週末、お昼ご飯兼おやつに焼いたジャンボ・ホットケーキ。
中途半端に余っていた強力粉を消費したくて大き目に焼きました。
粉類は出来るだけ早めに使い切りたいのですが、強力粉ってなかなか減らないんですよね。

サイズは直径約24.5㎝です。


厚さは約4㎝です。
大きく分厚く焼けて満足。

強力粉を混ぜると、薄力粉だけで焼くより生地がしっかりして焼き易い気がします。
焦げないように弱火で時間をかけて火を入れました。
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