青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

結婚記念日2023

2023-10-31 08:20:12 | 日記
私達夫婦の結婚記念日は10月31日です。


今年の結婚記念のお祝いは、日曜に藤沢のうなぎ料理・ふぐ料理専門店「一幸」で行いました。
私達が「一幸」に行くのは二回目で、前回はテーブル席に通してもらいましたが、今回は座敷を選びました。
人気店らしく開店前からたくさんのお客さんが並んでいました。




人のいない隙を選んで外側を撮影。


表からはそんなに大きい建物に見えませんが、中に入るとかなり奥行きがあり、座敷の数も多いです。


店内はどの座敷もお客さんが使っていたので、自分たちが通された座敷以外は撮影しませんでした。
上はパンフレットの画像。

私達が通された座敷は二組用で、衝立の向こう側は七五三祝いの人たちが使っていました。










テーブルとか床柱のゴツゴツ感がすごい。
テーブルが大きくて、ゆったり使えました。この座敷だけでなく、お店全体が落ち着いた雰囲気で居心地が良かったです。

以下、頼んだお料理です。






鰻重。
肝吸い、胡麻豆腐、お新香つき。
写真を撮り忘れましたが、あとからオレンジが運ばれてきました。
このお店の鰻重はご飯が少なめで、食べやすいです。
肝心の鰻は外側がパリパリ、中がふっくら、脂っこくなくて上品なお味でした。


兜のつくね。
骨ごと粉砕しているのか、ジョリジョリした食感がアクセント。面白い物を食べた感じでした。


肝焼き。
大げさでなく、これまで食べた肝焼きの中で一番美味しかったです。
苦みが少なくて、ふっくらした舌触りでした。


特海老天。
うちは海老天しか頼みませんでしたが、天重、天麩羅定食、天麩羅の盛り合わせもお品書きにあります。

これだけ食べたのでお腹いっぱい。
すべてのお料理がとても美味しくて、胃袋に余裕があったら頼みたかった一品料理がまだまだありました。

それと、同室の団体が先に退室したのですが、店員さんの下膳時の拭き上げが丁寧で好感が持てました。こういうご時世ですから、飲食店には清潔感を求めますね。

帰りに同じく藤沢の「とろわふれーる」で、ケーキを購入。


ハロウィンなので、南瓜のタルト。


後ろ姿も可愛い。


カットしても可愛い。

プレゼントは二人ともお洋服。


夫。
彼の服は、黒、灰、紺が多いので、今回はあまり選ばない色の服にしてみました。
一階の日当たりが悪いので、画像が実物と少し異なる色になっていますがバーガンディです。


私。
私のワンピースは、娘コメガネから「お母さんっぽい」と言われました。
大きな花柄はあんまり持っていないと思うのですが…。
コメント (2)

娘誕生日2023

2023-10-23 08:17:23 | 日記

24日に娘コメガネが17歳になります。
家族全員が集まれる日曜日にお祝いをしました。
コメガネのリクエストで、手毬寿司、春巻き、ポテトサラダ、ブルーベリーのチーズケーキです。


手毬寿司。


春巻き。


ポテトサラダ。


ブルーベリーのチーズケーキ。
18センチの型に入れたのですが高さがあまり出なかったので15センチの型で良かったかもしれません。


飲み物はバタフライピーのソーダ割。


今年の誕プレ。
ケーブル模様のニット、スマホケース、グレ カボティーヌ レモン EDT。
スマホケースの模様は刺繡です。


カボティーヌ レモンは、ボトルとパッケージも可愛くて、コメガネ大喜び。
コメント (2)

『恋と夏』ウィリアム・トレヴァー

2023-10-19 08:22:02 | 日記
舞台は20世紀半ば過ぎのアイルランドの田舎町ラスモイ。
修道院付属の孤児院で育った孤児のエリーは、修道院の斡旋で、事故で妻子を喪ったディラハンの農場で働き始め、数年後に彼の後妻となる。
恋愛を知らないまま、心優しい年上の夫と穏やかな日々を重ねるエリー。
だが、彼女はある夏、カメラマンの青年フロリアンと出会い、恋に落ちる。

こう説明すると、ひどく陳腐なラブストーリーと取られかねない。
実際、本筋だけ見れば単純な恋物語だ。『恋と夏』というタイトルからも、エリーの恋が儚いことが容易に想像できる。
だが、このありがちなテーマも、登場人物の日常生活の積み重ねや、人と人との関わり合いが生み出す心情の意外な化学反応を丁寧に描くことで、奥行きのある美しい物語に変貌する。
どうしようもない下衆は出てこないが、みんな少しずつ狡かったり弱かったりする。そんな彼らのダメな部分を突き放すことなく、さりとて擁護することもなく、適度な距離間で描くことで、不倫の恋から奇跡的なくらい臭みを除くことに成功しているのだ。

背景には、トレヴァー作品ならではの、アイルランドにおけるプロテスタント(アングロ・アイリッシュ)とカトリックの力関係も垣間見える。
アイルランド史に詳しくない私だが、作中でアングロ・アイリッシュに属するフロリアンやセントジョン一族と、カトリックに属するディラハンやコナルティー姉弟は明確に対をなして描かれているので、没落する特権階級と隆盛する労働者階級の逆転劇として大雑把には把握できる。

物語は、ミセス・コナルティーの葬儀から始まる。
酒類販売許可のある店や石炭貯蔵所、「広場四番」の名で知られる下宿屋のオーナーで、町の住人達から一目置かれるミセス・コナルティーの家庭は複雑だ。
ミセス・コナルティーの二人の子供で双子姉弟の姉の方、ミス・コナルティーは、若い頃に妻子持ちの男と不倫の恋に落ち、子どもを中絶していた。それ以来、ミセス・コナルティーは娘を軽蔑し続け、娘と仲の良かった夫は家を空けるようになった末、映画館で火事に巻き込まれて死んだ。
そういうミセス・コナルティーの葬儀で、エリーは葬儀の様子を撮影している青年の姿を見つけた。見知らぬ顔だ。何者なのだろう。

写真を撮っていた青年の名は、フロリアン・ギルテリーといった。
フロリアンの母親はイタリア人の貴族で、父親はアイルランドに起源をもつ軍人の家系の出だ。
フロリアンはこの夏、両親の遺したシェルハナ屋敷を売り払う為にラスモイに戻ってきていた。今いじっている古いライカのカメラは父の遺品だ。
両親は画家で、一人息子のフロリアンにも画業につくことを期待していた。フロリアンの少年時代、毎年夏になるとシェルハナに滞在していた従姉妹のイザベラは、彼の手帳を見て作家になることを勧めた。
だが、フロリアンはそのどちらにもならなかった。才能の有無はわからない。ただ、フロリアンには何かを成し遂げる気概に欠けていることは事実だ。
「この子は自分がちょっと少ないの」生前の母は愛情をこめて我が子をそう評した。

フロリアンの覇気の無い生き方は、恋愛にも憂鬱な影を落としている。
フロリアンは少年時代からずっとイザベラを愛している。今でもだ。だが、彼らの間に親密な時が流れていた時期は遠い過去のことだ。
かつて、「あなたとなら、ほんとの自分でいられるわ」、「わたしたちはひとつのものが分かれた半分ともう半分なの」とまで言ってくれたイザベラは、フロリアンの両親の葬儀に来なかったし、手紙にも返信をくれなかった。

町の食料品店でエリーと再会したフロリアンは、自分から彼女に声をかける。
エリーの生い立ちを聞きたがり、彼女に同情を寄せ、彼女から恋情を寄せられているのを感じ取り嬉しく思う。二人は置手紙を使って密会するようになる。
逢引きの場所は、かつてこの地に住んでいたセントジョン一族のリスクィン屋敷の跡地だ。エリーは初めての恋に夢中になった。
フロリアンは、彼女の来し方を聞きたがった。
クルーンヒル孤児院での生活、孤児院を運営するテンプルロスの女子修道院で見聞きしたこと、ディラハンとの結婚について。そんな風に自分に興味を持ってもらえるのは初めての経験で、彼女は聞かれるままに色んなことを話した。
だが、エリーと会っている時にも、彼の心の片隅にはイザベラの面影があった。

フロリアンの姿を気に留めていたのは、エリーだけではなかった。
一人はミス・コナルティー。
弟のジョセフ・ポールから思い込みが激しいと言われる彼女は、母親の葬儀で見かけた不審な男のことを忘れなかった。
やがて男とエリーが二人で会っている姿を見かけるようになると、彼女はかつて自分を傷つけた不倫の恋を思い出し、エリーに自分を重ねた。そして、フロリアンを世間知らずのエリーを誑かすろくでなしと考え、エリーを守るためにフロリアンを排除しようと決意した。

もう一人は、オープン・レン老人。
オープン・レンは、現在と過去の両方に生きている。彼は遠い昔、セントジョン一族のリスクィン屋敷で、図書の目録係として働いていた。
アングロ・アイリッシュの富裕層だったセントジョン家は没落し、32年前にリスクィン屋敷は売りに出された。
オープン・レンが管理していた蔵書は家具とともに売られ、残った本も焚火に投げ込まれた。その後、建物は取り壊され、今は門の跡しか残っていない。
現在のオープン・レンは、貧者のための家賃無用の住居に住んでいる。それでも、オープン・レンは、セントジョン家の立派な屋敷について、今も存在しているかの口ぶりで話すのをやめなかった。

その日、オープン・レンは、見慣れない人物がラスモイの広場にいるのに気付いた。
その人はセントジョン家特有の背筋の通ったまっすぐな姿勢と自信にあふれた物腰を持っていた。きっとジョージ・フレディー様の孫息子だろう。一族がリスクィン屋敷去った後で生まれた人だ。洗礼名はジョージ・アンソニー。
オープン・レンは、ジョージ・アンソニーに声をかけた。最初のうち、相手は気づかなかったようだ。気づいた後もためらいを見せた。
その人物は、フロリアン・ギルデリーだった。この人違いが、エリーの初恋を思わぬ方へ運んでいく。

エリーの年上の夫、ディラハンは朴訥な農夫だ。
日に焼けた肌、赤みがかかった髪。顔つきや体の大きさからは肉体的な強靭さが感じられる。
働き者で気配りの利く彼は、住人達からも取引先からも信用が厚い。
親から受け継いだ農場を切り盛りしながら、故郷に根を張って生きていくディラハンの人生は、フロリアンの根無し草人生と正反対に位置している。

ディラハンは、エリーと前妻を比較しない。
彼女と再婚してからは、前妻と子供の写真はしまった。彼女の家事や野良仕事につねに感謝の言葉を口にし、彼女が退屈してないか気を配り、旅行を提案する。エリーが作るサラダを「夏のご馳走」と呼び、しょっちゅう出てきても手抜き料理と批難しない。

“あの人はわたしによくしてくれる。わたしが失敗してもうるさく言わない。まだ、ここのやり方が完全に身についていなくて、行き届かないところがあっても黙っていてくれる。”

ディラハンの人柄は、エリーが育った孤児院のように規律と良識で出来ている。だから、そばにいると安心するけど、瑞々しいときめきには欠ける。
エリーは時々、夫に向かって、フロリアンを愛していると告白したい衝動にかられる。だけど、それ以上にこの善良な夫を傷つけたくないと思う。

エリーとフロリアンの逢瀬の中で、ディラハンの妻子の事故について話が及んだ時、フロリアンはそんな悲劇の起きた家に若い女がいてはいけないと思った。
それを感じ取ったのかどうか、エリーはシンプルにこう言った。「恐ろしい場所というわけじゃないの。あることがそこで起こった、というだけ」

二人の恋は始まりの段階から終わりが見えているので、読者はこの点では緊迫しない。
読者の関心は、二人の恋物語の中で、ディラハン、ミス・コナルティー、オープン・レン等がどんな役割を演じるかに向くだろう。

フロリアンは、シェルハナに買い手がつけばアイルランドを去ると言う。
エリーはフロリアンについて行くつもりで、少しずつ家内の整理を始める。
夫が当面の間食事の支度に煩わされないように缶詰、チーズ、ベーコン等をため込む。荷物を入れるスーツケースを買う。
だけど、フロリアンは一人で去るつもりだ。
「あなたについていきたい。どこにでも」と言うエリーの言葉を聞きながら、彼はこんなことを考えていた。

“今、自分に押しつけられようとしていることに関わりたくなかった。自分ひとりでどこか遠くの新しい環境の中に入り、想像力の切れ端を集め、形のない、何もないところから、なんとかして秩序をつくりだす。そういう試みを何度でもやってみたい。自分がそう望んでいることは、今ではわかっていたが、それをどう言えばいいのか。イザベラから遠く離れたどこかのひっそりとした小さな町に部屋を借りて働き、会うこともない安全なところで、彼女を一生愛さないで済むように努力したい。非情で冷厳な真実を隠して耳に快い嘘をつくほうがずっと楽なのに、そのような告白をひと言でも口に出せるだろうか。もっとも「愛している」と言っていたら、一度でも言っていたら、こんな悩みではすまなかっただろう。”

そのくせ、エリーが訪ねて来れば、「もう少しだけいてほしい」と言ってしまう。フロリアンがエリーに求めたものは何だったのだろう。

夫から、オープン・レンが農場までやってきたと聞かされた時、エリーは肝が冷えた。
オープン・レンが告げたのは、ディラハンの妻がセントジョン一族の男と密会しているという話だった。
老人はフロリアンをジョージ・アンソニーだと思い込んでいるので、フロリアンの名は出てこない。老人が言うディラハンの妻とは、エリーのこととも前妻のことともとれる。

オープン・レンの頭の中で、昔セントジョン家の息子の一人エラドーが起こした人妻との駆け落ち騒ぎと、現在のエリーとフロリアンの不倫がごちゃ混ぜになり、そこにディラハンの妻子の事故死の記憶が重なって、恐ろしい物語が仕上がっていた。
老人の脳内で、セントジョン家の男たちは女癖が悪かったという事、ディラハンの不注意で前妻が事故死したという事、エリーとフロリアンが密会しているという事が、奇妙な化学反応を起こして、妻の不貞に気付いたディラハンが事故に見せかけて妻を殺したという結論に到達した。そして、それが町で噂になっていると、わざわざ告げに来たのだ。

ただでさえ、町に出ると人々の同情の視線が痛かったディラハンにとって、陰で自分が前妻殺しの疑惑を持たれていることや前妻が地主の息子と不倫していたらしいという話は、耐え難い衝撃だった。
事実からかけ離れた老人の妄言が、ディラハンの心を揺さぶり、彼を弱くした。
エリーが恋を終わらせることを明確に意識したのはこの時だろう。エリーの中でフロリアンへの愛より、夫を一人にしておけないという気持ちの方が重くなったのだ。

“それは自分をこの家に引き入れた男の経験した悲劇は、愛を拒絶されるより、はるかに過酷なものだという考えだった。それは混乱の中から生まれた明晰な考えだった。けれどもその考えは生まれるのが遅すぎた。そして、同じように冷たく厳しく心にしみた、もう一つの考えは、夫の苦しみを和らげようとして、自分がまだ話していない真実を話したら、かえって、これ以上ない程の苦痛をもたらしてしまうだろう、ということだった。何も悪いことをしていない人にそんな苦痛を与えてはならない、とエリーは思った。”

ディラハンは、エリーとよそ者の秘密の恋のことなど何も知らない。オープン・レンの妄想がそこから発していることも、勿論。
ディラハンは、エリーの存在に助けられていると言う。
わけもわからず恐怖に囚われることがあっても、エリーのおかげで怖さが和らぐのだ。ほら、動物にもそういうことがあるのを目にするだろう、と。
サマータイムが終わったら、車でテンプルロスにいこう、とディラハンは言った。

シェルハナの売買契約が結ばれ、フロリアンが町を去る日も決まったが、エリーが彼に会いに行くことは無かった。
フロリアンが出ていく日。その夜、眠れぬエリーが考えていたのは夫のことだった。

“自分の引きおこした事故で妻子を死なせてしまった男が、疑いをかけられることを心配するのは、当然考えられることだ。悩みの深い心が混乱に陥るのも当たり前のことだ。過ぎ去った一日の間に、エリーは何度も自分にそう言い聞かせた。そして、ミス・コナルティーに訊かれたら、しばらくの間親しくしていた男の人はアイルランドを去ったと言おうと心に決めた。彼と親しくしていたことを否定するまい。彼が何という名で、どこに住んでいたかも言おう。”

深夜、フロリアンが、自転車に乗って訪ねてきた。彼はこのまま出ていくのだ。二人は家から離れて歩き出した。

“「きみが愛してくれたことを、ぼくは一生忘れない」と彼は言った。「ぼくを嫌いにならないでくれ、エリー。どうか嫌わないでくれ」”

エリーは、その時裏口のドアが開いて、夫が彼女の名を呼ぶかもしれないと思った。
それは何よりも重大なことだった。それでもなお、行けるものならフロリアンと一緒に行きたかった。
エリーは、フロリアンが彼女を愛しているとは一度も言わなかったことに気づいただろうか。
フロリアンは、ミス・コナルティーが考えるほど悪辣な男ではなかったけど、姑息な男ではあった。
イザベラに愛されなかった彼は、エリーから愛されることを喜び、気を持たせるような言動を繰り返して、恋に慣れていない彼女の心に燃料を与え続けた。そして、一人で出て行くこの時になっても、嫌われたくない、忘れられたくないと言うのだ。
エリーの身の上話を聞いた時、フロリアンは親に捨てられた赤子を可哀想に思った。孤児院で育ち、農場の使用人になった少女を可哀想に思った。不幸な事故で妻子を亡くした年上の男の後添えになった若い娘を可哀想に思った。
実際にはエリーの境遇はフロリアンが思うような不憫なものではなかったのだけど、フロリアンはエリーに可哀想な女でいて欲しかったのだろう。
エリーを可哀想に思うことで、軽率に彼女の恋心を煽った後ろめたさが、同情という大義名分を得て幾分和らいだから。

一人一人の内面の描写だけでなく、それぞれが他者に及ぼす影響が違和感なく理解できるところに、物語づくりの上手さを感じる。
フロリアンの回想にしか登場せず、心情が全く描かれていないイザベラが、なぜ彼の前から去ったのかが、具体的な描写がないのに察せられてしまうあたりなど、特に。
エリーを救ったのは、オープン・レンの妄想とミス・コナルティーのお節介だったが、エリーの生来の優しさと、彼女がクルーンヒルで教わった良識もまた彼女を守ったのだろう。
クルーンヒルで語り継がれているある修道女の悲恋。
修道女ローズリンは、冬の間修道院に出入りしていた男の元に去った。一時の激情に身を任せた修道女は、悲惨な年月の末に水死体となって発見された。
エリーが無理にフロリアンについて行っても、結末は暗かったと思う。

ミセス・コナルティーの葬儀から始まったエリーとフロリアンの恋は、最初から最後まで空虚でどこにも行きつかないものだった。
そんな二人の恋物語に幾つもの喪失の物語が重ねられている。
不倫の恋に傷ついたミス・コナルティー。仕えていた主家を失ったオープン・レン。自らの不注意で起きた事故で妻子を喪ったディラハン。二度とイザベラに会うことは無いだろうフロリアン。愚かな恋に奔って物乞いにまで身を落とし、最期は水死体になって発見されたローズリン。没落して土地を去ったアングロ・アイリッシュの地主階級・・・・・・。
それぞれの人生の物語が、他の人生の物語を淡く透かしながら層を成している。一つ一つの物語はありふれていても、重ねられた層は清涼で美しい。
アイルランドの夏は蒸し暑い日本の夏とは異なり、湿度が低く爽やかなのだそうだ。
六月が来るたびに、ディラハンは妻子の事故を思い出し、七月になれば、フロリアンはシェルハナを訪れたイザベラを思い出す。そして、夏の終りには、エリーは川に沈めたトランクを思い出すだろう。
夏の推移と喪失の思い出が絡まり合い、人生を通して付きまとう。それはやがて懐かしい痛みになるのだ。
コメント

『ふたつの人生』ウィリアム・トレヴァー

2023-10-13 08:10:29 | 日記
ウィリアム・トレヴァー二冊目読了。
前回読んだ『ラストストーリーズ』は短編小説集だったが、本書には「ツルゲーネフを読む声」と「ウンブリアのわたしの家」の二作の中編小説が収録されている。

「ツルゲーネフを読む声」は読む女、「ウンブリアのわたしの家」は書く女の物語だ。
両者は完全に独立した作品だけど、アルバムのA面とB面のように楽しむこともできる。
ひたすら己の世界に閉じこもり他者を拒絶する読む女と、親切と言えば親切だが、押し付けがましく、他者との距離の詰め方がおかしい書く女。
出会った当初に困惑するのは後者の方かもしれないが、実は前者の方がはるかに傲慢で手強いのではないか。人生を損なわれたのは彼女ではなく、彼女の夫や義姉の方だと思った。

「ツルゲーネフを読む声」は、田舎町の一人の女の人生を追うという、ともすれば単調になりがちなストーリーに読者を飽きさせない仕掛けが施されている。
作中に流れる二つの時間軸。主人公が度々口にするツルゲーネフの小説からの引用。物語の背景にある1950年代のアイルランドにおけるプロテスタントの衰退。それらの組み合わせの妙味が、物語に独特の寂寥感を帯びさせている。

メアリー・ルイーズは、現在57歳。
31年間精神病院で暮らしてきたが、病院が閉鎖されることになったので、夫エルマー・クウォーリーが迎えに来て家に戻ることになった。
物語の主な舞台は、メアリー・ルイーズが若かった頃のアイルランドの田舎町。彼女が執着する「人生で一番好きな一年」は、1957年だ。

メアリー・ルイーズとエルマーは、ともに先祖代々プロテスタント信徒だ。メアリー・ルイーズの初恋の人で、彼女の従兄弟のロバートもプロテスタント信徒。
物語の進行につれて萎れていく三人の人生は、アングロ・アイリッシュの衰退の暗喩とみることができる。1950年代のアイルランドにおいてプロテスタント信徒は、かつての特権を失い零落していくマイノリティーだった。
一方で、新興中産階級であるカトリック信徒の羽振りの良さは、メアリー・ルイーズの姉レティが結婚するデネヒーの実家の隆盛に現れている。
レティが進んで夫の実家の同化し、生まれてきた子供にカトリック的な名をつけるエピソードに、カトリック信徒とプロテスタント信徒の力関係の逆転を見て取れる。

21歳のメアリー・ルイーズは、自作農の単調な暮らしから逃れたかった。
35歳のエルマーは、実家の服地商会の跡継ぎをつくる目的で若い嫁が欲しかった。
そんな二人が出会い、交際を始め、結婚を決意する。
メアリー・ルイーズの両親は、エルマーの資産に魅力を感じるが、兄と姉は、メアリー・ルイーズとエルマーの年齢差、エルマーの冴えない容貌、エルマーの二人の姉たちの底意地悪い性格を理由に結婚に反対する。エルマーの姉たちは、メアリー・ルイーズの実家の貧しさからやはり結婚に猛反対する。
怪しい雲行きの中で始まった結婚生活は、エルマーが不能だったことから、予想以上に悲惨な展開を迎えることになる。
メアリー・ルイーズには、夫の不能を打ち明け、相談できる相手がいない。周囲の人々の子宝を望む目と、同居する義姉たちからの嫌がらせに、メアリー・ルイーズは追い詰められ、度々自転車で遠出をするようになる。
エルマーはエルマーで、夫婦生活のプレッシャーからアルコールに溺れるようになっていた。

ある日、憂鬱な気持ちに任せて自転車を漕いでいたメアリー・ルイーズは、いつの間にか従兄弟の家の近所に辿り着いていた。
黙って通り過ぎるつもりだった。だが、伯母に見つかり家に招かれてしまった。そこで、従兄弟のロバートと数年ぶりに言葉を交わした。結婚から二年後、1957年のことだった。

メアリー・ルイーズは、少女時代の一時、ロバートに恋心を抱いていた。
それは短期間で、病弱なロバートはじきに学校に通えなくなってしまった。彼との接点が無くなってすぐに恋心は冷めたので、メアリー・ルイーズ自身、ロバートへの恋は、恋に恋するような淡い気持ちだったと片付けていた。
ロバートは今でも一日の大半を自宅で過ごしている。メアリー・ルイーズの結婚式に出席していたが、披露宴には参加しなかった。
ロバートは博識で読書を好み、特にツルゲーネフの三冊を大切にしている。メアリー・ルイーズは読書の習慣を身につけずに育ったが、ロバートとの再会を機にツルゲーネフを読むようになった。

二人はロバートのお気に入りの場所であるアトリッジ家の墓所でツルゲーネフを朗読した。
薔薇の茂みに覆われた教会の前を歩き、サギを見に小川に通った。それは二人だけの秘密の時間。メアリー・ルイーズは夫にも実家にもロバートに会いに行っていることは黙っていた。伯母は姪が病弱な息子の見舞いに来てくれていると思っていた。
メアリー・ルイーズは、ままならない現実から逃げ出し、虚構の世界に楽園を見出す。それは、ロバートの死を境に、誰にも踏み込むことができない不可侵領域となった。
死の前日、メアリー・ルイーズはロバートから、子どもの頃からずっと彼女に恋していたと告白された。だから、披露宴には出席できなかったのだと。
メアリー・ルイーズは夢見心地のまま、自転車を漕いで帰宅した。素敵な日だった。互いの気持ちを知っていたら、エルマーとなど結婚しなかったのに。
幸せな気持ちは、その日の深夜にロバートが急死したことから美しい夢のまま永久に凍結した。

メアリー・ルイーズは、ロバートの葬式の後に開かれたオークションにこっそり参加して、ロバートの家具とおもちゃの兵隊を手に入れた。貧家に寄付されたロバートの衣服を買い取った。伯母の部屋からロバートの懐中時計を盗み出した。それらを自宅の屋根裏部屋に運び込み、籠りきりになった。
義姉や夫が何を言おうが聞き流した。いつも上の空で、会話に唐突にツルゲーネフの小説の文言やロシア人の名が混ざるようになり、人々は彼女の狂気を確信した。
義姉の食事に殺鼠剤らしきものが混入する事件が起こり、メアリー・ルイーズは精神病院に入れられた。
メアリー・ルイーズは、病室にロバートの遺品を持ち込んだ。
31年間、そこでツルゲーネフを読むロバートの声を聴き、彼との空想に浸りきった。
幸せだった。虚構の世界に閉じ籠るには、義姉や夫のいる自宅の屋根裏よりも病院の個室の方が適していたのだ。

母親以外の人と顔を合わす機会が殆どないロバートの単調な生活の中で、メアリー・ルイーズへの恋心は褪せることはなかった。
だけど、メアリー・ルイーズは?

“ロバートとわたしは、生まれる前からお互いの一部だったんです。お互いのことを知るずっと前から”

本当に?
彼女の中では、ロバートへの恋心は一時の気紛れみたいなもので、結婚式で彼の姿を見た時にも特に心が疼くことはなかったのだ。
エルマーとの夫婦関係がうまくいっていたら、せめて子供が生まれていたら、ロバートと再会しても恋心が再燃することはなかったし、ツルゲーネフにのめり込むこともなかったのではないか?
少女時代にメアリー・ルイーズがロバートと交際したとしても、案外短期間で別れたかもしれない。
だけど、思い出と妄想とツルゲーネフの小説が混ざり合った世界では、二人は死にも分かたれない永遠の恋人同士だった。
ロバートは彼が望んでいたアトリッジ家の墓所とは別の墓所に埋葬されていた。
メアリー・ルイーズはそれをずっと気にしていて、入院中から面会に来るエルマーに度々埋葬のやり直しを要求していた。それは自宅に戻ってからも変わらなかった。
エルマーの家業は零落し、とうに店を売り渡していた。それでも、エルマーは妻を精神病院に入れた罪悪感から、彼女に出来るだけのことをしてやるつもりでいる。

31年の間にプロテスタントは衰退し、町はカトリック式になっていた。
プロテスタントの教会を訪れるのは、今ではメアリー・ルイーズただ一人だ。
メアリー・ルイーズは、ロバートのためにセンスの良い衣服を身に纏い、信徒席に腰掛ける。ロバートが「きれいだよ」と言葉にした美しさはまだ消えていない。
最後の夜、ロバートはメアリー・ルイーズの姿を夢に見ながら、聖母マリアそっくりだとつぶやいて死んだのだ。

教区に派遣された若い牧師は、メアリー・ルイーズと対面すると、いつも信仰を試されている気持ちになる。
メアリー・ルイーズは牧師に色んなことを打ち明けていた。
ロバートと墓地に行き、二人きりでツルゲーネフを読んだこと。処方された薬をトイレに流し続けたこと。精神病院に入れられる決定打となった殺鼠剤事件は、実は緑色のインクを混ぜただけだったこと。
牧師の目には、メアリー・ルイーズは幸せそうに見える。愛に生きる彼女は、じっさい1957年からずっと幸せなのだ。
牧師は、若い頃のメアリー・ルイーズの姿を思い浮かべる。いくつもの場面の後、ツルゲーネフを読むメアリー・ルイーズとロバートの声が絡み合う。二人の世界には、彼ら以外の人間は存在しない。
メアリー・ルイーズは、夫や義姉たちより長く生き延びるだろう。
遠い未来から、年老いたメアリー・ルイーズに「望み通り手配しました」と告げる牧師自身の声が聞こえる。
僅か数ヶ月の思い出をよすがに31年を生き、これからの人生も生き続ける女の一生。それを下支えするのは、彼女の夫の経済力というやり切れなさ。
牧師は愛の真実におののきつつも、恋人たちの葬式を引き受けるのはお安い御用だと思っている。
コメント (2)