青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

兜と柴犬(茅ヶ崎里山公園)

2024-04-28 09:43:48 | 日記

夫と休みの日が重なったので、柴犬凜ちゃんを連れて、茅ヶ崎里山公園の五月飾りを見てきました。行ったのは前回のブログの『ウラシマソウ展』の一週間前です。


最近のお出かけは曇天続きでしたが、この日は天気が良く、子供たちが沢山遊びに来ていました。




なかなかカメラに目線をくれない凜。






竹林と筍。






谷戸の家。




凜ちゃんは前庭にいてもらうので、夫と交代で屋内に入りました。



















谷戸の家を出てから、少し苑内を歩きました。








桜はすでに全部葉っぱに代わっているものもあれば、まだ花が残っているものもあり。


凜ちゃん、あくびすると老けて見えるなぁ。


凜は2月に13歳になりました。まだまだ元気です!
お家でお留守番の猫三匹も元気にしています。今年はあまり犬猫の画像をまとめていませんが、そろそろ何かブログに載せようかな。
猫は完全室内飼いなので、似たり寄ったりな写真ばかりですが・・・(=^・^=)
コメント (2)

湘南うらしまそう展(長久保公園)

2024-04-22 08:47:54 | 日記

長久保公園で開催された湘南うらしまそう展を見てきました。
ウラシマソウとは、日本を原産とするサトイモ科テンナンショウ属の球根植物で、主に本州、四国に分布しています。球根植物ですが、種子でも繁殖します。日本固有種ですが、近年は森林の伐採や整地などで個数が減少しています。
花の色は、黒褐色、赤褐色、濃紫色、緑白色、無地、ストライプと、バリエーション豊富です。今回の展示会場には、「影武者」とか「黒真珠」とか名付けられた真っ黒なウラシマソウも展示されていました。
花と呼びましたが、実際には仏炎苞(ぶつえんほう)といい、苞の中にある付属体の先端部分が糸状に伸びています。パッと見、ウツボカズラみたいな感じです。
花の色以上にバリエーション豊富なのが、葉っぱの形です。葉っぱだけ見ると同じウラシマソウと思えないほどいろんな形の株がありました。














































会場では、展示だけでなく、苗の販売もしていました。
この後、長久保公園を散策する予定だったので、いったん展示会場を出て、帰りに苗を買うことにしました。

以下、長久保公園散策の画像。
季節の変わり目なので、春の花と初夏の花が混在していました。


みどりの相談所入口の盆藤。










アマリリスがすでに満開。
我が家のアマリリスはまだ芽が出始めたところです。
















































鯉のぼりが揚げられていました。








生垣の迷路です。























園をあとにする前に、ウラシマソウ展の会場に戻り、一株買いました。


お昼を少し回っていたので、やよい軒でご飯を食べて帰宅。珍しい植物を手に入れられて満足です。来年もうまく咲かせられるといいな。
コメント (2)

赤レンガ倉庫『フラワーガーデン2024』

2024-04-16 08:22:06 | 日記

今月21日まで赤レンガ倉庫で開催中の『フラワーガーデン』に行ってきました。

県民ホールそばの駐車場に車を停めてから徒歩で赤レンガ倉庫へ。








この日は日向坂のイベントがやっていました。




赤レンガ倉庫前に到着です。


大きな花壇が、お花畑のようでした!


花の向こうに海や船舶が見えるのが良いですね。

























































キッチンカーも来ていました。


私達は生ドーナツを購入。


お花で飾られています。


シャボン玉、見えますか?




一通りお花畑を散策した後、赤レンガ倉庫内へ。


Kaori Barでフレグランスやヘアクリームなどを購入。


試飲して気に入った柚子蜂蜜も購入。

お昼ご飯は、赤レンガ倉庫内のフードコートは満席だったので、中華街まで行って食べました。








皇朝というお店です。
お茶の香りが良くて気に入りました。百合と桂花だったかな。
まだ、2時にもなっていませんでしたが、我が家らしく早めに帰路につきました。
赤レンガ倉庫も中華街も久しぶり(昨年末以来?)だったので、楽しかったです♪
たまに都会に出ると気持ちが上がりますね(#^^#)
県内だからもっと頻繁に来ても良いんですけどね。うちは休日の行動が藤沢市内でだいたい済んでしまうのです。
コメント (2)

久しぶりのピューロランド

2024-04-12 07:59:42 | 日記

娘コメガネの高3生活が始まって一週間です。
春休みにはコメガネのリクエストで、久しぶりにサンリオピューロランドに行ってきました。
前回ピューロランドに行ったのは私がまだこのブログを開設する前だったはずなので、コメは小一か幼稚園だったと思います。我が家からちょっと行きにくい場所ですしね💦


この日はあまり天気が良くありませんでしたが、屋内施設なので問題なしです。




とりあえず、お土産物コーナーで推しキャラのポムポムプリンのカチューシャを購入してから館内の散策。
















































































この扉の向こうにレディ・キティが待っています。
コメはレディ・キティと撮影。
退出するときに私もレディ・キティとハグとタッチをしてもらいました(=^・^=)


フードコートでお茶タイム。








その後、再びお土産物を物色してからピューロランドをあとにしました。


今回のお土産たち。

どのアトラクションも待ち時間が長いので、そんなには廻れませんでしたが、コメは満足してくれました。
一日パスポートで遊べばもう少し楽しめたのですが、最近の私が慣れない仕事で疲れているので、コメが遠慮して半日パスポートにしてくれたんですよ。
コメも今年は受験生だし、今後親子で過ごす時間はどんどん少なくなると思いますが、その分大切に味わって生きていきたいです。
コメント (2)

『八月の御所グラウンド』万城目学

2024-04-04 08:00:40 | 日記
女子全国高校駅伝――都大路に代走として走る方向音痴な女子高生「十二月の都大路上下ル」と、借金のカタに、真夏の御所グラウンドで草野球大会・たまひで杯に連日参加する羽目になった失恋大学生。「八月の御所グラウンド」の二柱編収録。第170回直木賞受賞作。
万城目学らしい現実と幻想が入り混じる優しい青春小説だ。

大会前日に急遽欠場することになった先輩の代わりにエントリーされることになった坂東。
三人の補欠の中には彼女よりもタイムの速い者もいる。実力的に自分が都大路を走ることになるとは思っていなかった坂東は戸惑いを隠しきれない。試走もしていないコースを方向音痴の自分が走り切れるのか。
そこはコーチも考えていて、まっすぐ進んで、一回だけ右に曲がる、迷いたくても迷えない区間を任されることになった。5区、つまりはタスキリレーのアンカーを託されたのだ。
雪の降る都大路を坂東は走る。隣の赤ユニホームの選手のペースに飲まれそうになっていた坂東は、赤ユニホームよりも沿道の観客が気になり始めた。
観客たちのうしろの歩道を、坂東たちと同じスピードで着いてくる7、8人の着物の男たちの集団がいるのだ。ちょんまげを結い、刀をひっさげ、「誠」の旗を掲げた彼らは――。「十二月の都大路上下ル」

「あなたには、火がないから」という謎の言葉とともにフラれてしまった大学生の朽木。
彼女との夏休み旅行もフイになり、八月の敗者となった彼は、友人多聞から借金のカタにたまひで杯という草野球大会に参加させられることになった。
たまひで。それは多聞の研究室のボスである三福教授が、若い頃に励ましを受けた芸妓の名だ。
かつてのたまひでがママとして勤めるラウンジ『たまひで』には、三福教授のような、たまひでに励まされて大成した元青年たちが後輩や、社員や、取引先や、教え子を連れて通っている。まるで文化の継承のようだ。たまひで杯の優勝チームのオーナーは、ママからほっぺにキスを貰えるのだという。ママは推定70歳オーバーである。
大会当日、御所グラウンドに集まったのはいかにも寄せ集めと言った顔ぶれだった。
しかも途中から怪我や体調不良で人数が足りなくなった。そこで、朽木たちは見物に来ていた留学生の烈女シャオさんに参加の要請をしてみるのだが――。「八月の御所グラウンド」

「十二月の都大路上下ル」は新選組、「八月の御所グラウンド」は沢村栄治。
新選組も沢村栄治も京都生まれの京都育ちではなく、人生の一時を京都で過ごした人たちだ。でもその一瞬が彼らの青春だった。非業の死を遂げた若者たちが、現在青春真っただ中の女子高校生や男子大学生らとスポーツに興じる。彼らの間にあからさまにエモーショナルなやりとりなどないのに、一心にスポーツに打ち込む姿に心を打たれる。
新選組はちょんまげと女子高生の並走というおかしみもあるのだけど、沢村栄治は彼の人生を思うと苦しくなってしまう。
沢村栄治といえば、野球のルールを知らない私ですらその名を知っているくらいの伝説のスター選手だけど、彼の人生はまったく知らなかった。
物語が進み、謎の助っ人えーちゃんが沢村栄治である可能性が濃厚になってくるにつれて、沢村栄治から野球も命も奪った戦争の影が濃くなる。
沢村栄治が20歳の時に日中戦争の拡大により徴兵され、二年間の戦場生活を余儀なくされたこと。軍の手榴弾投げ大会で、通常は30メートル投げたら上等のところ、90メートル以上も投げたこと。戦場でも何度も投げ込み、肩を壊したこと。23歳でプロ野球復帰を果たしたが、元の投球は出来なくなっていたこと。復帰翌年には二度目の招集によってフィリピンに派兵され、1944年に三度目の召集を受け、京都の伏見連隊に入営し、12月2日にフィリピンに向かう途中、米軍の魚雷を受け、戦死したこと。亡くなった時、まだ27歳だったこと。
えーちゃんが連れてきた遠藤君は、1943年に京都で一ヵ月だけ学生として過ごし、学徒出陣し、半年後に戦死していた。
「遠藤三四二(みよし)」について調べたシャオさんは、自分たちの大学で、第二次世界大戦中に軍の召集を受け戦死した学生たちのデータに行きついた。
入学してたった数ヶ月を大学生として過ごして、戦地で散った命たち。そんな生き方を強いられた数多の若者たちが、確かに存在したのだ。
そういえば、たまひで杯は地獄の暑さのお盆に開催されるので、毎回出場者の数が足りるのか懸念されるのだけど、毎回なぜか必ず人数が揃うというのだ。
今回は留学生のシャオさんが、たまたま(?)ベンチに居たえーちゃんに声をかけ、更にえーちゃんが遠藤君と山下君の二青年を連れて来てくれた。過去のたまひで杯の助っ人たちも既にこの世にはいない、もっと生きていたかった若者たちだったのだろうか?
多聞は一度、三福教授に『たまひで』に連れて行ってもらった時に、酔っぱらった教授が、ママのお兄さんと野球をやったことがあると言っていたのを聞いていた。ママは自分には腹違いの兄がいるが20以上も離れていて、19で戦死しているから教授と野球をできるはずはないと答えていたのだが・・・。ママの本名は、山下誠子。一度も結婚したことは無いらしい・・・。

失恋して自堕落になっていた朽木と要領良く世渡りしてきた多聞。二人の心にえーちゃん達の人生が沁み込んでいく。
大文字焼きの夜。「なあ、朽木。俺たち、ちゃんと生きてるか?」という多聞の言葉が胸に刺さる。
その時、朽木にとって元恋人から告げられた「あなたには、火がないから」という別れの言葉は、もはや彼女のものではなくなっていた。闇夜の向こうから投げられた見えない球とともに、心の中に炎が一個、着火したように感じられた。
コメント (2)