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小田原の端々



広域農道小田原湯河原線の入生田から一夜城までの開通区間に箕ヶ窪橋が架設されている。橋といっても片側は法面のため、車で通行したら道路の一部としか感じないくらいの場所である。その箕ヶ窪橋の下には江戸時代に石を切り出していた石丁場跡がある。広域農道小田原湯河原線の箕ヶ窪橋。片側は法面で反対側は崖になっており、下に沢が流れている訳ではないが橋が架けられいる。橋の欄干にプレートが付けられている。下を覗くと大きな岩が転がっている。反対側の欄干には「早川石丁場」のプレート。箕ヶ窪橋の法面の上には歩行者用の通路があり、そこに矢穴が残った岩があったので、その岩のことを説明しているプレートだと思い箕ヶ窪橋を渡った。箕ヶ窪橋を渡ると道路脇から橋の下に降りられるように階段が作られていた。階段を下りてみる。箕ヶ窪橋の下は斜面になっており、大きな岩が転がっている。転がっている岩を良く見てみると石を切り出すための矢穴が残っている。周辺の岩にも矢穴が確認できた。まさにこの場所が石丁場の跡である。この石丁場跡は早川石丁場群関白沢支群といい、2005年の広域農道の工事の際に発見され、周辺に29ヶ所の遺構が確認されている。この早川石丁場では江戸時代の初めに徳川幕府による天下普請によって近世江戸城の石垣用材として石を切出していたようだ。この箕ヶ窪橋は遺構を保護するために架けられた橋とのこと。もともとは道路として整備予定だったのを橋梁形式にしたことで、だいぶ農道の工事が遅れたようだ。400年前の石丁場の上に21世紀の今日、鋼鉄の橋が架けられた。400年後、この場所はどうなっているだろうか。

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