いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<小京都> 熊本 人吉 2.

2022-07-22 07:27:11 | 小京都

 「九州の小京都 熊本 人吉」

 =熊本県の小京都・人吉市の観光ポイント=
 時代を超えて「武家屋敷(武家蔵)」が残る

  「武家蔵(武家屋敷)」 相良藩の家老を勤めた新宮家の屋敷跡。正面に立つ「堀合門」は人吉城から、敷地内にある茅葺屋根の屋敷は相良氏が休憩所にしていた建物をそれぞれ移築したもの。西南戦争の際には西郷隆盛の宿舎としても使用されました。併設されているカフェでは、オリジナルの“焼酎アイス”が頂けます。

*https://kumamoto.guide/spots/detail/19295 より
 江戸時代からの「蔵」が現存している

 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く
 江戸時代からの「豪商の面影」を見ることができる
 町人文化が息づく

*https://www.little-kyoto.com/kumamoto/hitoyoshi.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 佐賀 伊万里 2.

2022-07-21 07:39:59 | 小京都

 「肥前の小京都 佐賀 伊万里」

 =佐賀県の小京都・伊万里市の観光ポイント=
 「女性に人気」の観光地
 江戸時代からの「豪商の面影」を見ることができる

  「伊万里市大川内山の町並み」 伊万里は天然の良港、伊万里湾を擁することから、江戸時代には有田皿山などで産する陶磁器の唯一の積出港として繁栄した。
  江戸時代になり、伊万里は鍋島佐賀藩領となった。しかしこの地方は鍋島佐賀藩と唐津藩領に分けられて複雑な行政になったが、大川内は鍋島藩のままで明治維新を向えている。
  江戸時代、伊万里川河口は伊万里津と呼ばれ、周辺の産地から大量の焼物が集まり、川の両岸や街道沿いには陶器商人の店や蔵が建ち並んでいた。有田皿山の陶磁器については、寛永初年(1624~30)頃、交易が伊万里津の豪商 東島徳左衛門によって活発になり、酒井田柿右衛門の赤絵は東島の手によって長崎の出島から海外に輸出された。国内へは寛文初年(1661~65)から紀州商人によって大々的に行われた。
  陶磁器の移出が活発になると、元禄年間(1688~1704)には藩が伊万里心遣役を設け、有田皿山代官と密接な連絡をとって密輸販売などの取り締まりと秩序の維持に努めた。
  文化年間(1804~18)には国内販売の取り締まり統一のために伊万里市場でのみ取引することに決定している。
  天保6年(1835)の伊万里港積出額は大坂へ3万6000俵、伊勢へ1万6000俵、備前へ1万3000俵、江戸を含む関八州へは11万俵とあり、全国で31万俵にのぼっている。
  一方、有田南川原山にあった鍋島佐賀藩御用細工窯を、延宝3年(1675)に大川内山に移転しているが、これは有田焼きの技術の秘密保持に格好の地であったのと同時に、青磁釉薬の原料を出土したことによる。そして廃藩置県までの間、色鍋島など御用品を焼いた。大川内山には御用登窯跡や御細工屋敷跡などの遺蹟が見られる。
  入口には番所(関所)が置かれて、人の出入を厳しく監視したのは、陶磁器の技術を秘すためであり、他に焼物・焼物土の出入、抜荷などを厳しく取り締まった。特に赤絵付けの技法は一子相伝で、絵具調合の秘密厳守、居住地まで厳しく規制された。また、藩の統制は職人にも及び、領外は勿論、藩内においても技術指導が禁じられていた。
  今、大川内山を歩くと、前面に奇岩が切り立ち、いかにも“秘窯の里”といった景観が展開する。
*http://matinami.o.oo7.jp/kyusyu-okinawa/imarisi-ookawauti.html より
 町人文化が息づく

*https://www.little-kyoto.com/saga/imari.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 福岡 甘木 2.

2022-07-20 07:32:24 | 小京都

 「筑前の小京都 福岡 甘木」

 甘木市(あまぎし)は、福岡県の中央に位置していた市。2006年3月20日に朝倉町、杷木町と対等合併し、「朝倉市」となった。

 =福岡県の小京都・甘木市の観光ポイント=
 「女性に人気」の観光地
 「桜の名所」がある

  「甘木公園の桜」 甘木公園、通称「丸山公園」は、朝倉市の市街地に位置し、総面積31.7ha、静かな自然環境に恵まれた市民の「憩いとくつろぎの広場」で県下屈指の桜の名所として知られます。公園の中央にあるひょうたん型の池をぐるりと囲むようにソメイヨシノなど約4000本が咲き乱れます。池に映える満開の桜は圧巻です。夜には桜のライトアップとともに噴水のイルミネーションが楽しめます。

 江戸時代からの「城下町」

  「秋月城下町」 甘木の中心市街地から北へ7km。

  秋月は、標高約860m(859.5m)古処山の麓の町で三方を山で囲まれ、南に開けた町です。地理的に攻めにくく、守りやすい盆地にあります。
  中世に秋月氏が古処山に山城を築き、秋月氏16代、近世になって黒田氏が12代と城下町としての歴史は大変古く、現在の街並みは黒田氏によってつくられました。

  天正15年(1587)戦国時代豊臣秀吉の九州征伐の際、秋月種実は徹底抗戦を決めます。重臣の恵利内蔵助暢尭(えりくらのすけのぶたか)は秀吉軍の強大さから勝ち目がないと和睦を進めますが聞き入れられず、家族もろとも死を持って止めようとしました。その場所に記念碑が建っています。(恵利暢尭殉節碑)

 明治までは城下町として賑わっていたのですが、秋月の乱で武家の没落と主要幹線から離れた立地が近代化や開発から取り残され、結果として、城下町の姿は残りました。

  国の重要伝統的建造物群保存地区は全国では117地区、その中で城下町は4地区あり(平成29年11月28日現在)、町全体が指定されているのが、秋月の特長です。
  町割り、屋敷割り、道路網と水路網、城館跡、武家屋敷、町屋の城下町の様子が周辺の自然景観、田園景観と調和し、歴史的風致となっています。*https://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1301026266585/index.html より

 時代を超えて「武家屋敷」が残る

  「秋月武家屋敷-久野邸」 城下町秋月の中でも、武家屋敷の様相を残している数少ない家屋のひとつで、秋月黒田五万石の初代長興公より知行を受けた上級武士の屋敷である。腕木門仲間部屋、母屋、蔵資料館、離れ座敷、庭園など、当時のままを忠実に再現している。

 名刹の「お寺」がある

  「安長寺」 甘木の地名の由来で知られる甘木山(かんぼくざん)安長寺。1月4日・5日には、甘木バタバタ市が開催され、郷土玩具の豆太鼓「バタバタ」が販売されます。*じゃらん より

 京都ゆかりの「寺院」がある

  「須賀神社」 甘木地方の総鎮守の御社で、甘木町民の無病息災・家内安全を願う祭典が年間を通して行われます。夏には町中が賑わう祇園山笠があり、舁山笠が町内を勇壮に馳せ巡ります。*じゃらん より

 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く

 「須賀神社 甘木祇園山笠」 朝倉市の須賀神社の祇園祭は、甘木祇園山笠と呼ばれ、300年以上の伝統を持つ夏祭りです。昔、疫病が流行ったときに、神輿を作って、ご神体を乗せて町中を練り回したのが始まりとされています。高さ3mの引き山笠が2台、街中を駆け回ります。

  祭りは初日の子ども神輿から始まり、翌日が甘木祇園山笠の祭礼、最終日が山笠本番の日で、東流、西流、2台の山車が町中を勢いよく回ります。高さのある山車が勇壮に駆け回る様子は圧巻です。*https://matsuri-no-hi.com/matsuri/35855 より

*https://www.little-kyoto.com/fukuoka/amagi.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 広島 竹原 2.

2022-07-19 07:30:07 | 小京都

 「安芸の小京都 広島 竹原」

 「安芸の小京都」と呼ばれる町並み保存地区
 竹原観光といえば美しい町並み保存地区の散策です。江戸時代にタイムスリップしたかのような情緒ある町並みの中には由緒あるお寺やお屋敷、酒蔵が点在しており、のんびりと散策できます。

 保存地区は重要伝統的建造物群に指定されていますが、現在も多くの方が住まわれており、歴史と現代の暮らしがバランスよく融合しています。門前を飾る植物は住民の方々のおもてなしの印なのだとか。竹原格子と呼ばれる趣向を凝らしたデザインの格子に飾られる季節の花々が散策する観光客の目を楽しませてくれます。

 =広島県の小京都・竹原市の観光ポイント=
 「女性に人気」の観光地
 名刹の「お寺」がある

  「西方寺・普明閣」 西方寺の観音堂である普明閣は明和2年(1765年)に建立。西方寺本堂横の高台に位置し、舞台を懸造として設ける。普明閣からは、竹原の町並みが見渡すことができ、町並み保存地区の景観の中心となる重要な建築である。*じゃらん より

 京都ゆかりの「寺院」がある

  「照蓮寺」 庭園は小祇園と称され県下屈指の名園。国重要文化財である「高麗鐘(こまのかね)」がある。*じゃらん より

 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く

  「忠海祇園祭とみこし行事」 忠海祇園祭とみこし行事は、広島県の無形民俗文化財にも指定されている行事で、その年に20歳となる若者がお祭りの主役(輿守)となり、法被に大小さまざまな猿のぬいぐるみを付けて神輿を回す奇祭です。

  彼らが法被に付けたぬいぐるみ(お守り)は、模範演技終了後ににばらまかれ、これを取った人は一年間無病息災で過ごせると言われています。

  また、特定の場所で神輿を上下左右に回す「祇園まわし」は、祭神須佐之男命に退治されたヤマタノオロチがのたうち回る様を表しています。


 江戸時代からの「豪商の面影」を見ることができる

  「吉井邸」「松阪邸」「福田社倉」など *じゃらん など

 町人文化が息づく

*https://www.little-kyoto.com/hiroshima/takehara.html より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 岐阜 高山 2.

2022-07-18 06:53:29 | 小京都

 「飛騨の小京都 岐阜 高山」

 =岐阜県の小京都・高山市の観光ポイント=
 「女性に人気」の観光地

  食べ歩きも充実

  名刹の「お寺」がある

  「雲龍寺」 もとは720年に創建された妙観寺(みょうかんじ)という寺院でしたが衰退し、1395年頃、曹洞宗雲龍寺として再建されました。

  本能寺の変で戦死した飛騨国主 金森長近(かなもりながちか)の長男 長則(ながのり)の菩提寺であり、1590年頃に長近が建物を修営したと伝わっています。

  雲龍寺鐘楼門(市指定文化財・日本遺産)。1695年、高山城破却に伴い、二之丸にあった「黄雲閣(こううんかく)」という建物を下げ渡され、これが鐘楼門になったと伝わっています(雲龍寺記)。
雲龍寺鐘楼門(市指定文化財・日本遺産)。1695年、高山城破却に伴い、二之丸にあった「黄雲閣(こううんかく)」という建物を下げ渡され、これが鐘楼門になったと伝わっています(雲龍寺記)。

 京都ゆかりの「寺院」がある

  「東山寺町・東山遊歩道」 安川通りを登りつめると、静かな風情がただよう通称東山寺町があります。藩主金森長近が城下町をつくる際、東の町、小高い丘陵地に寺社を建立移築したのが始まりと言われています。いずれも由緒ある寺社ばかりで、県、市指定の文化財がずらりと並んでいます。

 江戸時代からの「蔵」が見ることができる

  「高山の土蔵の創始・江戸屋萬蔵」 江戸屋萬蔵 生年不詳~弘化3(1846)8・17
  左官の名工。山城屋万蔵と称する。江戸神田銀金町から高山に移り住んで、江戸式の土蔵の塗り方と型を高山へ伝える。半浮彫りの絵を塗り出した小森家の土蔵の扉が高山市に寄贈された。荏名文庫(江名子町)の土蔵、川上別邸の土蔵も万蔵の作。弘化3年8月、密通をして逃げた男女の追手に加わったものの、中尾峠で殺される。(飛騨春秋)
  飛騨人物事典編集室編集『飛騨人物事典』 株式会社高山市民時報社発行 2000年

 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く

  「高山祭」 春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。

 江戸時代からの「豪商の面影」を見ることができる

  「古い町並み」 城下町の中心で、商人町として発達した一之町、二之町、三之町の「三町」は、旦那衆と呼ばれた豪商たちの屋敷をはじめ、城下町のたたずまいを残しています。(国の重要伝統的建造物群保存地区)

 町人文化が息づく

*https://www.little-kyoto.com/gifu/takayama.html より

*https://www.hidatakayama.or.jp/watch/%E9%9B%B2%E9%BE%8D%E5%AF%BA/ より

*https://www.hidatakayama.or.jp/watch/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E7%94%BA%E3%83%BB%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%81%8A%E6%AD%A9%E9%81%93/ より

*http://digitalarchiveproject.jp/information/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%9C%9F%E8%94%B5%E3%81%AE%E5%89%B5%E5%A7%8B%E3%83%BB%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%B1%8B%E8%90%AC%E8%94%B5/ より

*https://www.hidatakayama.or.jp/hidatakayama/maturi_spring/index.html より

*https://www.pref.gifu.lg.jp/page/5886.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 長野 飯田 2.

2022-07-17 07:33:08 | 小京都

 「信州の小京都 長野 飯田」

 =長野県の小京都・飯田市の観光ポイント=
 名刹の「お寺」がある

  「元善光寺」 長野市にある善光寺のご本尊が最初に置かれた所で、本多善光公の誕生地。堂内でのおもしろ法話は参拝者に大好評。内陣参拝、お戒壇めぐりも無料。「善光寺だけでは片詣り」といわれています。
宝物殿(有料)では木彫釈迦涅槃像やいざりの絵馬、ごはんをシャリと言うようになったもとのお釈迦様の骨、50円葉書の語源になった木の葉に書かれたインドの古代文字等、貴重な面白い古いもの約80点陳列されています。*じゃらん より

 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く

  「いいだお練りまつり」 大宮諏訪神社の式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練りまつリ」で、大勢の人が街に出てねり歩くことから、こう云う様になったと言われています。途中五十余年の休止の時期もありましたが、正徳五年のひつじ満水の折、住民が大宮神社の神明様に加護を祈願したところ、幸に飯田の町は泥の海となる難をまぬがれたそうです。領民はその神徳をたたえ、翌正徳六年の申年に中断していた祭りを再興し盛大に奉納するようになったと言われています。その出し物も年代により趣好がこらされました。

  度々の火災で道具の大部分を消失してしまいましたが、大名行列や東野の大獅子舞などが伝統を受け継いでいます。

  -大名行列-
  飯田お練りまつりのメインの出し物の大名行列は、本町三丁目の出し物で、明治五年申年のお練りが初回です。若州小浜城主、播州姫路城主、奥州仙台城主等の持物 を入手したもので、様式は百万石の格式と称せられ、男持薙刀、白車熊槍、富士形槍などは国宝級の逸品です。行列の仕方、所作、芸は往時を継承しており、 市街地を練る絢爛豪華な行列は徳川三百年の風俗を偲ぶことができます。

  大正八年に東京で挙行された奠都五十年祭(市制三十周年)に招聘せられて天覧の光栄に浴し、当時の関係者から日本一の折紙付の文化財です。*https://oneri.iidacci.org/about/ より

*https://www.little-kyoto.com/nagano/iida.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 長野 松本 2.

2022-07-15 07:30:33 | 小京都

 「長野 松本」

 =長野県の小京都・松本市の観光ポイント=
 「女性に人気」の観光地
 「桜の名所」がある

  「弘法山古墳」 国指定史跡の弘法山古墳は桜の名所として知られ、遠く北アルプス連峰を見渡す景色も楽しめる。桜の満開時には山全体が淡いピンク色に染め上げられ、大勢の花見客でにぎわう。また、映画『orange』のロケ地でもある。

  「国宝 松本城」 日本に5つある国宝城郭のひとつ、松本城。現存する五重六階の城の中では日本最古である。春には城のお堀を囲む桜が咲き誇り、「夜桜会」と「国宝松本城桜並木光の回廊」が行われる。ライトアップされた松本城天守と、スポットライトを浴びる桜の花は必見。「夜桜会」ではお茶席や雅楽・フルート・三曲の演奏があるほか、屋台では花見団子も販売される。

*https://restaurant.ikyu.com/hanami/arealist8452/ より

 江戸時代からの「城下町」(国宝天守閣もある)

  「国宝 松本城」

 名刹の「お寺」がある

  「牛伏寺」 唐の玄宗皇帝が善光寺へ大般若経を奉納する途中、2頭の牛が同時に動けなくなったため、そこへ寺を建てたという伝説からこの名が付いたといわれています。国の重要文化財に指定されている仏像が8躯あります。*じゃらん より

 
 江戸時代からの「蔵」が現存している

  「中町」 四〇〇年の歴史の国宝松本城の城下町・善光寺街道として、江戸~大正時代の蔵造りの建物が多く残り、独特の景観を保つ中町通り。*https://nakamachi.org/ より

*https://www.little-kyoto.com/nagano/matsumoto.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 福井 小浜 2.

2022-07-14 08:16:28 | 小京都

 「若狭の小京都 福井 小浜」

 =福井県の小京都・小浜市の観光ポイント=
 江戸時代からの「城下町」

  小浜市内を流れる北川と南川に挟まれた合流地点に築かれた「海の見える城」小浜城。京極氏2代にわたり普請され、代わって酒井忠勝が武州川越から入国し、天守閣は寛永13年(1636)完成しました。往時には三重の天守が建てられていたが、明治4年(1871)12月二の丸櫓から出火し、旧城大部分を焼失、明治6年(1873)の廃城令を受けて、明治7年(1874)に解体されました。現在では、本丸の北半分の石垣を残すのみとなったが、本丸跡は小浜藩祖酒井忠勝を祀る小浜神社(写真上左)の境内地になっており、往時の姿を今に伝えています。

  小浜城を中心に、南側の現在の大手橋を渡った地域は、上級家臣の武家屋敷町が置かれていました。今では城下町特有の町並みはほとんど見当たらないが、かつての武家屋敷町の西にある三丁町には、べんがら格子や出格子の家並みが残っています。

  郊外には国宝の三重塔のある明通寺(同上右)、奈良東大寺の二月堂への「お水送り」神事が有名な神宮寺、行基の創建と伝えられる羽賀寺、京の都から祇園祭の流れをくむ例祭「放生会」の八幡神社(同下)など多くの史跡が残り、また都風の祭や行事が若狭各地に伝わっています。

  若狭からは多数の道が京都・奈良・丹波などに通じています。古代より朝廷へ食材を納めていた「御食国」、鯖などの若狭の海産物や特産物を運んだ「鯖街道」で知られています。

*https://www.usagitabi.com/obama.html より

 名刹の「お寺」がある

  小浜の歴史と御仏への信仰
  古代、若狭国(わかさのくに)の中央部に位置する小浜は、奈良や京都の都の食文化を支える「御食国(みけつくに)」として、また海を渡って往来する人と物資の大陸との玄関口として重要な役割を持つ拠点として存在していました。古の時代から「美し(うまし)小浜」と呼ばれた山紫水明のこの土地は、陸と海の両方から様々な人と文化が行き交う国内外に開かれた稀有な場所として豊かに発展を遂げてきたのです。
  仏教が政治的にも勢力を持った時代、小浜にも神社、寺院が数多く建立されました。若狭の仏像の特徴として、奈良や京都の仏像の造形に近い、優れた仏像が数多く伝わっていることが挙げられます。若狭国が都に近かったこと、そして若狭湾に面し、農林漁業だけではなく製塩や廻船などで栄えた豊かな地域であったことから、都の仏師へ仏像を依頼する財力があったことなどがその理由として考えられます。
  現在も、国宝や重要文化財を中心とした古刹や仏像が狭い地域の中に集中して数多く現存しています。古くは飛鳥時代、都が奈良の平城京にあった頃から、悠久の時を経てこの地を優しく見守る仏像も存在します。長く荘厳な歴史を持つ寺院だけではなく、集落の小さなお堂に仏像を祀る場も残ります。地域の人々の信仰の対象として、そして身近な存在として、心の拠り所になっている祈りの場がこの土地には多く在るのです。
  小浜の人々の篤い信仰心はどこから生まれたのでしょう。仏教が伝わる以前から、この地に住む人々は、豊かで穏やかなこの地の風土を信仰してきました。それが仏教と融合することで、深い信仰の対象となったのではないでしょうか。山岳信仰のある山懐に抱かれ、豊かな海に面した若狭小浜。大きな戦に遭うことなく、地域の人々によく守られた祈りの場は、長い歴史によって培われた 時間を優しく伝えてくれます。

*https://www.obama-8-temples.jp/history/ より

  小浜八ケ寺

  「霊応山 神宮寺」「棡山 明通寺」「石照山 多田寺」「護国山 国分寺」「地久山 圓照寺」「鳳聚山 羽賀寺」「岩屋山 妙楽寺」「延宝山 萬徳寺」

*https://www.obama-8-temples.jp/temples/#temples_8 より

 京都ゆかりの「寺院」がある
 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く

*https://www.little-kyoto.com/fukui/obama.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 福井 越前大野 2.

2022-07-13 06:40:28 | 小京都

 「北陸の小京都 越前大野」

 =福井県の小京都・越前大野の観光ポイント=
 江戸時代からの「城下町」

  「越前大野城」

  織田信長の武将・金森長近によって1575年(天正3年)頃に5年もの歳月をかけて築城されたお城。現在の天守閣は昭和43年(1968年)に再建されました。

  山々に囲まれた盆地の高台に立つお城。条件があえば雲海の上に浮かぶお城が見られるんです!10月〜4月上旬の早朝、気温差や風の強さにも左右されるので雲海が見られたらとてもラッキー。そこには神秘的な景色が広がって感動が待っていることでしょう。

  天守閣までは約20分。ちょっとしたハイキングになります。天守閣から見下ろす城下町の風景はすがすがしくて格別。新緑や紅葉の季節にも訪れたいですね。

  「七間通り」  

  大野市の市街のメインストリート、七間通り。町並みはまさしく城下町。石畳が敷かれていてとても風情のある商店街が続きます。昔ながらの建物やお店の看板に、思わず写真を何枚も撮りたくなってしまいます♪

  越前そばのお店も多いので、ランチにも困りません。人気の和菓子屋さん「伊藤順和堂 本店」で名物の芋きんつばを買って、のんびり散策してはいかが。

 名刹の「お寺」がある

  「宝慶寺」

  宝慶寺は、大野市街から西南に約10キロメートル、清滝川の上流に位置する名刹です。中国宋時代の高僧寂円が、永平寺の開祖道元禅師を慕い来日、弘安元年(1278年)に開いた大本山永平寺に次ぐ曹洞宗第二道場の寺です。道元禅師図像など多数の県指定文化財が保有され、また近くには国指定の重要文化財「旧橋本家住宅」があります。

 時代を超えて「武家屋敷」が残る

  「武家屋敷旧田村家」

  「武家屋敷旧田村家」は、越前大野城外堀の三の丸にあった田村又左衛門家の屋敷跡。田村家は大野藩の家老を務めた家柄で、県内でも数少ない武家住宅のひとつです。主屋を解体復元し、一般公開しています。また庭園には、大野城の土居跡の一部が築山として残っています。

  「武家屋敷旧内山家」

  幕末に大野藩の改革に尽力した家老、内山家のお屋敷です。母屋とはなれ、米蔵があり、当時の生活様式がわかる台所や味噌蔵、衣装蔵などまるでタイムスリップした気分になれます。

  数奇屋風の日本庭園は手入れが行き届いていて、みごと!の一言。しばし都会の喧騒を忘れられます。4〜5月、9〜10月の週末は庭園を眺めながらのお抹茶(300円)をいただけます。

*https://www.little-kyoto.com/fukui/ono.html より

*https://tripnote.jp/fukui/echizen-ono-osusume-spot より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小京都> 小京都の代表格だったが、今はそう呼んではダメな「金沢」

2022-07-12 07:32:02 | 小京都

 「小京都の代表格だったが、今はそう呼んではダメな「金沢」」

 市内の随所に加賀百万石の面影の残る金沢は、歴史的にも規模的にも、そして文化的にも小京都の中でも最大級である。歴代藩主が工芸などに力を入れたところから、市内の随所に、深く文化を感じさせるものがある。

 四季を通じて様々な表情を持った風景も楽しむことができ、その代表がかつて栄華を偲ばせる兼六園だ。歴史的には豊臣秀吉の信頼の厚かった前田利家が戦国時代の末期に金沢に入ってから城下の整備は早いスピードで進んだ。それ以前は、織田信長の配下であった佐久間家が整備をしている。かつては、歴史的にも画期的な、一向一揆の自治共和国があった土地でもある。

 現在の金沢は、古い街並みと伝統文化、近代的な高い建築物が共存している。

 特産品は加賀友禅、金箔などをはじめ、漆器、大樋焼、九谷焼など多数。

 庭園の美で知られる兼六園を始め、寺院、博物館、資料館などの見所も多い。とても一度の旅行だけでは見ることができない、たくさんの魅力が詰まった北陸一の都市だ。

 NHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」の放送に合わせて、金沢城跡地で『加賀百万石博』が開催された。

 =石川県の小京都・金沢市の観光ポイント=
 「女性に人気」の観光地
 時代を超えて「武家屋敷」が残る
 江戸時代からの「城下町」
 名刹の「お寺」がある
 京都ゆかりの「寺院」がある
 江戸時代からの「蔵」が見ることができる
 京都の影響を受けた伝統の「お祭り」が今も続く
 江戸時代からの「豪商の面影」を見ることができる
 町人文化が息づく

*https://www.little-kyoto.com/ishikawa/kanazawa.html より

 あえて「石川県の小京都・金沢市の観光ポイント」の詳細は調べることも必要ないだろう。

 

 見どころ満載の「金沢」。「小京都」の代表格と言われていたが・・・

 『金沢は「北陸の小京都」じゃない?金沢が小京都をやめた理由』
 金沢は小京都か?
 かねてより金沢という街は、その伝統文化や街並みを称して「小京都」という冠で語られてきた。確かに、和菓子や茶屋街、伝統工芸の継承、地の野菜や懐石料理の発達、川の流れる街並み、戦禍をまぬがれたこと…共通点は多い。

 そうだ、京都、行こう。けど、なんか定番すぎるし、ちょっと遠いし、混んでそうだな…。
 やっぱ。金沢にしとこう。小京都なんだし。なんか、アートとか雪とか蟹とかイイと聞くし。

 外から金沢という街を見たとき、「北陸の小京都」というくくりで語られがちだ。

 しかし、この「小京都」という看板を「金沢が自らが外した」。ということを意外と知らない地元民も多いのでは?
 今回は、「小京都」という通りの良い商売道具を、なぜ金沢は葬ったのか?そのワケに迫る。

 「小京都」ってなんだ?
 実は「小京都」と名乗るためには『全国京都会議』という団体に参加する必要がある。「小」とは言え「京都」と勝手に名乗っちゃいけないのである。

 『全国京都会議』に加盟するためには、
 ①京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある
 ②京都と歴史的なつながりがある
 ③伝統的な産業、芸能がある

 の三条件に一つ以上当てはまることが求められる。
 2019年6月現在、全国43市町が「小京都」と名乗ることが公式に認められており、そのなかには秋田県角館市や広島県尾道市、佐賀県伊万里市など、全国有数の観光都市の名が。北陸では、曳山や絹織物で知られる富山県の城端町も「小京都」を名乗ることが許されている。

 実は、金沢もかつては『全国小京都会議』に加盟していた。しかし2008年に退会。

 退会理由は、PR方針の変更・都市の成立基盤の違い。
 地域ブランディングの方向性を明確にし、「京都らしさ」という売りを捨てることで、独自の観光都市の形成へ舵を切った。

 よくよく見ると「京都に似てない」
 金沢という城下町は、「古都」として1000年をこえる歴史をもつ京都と比べれば、若い街。そして文化的には、公家を主体とする京都に対して、金沢は前田家という武士の文化。

 街並みも、碁盤の目状の京都に対して、金沢の複雑な道なりはさながら迷路。地元民でも、たびたび迷子になるほど。街の構造としては京都よりもむしろ江戸に親しみを覚えるという金沢の人も多い。

 ならば「小京都」よりも「小江戸」か?いいや、コッチは唯一無二の「大金沢」じゃ!
 とか言うと、角が立つので…。

 ただ、京都と真っ向勝負したり、その傘に入ったり、は卒業です。京都とガチ喧嘩したらボコボコにされるに決まってる!

 なにより、金沢は、国の『歴史まちづくり法』にもとづく、歴史まちづくり認定都市としては、京都よりも10ヶ月早い2009年1月に認定を受けた。京都より早いよ!コレ、憶えておこう。10ヶ月だけど!

 貴方は右へ、私は左へ。このような歴史的経緯を踏まえて、実は京都に似ていない金沢は「小京都」ではなくなったのだ。

 独自の世界都市を目指して

 1995年に策定された「金沢世界都市構想」では、小さくても世界の中で独特の輝きを放つ「世界都市 金沢」の形成がうたわれている。

 世界的な経済や政治の中心にはなれなくとも、歴史と文化にあふれたオリジナリティのある尊敬に値する街。保存と開発の調和のとれた世界都市を目指す金沢。茶屋街や兼六園を守りつつ、斬新な駅前広場や革新的な美術館を造り、ますます独自の都市形成を続ける金沢という街には明るい未来が待っている!はず!

 京都は大バッハである

 ここで、唐突にバッハのお話。

 バッハの旋律を夜に聴いたせいです、こんな心。

 みなさんご存知の大作曲家バッハですが、実は何人も存在する。
 一族総出の作曲家家系それがバッハ家。

 バッハ家でもっとも高名なのは『G線上のアリア』などで知られるヨハン・セバスチャン・バッハ。彼は「大バッハ」と呼ばれる。
 バッハ家は、その先祖や末裔にも多くの作曲家を生んでおり、彼らは偉大なる「大バッハ」と区別して「小バッハ」とか呼ばれたりする。

 という感じで相当無理やり「小京都」問題っぽく切り込んでみた。
 きっと、「小バッハ」のみなさんも、あまりに飛び抜けた存在の「大バッハ」に追いつけ追い越せの意気込みで作曲に励んだはずだ。そして、いつからか「小」であることを自認しつつ、独自の曲を奏でていったに違いない。大でも小でもグランデでもないぜ、俺バッハという感じで。

 まさしく金沢の目指すところもソコ!大でも小でもない、たったひとつの「金沢」へ。

 (文章/山本真己)

*https://bonno-web.com/machineta/4880/ より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする