いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

うまいッ! NHK「あっさりとしたコクとうまみ ニゴロブナ~滋賀県~」

2024-06-02 07:19:11 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「あっさりとしたコクとうまみ ニゴロブナ~滋賀県~」 2016年03月27日

 番組内容
 滋賀県を代表する発酵食品「ふなずし」。その原料となるのが琵琶湖に生息するニゴロブナです。中でも子持ちの雌は、あっさりとしたコクとうまみがあるのが特長です。ベテラン漁師に密着し、そのおいしさの秘密に迫ります。また、彦根市で毎年開かれている、ふなずし愛好家による品評会やふなずしを使った新レシピもご紹介します。さらに、激減したニゴロブナの漁獲量を、養殖で増やそうとする地元の人々の取り組みもお伝えします。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201603270615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「二ゴロブナ」

 ニゴロブナ(煮頃鮒、似五郎鮒とも。学名:Carassius buergeri grandoculis、Carassius auratus grandoculis)は、コイ目コイ科コイ亜科に分類されるフナ。日本の琵琶湖固有亜種で、琵琶湖やそれに流入出する河川、用水路などに生息する淡水魚である。

 一説では、尺(約30cm)以上に育つと、やはり琵琶湖水系固有の近似種のゲンゴロウブナに似るため、「似五郎鮒」と名付けられたとされる。

 形態
 全長 35cm 程度に達する。他のフナ種と比べて頭部は大きく、低い体高で、ずんぐりしておらず、体長:体高比は2.7倍である。身(体幅)は厚い。ナガブナ(諏訪湖産)に形状が似ているという。

 見分け方は、腹縁は角張っていることが特徴で、角ばった下あごは斜めに上向いている。鰓耙数は61(52-72)。条数は背鰭が1棘17(15-18)軟条、臀鰭は1棘5軟条を数える。

 生態
 仔稚魚は琵琶湖のヨシ帯内部、すなわち水草の豊富な内湾に生息し、水面近くから中層くらいの深さにいる。成魚は夏季には浅瀬にいるが、冬場は深層に潜んでいる。

 ニゴロブナの食性は主に動物性プランクトンに依存するが、草食性のヘラブナ用の餌であるイモダンゴを釣竿につけて釣ることもできる。

 また、成長の過程で食性の生態が変わる。ある研究では、2種類を同じ囲いのなかで観察したところ、体長1cmほどの仔魚(幼生)では、ニゴロブナはほとんど藻類を摂食しなかったのに対し、同サイズのゲンゴロウブナの消化管内容物には、カサで25-50%の藻類が認められた。したがってニゴロブナ幼生の餌は全て浮遊するミジンコ目など動物性プランクトンであったが、マルミジンコ属(Chydorus)を特に好み、ついでアサガオケンミジンコ属(Mesocyclops)を食し、豊富なシカクミジンコ属(Alona)は捕食しないなど、偏食性がみられた。対してゲンゴロウブナの幼生は、藻類・ワムシを餌としており、両種の棲み分けがうかがえた。

 しかしニゴロは体長 1cm 超の稚魚になると次第に藻類・ワムシが付着した水草をつつく行動をみせるようになり、2cm 級魚になると完全な雑食性をみせ、藻類(少量のワムシを含む)の割合が五分を占めるようになる。さらに成長すると、半底生の動物プランクトンを主な餌にするようになる。

 繁殖期は4月から6月にかけてであり、浅瀬や内湖などのヨシ帯に、雨期で水位が上がった時、水草に産卵する。孵化した稚魚は、成長するにつれて沖合に移動し、2-3 年で成魚となる。

 利用

 琵琶湖を擁する滋賀県の伝統的郷土料理である鮒寿司(なれずしの一種)の原料の食材として、珍重される。漁師は船上で、捕ったばかりの二ゴロブナを生食(刺身)やあら汁にして食べることもある。

 鮒寿司は本来ニゴロブナのみを使うが、漁獲量が激減しているので、ゲンゴロウブナの代用品が作られる(両種とも絶滅危惧種指定)が、本物は骨まで軟らかく仕上がると評価される。ギンブナを代用することもあるという。

 漁業規制
 年間漁獲量は、1965年当時は500トンと推計されるが、1989年には178トン、1997年には年間18トンに激減した。そこで水産所で稚魚の種苗を確保し、水田などから琵琶湖水系に放流する試みが行われている[15]。近頃では埼玉県あたりでも養殖されているという。

 滋賀県ニゴロブナ資源回復計画により、2007年4月1日より全長22cm以下の個体については漁獲が禁止されているが、漁業者の自主規制により6月から12月の間の採取が自粛されている。この規制は全長25cm以下への引き上げが検討されている。有害外来種の駆除、産卵場所の回復も必要とされている。

 生息数の減少
 種の激減の理由としては、開発・工事による産卵場所の減少、および外来種の影響が挙げられる。後者については、ブラックバスやブルーギルなど外来魚によって、成魚や卵の捕食が実際に生じていると指摘される。しかし根本的要因ではなく、深刻化をもたらす二次的要素との見方もある。

 ニゴロブナは琵琶湖のヨシ帯や内湖、水田に産卵する。そのヨシ帯の大半に湖岸堤が建設されており(1976–1991年)、内湖の数も(水田化のための干拓などにより)第二次世界大戦前の数分の一に減り、現存する内湖や田んぼへの移動も水門建設などで阻害される。

 水田へのルートは、水門で阻まれたというより、圃場整備事業によって、田底がかさ上げされて段差ができたうえ、水路ではなく塩化ビニール製のパイプを通じてポンプで吸い上げて流し込む方式に代えられたため、魚の通り道がないのが現状である。

*Wikipedia より

 現在、「琵琶湖と水田」をつなぐ事業が進められ、着々と進捗している。

 今年は私も「琵琶湖周辺」の水田に興味があり、4月より毎月訪れている。

 これが「魚道」。琵琶湖からの水を水田へとつなげている。

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うまいッ! NHK「シャキシャキした食感とほのかな苦み うど~東京・立川市~」

2024-06-01 07:26:03 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「シャキシャキした食感とほのかな苦み うど~東京・立川市~」 2016年03月20日

 番組内容
 春を告げる野菜、うど。光を当てずに栽培する真っ白な「軟化うど」は歯ごたえとほのかな苦みが魅力。産地の東京都立川市では、地下3mの穴蔵で栽培。独特の栽培方法に隠されているうまさの秘密を探る。立川市の商店街では、地元の食材・うどを愛する店主たちが、オリジナルのうど料理を開発。うどの消費拡大に懸命になっている。さらに番組では、外国人のシェフにうどを料理してもらい、うどの食材としての新たな可能性を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201603200615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「立川のうど」


 「東京うど」地下で育まれる純白の山菜 THE ROOTS OF SHUN (May 2020) (取材月: April 2020)
 日本各地に自生する山菜の「うど」は、古くから春の味覚として親しまれてきた。江戸時代から栽培が続く東京都の北多摩エリアでは近年、表皮が白くやわらかい「東京うど」を売り出している。とりわけ栽培が盛んな立川市にある、うど農家「鈴木園」を訪ねた。
 戦後、うどの一大産地に成長した立川市
 立川駅から車でおよそ10分、五日市街道沿いを走ると「うど」と大きく書かれた「鈴木園」の看板が見えてくる。300年の歴史がある農家で、18代目を継いだ鈴木博秀さんが迎えてくれた。

 さっそく案内されて園内の小屋に入ると、毛布やゴザが重ねられた一角が目についた。毛布をめくると、鉄格子で蓋をされた直径約1メートルの縦穴が現われた。3メートルほどの深さだろうか。

 はしごを使って底へ降り、ヘッドライトを点けると横穴に密生する真っ白いうどが照らし出された。立川市の特産品「東京うど」である。「ちょっと不思議な光景でしょ?」鈴木さんが誇らしげな表情を見せる。

 うどは大きく「山うど」と「軟化うど」にわけられる。いずれも春先から4月ごろまでが“旬”の時期にあたる。しかし、その見た目は対照的で、青々として野性みのある山うどに対して、軟化うどは透き通るような白い表皮をしている。

 こうした見た目の違いは、栽培環境が関係している。市場に出まわる山うどは自生する天然物か、ビニールハウスや路地で栽培されたものだ。一方の軟化うどには、日光をさえぎる「軟化栽培」が用いられている。光合成を抑制することで、葉緑体に含まれる色素である葉緑素による「緑化」が促進されず、うどの茎がやわらかくなる。もやしのように真っ白いまま成長し、シャキシャキとした食感が楽しめるが、山うどよりもえぐみがなく、さっぱりした味わいになる。

 軟化うどのなかでも、東京都内でとれたものだけが「東京うど」のブランド名で流通する。立川市をはじめ、武蔵野市、国分寺市、小平市などの北多摩エリアで栽培が盛んだ。軟化の手法も時代の移ろいとともに進化してきた。

 東京のうど栽培の歴史は、江戸時代にまでさかのぼる。文化年間(1804~1818年)、尾張地方からうどの根株が持ちこまれ、現在の武蔵野市を中心に産地が広がった。当時は、畑に植えたうどのまわりに土を盛って日光をさえぎる「盛土軟化」による軟化栽培が主流だった。しかし、うどの栽培に最適といわれる気温17~18℃を保ちにくいため、収穫期が安定しなかった。

 そこで「溝式軟化」が考案された。畑に掘った溝にうどを植える栽培方法で、むしろや土をかぶせて気温を調整する。手間はかかるが、季節による気温差を軽減できる。

 昭和20年(1945年)ごろ、武蔵野市の農家が試行錯誤を重ね、地下に掘った穴ぐらで栽培する「横穴式軟化」を確立させる。「室(むろ)」と呼ばれる穴ぐらの中は、気温が保ちやすく遮光性にも優れる。土で汚れにくいため飲食店や八百屋からの評判も良い。やがて、溝式軟化に取って代わるかたちで定着していった。

 横穴式軟化が立川市に伝わったのは、昭和30年(1955年)ごろ。ちょうど養蚕業が衰退を迎えていた時期で、うど栽培に鞍替えする農家が次々と現れた。

 土壌も栽培に適していた。一帯は、関東ローム層といわれる地質で土に粘り気があるため、室がくずれにくく、手入れに手間がかからなかったのだ。

 立川市でのうど栽培は瞬く間に活況を迎え、最盛期には500トン以上の収獲量をあげた。現在に至っても都内一位の収穫量を誇る。近年は、丈が短く持ち運びしやすい軟化うど「立川こまち」も開発し、さらなる販路拡大に取り組んでいる。

 山菜のイメージを覆す「東京うど」の滋味
 鈴木さんがうどを栽培するようになって、およそ20年になる。収穫期は12月から翌年4月まで。毎年11月末には、年末出荷のために根株を植える「ふせ込み」が始まる。

 室の中とはいえ、気温調節にも細心の注意を払う。冬場は室で薪を焚くこともあるという。数週間に一度の水やり以外は、人の出入りも極力控える。風が当たっただけで変色する、と言われるほどうどは繊細だからだ。白く美しい茎は、丁寧に育ててきた“証明書” のようなもの。だから「取材で人が出入りするときは、気が気じゃない」のだという。

 根株をふせ込んでから30日から40日が過ぎ、70センチメートルほどの高さに成長したら収穫する。

 「12月の出荷を終えたら、保管していた根株を新たにふせ込んで翌年1月の出荷分を栽培します。あとは2月、3月と生産量を調整しながら、栽培と出荷を繰り返す。少量ではありますが、春以外のシーズンも出荷しています」。

 うどが育てられている空間は、1メートルほどの高さしかないため、収穫作業も一苦労だ。かがんだままの作業が続くため、脚や腰を悪くする農家も少なくない。鈴木さんは体に負担をかけないよう、手際よくうどを刈り取り、木箱に詰めていく。木箱を引き上げるのは地上で待つ妻・和子さんの仕事。木箱を作業小屋に運びこむと、和子さんがうどの箱詰めに取りかかった。

 「日に当たるとすぐに緑化が進むので、収穫後は時間との勝負です。きれいな状態でみなさんに食べてほしいですからね」と、和子さん。

 鈴木園の年間出荷数は、およそ4000本。一部は直接契約先へ。残りは地元のスーパーや直売所に並び、家庭の食卓に春を届ける。定番料理は、天ぷらや酢味噌あえだが、和子さんはうどの炒め物をおすすめする。

 「食感を楽しむならシンプルな料理が一番。うちでは塩こしょうだけで味つけした炒め物をよく食べています。使い切れなかった分は、新聞紙にくるんで日の当たらない場所に保管するといいですよ」。

 山うどやわらびなどの山菜は、あく抜きするのが一般的だが、東京うどはあく抜き不要で生でも食べられる。鈴木さんにうながされて収穫したばかりのうどにかぶりついてみると、シャクっと小気味いい音がして、ほのかな甘みが口の中に広がった。瑞々しく、さわやかな香りが後をひく。

 「うどのイメージが変わったでしょ? どんな人でもやみつきにさせる自信がありますよ」と、鈴木さんがその日一番の笑顔を見せた。

 立川のうどを世に知らしめた「うどラーメン」
 「東京うどは、繊細な味わい。その魅力を壊さないよう料理するのが腕の見せどころかな」。

 そう話すのは、立川市にある中国料理店「五十番」の高橋昌裕さん。創業は昭和38年(1963年)、高橋さんが店を継いでから、東京うど料理も提供するにようなった。きっかけは、平成5年(1993年)に五十番で開かれた「東京うど生産組合連合会」の総会だった。

 「立川には東京うどが食べられる店が一軒もない」。

 そんな組合員の嘆きを聞いた高橋さんは、うど料理の開発に名乗りを上げた。ところが、メニュー開発は一筋縄には進まない。うどを安定供給する体制は整えられるのか、季節によって変動する仕入れ値に対応できるのか――、さまざまな問題に直面する。

 「高級料理にはしたくありませんでした。かといって、採算度外視というわけにもいかない。組合員や生産者、料理人仲間と協力しあって、課題をクリアしていきました」。

 2年に及ぶ開発期間を経て、完成したのが「うどラーメン」だ。これは広東麺をアレンジしたもの。ラーメンにかかっているあんには、東京うどをはじめニンジンやタケノコ、さやえんどうなど色とりどりの野菜を使用する。

 販売するなり、雑誌やテレビで大きく取り上げられ、立川のうどを一躍世に知らしめた。その後も、イカの炒め、サラダ、衣揚げといったうど料理を次々と開発。食材の可能性を切り拓いていった。

 「お客さんの“美味しいなあ”とか“面白いなあ”って反応が原動力になっています。うどに限らず、これからも地元農家を応援していきたいですね」。

 うどラーメンが誕生しておよそ25年、市内でうど料理を出す店もそれほど珍しくなくなった。スーパーや直売所には、惣菜や調味料、スイーツといったうどを使った商品が並び、地域をあげて東京うどを盛り上げている。これからも世間をあっと驚かせるような、新たなうど料理が現われることだろう。

 情報提供:鈴木園 鈴木博秀さん
 “旬”の時期 12~4月

 目利きポイント 白くまっすぐ伸びているもの

 美味しい食べ方 食感を楽しむならシンプルな食べ方がおすすめ。塩こしょうで味付けする炒め物など。

*https://shun-gate.com/roots/roots_89/ より

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うまいッ! NHK「白さが命!コリコリ食感とほのかな甘さカリフラワー~徳島県~」

2024-05-31 08:44:49 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「白さが命!コリコリ食感とほのかな甘さカリフラワー~徳島県~」 2016年03月13日

 番組内容
 生産量日本一を誇る徳島市のカリフラワー。真っ白な見た目に、コリコリとした食感とほんのりとした甘みが特長です。生産者は、一株ずつ葉を折って、遮光することで美しい白さを生み出しています。収穫最盛期を迎えた産地を訪ね、そのおいしさの秘密に迫ります。さらに、ここ数年、色や形が違う新しい品種が続々登場。また、食べ方も丸ごと焼いてステーキにしたり、スイーツにしたりと進化中。カリフラワーの最前線をご紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201603130615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「徳島のカリフラワー」

 【徳島県徳島市】 やさしい甘みが詰まった純白の花野菜 カリフラワー 文◎来栖彩子 撮影◎磯野博正

 名前に「キャベツの花」の意味があるカリフラワー。
 食用としているのは蕾(つぼみ)の集合した花蕾(からい)部分で、ブロッコリーが突然変異で白くなったものといわれています。
 日本には明治初期に渡来し、戦後の洋食文化の広がりとともに需要が高まり、ホワイトアスパラガス、セロリとともに「洋菜の三白」と呼ばれ、広く親しまれるようになりました。
 徳島市川内町(かわうちちょう)地域はカリフラワー栽培70年以上の歴史があるこだわりの産地です。
 川内ブランド「華てまり」

 「品質で勝負しています」と、生産者の多田和宏さん
 吉野川の堆積平野に位置する徳島市では、肥沃な土壌に恵まれ、温暖で雨の少ない瀬戸内式気候を生かして多種多様な農作物が生産されています。
 「カリフラワーは、昭和26年(1951年)頃に川内町地域で米の裏作として導入されました。当時はまだ新しい野菜で試行錯誤しながらも、導入当初から白く美しい高品質のカリフラワー作りにこだわってきました」とJA徳島市東部営農経済センターの小谷拓也さん。
 栽培から収穫、出荷までのすべての段階で“白さ”を追求して作業を徹底することで、全国から「川内のカリフラワーを」と求められ、川内ブランドを築きあげました。
 JA徳島市川内カリフラワー部会では、とくに品質の高いものを「華てまり」のブランド名で出荷しています。出荷期間は9月下旬から翌年6月中旬まで。収穫最盛期は12~2月、4~5月となります。
「今では全国各地にカリフラワーの産地がありますが、川内カリフラワー部会は、カリフラワー栽培の先駆者として培った70年の経験とこだわり、さらなる栽培技術の向上で、どこにも負けない純白のカリフラワーをお届けできるよう努めています」と小谷さん。
 とくに12月から2月の冬場のカリフラワーは「光を放つような際立つ白さで、蕾がかたく締まって食感もよく格別」だそうです。
 また、カリフラワーは鮮度が命。鮮度を保ったまま届けられるよう、午前中に収穫し、集荷場で真空予冷をかけてから当日中に出荷。保冷トラックで輸送するコールドチェーン体制が確立されています。
 慎重に丁寧に扱い白さを守る
 収穫して大きな外葉を落として運搬と、すべての作業を手早く慎重に行います
 7月初旬に種まきが始まり、20日~1ヵ月かけて苗を育て、畑に植えつけます。
 「玉に日光が当たると黄色く色づいてしまいます。白さを保つために葉を大きく育てて遮光します」と話す生産者の多田和宏さんは、後を継いで2年目、24歳の若手生産者です。水田から転作した畑と米との二毛作の田んぼの約3ヘクタールでカリフラワーを栽培しています。
 「祖父の時代に川内でカリフラワーの栽培を始めることになり、祖父、父と川内ブランドを作り上げて繋いできました。カリフラワーはデリケートな作物なので手間がかかりますが、丁寧に扱って手をかけただけきれいなカリフラワーができるのが嬉しいですね」。
 花蕾がピンポン玉くらいの大きさになったら、葉を中に折り込んで日除けをします。湿気がこもると傷みが出るので折り込んだ葉をまた戻したり、葉と玉が擦れないようにしたりと、常に一つひとつの玉の様子を確認しながら作業します。
 植えつけてから収穫まで1~2ヵ月。時期によって生長するスピードが違うので、9〜6月まで出荷し続けられるよう、品種を選び、畑をずらしてタイミングを合わせながら2~3週間ごとに種まき、植えつけをし、収穫も同時進行していきます。
 「最後まで花蕾に触れないよう丁寧に扱います」と多田さん。
 収穫はひと玉ずつ茎の根元を鎌で切り、まずその場で簡単に外葉を落とします。花蕾が擦れないように自宅へ運び、土などの汚れは霧吹きで落とし、再度、丁寧に外葉を調整して選別し、箱詰め。少しでも擦れたり押されたりすると変色するため、箱の中で動くことのないよう詰めます。最盛期は朝5時半から1日に1500個ほど収穫し箱詰め、約200箱を午前中のうちに出荷します。
 「受け継いだブランドを守りつつ、さらに品質をあげて生産量を増やし、もっとたくさんの人に川内の純白のカリフラワーをお届けしたい」と、土壌分析を行って土づくりをしたり、新しい技術の導入や調整作業を効率化するなど、積極的にチャレンジしています。
 生食やさっとゆでてコリコリとした食感を楽しむのはもちろん、グラタンや煮込み料理などでも大活躍のカリフラワー。「天ぷらにするのがとにかくおいしい!ホクホクとして優しい甘みがあります。酢の物や、1玉丸ごと逆さに入れて、鍋にして食べるのもおすすめ」とのことです。
 白く美しいカリフラワーは食卓を一段と明るくしてくれます。幅広くいろいろな料理にアレンジしてみてください。
(取材:2022年5月上旬)
 ●JA徳島市
 【カリフラワー】生産概要
 生産者数:約70名
 栽培面積:約43ヘクタール
 出荷量:約1200トン
 主な出荷先:関西、関東、中四国

*https://apron-web.jp/furusato/11982/ より

 

 徳島県 徳島市農業協同組合(カリフラワー)
 「締りが良く純白な川内産カリフラワー」 徳島市農業協同組合川内支所 営農課 課長代理 田中 億昇

 産地の概要

 徳島市川内町は、県の中央を流れる吉野川の河口部北岸に位置しています。地域には、工場地帯や大型商業施設なども多く、農地と住宅地が混在した「都市的地域」に分類されています。

 徳島市農業協同組合(以下、「JA徳島市」)川内支所管内の気象条件は、瀬戸内海型気候に属し、年平均気温16.2度、年間降水量1,540ミリ、同日照時間2,044時間で農産物の生産には適した環境です。

 ほ場は、海抜ゼロメートルに位置しており、土壌は、冬場でも乾燥しすぎない土質という特徴があります。また、農業生産地域は、水稲にカリフラワー栽培を組み合わせた「水田地域」、かんしょに秋冬だいこんを組み合わせた「砂地畑地域」、れんこんを栽培する「湿田地域」に分類されます。

 JA徳島市川内支所管内のカリフラワー栽培は、昭和26年頃に水稲の後作として、当時の徳島県立農業試験場が栽培を奨励し開始されました。その後、昭和43年頃から作付面積は増加し、昭和44年にはJA徳島市川内支所に花やさい部会が設立され、生産量は増加し、ピークの昭和60年頃には100ヘクタールを超える栽培面積がありました。

 栽培当初は、収量も10アール当たり約2トンと少なく、生産性は悪かったものの、その後の品種選定や栽培技術の向上により、収量、品質ともに向上しました。

 現在では、年間約22万ケースを出荷する全国有数のカリフラワーの産地となりました。

 平成21年のJA徳島市管内のカリフラワー部会員数は90名、栽培面積は55ヘクタールで、1戸当たりの栽培面積は60アールです。

 しかし、生産者の平均年齢は65歳と、高齢化に対応した産地づくりが今後の大きな課題となっています。その中で、新たにカリフラワー栽培を始める生産者も現れており、面積規模も異なるさまざまな生産者が協力し合って産地の厚みを増しています。

 生産、栽培上の特色

 品種の選定は、作型を5つに分割し、作型ごとに奨励品種を選定しています。これらの作型の中で、各生産者が自らの労力に見合った作型を選択し、出荷期間中の安定供給を目指しています。

 生産の省力化については、平成3年頃にセルトレイ苗育苗が、平成10年頃から定植機と動力収穫車が導入され、農家1戸当たりの栽培面積の増加につながりました。

 また、全生産者において土壌分析を2年に1度実施しており、減肥栽培や病害対策を含めた土づくりの推進を積極的に行っています。

 出荷販売の工夫

 (1) 品質向上対策

 個々の生産者が選別・箱詰めを行っていますが、JAの共同出荷となる「個選共販体制」による出荷となることから、生産者間の規格の統一と品質の個人格差を是正するため、定期的に規格・品質の目慣らし会を行っています。

 出荷規格については、高温時期のスレによる品質低下(強く手で触れたりすることによる変色)を軽減するため、基本規格以外に季節に対応した特別規格を設けています。

 また、出荷に際しては、出荷期間を通じ真空予冷(野菜から出る熱を奪い、野菜を芯から冷やし、鮮度と栄養分を維持する)を施した出荷を行っています。

 (2) 販売方法

 出荷規格は、2階級6段階、6キログラム入り段ボール箱です。出荷先は、京阪神市場が42パーセント、京浜市場が23パーセント、中京市場が18パーセントなどとなっています。出荷体制は、午後2時までに生産者がJA集荷場に持ち込み、品質検査と予冷処理を行い、各卸売市場に向けてトラック便で発送されます。

 (3) 販売戦略

 2月ごろの収穫の最盛期には、出荷量が日量2千ケースを超えることから、生産者からの集荷状況を常に把握するとともに、各卸売市場の担当者との連絡を密にするなどして、出荷物が出荷先の市場でダブつくことのないよう、各市場への出荷量の調整には細心の注意を払っています。また、市場出荷以外にも量販店や生協に対して販売の提案も行っています。

 産地の認知度を上げるために、地域の伝統芸能である人形浄瑠璃「阿波十郎兵衛」のロゴマークを商標登録し、JA徳島市川内支所産の生産物の化粧箱に添付しています。

 消費宣伝に関しては、カリフラワーの料理レシピが入った産地紹介リーフレットやポスターを作成し、量販店やスーパーを通じて消費者の方々へ配布しています。

 また、学校、病院などの給食への供給も積極的に行うとともに、生産履歴の記帳は全生産者が取り組むなど、安全・安心なカリフラワーの生産を心がけています。

 一言アピール
 カリフラワーの花蕾(約3万個の花のつぼみ)は生育中、日光に当たると黄色く日焼けし純白さが失われ、見た目も悪くなることから、栽培期間中は外葉を折り直接日光に当たらないように大事に育てられます。また、花蕾はスレに弱く、強く手で触れた箇所から変色してしまいます。
 そのためカリフラワーは、ブロッコリーと異なり、スレを防ぐために皆様の手元に届くまで外葉をつけたまま販売されます。

 美味しいカリフラワーを選ぶコツは、
 「白くて締りの良い(隙間のない)モノ」が良いですよ。

 美味しく料理するコツは、
 「酢を加えて湯がくこと」でサクサクした食感となり、より美味しくなりますよ。

 “純白さ”が命の川内産カリフラワーを是非ご賞味下さい。

 お問い合せ先 担当部署:徳島市農業協同組合川内支所

*https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/santi/1003_santi1.html より

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うまいッ! NHK「やわらかで甘みたっぷり!広島わけぎ~広島・尾道市~」

2024-05-30 07:54:40 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「やわらかで甘みたっぷり!広島わけぎ~広島・尾道市~」 2016年02月28日

 番組内容
 生産量日本一を誇る広島産の「わけぎ」。シャキシャキの食感とまろやかな香り、そして強い甘みが特長です。生産者は、畑の土に海砂を混ぜ、塩分のストレスによって甘みを引き出しています。また、収穫後も根元を一本ずつに分け、手で薄皮を取り除くなど食感や香りを損なわないよう出荷しています。100年の歴史ある産地を訪ね、おいしさの秘密に迫ります。さらに、わけぎのおいしさを知ってもらおうと開発された新レシピも紹介。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201602280615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「広島わけぎ」

 セールスポイント
 産地の歴史:広島のわけぎ栽培は明治初期から始まりました。昭和40年頃から広島わけぎとしての販売を行っており、生産数日本一の産地です。

 こだわり:わけぎは花が咲いても種が出来ないので、自分たちで球根を増やして栽培を行っています。

 商品の特徴
 食味:ネギに比べ、味と香りが優しく上品な食味となっています。また、火を通してもシャキシャキとした心地よい食感が楽しめます。
 葉の部分と根の部分で食味が違うので、根部をアヒージョにして仕上げに刻んだ葉を振りかけるといった食べ方もできます。

 栄養価:ビタミン類が豊富で、特にビタミンAとビタミンCを多く含んでいます。
 ネギに比べてカルシウムなどのミネラル分が多く含まれているのも特徴です。

 栽培に関する特徴
 栽培の特徴:長い歴史の中で品種の選定を繰り返した結果、1年を通して栽培出来る技術を確立させました。

 栽培環境:瀬戸内の温暖な気候の中で、潮風と太陽をいっぱいに浴びて育っています。

 栽培方法:種子ではなく、種球を栽培して植えつけます。また、わけぎは一球植えつけると株分かれして増えます(20~30倍)。
 ※分けつして増えることから、子孫繁栄の象徴ともいえる食材です。

 その他
 【食べ方提案】
 定番の料理法はぬたですが、ざく切りにして炒め物、鍋物など様々な調理法で召し上がれます。
 刻んで汁物や麺類の薬味にするとわけぎ特有の優しい香りが楽しめます。
 また、刻んだわけぎとカツオ節をご飯に振りかけ醤油で食す「わけぎご飯」は上品さと野趣が同居した絶妙な味わいで、地元ならではの食べ方となっています。

 【取扱上の注意点】
 品質管理(要冷蔵等):通常の冷蔵保存(目安は5℃)

 賞味期限:設定はできませんが、冬期では1週間は十分に日持ちします。

 その他鮮度維持等:保存する量が多いときは、ボイルして冷凍するのをお勧めしています。

 取り扱い店 株式会社浮田青果

 出荷可能時期
 1月 ○○○ 上中下 2月 ○○○ 上中下 3月 ○○○ 上中下 4月 ○○○ 上中下

 5月 ○△△ 上中下 6月 △△○ 上中下 7月 ○○○ 上中下 8月 △△△ 上中下

 9月 ○○○ 上中下 10月 ○○○ 上中下 11月 ○○○ 上中下 12月 ○○○上中下

 一般出回り次期
 1月 ○○○ 上中下 2月 ○○○ 上中下 3月 ○○○ 上中下 4月 ○○○ 上中下

 5月 ○△△ 上中下 6月 △△○ 上中下 7月 ○○○ 上中下 8月 △△△ 上中下

 9月 ○○○ 上中下 10月 ○○○ 上中下 11月 ○○○ 上中下 12月 ○○○ 上中下

*https://www.hiroshima-ouen.com/436 より

 主な産地 広島県
 出回り時期 10月~翌年3月
 今回は青ネギとよく似た姿のわけぎのご紹介です☆

 広島県はわけぎの生産量NO.1★
 広島県の中でも尾道市や三原市などが有名です♪

 わけぎはネギと玉ねぎの雑種とされ根本の部分に膨らみがある形(球根)をしており分球して増え、種はできないのが特徴。

 その株分かれをして成長していく様子が子孫繁栄を表す縁起物とされひな祭りで食べる風習もあります★

 周年で栽培はされていますが収穫最盛期は3月中旬から5月上旬の春 9月から11月にかけての秋です。

 わけぎはクセが少なく、香りもソフト。
 ネギ特有の辛みが少ないうえに、甘みがあります。

 さっとゆでたわけぎを酢味噌で和える「ぬた」はわけぎの旨味を生かした料理♪

 広島では、あさりを入れて食べる方も多いのではないでしょうか♪

 広島県以外の方も是非、簡単にできる「ぬた」をご賞味ください★

*https://www.hirojirushi.co.jp/season/vegetables/20200222/ より

 

 今月の野菜

 産地紹介:広島県 JA尾道市 ~伝統の技と瀬戸内の恵みがつまった広島わけぎ~

 尾道市農業協同組合 営農販売部 営農販売課 係長 村上 裕一

 1 地域の概要
 尾道市農業協同組合(以下「JA尾道市」という)は、広島県東部に位置し、島しょ部を含む南部の尾道市(瀬戸田町を除く)と県中部の世せ羅ら町ちょうを管轄している。

 尾道市の島しょ部および沿岸部は、平均気温15~16度、年降水量1200ミリと温暖で少雨な地域であるが、県中部の台地は年間平均気温が12~13度と比較的低く天候は変化に富む。故に、管内で栽培されている品目は多岐にわたる。平成28年度のJA尾道市の販売実績は、約34億7319万円で、その内訳は、米穀類8億8183万円(25.4%)、果樹9億5255万円(27.4%)、野菜7億566万円(20.3%)、畜産1億2324万円(3.5%)、花き3585万円(1.0%)、直売所に出荷された産直品が7億7405万円(22.3%)となっている。果樹は、はっさくを中心とした柑かん橘きつ類、梨、いちじく、野菜は、わけぎ、アスパラガス、さやえんどうなどの生産が盛んである。

 2 わけぎについて
 わけぎはユリ科のネギ属に属し、ねぎとシャロットが交雑してできた品種で、ねぎの仲間であるがねぎとは違う独特な香りを持っている。

 ねぎが種子を形成して子孫を増やすのに対して、わけぎは種子を作らず鱗茎と呼ばれる球根が分かれて増殖することにより子孫を増やす。土に植えた1球の球根が半年間で50球以上になることもあり、「子宝に恵まれる」縁起物として桃の節句に好んで食されてきた。

 3 尾道市のわけぎ生産と販売について
 (1) 産地の概要
 平成28年度における、JA尾道市管内のわけぎ生産者数は129戸、作付面積は40ヘクタールで、出荷量は309トン、販売金額は2億5900万円であった(図2)。

 栽培地域の内訳をみると、島しょ部の向島町岩子島が79名、因いんの島しまが13名、沿岸部の吉和町周辺が33名、その他が4名であり、尾道市内においてもわけぎを栽培している地域は限定されている。

 中でも向島町岩子島は、周囲7.5キロメートル、人口は600名に満たない島であるが、28年度出荷実績309トンのうち232トン(75%)が岩子島で生産されている。島内のいたる場所にわけぎが植え付けられており、まさに「わけぎの島」と言える。

 尾道市の島しょ部および沿岸部でわけぎ栽培が拡大、定着した理由は、砂地の土壌と年間降水量が少なく温暖な気候が栽培に適していたためと考える。

 (2) 主な作型と品種
 わけぎ農家のほとんどが家族経営である。1圃ほ場じょうで年間平均2~3回の植え付けをするが、トマトなど他の夏野菜との複合経営を行っている農家も多い。

 現在「広島わけぎ」として出荷されている主な品種は、広島1号、2号、3号、5号、7号、11号の6品種である(図3)。

 わけぎは、球根により栽培する品目で、販売用の青果を生産しながら、同時に種球となる球根を農家が自ら育てて採取する。

 これらの品種は、長年わけぎ農家が代々自家採取してきた種球を特性により選抜して品種化したもので、広島わけぎの出荷者以外には原則譲渡禁止とされている。

 選抜による品種の多様化は、周年出荷を実現するために行われたものであり、それが産地の伝統的な技術力となり、他産地の追随を許さない圧倒的なシェアを築いてきた大きな要因となった。

 平成26年に導入した新品種、広島12号および13号は高温期の生育が優れており、試験栽培を行いながら落ち込みが激しい5月~7月の出荷の回復を図っている。

 (3) 栽培について
 栽培における機械化はほとんどされておらず、植え付けから収穫までほぼ手作業である。前述した通り、農家自身で種球の栽培と採取をしており、5月に掘り上げた種球を軒先やビニールハウス内に吊り下げて貯蔵しておいて、それをその都度、一球にばらして植え付ける。生育が早い7月から8月は、植え付けから30日前後で収穫できる。一方、長い時には植え付けから半年かかって収穫となる。

 (4) 機械の導入でスピードアップ
 出荷規格としては、1束ごと小袋で包装をした30束入り(写真3)と包装のない20束入りがある。そのほかに、加工・業務用向けに3キログラムのバラ詰めの出荷形態がある。

 従来は、個人で所有する皮むき機で不要な葉を除去して、出荷規格に沿って選別、重量を計量して、一束ごと輪ゴムで束ねてJA集出荷場へ持ち込んでいた。これらの調製作業は家族労働時間の7割以上を占めており、負担が大きく、意欲ある担い手の規模拡大の制限要因となっていた。

 そのため、平成21年~27年にかけて、処理能力が高い皮むき機(4台)と小袋用規格で個々の農家の1束ごとの計量・結束作業が不要になる自動計量結束包装機(2台)をJA尾道市の集出荷場へ設置した。このことで、農家はバラ詰めで集荷場に持込むことが可能となり出荷作業が省力化されるとともに、皮むき作業がスピードアップすることになった。

 4 「広島わけぎ」ブランドは50周年
 わけぎは、全国生産量の約6割を広島県が占め、県内の産地は尾道市と三原市に集中している。両市におけるわけぎ産地の形成は明治時代とされ、戦前には既に大消費地の関西向けに出荷されていた。

 産地拡大のきっかけは、生産面では、昭和60年代に周年出荷体制を確立したことにある。わけぎは、長日、高温条件の5月~7月は休眠期にあたり生育が止まってしまう。しかし、昭和60年代に入り休眠を破る技術が確立され、この時期に出荷することが可能になった。

 併せて、ビニールハウス栽培の普及により厳寒期に安定的な収量を確保することが可能になり、急速に年間の出荷量が増加した。

 また、販売面では昭和33年にJA尾道市(当時)、JA三原(当時)、JA向島町(当時)の3農協において合同の生産者組織「広島わけぎ部会」が形成されたことにある。その後、昭和43年に3農協による統一ブランド「広島わけぎ」の共同販売が開始され、販売金額は、昭和55年に10億円、平成2年に15億円を記録した。しかしながら、平成28年度は3億3500万円で最盛期の約5分の1程度に落ち込んでいる。

 16年に広島県内において農協の広域合併が実施されJA尾道市とJA向島町は合併しJA尾道市となった。現在もJA尾道市、JA三原の2農協での共同販売は継続されており、29年9月に尾道市内に関係機関や市場関係者が一同に会し「広島わけぎ共販50周年記念大会」を盛大に開催した。

 5 寒さに当たって甘みの増すわけぎ
 「広島わけぎ」の主な出荷先は、大阪、京都を中心とした関西と広島県内の卸売市場で、全出荷量の8割を関西市場、2割を県内市場に出荷している。28年度の平均単価は、1キログラム当たり563円であった。

 周年供給が可能な「広島わけぎ」だが、市場に出回る量が多いのは10月~11月と2月末~3月となっている。最大の需要期は桃の節句に向けた時期で、産地の出荷も2月末から3月上旬に最盛期となる。この時期の寒さにあったわけぎは甘味とうまみが増している。

 6 「わけぎ塾」で新規栽培者へ支援   ~消費者との交流で消費拡大~
 JA尾道市は、平成22年から新規栽培者向け講習会「わけぎ塾」を開催し、新規栽培者への支援を行っている。受講者は延べ30名を超え、就農後に規模拡大を進め、すでに産地の中核を担っている生産者もいる。

 また、全国農業協同組合連合会広島県本部と連携して、わけぎ餃子などの加工品の販売やレシピ作成による食べ方提案、最大の消費地である関西の消費者を尾道市に招いて生産者と交流するイベントを企画しており、30年は三原市で開催予定である。

 近年は、地場企業とのコラボ販売などに力を入れ、宿泊施設や地元食品加工メーカーへ、わけぎを取り入れたメニューの提案を積極的に実施している。すでに尾道市内ホテルのレストランでわけぎ料理の提供が始まり、お土産として人気があるかまぼこ店でわけぎかまぼこの販売が開始された。

 今後もこのような取り組みを拡大して、伝統と高い生産技術に裏打ちされた「広島わけぎ」のブランド力をさらに強固なものとしていきたい。

 ◆一言アピール◆

 当地では、安心、安全でおいしいわけぎを生産するために日夜はげんでいます。
 特に春に出回るわけぎは一度寒さにあたって甘味とうまみが増しています。瀬戸内の太陽の光をしっかり浴びて育った「広島わけぎ」をぜひご賞味ください。

 ◆お問い合わせ先◆

 担当部署:尾道市農業協同組合 営農販売部 営農販売課

*https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/santi/1804_santi1.html より

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うまいッ! NHK「プチプチぴりり!からしめんたいこ~福岡・福岡市~」

2024-05-29 08:16:24 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「プチプチぴりり!からしめんたいこ~福岡・福岡市~」 2016年02月14日

 番組内容
 福岡名物としてあまりにも有名なからしめんたいこ。プチプチとした食感とピリッとした辛みの利いたうまみが特長です。昭和24年に韓国・釜山のたらこのキムチ漬けをまねて、福岡で開発されたといわれています。福岡県内には300を超える製造会社があり、自慢の味を競っています。北九州市のメーカーを訪ね、そのおいしさの秘密に迫ります。さらにめんたいこの加工品として知られる「いわしめんたいこ」の開発秘話も紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201602140615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「からしめんたいこ」

 辛子明太子(からしめんたいこ)は、スケトウダラの卵巣(たらこ)を塩漬け熟成し、塩抜き後に唐辛子・昆布・砂糖・醤油などの調味液に漬け込んで発酵させた惣菜である。

 概要
 朝鮮半島の「唐辛子やニンニクをまぶした塩漬けタラコ」である「明卵漬(ミョンランジョ)」を元に、ふくやの川原俊夫が日本人向けの志向に合うように鰹節や砂糖を加えるなど工夫を加えて生み出された。ふくやが製造法を独占せずに他企業へ教えたことから日本全国へ普及した。明卵漬は強いニンニク・塩辛さで韓国人にも好みが分かれやすいものであったため、日本式の明太子が明卵漬の韓国国内流通量・知名度を大きく上回り、2018年時点では日本式の明太子が普及している。

 語源
 スケトウダラのことを朝鮮語で明太(명태、myeongtae、ミョンテ) と呼ぶことに由来するという。朝鮮王朝時代の日記である『承政院日記』の孝宗三年(1652年)の条に「明太卵」と記載されているのが「明太」の語の初出である。朝鮮王朝時代末期の学者である李裕元が記した『林下筆記』によると、「明太」の語の由来は、明太を釣り上げた明川郡の「太」を氏とした漁師に由来するという。なお、朝鮮半島東南部の方言では、「明太」を「メンテ」と発音する。ただし、現代朝鮮語においてはタラコのことを「明卵」(명란、myeongnan、ミョンナン)と呼ぶため、明太子という表現は日本独自のものである。

 なお、日本で「鱈」の字が文書に現れるのは1670年であり、そもそもは「スケト」という呼び名だった。中国では普通話(標準語)ではスケトウダラのことを「黄線狭鱈」(繁体字: 黃線狹鱈、簡体字: 黄线狭鳕、拼音: huángxiànxiáxuě)と呼ぶが、東北官話(中国東北部の方言)ではスケトウダラを「明太魚(明太鱼、míngtàiyú、ミンタイユィ)」と呼ぶことがあり、ロシア語でも「минтай(mintaj / mintay、ミンタイ)」と呼ぶことがある事からロシア起源と言う主張もある。

 韓国での明太は日本のたらこと違い辛み付けされており、その為意味としてはたらこ=明太子=スケトウダラの子であるが食品としての味は異なる。 下関や博多をはじめとする西日本の一部地域では、唐辛子を使わないいわゆる「たらこ」を示す言葉として辛子明太子と使い分けられている。

 ロッテホテルによると、川原俊夫が明卵漬(鱈子のキムチ漬け)は塩辛く、そのままでは日本人受けしなかったため、唐辛子粉、鰹節、酒の調理液に漬け込む方式を開発した。これを「十日恵比須神社大祭」で商売繁盛の日である昭和24年1月10日に「味の明太子」として販売した。

 今日では「明太子」は辛子明太子を指す言葉として用いる人が多く、さらには「めんたい」と略されて「めんたいスパゲティー」や「めんたいロック」など九州博多の代名詞としても用いられることもある。これは元々たらこを示す言葉としての「明太子」が使われない地域に、お土産や特産品として「辛子明太子」がもたらされ、やがてその略称としての「明太子」が全国的に広がったためと考えられる。

 歴史

 明卵漬(「メンタイ」「まぶし型」)
 昔の朝鮮半島の文献によると、明卵漬の製造は発酵させることをベースとしていた。塩漬けして発酵させた後、トウガラシ粉とニンニクを加えてまぶした。塩漬けさせて発酵させるため、水分が抜けて、タラコの身が引き締まるが、塩辛い味である。ロッテホテルマガジンは低塩で日本人向けの甘めの調味液で漬けた明太子とは異なり、濃度の高い塩で発酵させた「明卵漬」は日本人には塩辛い味と解説している。

 戦前の朝鮮半島においては、日本人が明太子の製造卸問屋を経営していたことを示す資料と記録がある。明治40年頃に樋口伊都羽(ひぐちいづは)が創業したもので、朝鮮半島の代表的な明太子製造問屋であった。樋口は漁業に携わっていたが、漁民の自家用以外は捨てられるだけのスケトウダラの卵巣を日本向けに商品化することを考えつき、「明太子製造元祖ヒ(マルヒ)、創業明治40年、樋口伊都羽商店」という看板を掲げて釜山で商売を始めた。商売は繁盛し日本への輸出のほか、台湾、中国にその需要を増やした。樋口は終戦までの38年間経営していた。

 日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮の釜山との間に関釜連絡船を運航していた。また、中国との定期連絡船も存在し、スケトウダラ(明太魚)の辛子漬け(明太卵漬け)を運んでいた。朝鮮側の連絡船では釜山を経由して、明太の卵巣の辛子漬け(「明卵漬(明卵젓 / 명란젓、myeongnanjeot、ミョンナンジョッ)」)が下関へ輸入された。

 朝鮮半島に住んでいた日本人は明卵漬を「メンタイ」と呼んだ。当時「メンタイ」と呼ばれた明卵漬は、塩漬けにした卵巣に唐辛子を振りかけて作る「まぶし型」で製造されていた。ふくや創業者川原俊夫の孫である川原武浩社長は明卵漬と明太子の差異について、明卵漬は塩漬けにした卵巣に、タレと唐辛子に漬け込まれており、唐辛子やニンニクで漬け込んだ現代の「タラコのキムチ」「タラコのチャンジャ」に近い味であり、日本人には舌が千切れるくらいの辛さであると述べている。

 辛子明太子(ふくや開発「漬け込み型」)
 ふくやの川原俊夫が若いころに釜山で食べた明卵漬の記憶を基に、そのままでは日本人受けしない味なため、新たに塩で漬け込む製造法で辛子明太子を開発した。ふくやは「明卵漬」「まぶし形」戦後にそのまま売ろうとしたが、日本人には辛すぎて売れず、新製造法である「漬け込み型辛子明太子」を開発した。それでも辛さで朝鮮半島引き上げ日本人以外には敬遠されたため、調味液を白砂糖や黒砂糖、角砂糖、ザラメ、蜂蜜など出来る限りの甘味を加えたり、酒やかつおぶしや昆布の出汁でうま味やコクも加える試行錯誤をし、「辛子明太子」を開発した。辛子明太子は「明卵漬」のように発酵させる程塩漬けするのではなく、低い塩度で漬けるのが基本である。これにかつおだしや酒、トウガラシ粉、みりんなどを使い、トウガラシ粉以外は日本式の熟成調味料のため、辛さはやや控えめとなった。ふくやは約10年かけて生み出した製造法を独占せずに他企業へ教えた。そのため、日本全国へ明太子が普及した。後に塩漬けにしたタラコへ唐辛子をまぶして作る伝統的「明卵漬」は徐々に減っていき、調味液漬けの辛子明太子形がほとんどとなった。韓国でさえもまぶして作る、伝統的な製造法の明卵漬はほとんどなくなってしまって、逆輸入された日本風の明太子がその位置を占めるほどとなっている。この漬け込みでは「乳酸発酵」を伴う。漬け込みに際しては、各社工夫をして異なる方法や副材料を使用する事もある。

 国内外普及と「漬け込み型明卵漬」の登場・伝統的まぶし型明卵漬の衰退

 ふくやが製造法を教えたため、その後を追って、1960年代には多くの同業者が設立された。1962年頃にふくやの斜め前と隣の2軒の店が、教えられた製造法で明太子を販売するようになった。1967~68年ごろには製造法を俊夫から教えられた大手の明太子メーカーが次々と開業した。ふくやの社員たちが「商標登録や製法特許を取るべきだ」と訴えると、俊夫は漬物を引き合いに、「漬物にはさまざまな味がある。同じ大根でも白菜でも、漬け方ひとつで味は変わる。家庭ごとでも味が違う。そんな漬物に商標はあるか? 製法特許はあるか? 明太子だって誰が作ってもいいではないか」と説得している。1975年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多間全通後に設立された福さ屋が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、全国的に知れ渡るようになった。近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいる。1980年代には土産物の販売ルート以外にも、百貨店・量販店で広く販売されるようになり、全国でおにぎり・パスタの具として広く利用・販売されている。2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転した。

 新幹線開通後に明太子は全国区となったが、2016年にふくやの川原正孝社長は、「ふくやだけが明太子を独占販売していれば、恐らく(日本全国へ)広がらなかったと思います」とし、製造法を他社へ教え続けた俊夫を支持している。

 2018年11月辛子明太子(めんたいこ)製造販売「蔵出しめんたい本舗」が、ニシンの卵数の子を辛い調味液に漬け込んだ「数太子(すうたいこ)」を開発。数の子ならではの食感、うまみ、辛さが特長で、おせち料理や歳暮向け高級食品として販売。

 ふくや創業者川原俊夫の孫である川原武浩社長も由来である「明卵漬」は、スケトウダラの卵巣を塩と唐辛子、ニンニクや胡麻などと発酵させたものであり、スケトウダラの卵巣版チャンジャと解説している。

 彼は2018年時点で発想の由来となった明卵漬をふくや開発の「明太子」が韓国国内でさえも流通量・知名度で飲み込んでしまったと語っている。川原武浩社長はややこしいことに伝統的な明卵漬(まぶし型)が韓国からほとんど無くなってしまって、日本風の明太子ばかりなってしまっている。そのため、明卵漬を明太子が韓国内流通量上回った以降に育った若い韓国人を中心に明太子そのものが韓国の「明卵漬」であると勘違いされていることを明かしている。

 販売形態と産地
 辛子明太子は、その形状によって販売価格・流通経路が大きく異なる。

 卵巣の形を保ったままのものは「真子(まこ)」といい、比較的高値で取引される。主に贈答や接待に用いられる。皮が切れたものを「切れ子(きれこ)」と称し、比較的安価で家庭用として好まれる。さらにまったく形がなく粒のみのものを「ばら子(ばらこ)」という。ばら子はパック詰めにして業務用に使用されたり、チューブに入れたりして販売されている。切れ子には少し切れただけのものから、ほとんどばら子に近いようなものまで多種が存在する。なお、真子・切れ子・ばら子の品質には特に違いはない。さらに、明太子の原料は戦前の頃に比べはるかに細く痩せてしまったといわれるが、細い明太子に別のばらこを注入する技法も生み出された。

 明太子の産地について、原料となるスケトウダラの卵は日本近海、アメリカ・アラスカ、ロシアなどで獲れたものが中心であり、スーパーで見かけるものの多くがアメリカ産・ロシア産となっている。 1970年代から日本のODA援助により大型船を手にした韓国の財閥各社が北海道沿岸の定置網から横取りしたスケトウダラの卵を博多の各業者に輸出することで安価な辛子明太子が流通するようになった。 近年比較的安価で売り出されている「原産地 中国」と表記されたものを見かけるが、これは上述の卵を中国で加工した中国加工製品であり、中国産の原料卵を日本で加工しているわけではない。なお2009年頃、不況や中国をめぐる食品問題のあおりを受け、中国に工場を構える業者の多くが撤退を開始していたが、近年再び中国加工のものが増え始めてきた。

 食べ方
 副菜としてそのまま、もしくは好みにより軽く焼いて食卓に供する。また、酒肴やおにぎり、お茶漬けの具材としても好まれる。NTTドコモ「みんなの声」における「好きなごはんのお供ランキング」では、「辛子明太子」が一位であった。

 洋食に取り入れられることも多く、ほぐした辛子明太子をマヨネーズと和えて「めんたいマヨネーズ」としたり、バターライスに混ぜたりスパゲッティに用いることもある。

 また、パン屋では明太子をバターやマーガリン、マヨネーズ等と合わせてペースト状にし、フランスパンに塗った「明太子フランス」がよく売られている。

*Wikipedia より

 「いわしめんたいこ」

 博多土産いわし明太とは?そのこだわりとお客さまの声 2022.02.28

 博多土産の定番「いわし明太」とは
 「いわし明太」とは、いわしに辛子明太子を詰めた博多土産です。
 グリルで香ばしく焼き上げると、ジューシーないわしの身に、「プチプチ」と粒感よく焼き上がった明太子のコクのある辛さがよく合います。
 こんがりと香ばしい香りと脂ののったいわしの身の食感が、あつあつのごはんに合うのはもちろん、明太子の辛さがお酒のおつまみにもピッタリです。

 「いわし明太」の食べ方
 ご自宅で調理する場合は魚焼きグリルがオススメ!直火で焼く魚焼きグリルは素早く焼けて、旨みを逃さず美味しく仕上がります。
 グリルの後片付けが面倒という方は、アルミホイルを引いて焼くとお手入れが簡単です。
 

 原料へのこだわり!やまやの「いわし明太」は国産マイワシ使用
 やまやの「いわし明太」の原料は、国産のマイワシを使用しています。
 いわしは、ウルメイワシ、カタクチイワシ、マイワシの3種類がよく知られています。一般に「いわし」というとマイワシをさし、ふだん魚屋さんで見かけるのもこのいわしです。
 サイズが20cm以上の大きめのマイワシを仕入れ担当が厳選し、自ら焼いて味を吟味し、仕入を行います。見た目だけではなく脂のりにもこだわったいわしです。

 丁寧な下処理でいわしの美味しさをキープ
 仕入れた原料は劣化しないよう専用シートをかけて保管し、塩水へつけて臭みがでないように丁寧に処理を行っています。
 いわし自体に調味は行わず、ピリ辛に調味した明太子をいわしの腹にたっぷり詰めます。味付けはシンプルですが、いわし本来の味わいと明太子の旨みを堪能していただけます。

 「いわし明太」はどこで買える?
 今回は、やまやの「いわし明太」をご紹介いたしました。
 原料にこだわった「いわし明太」をお買い求めの際はやまや直営店のほか、福岡県内の駅・空港・サービスエリア・お土産売場にてお求めいただけます。
 お取り寄せはぜひ、オンラインショップをご利用ください。LINEお友だち特典として新商品情報やお得なLINE限定のスペシャルクーポン、シークレットセール情報、やまやの商品を使用した絶品レシピなどの最新情報をお届けいたします!

*お客さまの声は割愛しました。

*https://www.yamaya.com/research/categories/detail/153 より

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うまいッ! NHK「葉がぎっしり!甘い!常春キャベツ~愛知・田原市~」

2024-05-28 08:16:57 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「葉がぎっしり!甘い!常春キャベツ~愛知・田原市~」 2016年02月07日

 番組内容
 キャベツの生産量日本一の愛知県。中でも渥美半島の田原市は1~3月のキャベツの出荷量で全国の1/3を占める。ベテランの生産者が出荷するキャベツは年間30万個以上。そのうまさの秘密は、土壌と気候風土、さらに、絶え間ない、新しい品種の研究開発にある。また、田原市では、キャベツのさらなる消費拡大をねらって、生産者自らが新しいキャベツ料理を考案。冷凍食品として製品化し、広く販売している。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201602070615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「常春キャベツ」

 「常春」の名前の由来は、ここ愛知県渥美半島が1年を通して温暖な気候である“常春半島“と呼ばれている為です。

 美味しさの理由

  渥美半島は、暖流の影響で冬は暖かく(年平均気温16.4℃)、日本一の日照時間の長さのため、キャベツの生育に適しています。大地と太陽の恵みをのびのびと受けて育つので、元気で瑞々しい美味しさとなります。

 また、北は三河湾、南は太平洋に面することで、半島の潮風を受けて育つキャベツは甘味が強く、美味しいと皆様に言っていただいています。

  冬キャベツと春キャベツ

  常春部会が生産するキャベツの品種構成は、冬系キャベツ70%、春系キャベツ30%です。

 冬キャベツは寒玉ともいわれ、少し扁平で固くしまり、葉もしっかりしているので、特に煮込み料理や炒め物など、火を通す調理によく合います。

 3月から5月ごろが旬の春キャベツは、冬キャベツとは別の品種で、丸い形でふんわりとした巻きが特徴。瑞々しく食感もやわらかいので、サラダなどの生食に向いています。火を通す場合は、さっと軽めにするのがポイントです。

 キャベツができるまで

 品種にもよりますが、キャベツを種まきから育てて収穫までにかかる栽培期間は、110日~140 日くらいです。こちらのページでは土づくりから出荷までの工程をご紹介しています。

 安心・安全への取り組み

 周囲の畑から飛散してきた農薬がキャベツに付着するのを防ぐために、「黄色い旗運動」を展開しています。この運動は、収穫2週間前になった畑に黄色い旗を立てることにより、周囲の畑の生産者に対し農薬を飛散させないように注意を促すものです。

 部会員全員が全ての畑の栽培管理記録を記帳し、出荷前にその内容をチェックすることにより、誤った農薬の使用方法で栽培してしまったキャベツが流通しない体制をとっています。

 また、出荷物の安全性を確認するため、定期的に出荷されたキャベツを抜き取って農薬の残留を分析しています。

 常春部会は、部会全体でこのような安心・安全を徹底することで市場からの信頼を高めてきました。

 美味しいキャベツの見分け方

 一般的には白い軸が500円玉大なのが一番健康的だと言われています。細いものは中の巻きもあまりよくないかもしれません。

 春キャベツの場合は、葉が柔らかく、ふんわりと巻いたものを選びましょう。また、葉が鮮やかなグリーンで全体にツヤとハリがあるものがおすすめです。 一方、冬キャベツは葉がしっかりと密に巻かれたものがおすすめです。手に取った時に重みを感じ、かたいものを選ぶようにしましょう。

 JA愛知みなみ 常春部会

*https://www.tokoharu10586.com/cabage より

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うまいッ! NHK「ほんのり甘くシャキシャキ 冬レタス~香川県・観音寺市~」

2024-05-27 08:23:19 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「ほんのり甘くシャキシャキ 冬レタス~香川県・観音寺市~」 2016年01月31日

 番組内容
 香川県観音寺市で栽培されている冬レタスは、葉が厚く、シャキシャキの食感と、ほのかな甘みが特長です。レタス作り歴20年という農家の大西さんは、苗の育て方や土作りにもこだわり、品質の高い冬レタスを栽培しています。国内有数の冬レタスの産地を訪ね、そのおいしさの秘密に迫ります。また、コンビニやファストフードなどで新鮮なレタスの需要が高まる中、レタスの鮮度を長持ちさせる最新技術を取材。その可能性を探ります。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201601310615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 レタス
 「らりるれレタス」は香川県の特産品で、特に観音寺市は県内最大の生産地です。

 シャキッとした歯ごたえとほのかな甘み、時間がたってもみずみずしいことが特徴です。

 出荷時期は、10月から5月頃まで、特に12月から3月頃が収穫最盛期を迎えます。

*https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/21/13862.html より

 「らりるれレタス」

 らりるれレタスとは
 「らりるれレタス」は、堆肥による土づくりを基本に健全な土壌管理と環境保全に努めて栽培されているレタスです。肥料は統一されており、らりるれレタス専用の肥料が使われています。肥料の構成はなたね油粕や、米ぬかなど、天然由来の資材を中心に有機質原料が5割以上となっています。また、前作には水稲やスイートコーンなどを輪作することで、連作障害等の軽減にも努めています。土づくりにこだわり、しかも美味しいレタス。それがらりるれレタスです。

 らりるれレタスの美味しさ
 らりるれレタスは、瀬戸内の恵まれた気候と徹底した土づくりへのこだわりが合わさってできた高品質レタス。葉の色は全体的に淡い緑色で、一枚一枚の葉が厚く、色・艶がよいのが特徴です。その味は、糖度が高く自然な甘さがあり、他のレタスに比べて味が濃いと感じる方も多いようです。また、日持ちがよく、時間がたってもみずみずしさが損なわれないため、いつもシャキシャキとした新鮮な味を楽しむことができます。

 様々な料理を引き立てる万能レタス
 らりるれレタスは、サラダなどでそのまま食べても美味しさを実感できますが、やはりレタスは引き立て役として活躍できる素材。らりるれレタスは、レタス本来のシャキシャキした歯ごたえや自然な甘みを楽しめるレタスです。そのため、様々な料理で、程よい存在感を発揮しながら絶妙な引き立て役を演じてくれます。例えば、キムチ鍋にレタスを入れると、シャキッとした歯ごたえとピリッとした辛さ、そして白菜とレタスのコラボレーションが自然に、美味しく楽しめます。また、ロールキャベツのように、湯通ししたらりるれレタスに具を包んで食べるのもオススメ。料理の幅が広がり、食事をもっともっと楽しめる万能レタス「らりるれレタス」を一度お試しください。

*https://www.kensanpin.org/product/crops/1110/ より

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うまいッ! NHK「あまくとろける食感 深谷ネギ~埼玉県・深谷市~」

2024-05-26 06:23:08 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「あまくとろける食感 深谷ネギ~埼玉県・深谷市~」 2016年01月24日

 番組内容
 埼玉県深谷市の深谷ネギは、1年を通して出荷されるが、中でも11月から3月末までの「秋冬ネギ」は、もっともおいしいとされ、市場価格も一般ネギの3倍以上の値がついたことがあるほど評価が高い。その特徴は、白い部分が30センチ以上もあり、糖度が最高で15度ほどとあまみが強く、熱が通ると、とろける食感があること。鍋の季節、旬を迎えた深谷ネギのおいしさの秘密を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201601240615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 

 深谷ねぎの歴史 更新日:2024年04月18日
 はじめに
 深谷市はねぎの生産量が全国トップクラスであり、深谷ねぎは全国的なねぎのブランドとして定着している。深谷ねぎは品種名ではなく深谷地方で栽培されたねぎの総称であり、現在ではかなりの多様性を持つようになっている。根深ねぎ・千住群に属し、品種は多数存在する。深谷市外の利根川流域で栽培されたねぎも「深谷ねぎ」の名称で販売されている。

 明治時代
 深谷でのねぎ栽培は明治30年頃、利根川右岸の北郷と言われる肥沃な沖積地帯から始まった。藍作が衰退して養蚕が盛んになり、併せてねぎ、やまといも、ごぼうなどの野菜類が主力農産物になった。言い伝えでは旧八基村大塚の人が千葉県柏地方より千住赤柄系のねぎを導入して自家用につくったのが深谷ねぎの最初だといわれる。その後、明治末期には最大の生産量になった新会(新戒)のほか八基、中瀬、大寄など深谷ねぎの産地になっていった。当時の生産は新会でさえ米、大麦、養蚕を主とする全価額の7%に過ぎない。

 大正時代
 大正時代には「深谷葱」の名が生まれた。大正時代にねぎの相場が下がったことがあり、当時の八基村の指導者渋沢治太郎が、乾物屋永徳屋本店の安部彦平(後の初代深谷市長)に相談し、安部が取り引き先の信州、北陸、北海道、東北に深谷駅からねぎを出荷した際に、駅名をとって「深谷葱」の商標をつけたのが最初といわれる。それまで近辺にのみ出荷されていた深谷ねぎが東京デビューしたのは大正5年(1916)、大塚の人によって出荷されている。その3年後には血洗島の人が2トントラックにむきねぎを積んで直接東京へ出荷したのが、当時画期的な出来事として話題になったといわれる。大正の終わりには個人より団体で出荷するメリットが見出され、豊里に相次いで組合が誕生。東京を主な消費地として発展した深谷ねぎの流通は当初「土つき六貫目俵」で輸送され、途中の板橋志村坂では「立ちん棒」と呼ばれる人々が重い荷を押して運ばれたという。

 昭和時代
 昭和4年(1929)に起こった世界恐慌による海外市場喪失で養蚕業が大きな打撃を受けたこともあり、ねぎ栽培は拡大していく。中心は新戒(しんがい)33地域をはじめとする市北部であった。

 昭和に入ってからも、豊里は農業先進地区として周辺ねぎ生産界を牽引した。戦後の消費拡大とともに市北部豊里、明戸地区のねぎ作付面積は増加した。昭和43年(1968)の生産農業所得では、豊里村(当時の平均所得は埼玉県全体の2倍以上であった。その後、交通手段の発達とともに流通も変化した。おもな消費地である京浜地区だけでなく「山出し」と呼ばれる北海道、東北ルートも「野菜移出商人」によって拓かれた。かつては土がやわらかく寄せにくいため、ねぎに不向きとされた南部の藤沢地区櫛引でのねぎ導入は、昭和50年(1975)頃にインスタントラーメンの乾燥野菜用として始まったといわれる。この頃には技術的な向上もあり、また土にとってねぎは新しい作物だったため、南部でも高品質のねぎが生産されるようになり状況は変わっていく。

 生産安定への取組
 機械化
 ねぎ栽培を経営の柱に位置付け、ねぎ栽培面積の拡大を地域目標に掲げ取り組んでいく中で、安定生産が課題となる。こうした中、平成6年、農家の発想で冬ねぎの生理・生態にマッチした「挿し苗定植法」が導入され、肥培管理の試行錯誤を繰り返し、生産が安定、収益向上へつながった。しかし、この頃外国からのねぎ輸入が進み、価格の低迷から産地では危機意識が高まり、更なる安定生産、コスト低減、栽培技術が求められるようになる。また、厳しい真夏の炎天下の植え付け作業の軽減、作業時間の短縮も課題であった。そこで、手作業による植え付け作業から植付機の開発と栽培技術の体系化に向け、埼玉県、農機メーカー(井関農機株式会社、JAふかやの三者と地元農家の協力から「ネギ平床移植機」を利用した高位生産技術を組み立て、これにより周年生産専作経営への道が開かれた。

 品種作り
 昭和初期に共同出荷組織が定着したところから、品質の向上を図る上で、品種の統一が必要になった。そのため、農政研究会や八基農業研究会が組織され、品種改良に努め、その研究の結果「農研」が生まれ、その後合柄系の分けつ型で耐寒性のある「農研2号」が誕生する。口の中に入れると、とろけるような甘味があり、「深谷葱」の名を高めた。しかし、収量が少なく、型くずれを起こすなどの欠点があった。その後、中瀬の西田正一氏の長年にわたる研究成果である「西田」が「深谷葱」の主流をなし、息子の西田宏太郎氏によって「宏太郎葱」(農水省品種登録第947号、商標登録第4387180号)が生まれた。

 特徴
 深谷ねぎの特徴は、繊維のきめが細かく柔らかいこと、糖度が高く甘いこと、白根の部分が長く、皮を剥くと白く美しいこと、などが挙げられる。特に、糖度は10~15度前後の糖度があるといわれており、その糖度はミカンなどの果物に匹敵する。冬の深谷ねぎは特に甘く、地元では「ネギぬた」という料理で食べられることも多い。

*https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/sangyoshinko/nougyoshinkou/tanto/tokusan/fukayanegi/13896.html より

 

 「深谷ねぎ」更新日:2023年04月10日
 深谷ねぎのおいしさ
 深谷ねぎは一年中収穫されますが、収穫期によって「春ねぎ」「夏ねぎ」「秋冬ねぎ」に分かれます。薬味やなべ物、お味噌汁などに欠かせないねぎですが、深谷ねぎの旬はなんといっても12月頃から出荷が始まる「秋冬ねぎ」。寒さで甘みが増す冬の時期、深谷の大地が育んだ、甘くてやわらかい深谷ねぎのおいしさをぜひ堪能してください。

 深谷ねぎ選びのポイント
 重さがあり表面が滑らかでみずみずしく、巻きがしっかりしているもの
 白い部分が多く、緑と白の境がくっきりしているもの

 深谷ねぎの保存方法
 買ってきたら、乾燥しないように新聞紙でくるみ、冷暗所に立てて保存します。
 残ったねぎは葉と白い部分に分けてビニール袋に入れ、立てて冷蔵庫の野菜室へ。早めに使い切りましょう。
 泥つきのねぎは、洗わずに新聞紙でくるみ、冷暗所に立てて保存します。場所があれば庭などに埋めておけば、さらに日持ちします。

 ねぎの栄養
 ねぎ独特の匂いはアリシンと呼ばれる揮発性の成分です。

 体力回復
 血行をよくして身体を温める
 肩こりや疲労の蓄積を防ぐ
 神経を鎮め血行を活性化させる
 などの効果があります。 また、ねぎなどのアリシンを多く含む食材は、強力な殺菌作用があり、疲労回復に効果があるビタミンB1の吸収を助け、その効果をアップしてくれます。

 たんぱく質の消化を促す
 胃液の分泌を促す
 発汗作用を促す
 解毒酵素の働きを助け、病気への抵抗力を高める
 などの効果が知られています。 ビタミンB1はさまざまな食材に含まれていますが、玄米や豚肉、うなぎなどに比較的多く含まれています。こういった食材を食べて身体を温め、病気への抵抗力を高めることで、寒い時期はもとより日ごろからの健康管理に気をつけたいものです。

 昔から、風邪のひき始めや冬などに、ねぎやしょうがを入れた熱々のお味噌汁やなべ物を…というのはこれらの効果を狙ったものなのでしょうね。

 また、夏の暑い時期、麺類の『薬味』としてもねぎなどの香味野菜が用いられますが、食欲を増進させる効果もあります。

 ねぎは、積極的に摂りたい野菜の一つ。

 「深谷ねぎ」で、体の基礎づくり!しませんか。

 ねぎの豆知識
  ねぎは中国西部地域が原産とされています。日本では奈良時代以前から栽培され、「日本書紀」にも記載がある歴史のある野菜です。江戸時代中期には既に全国各地で気候風土にあったねぎが栽培されていたようです。

  ねぎは大別すると緑の葉の部分を食べる葉ねぎと、主に白い部分を食べる白ねぎの2種類があります。関西では葉ねぎが主流ですが、関東では主に白ねぎを栽培してきました。白ねぎは根元の土を何度も高く寄せる、土寄せという作業を行うことで光を遮断し、ねぎの軟白部分が長くなるように栽培していきます。関西は土壌が浅いため葉ねぎの栽培に、関東では土層が深くやわらいため、白ねぎの栽培に適していたようです。  

 お問い合わせ先 農業振興課

*https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/sangyoshinko/nougyoshinkou/tanto/tokusan/fukayanegi/1391490851596.html より

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うまいッ! NHK「ぷりぷりで甘い 養殖とらふぐ~長崎県~」

2024-05-25 17:26:50 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「ぷりぷりで甘い 養殖とらふぐ~長崎県~」 2016年01月17日

 番組内容
 長崎県九十九島で養殖されるトラフグ。静かな海で栄養たっぷりのえさをあたえられ、手間ひまかけて育てられる高級フグ。刺身で食べてもよし、鍋にしてもよし。そのうま味は絶品だ。地元ならではの食べ方もご紹介。さらに、ブランド化に取り組む地域の人々の奮闘ぶりや、フグ養殖研究の最前線も取材してお伝えする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201601170615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「九十九島のトラフグ」

 ブランド化で知名度をアップ 身の引き締まった長崎県の「九十九島とらふぐ」

 冬の味覚として親しまれるトラフグ。長崎県のふぐ類の生産量は、全国生産量の約47パーセントを占めます(令和元年漁業・養殖業生産統計)。今回は長崎県佐世保市のトラフグ養殖の現場を取材。エサに同市の特産品である西海みかんを混ぜて与えるなど、おいしさを追求して育てられた「九十九島とらふぐ」のブランド立ち上げについて紹介します。

 「豊かな自然が育む、九十九島とらふぐとは?」

 養殖場からトラフグが出荷される様子は冬の風物詩となっている。

 208ともいわれる島々から成る九十九島の海域は、複雑な地形が生み出す潮の流れを生かし、マダイやカワハギ、トラフグなどの養殖が盛んに行われています。特に養殖トラフグの生産量は全国でもトップクラス。近年では、九十九島漁協と若手生産者を中心に、地元で養殖されたトラフグをブランド化しもっと多くの方に食べてもらえるよう、さまざまな取り組みを行っています。

 「漁協と養殖業者がタッグを組んで、ブランド化を目指す」
 「九十九島のトラフグをもっと食べていただきたい」という思いから、そのブランド化を目指し2012年にスタートした「九十九島とらふぐ」プロジェクト。今回は、スタート時からこのプロジェクトに携わっている九十九島漁協販売部長の川尻庄司さん、養殖業を営みプロジェクトに参加している「とらふぐマイスターズ」メンバーの山ノ内孝太郎さん、新立博光さん、新立三好さんにお話を伺いました。

 Q1 プロジェクトを立ち上げたきっかけや目的を教えてください。
 A1 長崎県は全国有数の養殖トラフグの生産地なので、県内でももっとトラフグを食べてもらいたいと思ったことがきっかけです。九十九島だけでも12月から3月にかけて、18万匹から20万匹の養殖トラフグが出荷されています。しかし、このプロジェクトを始める前は、山口県や大阪府など、トラフグを食べる文化のある地域へ出荷することがほとんどでした。そこで、県内でももっとトラフグを食べる機会を作り、観光で訪れる方々にもそのおいしさを知ってもらえたらと思い、九十九島の8名のトラフグ養殖業者が集まりこのプロジェクトを始めました。(川尻さん)

 Q2 地元では認知され始めてきていますか?
 A2 当初は佐世保市内のホテルなどで九十九島とらふぐを提供してもらっていましたが、今は飲食店をメインに卸しています。コロナ禍になる前は、毎年12月にその年初めての「九十九島とらふぐ」が出荷される際、佐世保市長にもお越しいただいて出荷式を行っていました。出荷式では試食会なども行い、地元の情報番組などでも取り上げてもらったので、知名度は上がったと思います。(川尻さん)

 Q3 トラフグの養殖ならではの苦労や気をつけていることはありますか?
 A3 トラフグは、ストレスが溜まったり興奮すると鋭い歯で他のトラフグを噛んでしまうんです。このため、稚魚のうちから出荷まで多いと4回ほど“歯切り”という作業をします。他のトラフグの身を傷つけないためには重要な作業なのですが、1匹づつ丁寧に歯切りしていくので結構大変です。(新立博光さん)

 トラフグには普通の魚のような鱗がないので、皮膚に寄生虫が寄り付きやすいという特徴があります。もし寄生虫が付いてしまった場合にはその駆除も必要になるため、そういう意味でも他の魚の養殖より手がかかっています。(山ノ内さん)

 Q4 「九十九島とらふぐ」ならではの特徴を教えてください
 A4 佐世保市の特産物である西海みかんを、トラフグのエサに混ぜこんで与えています。毎年7月までに1年分の餌となる早摘みのみかんを農協から購入して、それを粉砕してから漁協にある冷凍倉庫で保存しておきます。使用する時はその冷凍されたみかんを、小アジ、アミ、小女子(こうなご)などと一緒に混ぜ込みエサにし、トラフグに与えています。
 エサにも九十九島らしさをと考え、当初エサに混ぜて与える品の候補として、佐世保市の特産物であるアスパラガスとみかんを検討しました。トラフグのおいしさにどの様な違いがあるのか比較検討した結果、採用されたのが早摘みした西海みかんでした。このみかんを与えることでトラフグの血流がよくなり、身が引き締まると言われています。(川尻さん)

 Q5 飲食店にはトラフグをどのように納品しているのですか?
 A5 トラフグは「毒」を持っているため、フグ調理免許を持っていないお店だと、そのまま納品しても扱えません。このため、県主催のセミナーに参加してフグ調理免許を取得した漁協メンバーが捌いた「身欠き」のものを各店舗に納品しています。いつ販売部に配属になってもいいように、今いる漁協の若いメンバーの多くはフグ調理免許を取得しています。
 飲食店でも気軽に取り扱ってもらえますし、お客様にも安心して食べてもらえる。それが「身欠き」納品のメリットです。(川尻さん)

 身欠き状態にし、皮やヒレもセットにして飲食店へ納品する。また、毒のある内臓はすべて漁協販売部で取り除き、処分する。

 Q6 このプロジェクトが発足したことで、何か変化はありましたか?
 A6 プロジェクト発足前よりも、養殖業者同士の横の繋がりが強固になり、今までよりも情報交換が活発に行えるようになったのはよかったですね。最初は手探りの部分もありましたが、自分たちが育てた魚をどう販売するか、どう付加価値をつけるのかを考える面白い取り組みだと思っています。どこから買った稚魚はどう育ったなど、さまざまなことを話し合い、養殖の参考にすることも多いです。(新立三好さん)

 Q7 今後、「九十九島とらふぐ」をどのように広めていきたいか、教えてください。
 A7 現在は、一般のお客様向けへは漁協の直販所で販売するだけに留まっているのですが、今後はふるさと納税なども含め、もっと販路を拡大できればと考えています。どうしても気軽に家庭で食べることができるという印象が薄い魚なので、自分たちだけでなく、客観的な意見も取り入れながら「トラフグでこんな料理もできる!」ということを発信していけたらとも思っています。(川尻さん)

 「もっとトラフグのおいしさを多くの人に知ってもらいたいですね。味噌汁も、唐揚げも、とてもおいしいですよ。あと、てっちりにした後の雑炊はたまりません。高級魚の印象があるかもしれませんが、外食するときの選択肢にも加えてもらえたらうれしいです。」(とらふぐマイスターズの皆さん)

今回教えてくれたのは・・・
 九十九島漁業協同組合 川尻 庄司 さん

 とらふぐマイスターズ 山ノ内 孝太郎 さん、新立 博光 さん、新立 三好 さん

*https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2202/spe1_02.html より

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うまいッ! NHK「香り高くしっとり!美東ごぼう~山口~」

2024-05-24 09:08:42 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「香り高くしっとり!美東ごぼう~山口~」 2015年12月20日

 番組内容
 山口県美祢市美東町で栽培されているごぼうは、江戸時代には年貢として納めていたという伝統のある野菜。肉質がきめ細かでやわらかく、香りが高いのが特長です。年末には、贈答品として高値が付くブランド野菜でもあります。収穫最盛期を迎えた産地の畑を訪ね、そのおいしさの秘密に迫ります。また近年、スイーツの材料として使われるなど、ごぼうの意外なおいしさが人気を呼んでいます。ごぼうの食材としての可能性も紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201512200615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 40.  美東ごぼう

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=42715a2127935a18a789b5ac27a94d17&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTclQkUlOEUlRTYlOUQlQjElRTMlODElOTQlRTMlODElQkMlRTMlODElODYmcD0x

こちらをご参考に

 美東ごぼう
 「美東ごぼう」は、山口県美東町の赤い粘土質の土壌で栽培されるごぼうです。長根のごぼうで先端まで肉付きが良くやわらかい食感、高い香りという特徴があります。「美東ごぼう」の生産地は、石灰岩が浸食されることでできた暗赤褐色で重い粘土質の土壌を有しています。
 また土壌改良やユンボによる深耕など、肥沃な土地を作る方法も確立されています。しかしながら、公園の指定区域内では農作物が栽培できないなどの理由から、生産できる量には限りがあるのが実情で。現在は、美東町ごぼう生産組合の組合員26人が生産しています。
 ◆美東ごぼうの保存方法    
  1、土中に軽く埋めておけば、長期保存ができます。時々必要量を抜きだしてご使用ください。     
  2.湿った新聞紙でくるんで、冷蔵庫の野菜室で保存すると長く調理材料として使えます
    新聞紙は冷蔵庫の循環冷風を防ぎごぼうを長持ちさせます。

 ◆・収穫時期:美東ごぼうの出荷は10月~12月です

 ◆・取り扱い店:大田道の駅、真名方JA販売所等

 ◆・価 格:箱入りは 特選、上選、並 があり中に4袋入っており、上から3500円程度、道の駅にはばら売りもある。またごぼうと里芋のセットもあり、箱の横に明示されている。

*https://c-able.ne.jp/~n-f10617/custom7.html より


 美祢でスタンプラリー「美東ごぼう 食べちゃろ!」 ご当地グルメで特産品PR 2019.01.08

 美祢・美東の特産品「美東ごぼう」が旬を迎えた現在、スタンプラリー企画「美東ごぼう 食べちゃろ!食べいこ!キャンペーン」が開かれている。主催は、美祢市商工会地域資源等活用促進事業・推進協議会。

 美東ごぼうとソフトクリームのコラボメニューも

 美東ごぼうを使ったグルメを飲食店で味わったり、観光施設を利用したりしてスタンプを2個集めると抽選に応募できる。美東ごぼうのPRが目的のため、1カ所は飲食店を巡ることが条件。3回目の今回は、飲食店11店舗が初参加し美祢市内29カ所の店舗・施設が対象となった。

 美東ごぼうは、やわらかい食感や風味の良さなどが特長で、主に「お歳暮などの贈答用」として出荷されている。昨年9月には山口県産の農産物で初めて、農林水産物・食品の産地のブランドを守る「地理的表示保護制度(GI)」に登録された。

 美東ごぼうが味わえるのは20カ所で、「美祢産ほうれん草とカリカリ美東ごぼうパスタ」(ひろなカフェ)、「美東ごぼうコロッケ定食」(海鮮季 はらだ)、「美東ごぼうかき揚げ丼・うどん」(食事処 一休)、「美東ごぼうジャムのソフトクリーム」(大正洞 清風苑)など、メニューは和・洋・スイーツとさまざま。

 「於福温泉(道の駅おふく)」「秋芳洞」「秋吉台サファリランド」といった観光施設も対象で、「体験民宿ほっとビレッジ美東」(美東町赤)は期間中、美東ごぼうをふんだんに使う「ハンバーグ定食」を「美東ごぼうの刺し身(ミニサイズ)」付きで提供する。前日までの予約が必要。

 昨年は119人が参加した同キャンペーン。今回は賞品の本数や種類を増やし、A賞=美東ごぼう3キロ、B賞=大理石でできたキャンドルホルダー、C賞=秋吉台高原ジャム2本、D賞=ご飯と炊く「美祢じてんしゃ飯の素」を抽選で15人に進呈する。

 美祢市商工会の河野正朗さんは「美東ごぼうをもっと地元で消費したいという思いから始めた。これを機に市外からも足を運んでもらい、ご当地グルメと観光を楽しんでもらえれば」と話す。

*https://yamaguchi.keizai.biz/headline/3231/ より

 

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