いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 青森 けの汁

2023-11-30 08:44:00 | 郷土料理

 「けの汁-けのしる」

 主な伝承地域 津軽地方

 主な使用食材 大根、人参、ごぼう、わらび、ふき、油揚げ、凍み豆腐、大豆、昆布、味噌

 歴史・由来・関連行事
 津軽地方の代表的な郷土料理。由来については津軽の方言で「粥(かゆ)」を「け」と呼ぶことから「かゆの汁」とされるなど、諸説ある。 米が貴重だった時代に刻んだ具材を米に見立てて食べたという。約400年前の津軽藩祖・為信の時代から受け継がれたとの説もある。もともとは小正月の料理で、正月に家族の世話や来客対応に追われた嫁が小正月に里帰りする際、男衆のためにつくりおきしたもの。栄養豊富な保存食として、凍りついた汁を崩し温めなおして何日も食べたという。

 食習の機会や時季
 小正月に一年の無病息災を願っていただく精進料理で「津軽の七草がゆ」とも呼ばれる。家庭の女性が小正月にくつろぐためにつくりおきする保存食でもある。旧暦の正月16日の朝、仏前に供えて拝んだ後、家族そろって食べる。大鍋に大量につくり、4日も5日も温めなおして食べる習慣がある。家庭ごとに食材やつくり方が異なる「おふくろの味」で、地元では女性が集まれば「けの汁談義」がはじまるほどである。

 飲食方法
 大量の根菜や山菜、きのこを細かいさいの目に刻むところから、調理がはじまる。昔は木桶や馬の飼料桶などに山盛りに刻んだ。大鍋にイワシの焼き干しと焼き昆布を入れ、材料と水を加えて煮上げる。大豆をすりつぶした「ずんだ」が入るのも特徴的だ。保存がきいて温めなおすほど具材のエキスがしみこんで味わい深くなるので、大鍋から小鍋に分けて温め数日かけて食べるのがならわしである。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 近年は具材を5mmの角に刻む作業が敬遠され家庭で調理する機会が減少しているが、あらかじめ刻んだけの汁用具材のパックがスーパーマーケットなどで販売されるようになり郷土食の復権に一役買っている。また地元への普及・啓発を目指し弘前商工会議所料飲観光部会が平成15年(2003年)に「津軽けの汁保存会」を発足させ活動している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kenojiru_aomori.html より

 

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<おせち> 祝い肴・口取り-錦玉子

2023-11-30 08:38:53 | おせち

 「錦玉子」 

 「錦(にしき)玉子」の由来
 玉子の黄身の黄色を「錦糸」、白身の白を「銀糸」に見立て、また黄色と白の二色を「二色=にしき(錦)」とする語呂合わせから、「財宝や富に恵まれるように」という願いが込められています。

 「錦玉子」の特徴
 言葉が似ているため「錦糸玉子」と間違えられる事もあるようでが、「錦糸玉子」は薄く焼いた玉子をせんぎりにしたもので、「錦玉子」は全くの別物です。
 玉子を黄身と白身に分け、裏ごししてから蒸した料理です。
 黄身と白身が綺麗に分かれた出来上がりを正方形に切って互い違いに並べると市松模様になり、おめでたさが増します。
抜き型を使って扇や梅などの形にするのもおすすめです。

*https://www.jreastmall.com/shop/secure/detail_nishikitamago.aspx より

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イッピンNHK 「よりスタイリッシュに!よりモダンに!~佐賀 肥前吉田焼~」

2023-11-30 08:15:41 | イッピンNHK

 第221回 2019年4月23日 「よりスタイリッシュに!よりモダンに!~佐賀 肥前吉田焼~」リサーチャー: 黒谷友香

 番組内容
 有田焼の産地、佐賀県で日常使いの器を作り続けてきた「肥前吉田焼」。知る人ぞ知る焼き物が今、スタイリッシュに進化している。絶妙な濃淡を生む伝統の絵付け技法を駆使して、美しいグラデーションを表現した青一色の皿。そのほか、昔ながらの水玉模様をポップにアレンジした器や、側面に切り込みが入っているのに飲み物がこぼれない!という不思議なカップなど。斬新なアイデアを実現させる職人技に、女優の黒谷友香が迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201904231930001301000 より

 

 ≪参考≫ 肥前吉田焼について

 佐賀県・嬉野市吉田は、日本三大美肌の湯「嬉野温泉」と「嬉野茶」が全国的に有名です。

 この地で400年余前から作られている焼き物が「肥前吉田焼」(ひぜんよしだやき)です。
 佐賀県と言えば、日本の磁器発祥の地として名高い「有田」ですが、有田町から車で30分程の嬉野市を中心とした地域では、日常使いの焼き物が作られてきました。

 「有田焼」などとは異なって、「肥前吉田焼」には形や様式などこれといった特徴はありません。
 唯一の特徴は、日常生活に根ざした器を作ること。
 その精神は今もこの地に受け継がれており、十数件ある窯元それぞれが「今の生活」のための器を作り続けています。

 その「肥前吉田焼」では、歴史や伝統により培われた技術を用いるだけでなく、新たな可能性を模索する動きが生まれています。
 新しいデザインや遊び心のある作品が作られています。
 
 平成28(2016)年からは「肥前吉田焼デザインコンペティション」もそのひとつです。

 また肥前吉田焼窯元協同組合では、嬉野市内20か所において、嬉野市の特産物をPRするために、「カプセルトイ販売機(通称ガチャ)」で、肥前吉田焼のマグネットの販売を行っています。(1回500円(税込み))。


  
 1.「副久 GOSU」シリーズ(副久製陶所)

 「副久製陶所」(そえきゅうせいとうじょ)は、昭和28(1953)年に創業した窯元です。
 初代は、唐子模様の器を中心に製造。
 2代目は、墨を用いた白抜き技法である「墨はじき」、伝統的な筆による絵付け技法である「濃み」(だみ)の技法を生かして、白地を青で装飾する伝統的な焼き物を手掛けてきました。

 現在は、三代目となる副島久洋(そえじま ひさひろ)さんが、奥様の美智子さんと共に、代々継がれてきた技法を用いながらも、新しい挑戦を続けていらっしゃいます。

 「副久 GOSU」は、平成27(2015)年に開発されたグラデーションを巧みに生かした青一色のお皿のシリーズで、好評を博しています。

 その特徴は「濃み」(だみ)。
 久洋さんは、一年の月日を掛けて独自に5段階の濃淡の呉須を開発し、伝統の「濃み」(だみ)の新たな表現方法を確立し、現在7タイプのお皿を作っています。

 「濃み」(だみ)とは、素地に絵付をする際に、絵付けの輪郭線の中に太い濃筆で呉須を含ませて塗っていく技法のことです。
 筆を指で押さえることで、呉須の量を調整して色の濃淡を表現することも出来ます。
 輪郭部分の絵付けが男性の作業であり、「濃み」を作成する「ダミ手」は女性の職人の作業であったと言われています。
 濃みの技法を習得するには実に長い訓練が必要とされ、本当に熟練技です。

 「副久 GOSU」でも「濃み」を行うのは、奥様の美智子さんです。
 専用の「濃み筆」という筆に、「呉須」というコバルトの顔料で出来た絵の具を含ませて、一定の速度で中心から色付けをしていきます。
 色は5段階あり、その色の濃さによって「濃み」のやり方も変えていきます。
 水分の多い場合は筆から絞り出す量を少なめに、色が濃いものは絞り出す量を多めにして「濃み筆」を動かしていきます。
 一つ一つが手作業なので、2枚と同じものは出来ません。
 
 仕上げは、夫の久洋さんが行います。
 回転台を使って皿の裏側に色を一気に塗り、銘を入れたら、釉薬をかけて焼成します。
 焼き上げると、濃厚の異なる美しい青色が浮かび上がりました。
 水の波紋のように美しいお皿です。

 副島さんご夫妻は、この「副久 GOSU」の開発をきっかけに、器に呉須の花が咲いたような「hana」シリーズを誕生させたり、デザイナーとのコラボレーションや地域の企画にも熱心に取り組みを続けていらっしゃいます。
 
 副久製陶所 佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁

 

 2.「水玉食器」(副千製陶所・副島謙一さん)

 「副千製陶所」(そえせんせいとうじょ)さんの代表作は、昭和21(1946)年に誕生し、「肥前吉田焼」の代名詞とも言われ、ホテルや旅館などでよく見掛ける青と白の水玉模様の手彫り水玉柄」の土瓶です。

 平成22(2010)年には、「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞しています。

 その水玉土瓶が現代の生活スタイルに合うようにとモダンでデザイン性溢れる水玉の器に進化し、評判になっています。

 3代目の副島謙一さんは、「水玉模様」を「掻き落とし」と呼ばれる伝統技法を用い、一つひとつ手彫りでモダンでスリムな土瓶や急須、水差し、フリーカップ、湯飲みなどを制作しています。
 全国でも「搔き落とし」で彫る職人は少ないのだそうです。

 成形は弟の副島弘明さんが「排泥鋳込み」(はいでいいこみ)という手法を用いて行います。
 作業開始から16分で中の泥漿(でいすい)を排出したら乾燥させ、型を外します。
 そして、茶こしや注ぎ口をパーツを取り付けていきます。
 「排泥鋳込み」(はいでいいこみ)
 石膏型に流し込んだ泥漿(でいしょう)を一定時間放置した後、必要な厚さになったら余分な泥漿を流し出す成形方法です。
 石膏型が泥漿(でいしょう)の水分を吸収して張り付く性質を利用したものです。
 主に急須や花瓶など、中が空洞になった袋状の器の量産に適している手法です。

 水玉を施す作業では、副島謙一さんが防塵マスクを装着して、工業用ドリルを改良した「リューター」という道具を巧みに使って、直径1.5㎝の水玉を削っていきます。
 
 一見、 ランダムに削っているように見えますが、基準があるそうです。
 かつての「水玉土瓶」は水玉の数は多かったのですが、単調なものでしたが、謙一さんは、水玉と下地のバランスにこだわって、余白の部分も水玉を生かすように削っています。
 
 素焼きを終えたら、釉薬をたっぷり厚めに掛けて、削った水玉の角を柔らかくします。

 次に水玉に色をのせていきます。
 この色付けの作業を行うのは、奥様の由紀子さんです。
 色付けは、筆で塗るとムラが出来るため、黄色の絵の具の上から黄色いフィルムでコーティングして、水玉に色を定着させます。
 焼成するとフィルムは無くなり、美しい水玉模様が浮かび上がりました。

 副千製陶所 佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁4116−13

 

 3.「yongo-hingo」(224porcelain・辻諭さん)

 元々、有田において御用焼を営む「辻家」の出として約170年前の安政年間(1854~1860年)に創業した「辻与製陶所与山窯」(つじよせいとうじょよざんがま)。
 他の「肥前吉田焼」の窯元と同じく長きに渡り佐賀の「有田」や「伊万里」、長崎の「波佐見」の下請けとして表に出ることなく、その技術を影で磨いてきました。

 現在、「肥前吉田焼」の中で目覚ましい活躍を続け、トップランナーとして走り続けている辻 諭さんは、「辻与製陶所与山窯」の6代目・辻 賢嗣さんの長男です。

 辻 諭さんは、実家の細工人(ろくろ師)のもとで修行したり、有田の窯業大学校に通って技術や知識を習得ていく中で、
「肥前吉田焼」を埋もれさせることなく、吉田で焼き物を作る意義を明確にしたいと思うようになりました。

 そして、磁器の産地として長い歴史とその中で培ってきた技術を下地としながらも、有田焼のような様式がないからこそ
これまでの価値観に捉われることなく、自由なものづくりが出来るのではないか思い、平成24(2012)年に「肥前吉田焼」の磁器ブランド「224porcelain」を立ち上げました。

 「224porcelain」の「224」は「ニーニーヨン」と読みます。
 これは「2・2・4」 辻与=「ツ・ジ・ヨ」というダジャレで決めたそうですが、珍しい名前なのですぐに覚えてもらうことが出来ますし、数字だと海外でもそのまま読んでもらうことも出来ます。

 辻さんが手掛けた作品には、自家焙煎するための「PRIVATE ROASTER」(プライベートロースター)、紙を使わないセラミックコーヒーフィルター「caffè hat」(カフェハット)、雲の形をした器やポットの「Cloud nine」(クラウドナイン)、 
醤油をかければ”おにぎり”の形が浮かび上がる醤油皿「おにぎり」、アロマディフューザーの「kisetsu」(キセツ)、「shirakaba」(シラカバ)、「Fragrance fruit」(フレグランスフルーツ)など、ユニークなものが沢山あり、どれも好評を得ています。

 その中でも特に人気なのは、「yongo-hingoよんごひんご」という名前のちょっとまがった形をしたへんてこな「マグ」です。
 「よんごひんご」とは、佐賀の方言で「真っ直ぐでない」「曲がっている」「歪んでいる」こと。

 「yongo-hingoよんごひんご」は、切り目が入り凹凸になっていることで、手にピッタリフィットし持ちやすくなっています。
 また二重構造になっているので、淹れたてのコーヒーも熱さを和らげることが出来るだけでなく、保温効果もあります。
 一方冷たい飲み物も水滴が付きにくいので、ノンストレスで使うことが出来ます。

 二重構造の成型は、職人の木村定二さんにより、「排泥鋳込み」(はいでいいこみ)という手法を用いて行われます。
 型が水分を吸って行くと繋ぎ目のない二重構造のカップが出来上がる。
 
 「排泥鋳込」(はいでいいこみ)
 石膏型に流し込んだ泥漿(でいしょう)を一定時間放置した後、必要な厚さになったら余分な泥漿を流し出す成形方法です。
 石膏型が泥漿(でいしょう)の水分を吸収して張り付く性質を利用したものです。
 主に急須や花瓶など、中が空洞になった袋状の器の量産に適している手法です。
 
 次に、凹凸の部分を作ります。
 凹んだ部分は、生地が柔らかい状態のうちに、水に濡らしたナイフを斜めにして切り目を入れていきます。
 出っ張りは、木べらを使って手前に押し出します。
 
 そして辻さんが釉薬を塗ります。
 目指すのは雑味の鮮やかな「白」。
 そのために独自に配合した釉薬を使います。
 窯で13時間焼き上げたら、完成です。

 224porcelainの工房には、器が買えるショップや嬉野茶や地元のランチを夜はバーとしてお酒と水タバコが楽しめる「saryo」というカフェが併設されています。
 
 224porcelain 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙909

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Saga/Hizenyoshidayaki より

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<異名-人物> 楽聖

2023-11-30 08:01:36 | 異名

 「楽聖 ベートーヴェン」

 (1770〜1827)ドイツ

 ドイツの作曲家でピアニスト。次世代のモーツァルトとして父からスパルタ教育を受けていた。スパルタ教育の影響や、難聴によって聴力をほぼ失い音楽をやめて自殺も考えていたが、音楽への情熱を取り戻して数々の名曲を作曲した。

*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E6%A5%BD%E8%81%96%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3 より

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフンに近い、1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆とされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。

*Wikipedia より

 ベートーヴェンについて

 ベートーヴェンは、音楽の世界に2つの大きな革命を起こした音楽家である。

 そしてその根底には、1つの大きな信念があった。

 《革命その1》

 当時の音楽家はみな、王様、宮廷、教会に仕えて作曲をしていた。

 今でいうと、国や大会社に雇われているようなもの。

 カツラは当時の第一礼装であり、王様などの前では常にかぶらなくてはならなかった。

 また身分が低いため、お屋敷なども裏口からしか入ることが出来なかった。

 しかし彼は、かつらを脱ぎ棄て、正面玄関からしか入らないと宣言!

 王様、宮廷、教会のために曲を書くのではなく、音楽を自由に表現することを初めて行った。

 そして結果として音楽家の身分と地位を高めた。

 《革命その2》

 音楽を、一部の特権階級の人達のものではなく、庶民のために解放した。

 例1_スコットランド民謡の「蛍の光」等、庶民が知っている民謡170曲以上の編曲

 例2_当時のフランスの流行歌を元に「喜びの歌」のメロディーを作曲

 《強い信念》

 ベートーヴェンは、30歳を過ぎたころから難聴に悩まされ続けてきた。

 作曲家にとって、耳が聴こえないというのは致命的である。

 ある日ベートーヴェンは、遺書を書き始めた。

 しかしこの遺書を書いている中で、彼自身に大きな心の変化が起きたのだった。

 この遺書はハイリゲンシュタットの遺書という。

 大変長いこの文章は、前半は自分の不遇を嘆き、絶望し、死を覚悟する言葉が書かれている。

 しかし文章の途中に、自分は音楽という芸術により生かされているのだ、という言葉が出てくる。

 そして後半は、この世からの決別ではなく、今までの自分自身との決別の言葉が書かれている。

 つまり彼は、自分の不幸を嘆き悲しむのではなく、それを乗り越えてもっと強い人間になろう!

 そして自分より悩んでいる人々のために、もっと素晴らしい曲を作曲しよう!と、

 遺書を書く中で自分の気持ちを整理し、自分の生きる意味と価値を見いだしたのだった。

 その後、「運命」や「第九」をはじめとする数々の不朽の名作が生みだされた。

 この大きな革命と、音楽に対する信念、そして数々の名曲を残したことから、ベートーヴェンは “聖なる音楽家” 「楽聖」 と呼ばれている。

*https://www.endohiroshi.com/blank-2 より

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<料理用語-和食> 落とし芋

2023-11-30 07:57:35 | 料理用語

 「落とし芋」

 椀種のひとつ。

 ・山芋をおろして塩味で調味
 ・熱い椀に落とす

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/4_E/038.html より

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<難読漢字-魚へん> 鮲

2023-11-30 07:54:12 | 難読漢字

 「鮲 こち」

 「鯒 こち」と同様。

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<慣用句・諺> 涼しき方 など

2023-11-30 07:48:27 | 慣用句・諺

 「涼しき方」

 清らかで気分さわやかな世界。極楽浄土。地獄を焦熱の所とみるのに対していう。

 

 「涼しき道」

 極楽浄土に行く道。また、極楽浄土。

 

 「雀の喧嘩でまたふるふる」

 《「また降る」に「股 (また) 振る」をかけたもの》また雨が降るということを茶化していった言葉。

 

 「雀の巣も構うに溜まる」

 雀が材料を少しずつ運んできて巣を作り上げるように、少しずつ貯蓄をしても積もり積もれば大きな額になる。

 

 「雀の千声鶴の一声-すずめのせんこえつるのひとこえ」

 つまらない者の千言よりは、すぐれた者の一言のほうがまさっているということ。

 

*goo辞書 より

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<伝統野菜> 山口 赤郷ごぼう -追記あり-

2023-11-30 07:43:52 | 伝統野菜

 「赤郷ごぼう」

 美東町の赤郷地区でのみ栽培されている美東ごぼう。その歴史は古く、江戸時代には藩主へ献上していた記録も残っている。「やわらかく、香りや風味が強いのが美東ごぼうの信条です」と堀田さん。通常ごぼうは砂地などの水はけの良い、やわらかな土壌で栽培されることが多いが、赤郷地区の土はそれとは正反対の粘土質。「一見ごぼう作りには不向きに思える土質ですが、固い土の中でじっくり育つことで、きめ細かくうま味を閉じ込めたごぼうに育つのです」。また、アクが少なく時間をかけた下ごしらえなしで使えるというのも大きな特徴。一流食材とは、プロのような技術や知識がなくても美味しく調理できるもの。美東ごぼうは、そのことを教えてくれる。

*http://minecolle.com/gobo.html より

 

 「赤郷ごぼう/美東ごぼう(あかさとごぼう/みとうごぼう)」

 【生産地】美祢市美東町(みとうちょう)赤郷(あかさと)地区

 【特徴】柔らかいのに歯ごたえがあり、風味と香りが良い。アクが少なく時間をかけた下ごしらえなしで使えるというのも大きな特徴。

 【食味】肉質の柔らかさと風味の良さ

 【料理】きんぴら、煮物、揚げ物など

 【来歴】美東町の赤郷地区でのみ栽培されている。歴史は古く、江戸時代には藩主へ献上していた記録も残っている。同市に広がるカルスト台地の赤土は、石灰岩が長い年月をかけて溶け出し酸化したもので、炭酸カルシウムを多く含む粘土質。一般的なゴボウが砂地などの水はけの良い、柔らかな土壌で栽培されることが多いのに対し、赤郷地区の土はそれとは正反対の粘土質で堅い土。2017年9月にGI(地理的表示保護制度)登録。

 【時期】10月~12月

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d35-%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e7%9c%8c/#i-7 より

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<国産ワイナリー> 天使の羽ワイナリー

2023-11-30 07:39:53 | 国産ワイナリー

 「(株)ナチュラルファーム・グレープアンドワイン/天使の羽ワイナリー」

 

 (株)ナチュラルファーム・グレープアンドワイン/天使の羽ワイナリー 大阪府柏原市大県697-2

*https://www.winery.or.jp/winery-map/2649/ より

 ひめひこワイナリーから私たちが引き続きをさせていただき、

 装いも新たに天使の羽ワイナリーとして生まれ変わりました。

 ワインも香り高くフレッシュで未ろ過のワインを目指して醸造いた結果、

 『にごりワイン』に辿り着きました。

 商品リスト

国産デラウエア100%で醸造したすっきりした、にごりの白ワインです。

NI CO RI 赤

国産では一般的なマスカットベリーAとコンコードを
使用したにごりの赤ワインです。

 

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<大阪-観光> 百舌鳥・古市古墳群

2023-11-30 07:34:05 | 観光

 「百舌鳥・古市古墳群」

 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-(もず・ふるいちこふんぐん -こだいにほんのふんぼぐん-)は、大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市にある45件49基の古墳群の総称。百舌鳥古墳群及び古市古墳群に含まれる。

 2019年7月6日の第43回世界遺産委員会で正式に世界文化遺産に登録された。名称は「百舌鳥・古市古墳群」とも略称される。

 ガイダンス施設

 百舌鳥古墳群ビジターセンター
 世界遺産条約には「文化遺産及び自然遺産の保護、保存及び整備の分野における全国的、または地域的な研修センターの設置、または発展を促進し、並びにこれらの分野における学術的調査の奨励」という条文があり、登録後に遺産の全容を知ることができる来訪者施設(ビジターセンター)の設置を求めている。

 堺市では仁徳陵の拝所近くにあり、市の観光案内所も入居していた大仙公園レストハウスを「百舌鳥古墳群ビジターセンター」として約2億1300万円をかけて再整備し、2021年3月13日にオープンした。古墳に立ち入ることができないため、8Kによる高精細な空撮映像を上映するほか、複数の言語で古墳を解説するデジタル掲示板や図書コーナーの設置、古墳グッズの販売、古墳群散策のためのレンタサイクル貸し出しも行われる。コンセプトデザインは堺出身の空間デザイナー間宮吉彦。入館無料、開館は9時~18時で年末年始のみ休館。建物延べ床面積490.5㎡、平屋建。

 また、堺市博物館も展示内容の主軸に百舌鳥古墳群を据え、百舌鳥古墳群ビジターセンターと同日にリニューアルオープンした。

 一方、古市古墳群では藤井寺市のアイセルシュラホール(構成資産の岡ミサンザイ古墳に隣接)の一部を改修し、世界遺産情報センターとした。

 大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがる4世紀後半から5世紀後半の45件49基が登録対象となる。世界遺産における登録名の一部はHanzei-tenno-ryo Kofunのような、宮内庁治定の陵墓名である。

*Wikipedia より

 広域にあるため、なかなか全てを巡ることは難しい。それに小さい目立たないものもあったり、住宅地にあるものもあり、オーバーツーリズムになることも。大きなブームにならないことがいいことかも?なにせ「古墳」は「お墓」だし(笑

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