久しぶりに通った道。 もう咲き満ちていました~~
コブシの花は、ハクモクレンよりも小型で、全開するけれど、ハクモクレンは開ききらない。
今年は木も大きくなった感じで、咲きっぷりの見事なこと。
☆毎年同じようなこと書いています。去年のハクモクレン☆
新川遊歩道を浦安方向へ初めて歩いてみました。片側ですが工事は、
東水門付近まで進んでいる様子。(正面奥が新川東水門です)
対岸はまだ工事が始まったばかりのようです。
かつて友人と見に来た時のそこは砂礫地で、チドリが営巣していました。
徳川家康によって開削された江戸市中に様々な物資を運ぶ水路、行徳の塩を運ぶ「塩の道」として
利用されました。
今は、新川千本桜計画が進行中(26年完成予定)
かなりの古木のようで、こんな瘤が。他の枝にも穴が開いたり満身創痍で頑張っている
大木でした。水門手前の公園。
新川東水門です。屋形船が係留されています。
あら、おもしろい形! と思ったら、水門の横顔でした。
旧江戸川です。対岸は浦安市。右正面は、妙見島でしょうか。
ポカポカとここち良い日差しに、ナガミヒナゲシが一気に咲いて~~今年も定点観測です。
2007年 3月23日
2008年 4月01日
2010年 3月30日 そして、2013年 3月15日 2014年 3月16日。
根元に咲いている細かい花は、アメリカフウロ。こちらは冬中咲いていた。
どちらも、いつの頃からか現れて、今や立派に(?)定着している帰化植物。
ハルノノゲシ
☆ひろおばちゃん☆ 98歳で叔母が亡くなった。
ひろおばちゃんは、母の弟のお嫁さんである。夫は海軍の伊号潜水艦で若くして戦死した。叔母は、忘れ形見のひとり息子を、和裁を教えたりしながら、女手一つで育て上げた。たまに軽井沢を訪ねてくれた叔母は、若くてやさしくて、花のように美しく思えた。
私たちは、海軍の制服を着て笑顔で写った一度も会ったことのないその人の写真を、ときどきとりだしては、訳もなく眺めたくなった。
「母さんがーー~~『○三郎が生きていればなあ・・』とよく言っていた~~~」と母から聞いた。(また、きな臭い匂いも漂う現実・・・・どうか繰り返しませんように)
息子は父親そっくりの面影を宿した青年になり、最後まで母親をよく見守り、家族や孫たちに囲まれたひろおばちゃんは、しあわせな一生を過ごしたと思う。
おばちゃん、ありがとう! 心からご冥福をお祈りします。若き日のひろおばちゃんになって、叔父と再会してください。
☆坂東眞砂子さん☆ 坂東さんとは、友人のSさんの紹介で、一度だけお会いしたことがあった。
彼女がまだ旅行ライターをなさっている頃で、仕事帰りの夕暮れ、疾風の
ように友人宅に現れた。
東南アジアの土俗的な民話のことなどを伺った。こちらの方の力が足りずに実を結ばなかったが、
その後、「山妣(やまはは)」で直木賞を受賞。作家としてのご活躍はご存知のとおりである。
また、若き日には建築を学びにイタリアに留学。童話なども出版されている。
我らがK先生が雑誌の取材でそちらに行かれた折に、通訳をしてくれたのは、彼女だったと後に聞いた。
友人宅でお会いした彼女は、夜の書店に置かれた一個のレモンのようにオーラを放っていた。
ぴちぴちとした姿も声も笑顔も記憶に残っている。
55歳と、早すぎた死。こころからご冥福をお祈りいたします。(Sさん、お元気でしょうか)