後楽園球場のカラオケ

2005-10-31 00:13:00 | 日記・エッセイ・コラム
カラオケは、苦手なほうであまり率先して参加しない。カラオケで印象的なのは、今の東京ドームの後楽園球場でのカラオケ。社会人の都市対抗で出場した会社のチームが試合前に社歌を演奏しての相手の応援団とのエールの交換をしていた。いいまもしているかどうかはわからないが。自分の楽器は、口が空いているので、左手に太鼓のばちを持ち、空いた手でマイクを握り、社歌を歌ったことだった。場所といい音響といい今でもその心地の良さははっきり記憶している。よくも恥ずかしくもなくやったものだが、若いからそれが出来たのだろう。



甲子園の土

2005-10-30 23:41:00 | 日記・エッセイ・コラム
高校時代に応援のバンドで甲子園に3回いったが、当然のことながら選手でない私は甲子園のグランドの土を踏めるはずはない。しかしその機会は数年して訪れた。就職した会社の野球部が甲子園での社会人の選抜大会で決勝戦まで進んだ。試合開始前にセレモニーで、応援団の旗ともって2人だけグランドに入れた。そのときの応援団は、応援のリーダと太鼓たたきの私の2人だったので、その幸運に恵まれた。残念ながら優勝はできなかった。



天理高校

2005-10-28 22:10:00 | 日記・エッセイ・コラム
通院している接骨院の先生は、中学時代にクラブで柔道をしていて今の野球留学ではないが奈良の天理高校にはるばる入学したという。天理高校には思い出がある。高校fでは、ブラスバンド部にはいり、猛練習の試練に耐え全国コンクールでは2年続けて3位をだった。優勝はいつも天理高校でずば抜けていた。甲子園でも応援で対戦したが、昔は応援で演奏するのは、校歌、応援歌の他は軍艦マーチ、錨をあげて、星条旗を永遠なれなど勇ましいマーチが主で、ときによさこい鳴子おどりもしたことがあったが対する天理は。いまでは普通になっている応援団のコールと呼応した応援歌は、天理が創作したものだったと思う。演奏は素晴らしくスマートにやるし、当方は金がなく10名足らずに対して数倍の人数のド迫力には恐れ入ったのを憶えている。
甲子園といえば、わが母校は、ホークスの王監督が投手の早稲田実業と優勝戦をし、応援席で太鼓をたたいた。王さんが打ったラッキーゾーンでなくセンターへのホームランは、当時としては珍しかったと記憶している。
準決勝までずっと3塁側で勝ちすすみ、決勝戦は一塁側になってしまったので、悪い予感がして、結果はそのとおりになった。
近年キャンプできていた王さんとホテルのジムのサウナで会い、そのときの話をしたら「懐かしい話」との一言。





足の治療

2005-10-21 21:29:51 | 健康・病気
左足の痛みがおさまらず日々の1万歩のウオーキングとゴルフがつらいので、紹介してもらった接骨院にいってきた。
20台か30台の前半の年格好で大柄でやさしそうな男性の医師。診察によると以前の捻挫とか筋断裂の後遺症から左足が右足に比べ変形しているのも原因かもしれないといわれた。痛みの治療とあわせ筋力アップを図るようにとの処方。まじめに取り組んでみよう!
接骨院の名前が変わっている。火水風接骨院、フリガナはひみずかぜ、一度由来をきいてみなくては。


夕日に染まる天神橋

2005-10-18 22:18:31 | まち歩き
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自宅から鏡川の南岸を歩き天神橋をわたって北岸を帰ってくるのが日課のウオーキングコース。歩数1万歩、約7㎞を1時間30分ぐらい。彼岸花が終わって、いまはコスモスの季節。どこからとなく金木犀のにおいが漂う。
築屋敷の桜並木に狂い咲きの花びらをちらほらみつけることができる。