フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

me'che

2019-01-21 08:53:59 | Weblog

Marilyn Monroeの髪の房が14.500eurosだって。凄いもんだねスターというのは。まるで美術品みたい。今の人で髪の毛まで売れる人はいないだろう。髪の毛が欲しい人はいるけどね。まぁスターがいない時代だから比べてもいけないか。あの煌いたスターたちももうすでに亡くなった人が多くてあと残り僅かだねぇ。絶滅危惧種ってスターのことを言うのかな。僕にとってジョンウエイン、ヘップバーン、バルドー、ドロン、ベルモンドがスターなんだけど生きているのはバルドー、ドロン、ベルモンドだけだ。みんなフランス人というのはフランス映画が日本で好まれていた時代だったからかな。ドロンなんかとりわけ日本での人気が凄くてスターまで昇りつめれたって本人が言ってたもの。みんな80代かそれに近い年齢ですかね。憧れを抱かせるというのがスターなんですよね。実現させるというのと違うんだよね。そこんとこ昨今の俳優は錯覚しているからスターの道は歩めないんだ。スターって言葉はもはや死語かも知れないけどスターはスターであり続けてもらいたいね。

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Suzi

2019-01-20 09:32:17 | Weblog

Suzi Quatroがイギリスの新聞のインタービューに応じているのを見て懐かしいなぁと思ってページを開いた。まぁ老けて、太って、面影はない。けど同い年だからこんなもんか。スージークアトロといえば本格派のロックシンガーで女性ロッカーの草分け的存在じゃなかったのかな。とにかく黒のレザーのジャンプスーツでベースを鳴らしながら歌うさまなんぞカッコよかったよね。もうとっくに引退してるのかと思ってたらまだ現役。2018年のコンサートをYtubeで見たら大きな牛が観客におおきな尻を向けてパンパンと叩いているの。これがスージーの今のノリ。笑っちまった。can the canと言われてもなぁ。インタービューは面白くって6歳の時テレビで見たエルビスが自分の人生を変えた話とか何故デトロイトを捨てたかとか人々を理解しないといけない話とか若いミュージシャンへの伝言とか内容は濃くて簡潔。スージークアトロ68.まだまだ頑張ってます・・・か。オレも23日で68.頑張らねば。何に頑張らねばいけないのかな?そこから考えねば。と、いうことか。僕らの時代のスターがまだまだ光り輝く場所にいるっていいことだ。何だか勇気が湧いてくるもの。

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俺を泣かせに

2019-01-19 08:42:05 | Weblog

猫のウルーが死んで初七日。まだまだ周りはざわざわとしていてハマダのねえさんがお土産を持ってきてくれた。「あんた、淋しゅうなったろう」とか「あんたのくれたウルーのカードよかった」「よかったけんど涙が落ちて汚してしもた」とか言いながら泣くもんだから「お前が泣くとおいらも泣けてくるじゃないか」と在りし日のウルーを思い出すひょっとして「俺を泣かせに」来てるのかと軽口を叩きながらもウルーの為に泣いてくれるのをありがたく思う。お土産は何かな?とあけてみると「おかかの佃煮」だった。オレは猫じゃないんだけど・・・・。

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キミはもう鳴かないのか

2019-01-18 09:24:40 | Weblog

黒と白の猫だった。背中から頭まで黒。腹から顎まで白の雌猫だった。良くしゃべり、お行儀のよい猫だった。ボクの膝の上が大好きな猫だった。ネズミ、トカゲ、スズメ、狩りの得意な猫だった。最後の前の日にはよく透る声で鳴いて何かを知らせようとしたみたい。ボクがのぞき込むとキミは目を細めた。世の中にお別れを告げたのかな。猫の仲間に知らせたのかな。

フランス語で幸せって意味のウルーって名前だった。24年くらい生きていた。こんなに長生きの猫見たことないって言われてた。

キミはもう鳴かないのか。僕をずっと追いかけてきたキミ。ボクに話しかけてきたキミ。ボクの膝の上で眠ったキミ。キミはもう鳴かないのか。

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scream

2019-01-17 08:27:18 | Weblog

Edvard Munchの「叫び」がイギリス議会でうけているそうな。政治的混沌というかEU離脱をめぐっての議会の混乱ぶりと政治的見通しが「叫び」だそうな。メイ首相への不信任決議は反対325賛成306で否決された。辛うじて首相の地位は守ったもののまたEU との再交渉に当たらなければならないわけでいっそのこと総解散してとも思うのだけどこの難局を乗り切れるのはメイしかいない。と思うとメイの顔が叫びの顔に見えてきた。心に沁みる絵というのは時を経ても生きるんだね。エドヴァルドムンクは今ではノルウェーの国民的画家だが彼の絵ははじめノルウェーで酷評されたんだよね。個展も1週間で打ち切られるなど散々な目に合ってるんだ。その後ドイツやフランスで認められて大画家となっていくんだけど人の目とかまったく当てにならないね。自分を信じて描き続けることが大事なんだ。その時の不安、これも「叫び」。絵には不思議な力があると教えてくれたのも「叫び」。叫んでみれば少しは気が晴れるかなとムンクの絵を見ながらそう思う。オレって楽天的だからね。

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What's the next ?

2019-01-16 08:53:05 | Weblog

Theresa MayのEU離脱案がMPで否決されました。それも432:202という大差で。さて次はどうするんでしょうね。EU 側はメイの案が譲歩できる最良のプランだと言ってるわけでして代替案もなくこのdealを蹴るなんてポピュリズムのような気がしないわけでもないですが。かつては大英帝国だったんでしょうがいまやその片鱗さえうかがえない島国なのですから、ましてや一国で世界経済を牛耳るなんてことはできないのですから。メイもそもそもは離脱反対の立場にいたわけで国民投票とやらで離脱という結果が出てその交渉にとメイが当たっているわけでして、国民投票自体も一種の熱のようなものでして熱が冷めてみれば不安が募り離脱反対の方に向かう人もいる訳で「国民投票」自体が当てにならないものですよね。その当てにならない基盤の上でのやりたくもない交渉を「よくぞここまで纏めてくれた」とオレなんか思うのですけどね。メイのファンということもあるんですけど。また「国民投票」なんて愚の骨頂はやめて議会で離脱か残留か真剣に議論するべき時だと思うけどな。そうじゃないとMPの意味がないということに気づかないのかな。メイの退陣を迫って合意なき離脱なんて・・・ちょっと何言ってんのかわからないな。

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絵画展

2019-01-15 09:31:47 | Weblog

昨日は図書館の4Fで開かれている「口と足で表現する世界の芸術家たち」という絵画展を見に行ってきました。生まれつき手足の不自由な人とかいろんな事故で不自由になった人が表現に目覚め努力して描いた絵の展覧会です。口で描く人、足で描く人と手法は様々ですが五体満足でそこら辺で絵を描いている人よりずっと上手いです。お前の絵なんか「足元にも及ばない」とか「口ほどでもない」と言われたらそれまでです。「よくぞここまで描けるもんだ」と感心しきり。「これで十分」とかいう俳句をこの中の誰かが書いていましたが彼らはすべてを受け入れて足るを知りその中で出来る限りの表現をされているんですね。建物も人物も静物も「ウ~ンとうなってしまいました」。オレたちはもっと努力しないといけないと反省の念しきり。絵に対しての向き合い方が違うんだね。帰ったら「アンタラ全部負けているぞ」と絵画教室で言ってやろうとブツブツ。やっぱりこれは下絵なしで描いているんだろうなとかこの油絵の厚塗りは、大変だったんだろうなとか思いながらも絵は誰がどんな方法で描いても「いい絵」がいいのだからと思いながら見てた。いやぁ、絵って語りかけてくるね。

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Tom

2019-01-14 09:04:59 | Weblog

Tom,get your plane right on time   I know your part'll go fine  Fly down to Mexico Da-n-n-da-n-da-da and here I am  The only living boy in New York   トム、ヒコーキに乗り遅れるなよ。キミの仕事はきっとうまくいくよ。メキシコへ行くんだね。僕はここにいるよ。ニューヨークでひりぼっち。

もう40~45年位前なのかなポールサイモンの「ニューヨークの少年」を聴いたのは。当時は音として。今ごろになってまた聴いていると「こういう歌だったのか」とサイモンの思いの深さに驚く。英語で聴くとナニ言ってんだかと思うけど日本語に訳すと深いよね。と遅ればせながら脱帽。いい歌はこんな風にしてまた時を経て戻ってくるもんだね。TOMと言えば猫の名前かとしか思えない自分がいてウルーが天国へ飛び立った歌のような気がしてさ。「今日は何もすることがないんだもの作り笑いを浮かべてるだけ」の下りがさ相棒が去った現実と思えてこの歌をまた聴いているんだ。

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start

2019-01-13 08:35:47 | Weblog

冬休みだった絵画教室が昨日から始まりました。新春初頭の話題はガラケイを洗濯機で回したというか知らずに洗ってしまったという話を教室に入ったらしていました。もちろんそんなことをするのは一日に4回も洗濯しなきゃならない大家族の人ですけどね。洗濯そのものよりみんなの関心は洗濯後のガラケイ。「それでどうなった?」「画面はつく、見える。」「よかったやない」「けんど、電話の声が聞こえんと」「聞こえん?」「こっちは聴こえるけんど私の声が届かんと」「やっぱり壊れるがや」「ドコモやけんどね」「そういう問題じゃなくて」「そうやろうか」「そうよね」「契約が4月までやき、それまで辛抱やと亭主が言う」「良かった電話かからんなるがや」「何それ?」「4月になったらスマホに変える」「あんたスマホ使えるが?」「使えん」と絵を描いている間もこの話の堂々巡りでした。やっぱり一番いいのは電話がしばらくかかってこないことかな。みんなでほっとした新年のスタートでした。「洗う門には福来たる」。本年も張り切ってまいりましょう。

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ウルーのお墓

2019-01-12 08:51:01 | Weblog

山の畑の乙女椿の下に猫のウルーのお墓を造りました。頭が時代劇チャンネルですからお墓といえばこの形。手を合わせてやっておくんなせぇ。とこうなります。                 たった30x50くらいの穴を掘るのに一苦労。それも土が柔らかそうなところを狙ってだ。よく山中へ人を埋めたなんて話があるけど人を埋めるほどの穴が掘れるなんて信じられないね。と言いながら少しでも快適にウルーが眠れるようにと岩盤が見れるところまで掘った。ウルーをきれいに埋めてから卒塔婆を立て般若心経を唱えお参りをした。「ありがとう」って言葉しかなかったね。「一緒にいてくれてありがとう」かな。「よくおしゃべりしてくれてありがとう」かな。今朝、ウルーが日向ぼっこしてた石段にウルーがいないのが不思議な感じだった。

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