夏の終わりを告げる鰯雲(いわしぐも)が夕焼けの空に浮かんでいた。竹松は、また正月か…と遠い先のことが浮かんだ。なにかと小忙(こぜわ)しくなる歳末の風景が、これから充実した秋を迎えるというのに端折(はしょ)られて浮かんだのだ。暑気もようやく去り、いい気候になってきたというのに竹松の発想は萎(な)えていた。ああ、いやだいやだっ! と残り少ない髪の毛を掻(か)き毟(むし)ったそのときである。ふんわりと空から地上へと光が下りてきた。竹松は初め、西空に沈みゆく夕陽の乱反射かと思った。地上へ下りた一点の瞬(またた)く光は、そのまま真っすぐ田畑を越えて竹松が立つ家の方へ一直線に近づいてくるではないか。竹松は我が目を疑(うたが)った。だが光は、現実に竹松のすぐ傍(そば)まで近づくとピタッ! と止まった。
『人生のほんのひとときの幸せ…まあ、今年の秋をお楽しみください』
どこからか竹松に語りかけるように荘厳(そうごん)な声がした。竹松は少し怖(こわ)くなった。もう怪談の夏じゃないぞ…と思いながら声の出所(でどころ)を見回して探(さぐ)ったが、やはり輝く一点の光からするようだった。
「あなたは?」
竹松は思わず口走っていた。
『わたくしは夕焼け菩薩という、それはそれは有り難い仏さまです』
竹松は、自分でそれを言うんかい! と心で突っ込んだ。夕焼け菩薩の声は続いた。
『残り少ない人生をお楽しみください…』
残り少ない! これからまだまだ、と思ってるのに大きなお世話だっ! と竹松はまた心で思った。
「はあ、有難うございます…」
口でそう竹松が返したとき、一点の光は消え去った。竹松は、♪松竹(まつたけ)たぁ~てぇてぇ 門(かど)ごとにぃ~~♪と、小学唱歌[一月一日]の一節(ひとふし)を下手(へた)に唸(うな)った。不思議なことに、その日以降、竹松には楽しみが増えた。
完
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