水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第二十四話  採点   <再掲>

2014年07月11日 00時00分00秒 | #小説

 大学受験まっただ中の早春、無精髭に着古したボロ学生服に身を包んだ荻沼健太郎は今年も受験のため、とある大学の門を潜(くぐ)っていた。自慢にもならないが今年で40回を越えているから、試験官の江川とはすでに話し合えるほど親しい仲になっていた。
「今年もですか…、ご苦労さんです」
 あんた、よく飽きもせず…と内心では思っていても、さすがにそうは言えない江川は、軽くお辞儀すると試験用紙を配布し始めた。会場は受験番号順に一定数で区切られ別たれていたが、荻沼の教室にはある頃からか江川が入るようになっていた。大学職員の江川は、ふとしたことがきっかけで毎年見る荻沼の姿に興味を持ったのである。二浪、三浪とかはあるが、さすがに二十三浪はいないぞ…と、荻沼の校門を潜る姿を見て気づいたのが、ことの起こりだった。あの若かった荻沼が、今では白髪混じりの男になった…と思いながら自分の薄くなった髪の毛に手をやり、江川は人ごとじゃないなと苦笑した。
 昼の休憩を挟(はさ)み、試験は滞(とどこお)りなく終了した。受験生達が雑然と会場から去る中、荻沼は感慨深そうに教室を見回して、まだ座っていた。その席へ江川が近づいてきた。
「どうでした?」
「まあ…」
 毎年、繰り返される二人の決まり台詞(ぜりふ)が交わされた。聞いた瞬間、江川は今年も駄目か…と、瞬時に思った。その思いが顔に出た。
「いや、今年は分かりませんよ! 私も、そろそろ…」
 江川は、かつて聞いたことのない荻沼の言葉を耳にした。ひょっとすると…と、思えた。
「ですよね! 合格を祈ってます!」
 二人は会釈し、笑顔で別れた。
 数週間後、掲示板に合格者番号が張り出された。掲示板の前には多くの人だかりがあった。その中に荻沼の姿もあった。荻沼は132012を探し、順に番号を追った。132008…132010…132013。やはり、今年も駄目か…と荻沼はガクリと肩を下げ、地面を見た。やはりな…と思い直し、Uターンして歩き始めたそのときである。
「み、皆さん~~!! 待って下さい! 採点ミスがありました! 繰り上げ合格者を今、貼りますっ!」
 どこかで聞いた声だな…と荻沼は立ち止り、振り返った。掲示板の前には試験官だった江川が掲示板に追加の紙を画鋲で貼っていた。荻沼はその小ぶりの紙へ静かに近づいていった。114053…126091…132001…132012…。えっ! 132012! 荻沼は目を擦(こす)った。
「あ~~!!」
 荻沼は人目も憚(はばか)らず叫んでいた。そして知らず知らず、涙が頬を伝った。
「ああ! 荻沼さん、ありましたか! よかったですね!」
 江川が笑顔で声をかけた。荻沼は流れる涙を拭(ふ)きながら、ただ頷(うなず)き続けた。大学側の採点ミスにより繰り上げ合格となったのは7名だった。
 桜が咲き乱れる校門を無精髭を落とした背広服の荻沼が入った。そこには江川が立っていた。
「おめでとうございます。今日は入学式の係員です!」
「そうですか…」
「長いお付き合いになりそうですね!」
「はあ、よろしく! たった一問の採点で拾っていただきました!」
「いやあ~、あなたの実力です! 採点で人生は変わるんですから、この世は恐いですね」
「はあ…」
 二人は笑って話しながら、会場の大学講堂へと歩いていった。

                                 完


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不条理のアクシデント 第二十三話  妖精の誘[いざな]い   <再掲>

2014年07月10日 00時00分00秒 | #小説

 風が流れて拓馬の首筋を撫でた。陽気も少し緩(ゆる)んだから、そう春も遠くないようだ…と、拓馬は思った。窓ガラスの下を見ると、去年植えた桃の若木に、もうチラホラと淡いピンクの花が咲いていた。拓馬にとって去年やってきたこの地に身寄りはなく、知り合いも僅(わず)かな仕事仲間以外はほとんどいなかったから、これらの自然が拓馬にとって唯一の慰めだった。
 二階から下り、拓馬は小さな庭へ出た。すると、先ほどまでいなかった少女が立っていた。少女は拓馬を見て二ッコリと微笑(ほほえ)んだ。一面識もない少女に、拓馬は少し気味悪さを覚えて訊(たず)ねた。
「あの…失礼ですが、どちらですか?」
 拓馬は敢(あ)えて怒らなかった。人によっては、誰だ!人の庭で…と、凄い剣幕で捲(まく)し立てるのだろうが、拓馬にその感情はなかった。少女の姿は軽い会釈のあと、スゥ~っと消え去った。拓馬は幻覚を見たのか…と思った。よく考えれば、そんな少女が庭にいる訳もなく、二軒、近くに隣家はあったが、そんな少女を見た覚えが拓馬にはなかった。そして、その日は事もなく終わった。
 数日後、拓馬はいつものように勤務地の霞が関にある庁舎へ向かっていた。ここ数年、仕事は泣かず飛ばずで、昇格人事の恩恵には浴していなかったから、なんとなく拓馬の足は重かった。その日もいつもと変わりない繰り返しの時が流れ、拓馬は庁舎を出た。毎日が機械的に動いてるな…と帰リ道の舗道を歩きながら思っていると、対向から少女が近づいてきた。次第に近づくにつれ、おやっ? どこかで見た少女だ…と拓馬は思った。もう少し歩を進めると、少女の姿ははっきりした。どこかで見た少女だった。ただ、まだ誰かまでは分からなかった。そして、すれ違いの直前、少女は会釈をした。拓馬も無意識に同じ仕草を返していた。その日もそれで終わった。
 二度あることは…というが、拓馬がその少女に三度目に出会ったのはファミレスだった。自炊はしていたが、生憎(あいにく)その日は冷蔵庫が空だったから拓馬は外食ですまそうとファミレスへ行ったのだった。店に入ると、遠くにその少女の姿があった。オーダー待ちのようで、少女は側面のガラスに映る外の景色を眺(なが)めていた。陽が長くなったせいか、6時過ぎだったが、辺りはまだ十分、明るかった。少女は拓馬を見ていた。拓馬は席に着き、何気なく店内を見回し、おやっ? と思った。自分を見つめる少女の姿に気づいたのである。三度目の出会いだから、拓馬にはいつかの少女だとすぐ分かった。ただ、どこの誰かまでは、やはり想い出せなかった。今日もこれくらいで何もなく終わるだろう…と拓馬が思った瞬間である。少女はスッ! と立ち上がると、早足で拓馬の席へ近づいてきた。拓馬はギクッ! とした。少女の顔が柔和な笑みに満ちていたことだけが恐怖心を和(やわ)らげ、拓馬には救いだった。
『また、お会いしましたわね…』
「はあ…」
 頭は一応、軽く頭を下げたが、拓馬には正体不明の相手に変わりなかった。少女はUターンせず、そのまま出口のドアから出ていった。拓馬は始めてこの少女の異様さに気づいた。オーダー待ちなら席へ戻るはずだし、食べ終えたあとなら器とかがあるはずなのだ。だが、少女が座った席にはコップ、食器などは一切なかった。
「あの…、あそこにいたお客さん、何も頼まなかったんですか?」
 通り過ぎた店員に拓馬は思わず訊(たず)ねていた。
「えっ?! 誰もいませんよっ!」
 店員は変なことを言う客だな…と怪訝(けげん)な顔つきで返した。拓馬はその瞬間、またゾクッ! と寒気がした。誰もいない…そんな馬鹿なことはない。現に声をかけられたじゃないか…。オーダーした品が運ばれ口へ運んだ拓馬だったが、茫然(ぼうぜん)とただ食べるだけだった。
 少女との四度目の出会いはなかった。だが、十日ばかり経った頃、拓馬は不思議な夢を見た。その夢の中へ少女は現れた。
『私は妖精です。あなたを好きになりました。あの宮殿でともに暮らしましょう…』
 夢の中の少女は輝く太陽を指さした。妙なことに太陽の眩(まばゆ)い輝きはなく、それでいて明るく輝く光輪の中に、その宮殿はあった。
 次の朝が巡ったとき、拓馬の姿は忽然(こつぜん)と家から消滅していた。

                                    完


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不条理のアクシデント 第二十二話  どうなる?   <再掲>

2014年07月09日 00時00分00秒 | #小説

 「どうなるって? ははは…私がお訊(き)きしたいくらいのものだ。それが分かれば、死ぬことなど、怖くもなんともない!」
 戸山はそう言うと、グイッ! とグラスの酒を飲み干した。その左隣に座る新貝は腕組みをしながら、それも一理あるな…と頷(うなず)いた。
「分かる人などいないということですね…失礼」
「どうなるかは分からないが、私は夢を見たことがある。もし、そのとおりなら、死後の世界はあるのかも知れない」
 戸山は一年前、夢を見た。目覚めたとき、その夢は鮮明に戸山の脳裡に残っていた。
 死んだはずの兄が戸山に金を返そうとしていた。場所は部屋の玄関前だった。戸山は、いいから貰っておいて欲しいと片言で話していた。そういや、思い当たることがあるぞ…と、戸山は思った。
 戸山が住む近くの龍神沼には龍神を祭る鳥居があり、水の中に浮かんでいた。その沼には昔から伝わる話があった。沼岸から鳥居の中へ貨幣を投げ入れ、それが通り抜ければ願いが叶(かな)うという言い伝えだった。幼い戸山は金をもっていなかった兄に金を渡した。兄は見事に鳥居を通過させた…。ふと、戸山はそのことを思い出したのだった。
 ダウンライトのオレンジ光が戸山にグラスに反射した。戸山は静かにカウンターのグラスを手にし、酒を口に含ませた。あのときの金を兄は返そうとしたんだ…と戸山には思えた。その話を新貝にしたのである。
 カウンター越しにグラスを拭(ふ)くバーテンの顔が見えた。二人の会話は当然、バーテンにも聞こえていたが、バーテンは聞こえていない態で拭き続けていた。
「どうなる? フフフ…どうかなりますって…」
 聞いていないはずのバーテンがグラスを拭く手を止め、戸山の空グラスにウィスキーを加えながら急に二人を見た。戸山と新貝は驚いたようにバーテンの顔を見た。
「私は二十日前に死んでますから…」
 バーテンは慰めるような目つきで二人にそう言った。
「ええっ!!」
 二人は同時にグラスをカウンターへ置いた。そういえば、バーテンの顔は蒼白く、店内には誰も客がいないことに二人は気づいた。二人の酔いは一気に醒(さ)めた。

                                完


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不条理のアクシデント 第二十一話  占い師   <再掲>

2014年07月08日 00時00分00秒 | #小説

 池山は運勢というものをまったく信じない男だった。というのも、すべての予想がことごとく外(はず)れていたからである。
「どうだ、明日は?」
 同じ職場の瀬川がオフィスの窓ガラス越しに空を眺める池山に訊(き)いた。
「降りそうだな…」
 池山は朴訥(ぼくとつ)に答えた。
「ということは、晴れか…。よし! コンペは大丈夫だな」
 瀬川の言葉に池山は敢(あ)えて返さなかった。ほぼ100%の確率で自分の逆になることが池山には分かっていた。だから、無言で池山は頷(うなず)いたのである。
 こんなことが続いたあるとき、ふと池山にアイデアが浮かんだ。
『職場で運勢占いをやったらどうだろう…。真逆に出る現象を利用しない手はない。見料は一人につき一回、100円でいいだろう…』
 池山は発想を深めた。自分が思う逆を言えば当たることは目に見えていた。
 食堂で軽く昼食を終えた池山は、屋上へエレベーターで昇り、昼休憩を利用して占いをやり始めた。池山が占いをしていることは、口コミで社内に知れ渡っていた。
「はい、いらっしゃい! 深津さんはなんですか?」
 同じ課のOL、真理を前に、池山は折り畳み椅子に座って、そう訊(たず)ねた。これで120人目か…と、池山は手に持った手帳へペンでメモをした。
━ 120 深津真理(人事課) ━
「あの…好きな人がいるんです。上手くいくでしょうか?」
『駄目だな…ということは、近く深津君も結婚か…』
 と、池山は直感で思った。
「大丈夫! あなたの恋愛運は上っています。近く成就するでしょう。相手に熱い視線を送り続けることです」
 池山は占い師の口調で思う真逆を適当に言った。
「有難うございました…」
 真理は百円硬貨を一枚、池山に手渡すと去った。見料を知っているところをみると、社内でかなり好評のようだ…と、池山は思った。
 そうこうして、半年が過ぎた頃、池山は専務の海堂に呼び出された。瞬間、池山は怒られるのか…と思った。
『社内規定では、そんな条文があったような、なかったような…』
 不確かだったが、池山に不安が走った。
「いや、どうこう言ってるんじゃない。ヒューマン・リレーションズだ。人間関係が密になり、大いに結構なことだ。ははは…どんどん、やってくれたまえ。ところで、君を呼んだのは他でもない。ちょっと家内には内緒なんだが、コレとの旅行、どうだろう? バレないか」
 海堂は今までの威厳はどこへやら、俄(にわ)かに相好を崩し、ニヤけた顔で小指を立てた。
「はあ…」
 池山は一瞬で、上手くいくな…と閃(ひらめ)いた。ということは、真逆でバレるということだ。池山は一瞬、本当を言うべきか…と躊躇(ちゅうちょ)した。なにせ、上司の取締役である。下手なことを言えば、首が飛ぶだろう…と思えた。
「おかしいですね…分かりません」
「んっ? どういうことかね?」
「いや、こんなことは初めてなんです。専務の先が読めないんです」
 池山はとうとう、バレますとは言えず、暈(ぼか)して専務室を出た。専務室のドアを閉じ、池山はとりあえずホッ!とした。
 時が流れ、一年後、池山は真理と結婚していた。真理の意中の人は、なんと占った池山だったのだ。池山は教会のチャペルで同僚社員達に祝福されながら、俺は不幸になるな…と、感じた。そこには祝福する専務の笑顔もあった。その笑顔に一年前と同じ、専務の先の幸せが予見できた。
 半年後、海堂専務は産業スパイとの浮気がバレ、それがもとで平取締役に降格された。その後も、池山は自分の不幸を予見しながらコツコツと占い師を会社で続けている。

                                   完


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不条理のアクシデント 第二十話  嘘[うそ]   <再掲>

2014年07月07日 00時00分00秒 | #小説

 快晴のある日、石崎は欠伸(あくび)をしながら何げなく空を見上げた。快晴なのだから当然、雲一つない青空が広がるだけである。だがそのとき、空の一角から俄(にわ)かに人の腕が現れた。UFOならよくありそうな話で納得もいく。だが、石崎の目に見えたのは明らかに人の第二関節までの片腕だった。しかもその巨大さといえば半端ではない。外観からすれば、どうも男の手のように石崎には思えた。だが、常識では完全にあり得ない事象なのだから、目の異常か…と瞬間、石崎は眼科へ行こう…と思った。目を擦(こす)ったが、いっこうにその巨大な腕は消えそうになかった。しばらくすると、その腕はゆっくりと動き始めた。それは恰(あたか)も水の中へ入れられた腕が水をかき回す動きに似ていた。要は、石崎が水中で見ている構図なのである。そんな腕が見えること自体、すでに異常なのだが、現に石崎の目に見えているのだから否定しようもない。石崎は視線を落とし地上の風景を見た。無視(シカト)すれば、消えるんじゃないか…と単純な発想で思ったのである。そうこうして、しばらく庭の選定作業をやっていた。
「あなた~、お昼よ!」
 妻の智子(さとこ)が石崎を呼んだ。
「ああ!」
 石崎は剪定をやめ、空返事(からへんじ)の声を出した。腕時計を眺(なが)め、そんな時間か・・と思った。空の腕のことはすっかり忘れてしまっていた。
「さっき、腕が空にあった…」
 食事の途中、石崎はふと、さっきの妙な出来事を思い出し、口にした。
「えっ?!」
 智子は、この人大丈夫かしら? という怪訝(けげん)な眼差(まなざ)しで石崎を見た。
「嘘じゃないよ。本当に腕が空に…」
「疲れてるのよ、あなた。少し横になった方がいいわ…」
 智子は完全に疑っている…と、石崎には思えた。だが、これ以上、嘘じゃない! とは言えず、「ああ…」と素直に頷(うなず)いて、石崎は食事を済ませた。
 食事が済み、立ち上がった石崎はガラス戸越しに見える庭を徐(おもむろ)に眺(なが)めた。そして、少しの恐怖感を秘めながら徐々に視線を空の方へ上げていった。空にはやはりグルグルと手首でかき回す腕があった。
「おい! あれ!!」
 石崎は思わず智子へ声を投げていた。
「なに?」
 洗面台で食器を洗っていた智子が振り向いた。石崎は空に浮かぶ腕を指さした。
「えっ? なに? なによぉ~」
 智子は洗い物の手を止め、石崎に近づくと石崎が指さす空を見た。
「嘘!!」
 智子にも巨大な腕が見えたのである。二人は出会う人すべてにその話をした。しかし誰もが、その科学では到底、説明できない事象を嘘だと断言した。これ以上は世間に変人と思われる恐れがある…と、二人は思った。真実は、この世では嘘…。
 それ以降、二人はその話を人前で話さなくなった。

                                   完


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不条理のアクシデント 第十九話  任[まか]せる男   <再掲>

2014年07月06日 00時00分00秒 | #小説

 怠(なま)けてはいないが、どうもアグレッシブに動かない坂巻という男がいた。正月があと10日先に迫っていた朝、この男は埃(ほこり)だらけのマンションで九時だというのにスピ~スピ~と寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。生理学的な喉(のど)の渇きからか、坂巻はハッ! と目覚めた。それもその筈(はず)で、いつもは入れる加湿器のスイッチを忘れて眠っていたのだ。だから、喉は乾いていた・・と、まあこうなる。なぜ彼に加湿器が必要だったか・・は解明されていない。坂巻は目を開けると身体を動かさず左の足指を伸ばした。足指が触れたのは、カラクリ仕掛けの第一ボタンだった。坂巻がそのボタンに触れた途端、ゼンマイ仕掛けの糸が動き始め、その先端の金属皿を動かした。傾いた金属皿の上には金属球が乗っていて、コロコロと滑らかに転がり落ちて別の皿の上に入った。その皿は梃子(てこ)仕掛けで回転し、棒を動かした。棒の先には二股の自動式バネ金具がついていて、その片方が伸びてガスコンロに火を点(つ)けた。コンロの上にはフライパンが乗っていた。もう片方のバネ金具の伸びにより油がフライパン注がれた。中には昨日の夜、坂巻が眠る前に割り入れた卵があり、ほどよい火加減で目玉焼きを作り始めた。坂巻は右手のハンドルを押した。すると、折り畳み式のベッドがほどよい高さまで上がり、坂巻は上半身を起こした形となった。だが、この男はまだ腰を上げようともしなかった。次に坂巻は側面のボタンを押した。自動でハブラシにチューブの歯磨き粉がセットされ、坂巻がハブラシを口にに入れると、これも自動でシャカシャカと歯を磨き始めた。磨き終わるとハブラシは引っ込み、変わって水の注がれたコップが坂巻の前に飛び出してきた。坂巻はそのコップで口を漱(すす)いだ。すると、コップは引っ込み、洗面台に繋(つな)がった自動吸引機付きの漏斗(ロート)が現れ、坂口はその中へ漱いだ水を吐いた。そんなことが続き、坂巻は何もしないまま、洗顔、朝食を終えた。
 坂巻は腰をようやく上げると、またボタンを押した。すると自動でクローゼットが開いた。その中から今日着て出る靴下、ワイシャツ、ネクタイ、背広などを好みで選択した坂巻は、あるボックスへそれらを入れると、自分も入った。坂巻が入ると同時に、その機械は自動で坂巻に衣類を身に着けさせ始めた。衣類が整った坂巻は、背広の中の手の平サイズの機械を取り出し、そのボタンを押した。しばらくすると、パタパタパタ…というような音が次第に大きくなり、どこから現れたのか、自動制御の無人飛行物体が一機、坂巻のマンションの前を旋回し始め、坂巻が見る窓ガラス前で飛びながら待機した。数分後、坂巻の姿も飛行物体の姿もマンションから消え去っていた。坂巻は異次元の職場へ移動出勤したのだった。坂巻がどういう人物・・いや、どういう生物だっかも、いまだ解明されていない。

                                  完


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不条理のアクシデント 第十八話  並[なみ]   <再掲>

2014年07月05日 00時00分00秒 | #小説

 鰻(うなぎ)専門の老舗(しにせ)高級料亭、粽(ちまき)の店内である。
「いやぁ~、ここのはねぇ…」
 それ以上は言わず、末川はなんともいえぬ美味そうな笑顔で中山に微笑(ほほえ)んだ。末川がそう言うのも尤(もっと)もで、この店の格付けは他店を完全に凌駕(りょうが)していた。レストランなら三ツ星クラス以上の店として全国的な客を集め、連日、湧き返っていた。当然ながらその来店は予約制で、立ち寄り客はお断りの店だった。末川と中山は、時折りこの店へ行きたいと話していたが、話が煮詰まってようやく予約が取れたのだった。距離的には日帰りで行けず、二人は旅行気分でホテルを予約し、出かけたのである。
「ここの白焼きは食べてみたかったんで、楽しみなんですよ」
「ははは…君は食通だからな」
「そう言う末川さんだって、かなり魯山人(ろさんじん)風じゃないですか」
 魯山人とはあの食通の魯山人のことを語っているのは疑う余地がなかった。二人は鰻のフルコースを予約していた。ネタを仕入れる関係からか、粽ではオーダー内容も来店予約の際に言うシステムが採られていた。
「ここの並(なみ)って、他の店ならどうなんでしょう?」
 訳の分からないことを朴訥(ぼくとつ)に中山が訊(たず)ねた。
「ここの並? この店で並ってあったかな? すべてが一品って感じなんだけどね」
「それは、そうなんですが、例え…例えですよ」
「一番、低価格の鰻丼で、他店の超特上!!」
 末川は自信ありげに返した。中山は来店経験がなかったが、末川は過去一度、外務省の先輩に連れられ、来店したことがあった。そのときは鰻重だったが、その味が忘れられないでいた。というのは、その後すぐ、この地方へ異動したからである。
 二人か鰻談義に花を咲かせていると、そこへ和服の女店員が鰻を運んできた。まずは白焼きである。そこへ銚子が二本、添えられていた。二人は適当に飲み食いを続けた。呼んでいた綺麗どころも数人、加わり、三味線に踊りが始まった。急に小部屋が華やいだ。
「まあ、並? よりは上か? …だな」
 少し赤ら顔になった末川が話すでなくニタリとして呟(つぶや)いた。
「はあ?」
 中山は意味が分からず訝(いぶか)しげに末川の顔を見た。末川は杯の酒を飲み干して踊る綺麗どころを小さく指さした。そして、その指先を白焼きの乗った膳へと下ろした。
「これは並な訳がない。超特上!」
 中山はその意味は解せたのか、ニンマリと頷(うなず)いて白焼きを美味そうに頬張った。

                                  完


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不条理のアクシデント 第十七話  人間OFF   <再掲>

2014年07月04日 00時00分00秒 | #小説

 鴨田洋二は家の書棚から要(い)らなくなった本を選んで抜き出していた。というのは、少し俄かの入り用で螻蛄(オケラ)になったから、古本買取店へ行って本を売り、少し金を得ようという腹づもりなのだ。そう高くは売れないだろう…とは思えたが、それでも少しの足しにはなるだろうと思ってのことだった。
 小一時間後、適当な本が十冊ばかり選び出された。鴨田はそれを手提げの紙袋に入れると、何食わぬ顔で店を出た。過去にも一度、行った店だったから、そう緊張感はなかった。
 鴨田は店へ入ると、袋ごと受付へ置いた。店員は若い男だった。鴨田は売りたい旨を店員に言った。店員は頷(うなず)くと、袋から本を取り出し、査定し始めた。
『ミステリー・サスペンスが2点、歴史・時代小説が3点、あとは普通の小説が外国も含めて5点ですね…』
 店員も一度、見た顔だ…と鴨田を思ったのか、馴れた口で話し出した。鴨田は黙って首を縦に振った。しばらく値踏みをした店員は電卓を二度、叩(たた)いて確認した。
『結構、いい値が入ってますね。合わせて一万二千五百円です。明細を言いましょうか?』
『いや、いいです…』
 鴨田は店を出て数分したところで財布をポケットから取り出し、手に入れた金を確認した。そして、思ったより多かったな…と少し得した気分に浸(ひた)った。というのも、二束三文の本だろうから、首尾よくいって数千円だろう…と自分の値踏みをしていたからだ。まあ、これで家賃を支払って空(から)になった自分の金がふたたぴ復活したから、年は越せる…と思えた。アルバイトの金が振り込まれるのは五日後だった。そう贅沢(ぜいたく)は出来ないが、普通に使えば一万二千五百円で五日はいけるだろう…と鴨田は思った。
 歳末の舗道をニンマリした顔で歩きながら、少し正月らしいものを買おうか…と、鴨田はリッチ気分になった。鴨田がしばらく歩いていると、知らない店が出来ていた。一週間前には確か、なかったが…とは思えたが、まあ、新しい店が出来ることは、よくあるな…と、鴨田は店の前で立ち尽くした。不思議なことに、繁華街で今まで自分の周りを歩いた人の姿が消えていた。店名を見れば、━ 人間OFF ━ と書かれていた。ふ~ん…と、鴨田はそれほど気に留めず、好奇心で店へ足を踏み入れた。
『いらっしゃいませ! お売りですか!!』
 偉く客当たりがいい店だな…と瞬間、鴨田は思った。
『いや、ちょっと入っただけなんですが…』
 すると、年老いた店員は鴨田を注視しながら電卓を叩き始めた。
『お客さんですと…この値ですね』
『えっ?』
 鴨田は受付へ近づき、その老店員が差し出した電卓の数字を見た。電卓は、8700の文字を蒼白く浮かび上がらせていた。
『いろいろ、いらっしゃいますが、お客さんだと、この売り値ですかね』
 老店員はニタリと笑ったあと、鋭い眼光で鴨田を睨(にら)んだ。鴨田は急に恐ろしくなり、店を出ようと出口へ向かおうとした。だが、足は金縛りをかけられたように動かなかった。鴨田の額(ひたい)に冷や汗が流れた。
「パパ、ママがお夕食だって!」
 鴨田は肩を揺すられて目覚めた。目の前には娘の麻奈がいた。選んで売ったはずの本がフロアの下に置かれたままになっていた。どうも眠ってしまったようだ…と、鴨田はホッと安堵(あんど)した。
 家族三人での賑やかな大晦日の食事が始まった。なにげなく置かれたテーブルの上の電卓が8700の蒼白い文字を浮かび上らせていた。

                                完


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不条理のアクシデント 第十六話  二講山[にこうさん]神社の怪   <再掲>

2014年07月03日 00時00分00秒 | #小説

 弘前(ひろさき)は山歩きで疲れていた。二講山(にこうさん)の峠を越えればなんとかなるだろう…と歩き始めたのだが、すでに小一時間が経過していた。だが、いっこう峠には出られず、益々、木々が生い茂る山深い奥地へ引きこまれようとしていた。弘前が今までに登った山には見られない異様な気配だった。弘前は少し怖くなってきた。いつもは数人の山仲間と登るのだが、この日にかぎり、一人で出たくなり訪れたのだ。
「妙だな…」
 マップを確かめ、磁石で方角を探ると、間違ってはいない。かといえ日暮れが迫っていた。野宿出来る装備は万が一を考え持って出たから心配はなかったが、どうも辺りの気配が不気味で、こんな所で一夜は過ごしたくない…と弘前は歩き続けた。それでも、どんどん日は傾き、やがて夕闇が弘前の周りを覆(おお)い始めた。そんなとき、弘前の前に一人の老人の姿が遠くに見えた。どう考えても老人がこんな山深い道を歩いているはずがない…と弘前は思った。だが、どこから見ても老人である。弘前が足を速めたため、その姿は次第に近づいてきた。
「あのう…もし! ここは二講山でしょうか?」
 目と鼻の先まで老人の姿が近づいたとき、弘前はその後ろ姿に問いかけていた。老人は歩を止め、振り向いた。
「はい、確かに…。お参りですか?」
「はあ?」
 弘前は意味が分からず、問い返していた。
「ですから、御社(みやしろ)へお参りですか? とお訊(たず)ねしているのです。私はこの先で暮らしております宮司の神下部(かみしもべ)と申します」
 弘前はそれを聞いて、すべてに合点(がてん)がいった。どうもこの先に神社がありそうだ…と思えたのだ。そこに住んでいるなら、老人が辺鄙(へんぴ)な山奥を歩いていたとしても、なんの不思議もなかった。
「いや! そんな訳でもないんですが…。どうも迷い込んだようで、峠に出られないんですよ」
「そうでしたか…。こちらへは正反対ですよ。まあ、もう目と鼻の先ですから、寄っていって下さい。さ湯くらいしかお出しできませんが…」
「どうも…」
 弘前は疲れていたこともあり、素直に老人のあとに従った。
 五分ばかり歩くと、老人の足が止まった。
「ここです」
「えっ?」
 老人は片手で前方を指し示した。だが、弘前の目には木立が深々と茂るただの山地にしか見えなかった。
「よ~く、見なさい…」
 老人に、そう言われ、弘前は目を擦(こす)りながらもう一度、前方を見た。すると、不思議にも俄(にわ)かに霞(かすみ)が棚引(たなび)き、鳥居と御社が現れた。弘前は自分の目を疑った。
「では、私(わたくし)は中でお待ち申しております…」
 老人はそう告げると、スゥ~っと消え去った。弘前は怖ろしさで、思わず疾駆していた。
「おい! 大丈夫かっ!!」
 気づいたとき、弘前は峠道に横たわっていた。どうも、疲れから眠ってしまったらしい。起こされたのは二講山を下山中の男だった。弘前は助かったと思った。さっき現れた老人は夢だったんだ…と思った。
「二講山に神社ってあります?」
「んっ? …そんなもんは、ない。さあ! 早く下りないと日が暮れるぞ」
 藪(やぶ)から棒(ぼう)に何を訊(き)くんだ、こいつは…という顔で、その男は弘前を立たせながら言った。
 日没が迫っていた。二人が立ち去った峠道に、二講山神社のお札が一枚、落ちていた。

                                 完


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不条理のアクシデント 第十五話  肩コリズム   <再掲>

2014年07月02日 00時00分00秒 | #小説

 定年を数年先に迎える吉野は、この日も残業に明け暮れていた。片方の手で霞(かす)む書類の字に目を凝らしながら、もう一方の手で首筋を揉(も)んでグルリとひと回りさせた。そして、フゥ~~っと、なんとも切ない溜息を吐いた。どうにかこうにか書類は完成したな…と、帰り仕度(たく)を始めた。机の上を整えたあと、鍵をかけ、鞄(かばん)を持って立った。そして、忘れ物はないな…と、吉野はもう一度、机の周りを確認し、凝った肩をグルグルと回した。どうも最近、肩の動作が増えたような気がした。課では、いつの間にか自分が一番、年上になっていた。課長も吉野に対しては尊敬の念で敬語を使った。というのも、吉野は現場が好きだった。管理職になれたものを固辞(こじ)し続け、この年になっていた。社長や取締役さえ自分より年下になった…と、吉野はやや気弱になっていた。年老いたとはいえ、仕事は人並み以上に熟(こな)していたから苦情は出なかった。その吉田が最近、肩こりに悩まされていた。だが妙なもので、肩がこると不思議なことに仕事が捗(はかど)り、結果が出た。契約もOKとなり、上層部の覚えもよかった。逆に肩が凝らないと結果が悪かった。吉野は、肩こりは嫌だが結果は出したいというジレンマな気分に苛(さいな)まれた。
 ある日、若手社員の関谷がしきりに肩を揉(も)み始めた。
「どうした、関谷君! 入社して二年目の君が…」
 吉野は関谷の席に近づき、軽く元気づけた。
「ああ、吉野さん。どうも肩が凝って困ってるんですよ」
「おおっ! 課長に言われた企画書は出来てるじゃないか!」
「そうなんですよ、それが不思議なんです。スラスラと企画が湧いて仕上げた途端、コレです」
 吉野は肩を片手で叩いた。そのとき、吉野は妙なことに肩がいつもより軽く感じた。俺の肩こりが関谷に? …そんな馬鹿なことはないな、と吉野は含み笑いをした。
「吉野さん、どうかしました?」
「いや、べつに…」
 関谷の問いかけに、吉野は軽く返した。
 それ以降、吉野の課では、誰彼となく肩こりが伝染するかのように課員達に移っていった。ただ、その前兆はなく、突然、現れた。それと同時に肩こりに襲われた者の仕事は100%の確率で結果を出した。いつしか、吉野の会社はこの現象を肩コリズムと名づけるようになった。

                                   完


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