省吾は走っていた。あと2㎞にゴールは迫っていた。去年もその前の年も、省吾は故障で出場できなかったのである。だから、なにがなんでも今年は出場するんだ! と意気込んで、やっとレースに出れたのだ。だから、それだけで十分だった。しかし、周囲の目はそうではなかった。省吾のそれまでの実績がオーバーヒートしてマスコミに報じられたのだ。県体でも国体でも優勝した実績が過去にあった。それが返って仇となった。省吾の足が速いのには訳があった。
『私の足を食べなされ。そうすれぱ、あなたの足は速くなりますぞ。心配なされずとも、この足はまた生えますでな、ご安心を…』
ある日、省吾は夢で蛸の国へ招待された。蛸の国王は省吾を歓待し、土産に自分の足を数本、切り、省吾の手土産にした。
『あ、有難うございます…』
省吾は蛸が好きだから、これは酢醤油で食べよう…などと考えた。ただ、夢のお告げだから・・と、自分の足が速くなるとは考えもしなかった。ところがその後、省吾が蛸の足を食べると、驚くことにそれまで歴代10位だった記録が、文句なしの一位にまで跳ね上がったのである。
「お前、どうしたんだ?」
陸上部の友人が怪訝(けげん)な表情で、省吾の足を見ながらそう訊(たず)ねた。蛸の足さ、とは口が裂けても言えない省吾だった。だいいち、そんなことがこの世にあろうはずがない。ただ現実に、省吾の足は格段に速くなっていた。
「いやあ、ちょっと特訓で鍛えて…」
省吾の口からスラスラと出鱈目が出た。友人は半信半疑ながらも、なんとか納得した。
ある晩、省吾はまた、夢を見た。
『速くなったでしょうが。ファッファッファッ…』
蛸の国王は身体を微妙に揺らせながら優雅に笑った。
『有難うございました』
『ただね、あなたには申し訳ないんだが、私の足には有効期間がありましてな…』
『ええっ!』
『いや、これは申し訳ない! 有効期限が足一本につき一年でな。え~と、この前、何本お渡ししましたかな?』
『確か、3本だったと…』
『それならば3年ですじゃ。いや、誠に申し訳ない…』
蛸の国王は頭をグニャリと曲げてお辞儀した。そのとき省吾は、ふと目覚めた。まだ暗い四時過ぎだった。なんだ、また夢か・・とは思えたが、不思議なことに枕元はグッショリと濡れていた。手の指先で確認すると、明らかに蛸の粘液だった。省吾はゾクッ! と寒気を覚えた。
その後、省吾の記録は急に落ち始めた。ちょうど、最初の夢から3年が経っていた。
完