朝まで降っていた雨も上がってどんより~曇り空の阪神地方です
それでは・・・
「道の駅 いながわ」の帰り道に立ち寄ったのは、川西市にある「多田神社」清和源氏ゆかりの社寺。
私は免許を持っていないので、車の席は助手席です~
なので・・・寄りたい所があっても寄れません~
篠山方面へ行くときに「多田神社」の案内板を見ると、「あっ!ここから多田神社は近いの?」とか・・・
「多田神社、長いこと行ってない・・・」と私が呟いていましたが聞き流されていました、、、
(割とよく出かけてくれますが、目的地以外あまりあちらこちらへは寄ってくれません)
この日は、突然!「多田神社行きたいんやろ?」と立ち寄ってくれました
駐車場から下りて行くと
川の流れが速い~
多田神社は、30年ほど前に初詣に行ったきりです、、、
「南大門」から
下を振り返って
入ります~
「川西市HPに・・・天禄元年(970年)、源満仲は多田神社の前身である多田院を建立。今の建物は、徳川4代将軍家綱によって再興されたものです。
神聖な雰囲気に包まれた神社一帯は、国の史跡に指定されており、本殿、拝殿をはじめ国や県の指定を受けている文化財が多数あります。源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公が祭られています。本殿のまわりには、珍しい椿が何本も植えられ、赤、ピンク、白などさまざまな花を咲かせます。」と・・・
多田神社HPよりお借りしました
当神社は、天禄元年(970)に創建され、
元多田院とも、また、多田大権現社とも言われ、
明治の神仏分離令により多田神社になりました。
御祭神は、第五十六代清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府
将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公
をお祀りしています。源氏発祥の地である多田は、源満仲公が
摂津国一の宮住吉大神の御神託を受けてこの地に館を構え、
荘園開発及び武士団を構築しました。子孫である清和源氏
一門は繁栄を重ね、鎌倉・室町・江戸と約700年に亘る
武家社会の担い手となったのであります。
五公が国家の重臣として尽くされた功績は我が国史上
鮮やかに輝いています。
当社は、武運長久の勅願社として、又家運隆昌、
勝運厄除の守護神として崇敬されている神社であります
天禄元年(970年)、源満仲は多田神社の前身である多田院を建立。今の建物は、徳川4代将軍家綱によって再興されたものです。
神聖な雰囲気に包まれた神社一帯は、国の史跡に指定されており、本殿、拝殿をはじめ国や県の指定を受けている文化財が多数あります。源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公が祭られています。本殿のまわりには、珍しい椿が何本も植えられ、赤、ピンク、白などさまざまな花を咲かせます。
「手水舎」
社務所前から
「隋神門」
「宝物殿」
の前に・・・
左側にも!
「隋神門」
右に
左は
上に
森閑としていて・・・
参拝する人も少なくて・・・
「遥拝所」
「政所殿」
「拝殿」
拝殿の奥に「ご本殿」
多田院の鳴動について
奥に「神馬舎」
大きな「唐椿」
大輪の椿!見てみたいです、、、
ご本殿へは行けません
「神馬舎」
ここから戻りますが、画像ばかりですがたくさん撮ってきたのでつづきます~