薄雲が広がっているせいでしょうか・・・少しひんやり感じます~
「丹波篠山もみじ三山」巡りで「文保寺」をお詣りしたとき!
「楼門」をくぐって・・・
入ると!
「山門」と「二の鳥居」が
「二の鳥居」を・・・
更に進むと・・・
二村神社は伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀り、味間奥にある古刹文保寺の境内にあるものをはじめ、古市、真南条などに鎮座している。そもそもは、古市見内の式内社二尊神社(二村神社)であったものが、室町時代の宮座争いによって分裂したと伝えられる。
真南条にある二村神社の創立は元亀年間(1570~73)といい、以下のような話が伝わっている。文明十四年(1482)、古市集落に祀られていた式内二尊神社(現二村神社)において宮座争いが起こり、真南条村の名主が神殿の扉を押し開き御神像一体を持ち出して真南条に持ち帰った。名主は清流で御神像を浄めると、宮の谷奥にある山の磐座に御神像を安置して祀った。その後、御神体を山中においたままでは勿体無いと、山裾を切開いた現在地に移した。そして、元亀元年(1570)石鳥居を、元亀四年(1573)に神殿を建て、御神像を安置したのだという。
先の御神像争いの時、味間が神輿、西吹が馬具、矢代新田が椀箱を持ち帰り、それらを御神体として、それぞれの集落において祭事が行われるようになったのである。(観光案内より)
創建は歴史のある古市の見内の二村神社の座争いから、室町時代の文明14年(1482)に西吹の二村神社と共に分社化されたものである。境内には波多野秀治を祀る御霊神社他5社の摂社があり、特別保護建造物である。社殿は立派な拝殿と本殿からなっている。
御神像争いで、味間(此方)が神輿、西吹が馬具、矢代新田が椀箱を持ち帰り、それらを御神体として、それぞれの集落において祭事が行われているようです、、、
人気のない寂しい神社ですが、丹波篠山の歴史・古に想いを馳せてきました
機会があれば古市と真南条の二村神社も訪れてみたいです、、、