ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

「丹波篠山もみじ三山」巡りで出会った「二村神社」

2021-11-21 11:24:14 | お出かけ・兵庫県 丹波篠山市

薄雲が広がっているせいでしょうか・・・少しひんやり感じます~

 

「丹波篠山もみじ三山」巡りで「文保寺」をお詣りしたとき!

「楼門」をくぐって・・・

入ると!

「山門」と「二の鳥居」が

「二の鳥居」を・・・

更に進むと・・・

二村神社は伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀り、味間奥にある古刹文保寺の境内にあるものをはじめ、古市、真南条などに鎮座している。そもそもは、古市見内の式内社二尊神社(二村神社)であったものが、室町時代の宮座争いによって分裂したと伝えられる。
真南条にある二村神社の創立は元亀年間(1570~73)といい、以下のような話が伝わっている。文明十四年(1482)、古市集落に祀られていた式内二尊神社(現二村神社)において宮座争いが起こり、真南条村の名主が神殿の扉を押し開き御神像一体を持ち出して真南条に持ち帰った。名主は清流で御神像を浄めると、宮の谷奥にある山の磐座に御神像を安置して祀った。その後、御神体を山中においたままでは勿体無いと、山裾を切開いた現在地に移した。そして、元亀元年(1570)石鳥居を、元亀四年(1573)に神殿を建て、御神像を安置したのだという。
先の御神像争いの時、味間が神輿、西吹が馬具、矢代新田が椀箱を持ち帰り、それらを御神体として、それぞれの集落において祭事が行われるようになったのである。(観光案内より)

創建は歴史のある古市の見内の二村神社の座争いから、室町時代の文明14年(1482)に西吹の二村神社と共に分社化されたものである。境内には波多野秀治を祀る御霊神社他5社の摂社があり、特別保護建造物である。社殿は立派な拝殿と本殿からなっている。

御神像争いで、味間(此方)が神輿、西吹が馬具、矢代新田が椀箱を持ち帰り、それらを御神体として、それぞれの集落において祭事が行われているようです、、、

人気のない寂しい神社ですが、丹波篠山の歴史・古に想いを馳せてきました

機会があれば古市と真南条の二村神社も訪れてみたいです、、、


丹波篠山もみじ三山「安泰山 大国寺」

2021-11-20 10:12:11 | お出かけ・兵庫県 丹波篠山市

きょうも青空の広がったいいお天気~

 

それでは・・・「丹波篠山もみじ三山」巡り。最後の・・・

「大国寺」へ・・・

❸安泰山 大国寺(あんたいざん だいこくじ)

"丹波茶の里”である、味間奥地域にある大国寺。唐様と和様式を折衷した本堂は、建築学上珍しい様式をもった建物で、国指定重要文化財に指定されています。
境内には谷筋に沿って多数のイロハモミジが植栽されており、最初に黄葉のイチョウが色づき、落葉して境内を黄色の絨毯のごとく敷き詰めた中でイロハモミジが紅葉する社叢は見事で、本堂の甍とのコントラストや弁天池に写る風情は、大国寺ならではのものです(丹波篠山市公式観光サイト・ぐるり!丹波篠山より)
 
 
真っ赤なもみじ~
 
「弁財天」
 
すぐ前に「本堂」
 
茶店があります
 
上がって、本堂前から!
とっても素晴らしい~光景
 
 
 
まずは・・・お線香を・・・
 
お参りを・・・
 
正和の頃(鎌倉時代末期)、花園天皇のご帰依により本堂を再建、また「安泰山大國寺」の称号を賜りました。唐様と和様の折衷で、当時の最新技法であったようです。以来広く地元住民に親しまれ崇敬されて今日に至っております。昭和42年、兵庫県観光百選に指定され、また、新丹波七福神大黒天霊場としても、たくさんの参拝者を迎えております。
本堂 : 室町時代初期に建てられた、唐様と和様の折衷様式。昭和36年国指定重要文化財に指定。
仏像 : 薬師如来坐像、大日如来坐像、阿弥陀如来坐像、持国天立像、増長天立像。5体とも、藤原時代作、大正11年国指定重要文化財に指定。
(HPよりお借りしました)
 
「大日堂」
 
「天満宮」
 
何処を見ても
 
鮮やか~
 
 
パワースポットがあります
邪気を払ってきました~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
弁財天まで戻って
 
 
「鐘楼」
 
 
三山の中で鮮やかな紅葉が一番キレイだった 観光される方も多くて・・・
賑やかな大国寺です。
 
一番目の高蔵寺で戴いた
三山巡って
 
三か所目の、大国寺で戴きました
「もみじ三山朱印」
いい記念になりました~
 
まだまだ油断できないお出かけですが・・・
 
自然の中に入って愉しむ「紅葉狩り」ほっこり気分でストレス解消できました~
 
「文保寺」横の「二村神社」のことは後ほどに・・・

丹波篠山もみじ三山「松尾山 文保寺」

2021-11-19 15:52:49 | お出かけ・兵庫県 丹波篠山市

いいお天気で・・・小春日和がつづいております~

 

それでは、丹波篠山もみじ三山 「高蔵寺」から次は・・・

❷松尾山 文保寺(しょうびさん ぶんぽうじ)

文保寺は、大化元年(645年)に法道仙人によって開かれ、自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し、聖備山長流寺(しょうびざんちょうりゅうじ)と称されていました。
戦国時代末の天正年間(1573~1592年)に明智光秀の丹波攻めに遭い、全山悉く灰燼に帰し、江戸時代中頃に復興しました。
境内には大イチョウの木があり、三院を結ぶ文保寺川に沿って傾いたイロハモミジが連なり、力強い石積み等を柔らかに包むようにモミジが覆っています。文保寺川が押し出した味間奥の扇状地は、常緑の茶畑が広がっており、紅葉と濃緑の茶畑が織りなす情景は、文保寺ならではのものです。(丹波篠山市公式観光サイト・ぐるり!丹波篠山 より)

「石の大鳥居」の左の道を入って・・・

 

「楼門」

楼門(仁王門)は、元中2年(1385年)、鎌倉五山のひとつ建長寺の楼門を模して建立されましたが、戦国時代末の天正年間(1573~1592年)に明智光秀の丹波攻めに遭い焼失、現在の楼門は天正末期に建立されたものと伝わります。

その後、大正時代に下層部を解体修理しております。三間一戸で、屋根は入母屋造、肘木には唐様形式が見て取れますが、全体は和様を基調としています。全体的には室町時代末期の構造的風格があり、丹波篠山市内最古制を遺し、1972年に市文化財に指定されています。

また、楼門内には、阿形像と吽形像の仁王像をお祀りし、神通力で外敵を追い払い、寺院を守護して来ました。この仁王像、丹波攻めの後の制作と伝わっておりましたが、2018年の再興700年の折に解体修理を行った結果、永和4年(1378年)、侍従法眼と弁法橋という仏師の作と判明しました。丹波攻めの災難を乗り越え、600年余りに亘って山内を見守り続けてきた仁王像は、2018年に市の有形文化財指定を受け、この後も変わることなくその役目を続けてくれます

楼門はガラス張りで撮影は諦めます

        (楼門を入って真っすぐ進むと「二村神社」があります。二村神社のことは「もみじ三山」の後に・・・

文保寺川沿いに・・・(受付所はこの先です)

左は「觀明院」

外から

本堂は、川沿いに上がって!と・・・受付で言われて・・・

「真如院」

坂がつづいて

紅葉が!

本堂が!!!

「林城院」

あと!ひと踏ん張り~

 

「鐘楼」

「本堂」

本堂でお詣り。撮影OK!

大化年間(645)インドより来朝された法道仙人が、自作の聖観世音菩薩を本尊として聖備山長流寺を開基し、後、天暦の乱(947年)で堂宇は焼失しましたが、聖観世音菩薩は今田本庄の里に安置されていました。

その後、正和年間(1312)花園天皇の御代に再興され、慈覚大師作の千手観世音菩薩を安置して再興され、以後聖観世音菩薩とともにご本尊として安置しております(HPよりお借りしました)

中井権次橘正貞作の彫刻

 

本堂前から下を

 

大イチョウ、銀杏がいっぱい落ちてます

「法道仙人塔」

往きと反対側の道から戻ります~

素晴らしい景色を眺めながらテクテク~

紅葉狩りと森林浴も兼ねて気持ちの良い山歩きを楽しみました~

このあとは、真っ赤な紅葉の「大国寺」へ・・・つづきます


丹波篠山もみじ三山「宝橋山 高蔵寺」

2021-11-18 15:16:53 | お出かけ・兵庫県 丹波篠山市

柔らかい陽射しが届いて、ほっこり気分です~

 

昨日もいいお天気で・・・

我が家から高速道路で1時間弱の「丹波篠山市」にある「もみじ三山」へ・・・

まず!舞鶴若狭自動車道・丹南篠山口IC を出て、北にある「高蔵寺」から廻ってきました。

176号線から右折「今が見頃です!」の案内田圃がつづく道を走って行くと!

前に現れた

「山門」

見ごろです~

「丹波篠山 もみじ三山」の幟が!

❶宝橋山 高蔵寺(ほうきょうざん こうぞうじ)

山門から本堂にかけての寺領は春には桜、夏にはあじさい、秋には紅葉、冬には椿と四季を通じて【花の寺】として知られている。特に平成25(2013)年より篠山市内文保寺、大国寺と共に「丹波篠山もみじ三山」として秋には多くの方が訪れている。
大化二年(646年)、法道仙人が開基したという古刹。明智光秀の丹波攻めで焼失したが、文禄元年(1592年)現在地に再建。
境内には、イロハモミジをはじめ、ケヤキやアフリカフウ等があり、緑の山容を背景に谷合全体が紅色に染まる景観は、高蔵寺特有のものです

(丹波篠山市公式観光サイト・ぐるり!丹波篠山 より)

入山受付を済ませて入ると!美味しそうな焼栗が!ほんのり~甘くて美味しい~

「阿弥陀堂」から廻ります

阿弥陀堂歴代住職の念願であった阿弥陀堂が平成13(2001)年篤信檀信徒および全檀信徒の協力を得て、建立された。
五間四面の木造寄せ棟造りで、阪神・淡路大震災規模の地震にも耐えうる構造となっている。
通常、檀信徒及び参拝者の回向道場として広く解放され、また、新・丹波七福神の弁財天が奉安されている。
お堂正面には第二百五十五世天台座主渡邊恵進猊下に揮毫いただた「光明殿」と書かれた扁額が掛けられている。

三山巡りの予定なのでここでお詣りを・・・

本堂へ急ぎます!

紅枝垂桜!葉は残っていません

丹南桜百選に選ばれているらしい、、、

登って行きます~

山開創は孝徳天皇大化2(646)年播磨国法華山一乗寺を草創して、この地を訪れた法道仙人が、黒頭峯(くろづほう)の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架け橋を見て宝橋山(ほうきょうざん)と号したことが始まりといわれる古刹。

「観音名水」

本堂へ上がります!

右上に「鐘楼堂」

下を眺めて・・・

もみじのトンネルです

「文殊堂」

「本堂」

いにしえの頃、黒頭峯の堂之尾(どのお)と呼ばれた中腹には、七堂伽藍二十一ヵ坊の堂宇を誇ったが、天正年中、明智軍の兵火に遭い、消失した。
その時、氷上柚子村(ゆずむら)の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存本尊十一面観世音菩薩と伝えられている。

紅葉につつまれて

「小宮社」

「鐘楼堂」

とても素晴らしい山寺・「高蔵寺」

パンプレットに「願いきて 花をも摘まん 高蔵寺 利生も高き 山と知られて」と・・・

しみじみと・・・古を感じる・紅葉狩り 愉しみました~

「阿弥陀堂」横から

次のお寺「松尾山 文保寺」へ・・・つづきます~


京都西山三山「光明寺」紅葉の特別入山♪②

2021-11-15 09:54:23 | お出かけ・京都府

朝晩が冷え込んできました。きょうは寒暖差15℃!服装で調整を!と・・・

体調管理に気をつけないと!

 

「光明寺」は、境内18000坪。 建物33棟。高低差があり長い回廊や渡り廊下がつづいています。

それでは・・・阿弥陀堂で、

お詣りをして・・・

「御影堂」へ・・・

上の「勢至堂」へは行けません!

「阿弥陀堂」が見えます

進みます~

 

「御影堂」へ

先ほど上がってきた「境内」が

お詣りをして・・・

つぎへ・・・

「釈迦堂」へ

 

 

「釈迦堂」へ下りる階段から、「信楽庭(しんぎょうてい)」が見えて・・・

正面は「勅使門」

        「信楽庭」を眺めて

暫し休憩~

「釈迦堂」では、京都御所伝来襖絵が特別公開!(撮影禁止です)

鑑賞し、次へ進みます~

「小書院」からの庭を・・・

 

「玄関」

境内へ出ます!

 

「御影堂」境内への階段と思います

 

「御廟堂」

 

「勅使門」

 

「鎮守社」

 

念仏譜「古関裕而作曲」

 

「もみじ参道」を・・・  

「薬医門」

 

振り返ると、青もみじがしっとり~と・・・

「敷きもみじ」で華やかな紅色のトンネルになるらしい!のですが・・・

緑の中の紅色を、十分楽しみました~

 

 

「閻魔堂」

これからもっと紅葉が進んで素晴らしい景観を楽しめそうです、、、

「特別入山」が始まった初日で、そんなに混みあってなくてゆっくり楽しめることができました~

これで「京都西山三山」廻ることができて、ちょっぴり達成感味わってます~