私達は何千年も続いている仏教の教えに、人生の問題を解くヒントを頂いています。 『先ず(まず)臨終の 事を習うて後に他事を 習うべし』 (日蓮) この言葉の意味は何んだろう? と気になっていました。 「死は必ず訪れる。死という事実をしっかりと受け止めてから、人間としての生き方を学ぶことで真実が見えてくることだろう」といった意味のようです。 その言葉のあと日蓮は 『死は恐れるものでも遠ざけるものでもない。 生と死が一体であることが分かれば、今生きていることの大切さが自然に見えてくる』と述べています。 人は必ず死ぬことを納得できたら、真実の生き方が見えて来ます。 家族を大切にしたい、恋人を大切にしたい、友達を大切にしたい、 自分の事でなく回りのひとを大切にしたい。 とかが見えてくると。 ラストから始めなさいと言う教えと同じ事を言っている人がいました。 『ラストシーンから書く』 (スティーブン・スピルバーグ) ゴールのハッピーエンドを決めます。 これから起こる出来事はすべて、そこに至るまでの過程です。 さあ、たくさんのトラブルや喧嘩や事故を起こしましょう! こうやって作品を作っているようです。 人生も自分のハッピーエンドのラストシーンを決めて、生きて行けば毎日が見えてくるものです。 トラブルや嫌なことも たくさんあってもいいのです。 幸せのラストシーンに 向かってるのだから。 合掌
一輪の野に咲く蓮華草(れんげそう)を思い浮かべて目覚めました。 前に野の花を摘んで施設のベランダの花壇に植えたけどすぐに枯れてしまった。 野の花は野原で見た方がいいね。 「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」 ものには、それにふさわしい場所がある。 花言葉は「あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ。心がやわらぐ。」 花が蓮の花に似ている。 ギリシャ神話に、仲良しの姉妹が、祭壇に捧げる花を摘みに野に出ました。 蓮華草を見つけ摘むと、折った茎から血が流れました。 姉の足元はみな草に変わってしまった。 「花はみな女神が姿を変えたもの。 もう花は摘まないで」 と妹に言い残して蓮華草になってしまったといいます。 「花はそれぞれの地で 咲くのがよい。 人も同じ、風に吹かれ 自分にあった地で咲くのがよい。 心を癒す花を待つ人がいるからだ。 蓮華草の心あなたに捧げます。 合掌