(即興5分の自作時代劇) 北条早雲が小田原城主になり相模湾まで続く堀と城壁の総構えを築いた。 当時、難攻不落の城と言われていた。 何度も武田信玄、上杉謙信が、攻めて来たがいつも跳ね返して来た城だった。 しかし、その陰に一人の武将がいたのだった。 藤原義経(よしつね)である。 義経は幼い頃から大雄山の天狗に育てられたという伝説の武将だった。 鉄の下駄を履いて山道を飛び回り、剣術に励んでいた。 各地から武術に自信のある侍がやって来ては帰らぬ人になっていた。 その時の小田原城主は 彼を砦の役割をしたく、松田城主にと最乘寺の住職に頼みこんだのだった。 御殿場から武田軍が小田原城攻めに来たとき、小さな松田城を取り囲んだ。 しかし、突如表れた天狗が空を掛けながら暴れまわる姿に大軍は恐れおののき敗退していった。 その手柄から、小田原城主の紫陽花姫を奥方にとの話が進んでいたが、急な病でこの世を去ってしまった。 時は令和元年6月一人の男が大雄山最乘寺にやって来た。 売れない小説家の 藤原菖蒲(しょうぶ)だ。 彼は十一面観音の横に陳列してあるたくさんの鉄の下駄を眺めていた。 ふと、一つの下駄に興味を抱いた。 何故か懐かしい気がして、花柄が彫った下駄をじっと見つめていた。 彼はその下駄を履いてみた。 ぴったり履けた。 『待っていました。』 と一人の美しい和服の女性がやって来た。 その下駄を履いてくれる人を500年も待っていました。 その下駄の裏をご覧ください。 彼は下駄の裏を見た。 そこには、藤原義経菖蒲様へ、紫陽花姫 と刻まれていた。 小田原城はこの時期お堀一面に菖蒲が咲き乱れていた。 その時に二人が出逢ったので、紫陽花姫は彼の事を菖蒲様と呼んでいたのだ。 その下駄は姫が彼用に特別に作って贈った物だった。 彼との再会の為にここに置いたのだった。 二人は手を取り合い、 最乘寺の階段をのぼり、奥の院のお社(やしろ)に消えていったのでした。 天狗の恋は500年後に結ばれたのでした。 しばらくして、書店に 『天狗の恋』が並ばれていた。 合掌 小田原城の歴史をテレビで見て作りました。(笑)
「ある人から悪口を言われたのですが、どうしたら良いですか」とよく相談されます。 いつもこう答えます。 お釈迦様だって説法を聞いてくれない人や、理解できない人は無視する。 7日も過ぎれば悪口はなくなるものだ。 悪口を毒蛇と思え。 飛んで来た毒蛇は掴まないでよけるだろう。 よけられた毒蛇は行き場所を失い元に戻るしかない。 投げた人に戻るのだとお釈迦様は述べています。 また、論語の孔子は「他人の悪口をいう者、下の者が上の者をそしる者、勇気はあるが礼のない者、勢いがあっても道理の分からない者は憎む」と言っています。 通勤中の道に、1メートルのへびアオダイショウがいました。 よけて通りました。 それで、お釈迦様と 毒蛇の事をまた思い出しました。 「般若心経」の中に「心無けい礙(しんむけいげ)」という言葉があります。 悲しいことがあれば、悲しみに心を奪われる。 心配ごとがあれば、心配ごとに心をとられる。 悪口されれば、くよくよといつまでも考えこんで夜も眠れなくなってしまう。 しかし、いつの間にか忘れてしまう。 解決したのではないが、忘れることができただけ。 これを「空」という。 心配ごとの最中に、心を10年後に置き、とらわれた心を解放してやることで心のわだかまりを無くす。 これを「心無けい礙」といいます。 皆様の心の導きになればよいのですが。 合掌