今日は瀬戸内寂聴、三輪明宏、遠藤周作さん達の会話から気になったことを紹介します。 遠藤周作はバリバリのカソリックだった。 いつも、死ぬのは怖いと言っていた。 癌になった時も、死にたくない、死にたくないと言っていたから辛かったと思う。 寂聴さんは怖くないのかと聞いたから、怖くないと答えた。 そこで、仏教とキリスト教の違いを知った。 自分の力で悟りを開こうとするのが自力(仏教)。 神に懺悔して許しを得て悟りを開こうとするのが他力(キリスト教)自分自身が菩薩(悟りを求めて自ら修行する者)であると仏教は説いています。 (たしかに、空海も自分の中に仏がいると述べていました) 三輪明宏さんは泥棒をしようとしても、私は仏なんだからいけないと思う事なら納得する。 盗んだら神様に叱られる、罰が当たるからとやめるのがキリスト教の教え。 すると、盗みたいという気持ちが残ってしまうから成仏しきれなくなる。 だから遠藤周作は悩んでよく電話してきた。 カソリックの中だけで結論を出そうとしたからなんですね。 寂聴さんは、出家してから仏教を勉強した。 良寛、一遍、西行、お釈迦様を知った。 今は自分が仏になる修行(菩薩行)をしているので何も怖くない…。 とても興味深い三者の会話を紹介しました。 私はキリスト教も仏教も神社などの神道も大好きだから、その教えを受け入れています。 ですから、たくさんの救いの言葉を頂いています。 神様とは遠くにあるものではないと。 神様は宇宙そのもの。 大自然そのもの。 私達もその中の一部なんです。 「手当」という言葉があります。 「一に看病二に薬」という諺があります。 病人の回復を早めるものは、第一が心のこもった看病介護です。 次が医者の薬であるという意味です。 誰の手にも心にも神の力が宿(やど)っているのです。 私はまだまだ未熟者です。 今日も皆様と一緒に 修行(菩薩行)に励みましょう。お迎えが来るまで。 合掌
松尾芭蕉の奥の細道に 『雨後の晴色 また頼もしきと あまのとま屋に 膝を入れて 雨の晴るるを待つ』 という句があります。 梅雨時の雨上がりの晴れた空がまた楽しみだと思って、漁師の小屋に立ち寄って、雨の晴れるのを待つという意味です。 晴色とは雨がやんで晴れ上がった風景をいいます。 人生もそうだと思います。 悲しい雨がやんで、晴れ上がった風景が必ずやって来ます。 それを楽しみに待ちましょう。 中国の諺に 『井の中の蛙大海を知らず』があります。 日本人がこの先をつけました。 『されど空の青さを知る』です。 カエルに海の話をしても仕方がない、その代わり高い空や深い空の青さを知ることができるではないか。 今の環境でも見えるものはあるものだ。 雨後の晴色が。 雲外蒼天(うんがい そうてん)私の好きな言葉のひとつです。 『どんな困難や悲しい辛いことがあっても、それが通りすぎれば青空が待っている』 そんな意味の言葉です。 雲外蒼天 明日はきっといい日。 元気出しましょう! 合掌