横浜にある総持寺は節分の時に5000人位が本堂に座り豆を頂きます。 なぜこんなに広いのか? もしかして、お釈迦様が初めて法華経を説いた時、5000人がいたが、そんな話しは聞きたくないと大勢が退場して1200人が残った。 この人達が法華経の教えに感銘したことを聞いて、再び帰ってくる事を考え、本堂を広くするという話を聞いたことがありました。 総持寺もその為、あんなに広いのでしょうか? さて、仏法とは「どうすればみんなが幸せになれるか」 という願いから出発しているといいます。 それは、この世は娑婆(しゃば)と呼び、さまざまなことを忍ばなくてはならない忍辱(にんにく)の修行の場と言われています。 忍辱とは、どんな試練や仕打ちを受けても耐えて、心を動揺させないことです。 本当に悩みは尽きないものですね。 忍辱の行で一番難しい事は、「おだてられても有頂天にならないこと」 と教えています。 何でもうまく行ってる時(順風満帆の時)、自分が試されるといいます。 権力や地位を持った時や有名人になった時などでしょうか。 井原西鶴が「恐ろしきは、身を飾らぬ女、 おだてにのらぬ男」と 述べています。 肝に銘じたいと思います。 よう、日本一! に心が動揺しないように。 合掌
ある投稿より。 難しい資格を取って夢を叶えようとする時、そこには数々の試練が待っているものです。 その一つに恋がある。 今まで出会ったことがなかったのに、こんな時に恋をするなんて。 と悩む投稿がありました。 本当に悩みますね。 その選択は先を考えて自分が決めるしかないのです。 「さようなら 会えなくなるけど さみしくなんかないよ そのうちきっと 大きな声で 笑える日が来るから 動き出した 僕の夢 高い山越えて 星になれたらいいな」 (星になれたら・Mr.Children) 夢を分かってくれて星のようにずっと待ってくれる恋もある。 選んだ道の先に夢や恋も待っているものです。 参考になればいいのですが。 合掌
45年前に書の勉強や唐の文化を知るために日本人が戦後殆んど行かなかった長安(現在の西安)に行きました。 遣唐使がたどり着いた唐の都です。 シルクロードの出発地でインドから仏教の経典を持ち帰った三蔵法師の地です。 そこから70キロの地に楊貴妃の墓があります。 彼女が入浴していたカラフルなタイル張りのお風呂場を見て来ました。 756年6月16日に亡くなりました。 玄宗(げんそう)皇帝との大恋愛のため政治を顧みなくなり家臣の反乱にあって、楊貴妃を自害するよう追いつめられ、玄宗の前で自らの首を絹でくくり38歳で子供もないまま生涯を閉じたという。 「天にありては、願わくば、比翼(ひよく)の鳥となり、地にありては、願わくば、連理の枝とならん」 (白楽天) 比翼の鳥とは一体にならないと飛ぶことができない鳥。 連理の枝とは、それぞれの幹から出た枝が一つにつながったもの。 二人は翼を並べて飛んでいるのでしょう。 阿倍仲麻呂は楊貴妃を恋していたため日本に帰らなかったという説もあります。 花の命は短くて 苦しきことのみ おおかりき (林芙美子) 楊貴妃の命日に 合掌