2週間前の…続編デス♪
底井野往還とは…
長崎街道と唐津街道を結ぶバイパスとして整備された脇街道で…
同じくバイパスとして整備された赤間街道より最短で行けるコトから…
多くの人が利用し、当時は木屋瀬宿から藩に嘆願書が出されたほどです😅
ちなみに…
往還(おうかん)とは…
道幅の狭い街道のコトを言い🙄
当時でも人馬がすれ違うのがやっと…のようだったみたいです🙄
そのため、多くの街道のようにアチコチに丁寧な案内板はありません。
ワタシも…
ある人のブログの足跡を…
Googleマップに落とし込んで🙄
ソレをたどる…という方法を用いました👍
前回同様…
JRの筑前垣生駅からスタートデス👍
コレは…
かなりの廃屋🙄
今回は…
遠賀川の左岸、中間市から鞍手町に至る部分を走り歩きします👍
ちなみに、前回は遠賀川の右岸の中間市から北九州市八幡西区に至る部分を走り歩きました👍
現在の中の島にあたる部分が…
渡し舟で渡ったのかな?←と勝手な判断😁
その向かいにある神社が…
今回の底井野往還巡りの起点となります。
国道からいきなり狭い道へ…
コレが昔の国道・底井野往還デス👍
すぐにお寺があります。
いわれもナニも書かれていないので…
よくわかりませんが…
街道沿いのお寺です😅
ちょろちょろと流れる小川の横を通り…
田んぼの横を通って…
乗ってきたJRの高架をくぐります。
人様の敷地内にある神社😁
裏には猫様が…🙄
御神体は…猫?😅
さらに狭い道を左へ入って右へ曲がると…
高倉健さんの菩提寺へ…
入ってすぐ左手に…
健さんの石碑があります🙄
裏には牡丹の花…
梅の花が…
かすかな匂いを香らせています♪
お寺の入口に…
お寺の所以と…
そして当時の遠賀川は…
寺のすぐ横を流れていた…
という史実を知ります。
↑前回、遠賀川ポンプ室のボランティアのオジサンから話は聞いていました。
当時(江戸初期まで)の遠賀川は…
現在より西側を…
かなり蛇行して流れていたみたいです🙄
いったい誰がなんの為に…
川の流れを変えた?🙄
コレはワタシの"推測"ですが…
時期的に見て、ソレは石炭を運ぶため…だったと思われます。
石炭は江戸以前から庶民の間で煮炊き用の燃料として使われてきました。
当時、遠賀川一体は…
塩を作る塩田があったようで🙄
製塩に必要な燃料として…
当時の福岡藩と小倉藩が石炭に目をつけ…
炭鉱の開発に着手したのが江戸中期♪
遠賀川の流れが東寄りの直線に変えられた時期と一致します👍
つまり、遠賀川は…
筑豊炭田から積出港の若松港を結ぶ水路として…
最短距離を行くよう、整理された🙄
と考えられます🤔
だとしたら…
石炭の為には川の流れをも変える?
スゴイですね😅
石炭、最強〜♪
「小田家先祖代々之墓」が…
健さんの眠るお墓デス♥
石碑同様…
墓前に…
健さんの好きな缶コーヒーが添えられていました🥰
大きな道路に出た所で…
現地と当時の地図を照合します👍
小田家本家…
現在も表札が小田さんになってるコトから…
先祖代々住み続けておられるコトが伺われます。
コチラが…
元両替商だった高倉健さんの実家デス♪
ココにも猫様が…😅
猫城址は…
麻生太郎のご先祖・麻生家ゆかりの山城デス♪
現在は…
神社になっています👍
ロッジのような社務所😁
ココは藤棚がキレイです👍
社殿はこんなカンジ…
昔は酒屋やら飲食店やらで栄えていた街道沿いも…
今はその末裔の方々がお住まいになられたり…
完全に取り壊されて空き地になっていたり…
再び大きな道路を渡ります♪
川を渡って向こうに…
麺屋発見♪
まだ10キロも来ていないけど…
入ります😁
ドーン♪😁
30分以内で店を出て…
底井野往還後半部分へ♪
山道に入ります♪
左手に道が…
わ、わかりにくい😅
夏場は涼しそう…
こんなカンジの道をしばらく歩いて…
赤間街道との追分♪合流点で…
底井野往還は終わりです♪
ココから猿田峠を経て海老津に出ようかとも思いましたが🙄
交通量が多く、歩道が無いので…
帰りは鞍手駅目指して歩きます♪
な〜んにも無い😅
鞍手駅にゴール♪
総距離16キロほど…でした🤪