3日目の夜は、右手にサロベツ原野、左手に日本海・・・という大自然の中で迎えた。今は星空がキレイだけど、これが日中だったらどんな景色なのかな?と想像してみる。案外、殺風景なものかもしれない。
コース上にはありがたいコトにキレイな公衆トイレが2か所あった。この手のトイレはありがたい。ちゃんと手入れが行き届いており、トイレットペーパーも備え付けられていた。さらにありがたいコトに、洋式トイレである。私は最初の公衆トイレに入って、洋式トイレに腰をかけると、用をたしてそのまま5分ほど眠ってしまった。なんとパンツを下げたまま眠ってしまったのである。なんとも情けない恰好であるが、実は、この「考える人」のポーズはとても疲れがとれていいポーズだとわかった。
萩往還で経験していたので恐れてはいないが、3日目の夜は幻覚のオンパレードだ。目にするものすべてが人に見えてくる。例えば目の前に明かりがあると、すぐ、人に結び付けようとする。この日は、「砂丘の家」というラーメン屋を通過することになっていた。もちろん、その時間には開いていないのだが、北海道の住宅らしく入口が2重になっていて、最初の扉を開けたところで仮眠ができるスペースがあると聞いていた(実際、このペースでは仮眠する時間なんて無かったのだが・・・)ので、そのことがずっと頭から離れずにいた。
レースが終わって余裕ができてから改めて自分のメールを開いてみると、ポイントごとの定時報告に主催者から2件ほど返信があった。「甘いもの食べたくないですか?甘い菓子パン買っておきますね。」「砂丘の家に段ボール置いておきますから、Mさんと分けて使ってください。」
残念ながら、これらは全て、レースが終わってから確認した次第である。もっとも、仮眠なんて余裕は無かったから、段ボールは最初っから不要だったのだが、それにしても、もう少し時間的余裕と同様、精神的余裕を持ちたいものである・・・
気が付くと、必死で「砂丘の家」を探している自分がいた。まーっすぐな道路に時折、後方からやってきたトラックが吸い込まれていく・・・かと思えば、対向車線からライトが見え、それが実際に自分の横を通り過ぎるまでにかなりの時間があった。それだけ、まっすぐな道路なんだ・・・
まもなく、前方に緑のライトが見えて来た。なんとなく、緑のライト=人がいる、そんなイメージを抱かせる。ふだんはそんなコト、思わないけど、もう3日目の夜である、ほとんどろくな睡眠もとらず、朦朧とした意識が考え出すことは、ホントにろくでもないコトである。
緑の光とともに赤い光も見えて来た。そして左斜め前方にはオレンジの光の軍団・・・なぜか、私はそのオレンジの光の軍団がラーメン屋の「砂丘の家」に思えて来た。みんな、「砂丘の家」目指して集まっている・・・そんな気がしてきた。その一人として、私もこうして歩みを進めているのだ。
やがて、緑と赤とオレンジの光の軍団は近づいたように見えたが、一瞬、遠ざかったようにも見えた。私が動くと向こうも動いている、そんな気がして早く追いつきたい一心で私は走った。
そこまで来て、私には光の軍団の正体がわかり始めていた。いい加減、腹が減って来た。いったい、いつになったら「砂丘の家」に着くのだろう・・・最後のコンビニで買ったおにぎりがまだあることを思い出した。
光の軍団の正体は・・・やはり、信号機であった。数時間ぶりに見る「交差点」がそこにはあった。左手に漁港らしきものがある。わずかばかりの集落がそこにあった。ということは、「砂丘の家」はすぐそこだ。でも、まずは腹ごしらえ・・・と、交差点の角に腰を下ろしておにぎりを食べながら地図と現地を照合した。
夢にまで見た「砂丘の家」は、なんの変哲もない、ごく普通の家だった・・・
「砂丘の家」を過ぎると間もなくラスト42.195kmである。東の空がしだいに白んで来た・・・やがて、うさぎさんチームがラスト42.195kmを駆け抜ける。私もラスト42.195kmのスタートラインを通過した。ふと、時計を見る・・・午前3時50分・・・
ゴールのノシャップ岬の制限時間は午前11時半・・・ということは、つまり、フルマラソンを7時間半・・・普段なら余裕で間に合うはずだが、今の私は1時間に5kmしか進んでいなかった。1時間に5km?ということは・・・
「間に合わない」!!
一気に眠気が覚め、私はスイッチが入ったように無我夢中で走り出した。頭を切り替え、342.195kmのラスト42.195kmを新たにフルマラソンの大会に参加したつもりで必死になって走った。まもなく、うさぎさんチームが私を追い抜いて行った。そのうちの一人、Sさんが心配そうに私を見ている・・・遠別で食べ物を分けてくれたSさんだ。
ここで私は重大な「勘違い」をしていた。
岬・・・と聞いてイメージするのは「高台」
実際に私は以前、ノシャップ岬を走っている。あの時は、そう、高台を上ってゴールした・・・(でも、それは「岬」ではなく「展望台」だったことに私は気づいていなかった・・・)
ノシャップ岬はロバの耳のようにふくらんだ先っちょに位置していた。
けれど、ロバの耳は大きくてその先端までかなり遠く感じられた。地図には「神社の横を通って反時計回りに」と書かれているが、神社はいくつもあり、もう何度も漁港を通り過ぎて、なんだか半島の同じようなところをさっきからグルグル回っている気がしてならない。
いい加減、距離感がマヒしてきた。もうここで「間に合いそうにないから、下で待ってます」そうメールした方が、ずっと楽だった。けれど、あえてそれをしなかったのは、この日、夜に一年ぶりに稚内の走友・なっきーと会うことになっていた。そして、なっきーとオロロンのメンバーを引き合わせるのも私の役目だった。そんな席でリタイア報告なんてできるはずもない。「みんなと一緒に美味しい酒を飲む!」
その一心で無我夢中で走った。やがて、どこからともなく主催者が現れた。もう立ち止まっている余裕は無かった。トイレも「砂丘の家」のすぐ手前でしたのが最後だから、もうかれこれ数時間、していない。けれど立ち止まっている余裕は無かった。このままゴールまで駆け抜けるしかなかった。でも、そのゴールは、いったい、いつになったら現れるのか??
行けども行けどもまだそこには道があった。思わず、すれ違う人に聞く、「岬はまだ先でしょうか?」「あー、まだ先だよ、ずーっと先・・・」
なんとも絶望的な答えが返ってきた。しかし、もう、あとは何も考えるな、ゴールすることだけ考えろ。
まもなく、主催者が近寄って来て、その先の神社がポイントの神社であることを教えてくれた。私はてっきり「高台」に上がるイメージでいた岬は、海を右手に見た平地にあった。そうだった・・・ここは以前、来たことがある・・・ようやく思い出した。
先にゴールしたメンバーが出迎えてくれた。でも、私には笑っている余裕はない。
「あそこがゴールだよ、さあ、走って・・・」
そう促されて前を進む。無理してきたせいか、私の姿勢はいつもより前かがみ、そして、腰が幾分、引けていた。
苦しい・・・何が苦しいかって?寝ていないコト、そしてトランスエゾの時のように満足な足のケアが出来ないまま、無理してここまで来たコト・・
本当は、足の付け根を押せば楽になることはわかっているのに、それが出来ない、立ち止まる余裕が無い・・・
ゴールと言われるポイントに到達したのは午前11時15分・・・制限時間の15分前だった。
空は快晴、でも、風は冷たく感じられた。「もう二度と参加したくない・・・」それが正直な気持ちだった。
そう、確かにそう思っていたのだ。ゴールした瞬間は・・・(次回に続く・・・)
コース上にはありがたいコトにキレイな公衆トイレが2か所あった。この手のトイレはありがたい。ちゃんと手入れが行き届いており、トイレットペーパーも備え付けられていた。さらにありがたいコトに、洋式トイレである。私は最初の公衆トイレに入って、洋式トイレに腰をかけると、用をたしてそのまま5分ほど眠ってしまった。なんとパンツを下げたまま眠ってしまったのである。なんとも情けない恰好であるが、実は、この「考える人」のポーズはとても疲れがとれていいポーズだとわかった。
萩往還で経験していたので恐れてはいないが、3日目の夜は幻覚のオンパレードだ。目にするものすべてが人に見えてくる。例えば目の前に明かりがあると、すぐ、人に結び付けようとする。この日は、「砂丘の家」というラーメン屋を通過することになっていた。もちろん、その時間には開いていないのだが、北海道の住宅らしく入口が2重になっていて、最初の扉を開けたところで仮眠ができるスペースがあると聞いていた(実際、このペースでは仮眠する時間なんて無かったのだが・・・)ので、そのことがずっと頭から離れずにいた。
レースが終わって余裕ができてから改めて自分のメールを開いてみると、ポイントごとの定時報告に主催者から2件ほど返信があった。「甘いもの食べたくないですか?甘い菓子パン買っておきますね。」「砂丘の家に段ボール置いておきますから、Mさんと分けて使ってください。」
残念ながら、これらは全て、レースが終わってから確認した次第である。もっとも、仮眠なんて余裕は無かったから、段ボールは最初っから不要だったのだが、それにしても、もう少し時間的余裕と同様、精神的余裕を持ちたいものである・・・
気が付くと、必死で「砂丘の家」を探している自分がいた。まーっすぐな道路に時折、後方からやってきたトラックが吸い込まれていく・・・かと思えば、対向車線からライトが見え、それが実際に自分の横を通り過ぎるまでにかなりの時間があった。それだけ、まっすぐな道路なんだ・・・
まもなく、前方に緑のライトが見えて来た。なんとなく、緑のライト=人がいる、そんなイメージを抱かせる。ふだんはそんなコト、思わないけど、もう3日目の夜である、ほとんどろくな睡眠もとらず、朦朧とした意識が考え出すことは、ホントにろくでもないコトである。
緑の光とともに赤い光も見えて来た。そして左斜め前方にはオレンジの光の軍団・・・なぜか、私はそのオレンジの光の軍団がラーメン屋の「砂丘の家」に思えて来た。みんな、「砂丘の家」目指して集まっている・・・そんな気がしてきた。その一人として、私もこうして歩みを進めているのだ。
やがて、緑と赤とオレンジの光の軍団は近づいたように見えたが、一瞬、遠ざかったようにも見えた。私が動くと向こうも動いている、そんな気がして早く追いつきたい一心で私は走った。
そこまで来て、私には光の軍団の正体がわかり始めていた。いい加減、腹が減って来た。いったい、いつになったら「砂丘の家」に着くのだろう・・・最後のコンビニで買ったおにぎりがまだあることを思い出した。
光の軍団の正体は・・・やはり、信号機であった。数時間ぶりに見る「交差点」がそこにはあった。左手に漁港らしきものがある。わずかばかりの集落がそこにあった。ということは、「砂丘の家」はすぐそこだ。でも、まずは腹ごしらえ・・・と、交差点の角に腰を下ろしておにぎりを食べながら地図と現地を照合した。
夢にまで見た「砂丘の家」は、なんの変哲もない、ごく普通の家だった・・・
「砂丘の家」を過ぎると間もなくラスト42.195kmである。東の空がしだいに白んで来た・・・やがて、うさぎさんチームがラスト42.195kmを駆け抜ける。私もラスト42.195kmのスタートラインを通過した。ふと、時計を見る・・・午前3時50分・・・
ゴールのノシャップ岬の制限時間は午前11時半・・・ということは、つまり、フルマラソンを7時間半・・・普段なら余裕で間に合うはずだが、今の私は1時間に5kmしか進んでいなかった。1時間に5km?ということは・・・
「間に合わない」!!
一気に眠気が覚め、私はスイッチが入ったように無我夢中で走り出した。頭を切り替え、342.195kmのラスト42.195kmを新たにフルマラソンの大会に参加したつもりで必死になって走った。まもなく、うさぎさんチームが私を追い抜いて行った。そのうちの一人、Sさんが心配そうに私を見ている・・・遠別で食べ物を分けてくれたSさんだ。
ここで私は重大な「勘違い」をしていた。
岬・・・と聞いてイメージするのは「高台」
実際に私は以前、ノシャップ岬を走っている。あの時は、そう、高台を上ってゴールした・・・(でも、それは「岬」ではなく「展望台」だったことに私は気づいていなかった・・・)
ノシャップ岬はロバの耳のようにふくらんだ先っちょに位置していた。
けれど、ロバの耳は大きくてその先端までかなり遠く感じられた。地図には「神社の横を通って反時計回りに」と書かれているが、神社はいくつもあり、もう何度も漁港を通り過ぎて、なんだか半島の同じようなところをさっきからグルグル回っている気がしてならない。
いい加減、距離感がマヒしてきた。もうここで「間に合いそうにないから、下で待ってます」そうメールした方が、ずっと楽だった。けれど、あえてそれをしなかったのは、この日、夜に一年ぶりに稚内の走友・なっきーと会うことになっていた。そして、なっきーとオロロンのメンバーを引き合わせるのも私の役目だった。そんな席でリタイア報告なんてできるはずもない。「みんなと一緒に美味しい酒を飲む!」
その一心で無我夢中で走った。やがて、どこからともなく主催者が現れた。もう立ち止まっている余裕は無かった。トイレも「砂丘の家」のすぐ手前でしたのが最後だから、もうかれこれ数時間、していない。けれど立ち止まっている余裕は無かった。このままゴールまで駆け抜けるしかなかった。でも、そのゴールは、いったい、いつになったら現れるのか??
行けども行けどもまだそこには道があった。思わず、すれ違う人に聞く、「岬はまだ先でしょうか?」「あー、まだ先だよ、ずーっと先・・・」
なんとも絶望的な答えが返ってきた。しかし、もう、あとは何も考えるな、ゴールすることだけ考えろ。
まもなく、主催者が近寄って来て、その先の神社がポイントの神社であることを教えてくれた。私はてっきり「高台」に上がるイメージでいた岬は、海を右手に見た平地にあった。そうだった・・・ここは以前、来たことがある・・・ようやく思い出した。
先にゴールしたメンバーが出迎えてくれた。でも、私には笑っている余裕はない。
「あそこがゴールだよ、さあ、走って・・・」
そう促されて前を進む。無理してきたせいか、私の姿勢はいつもより前かがみ、そして、腰が幾分、引けていた。
苦しい・・・何が苦しいかって?寝ていないコト、そしてトランスエゾの時のように満足な足のケアが出来ないまま、無理してここまで来たコト・・
本当は、足の付け根を押せば楽になることはわかっているのに、それが出来ない、立ち止まる余裕が無い・・・
ゴールと言われるポイントに到達したのは午前11時15分・・・制限時間の15分前だった。
空は快晴、でも、風は冷たく感じられた。「もう二度と参加したくない・・・」それが正直な気持ちだった。
そう、確かにそう思っていたのだ。ゴールした瞬間は・・・(次回に続く・・・)