(久賀島の旧五輪教会にて)
翌日(今日)は、午前7時に朝食、食後は腹ごなしに港まで散歩。我々20名は目的別に3組に分かれ、ジェットフォイルの出発時間までそれぞれのオプションを楽しんだ。私はメンバー6名と久賀島(ひさかじま)の教会巡りに参加した。
実は、以前から五島に来るたびに教会巡りをしたい、と思っていたが時間的余裕がなく、果たせずにいた。今回は3時間という時間ではあるが、福江島の隣の久賀島まで船で渡り、3箇所の教会巡りをする。全てガイド付きである。
2階のデッキで缶ビールを飲み、太陽にさらされていると何となくセレブ気分・・・おっと、これから教会に行くのだ。何て不謹慎な・・・
最初に案内されたのは五輪地区という現在では4世帯しか住んでいない集落にある木造教会。隣に現在も使われている五輪教会があり、この教会が建てられる時、古い教会を取り壊す寸前まできたが、何とか住民の手によって現在まで守り通されている。国の重要文化財に指定されている教会である。ちなみに五輪(ごりんと読む。)地区は、五輪真弓の父の出身地だそうだ。
そして次に行ったのが浜崎教会。ここは現在も使われており、今朝もミサがあったそうだ。その敷地内にはゲートボール場があり、炎天下、皆さん元気にゲートボールをされていた。
以前、この教会を訪れた観光客が教会の鐘を鳴らし島の住民とのトラブルに発展したことがあるそうだ。教会の鐘、というのは、この島の人たちにとって合図、つまり、鐘が鳴ったら教会に集まるという信号である。それだけ島の人たちにとって教会というのは一種の集会場、コミュニティーなのかもしれない。(だから敷地内にゲートボール場があるのか?)
最後に案内されたのは、「牢屋のさこ」と呼ばれる、キリシタン弾圧の現場である。わずか12畳ほどのところに200人ほどの老人・子供を含む信者が押し込められ、1日に芋一切れと水だけが与えられた。ほとんどの者が死んでいく中で何人かは生き残り、記録に残している。
迫害と弾圧の中で、それほどまでして守り抜かなければならなかったモノとはいったい何だったのだろうか・・・思わず、遠藤周作の本を読みたくなった。
心を洗い、自らを懺悔したのもつかの間、港に戻って昼食は生ビールにステーキ、そして長崎に戻る船の中で焼酎、そして熊本に帰るバスの中でも飲み、家に帰った今もまだ飲んでいる・・・ただし、自由に飲み食いできる「今」に感謝しつつ・・・
翌日(今日)は、午前7時に朝食、食後は腹ごなしに港まで散歩。我々20名は目的別に3組に分かれ、ジェットフォイルの出発時間までそれぞれのオプションを楽しんだ。私はメンバー6名と久賀島(ひさかじま)の教会巡りに参加した。
実は、以前から五島に来るたびに教会巡りをしたい、と思っていたが時間的余裕がなく、果たせずにいた。今回は3時間という時間ではあるが、福江島の隣の久賀島まで船で渡り、3箇所の教会巡りをする。全てガイド付きである。
2階のデッキで缶ビールを飲み、太陽にさらされていると何となくセレブ気分・・・おっと、これから教会に行くのだ。何て不謹慎な・・・
最初に案内されたのは五輪地区という現在では4世帯しか住んでいない集落にある木造教会。隣に現在も使われている五輪教会があり、この教会が建てられる時、古い教会を取り壊す寸前まできたが、何とか住民の手によって現在まで守り通されている。国の重要文化財に指定されている教会である。ちなみに五輪(ごりんと読む。)地区は、五輪真弓の父の出身地だそうだ。
そして次に行ったのが浜崎教会。ここは現在も使われており、今朝もミサがあったそうだ。その敷地内にはゲートボール場があり、炎天下、皆さん元気にゲートボールをされていた。
以前、この教会を訪れた観光客が教会の鐘を鳴らし島の住民とのトラブルに発展したことがあるそうだ。教会の鐘、というのは、この島の人たちにとって合図、つまり、鐘が鳴ったら教会に集まるという信号である。それだけ島の人たちにとって教会というのは一種の集会場、コミュニティーなのかもしれない。(だから敷地内にゲートボール場があるのか?)
最後に案内されたのは、「牢屋のさこ」と呼ばれる、キリシタン弾圧の現場である。わずか12畳ほどのところに200人ほどの老人・子供を含む信者が押し込められ、1日に芋一切れと水だけが与えられた。ほとんどの者が死んでいく中で何人かは生き残り、記録に残している。
迫害と弾圧の中で、それほどまでして守り抜かなければならなかったモノとはいったい何だったのだろうか・・・思わず、遠藤周作の本を読みたくなった。
心を洗い、自らを懺悔したのもつかの間、港に戻って昼食は生ビールにステーキ、そして長崎に戻る船の中で焼酎、そして熊本に帰るバスの中でも飲み、家に帰った今もまだ飲んでいる・・・ただし、自由に飲み食いできる「今」に感謝しつつ・・・