つまがリズム

きままな、ひとりごと

日米戦争を策謀したのは誰だ! を読んでメモ

2024年05月09日 | 読書感想
2024年5月9日㈭

日米戦争を策謀したのは誰だ!
 林 千勝 著
2019年2月27日 初版発行
を、読んでメモ



林千勝先生の見立て
①WWⅡとは、国際金融資本家の下で、ソビエトとコミンテルン(共産主義インターナショナル)が裏舞台を仕組んだ戦争?
②主要役者
  アメリカ  (平和サイド) フーバー・リンドバーグなど
        (戦争サイド) ルーズベルト・ハル国務長官・IPR(太平洋問題調査会)など
  日本    (ピエロ)  藤原(近衛)文麿   
③近衛文麿について
   近衛は共産主義者や国際金融資本家とつながりがある者たちを身近に登用します。
   共産主義者たちは日本破壊の推進役、国際金融資本系列の面々はそのサポート役。 
   日米戦により日本が敗退し、天皇制にとってかわろうと。
   そのためには、平和主義者のふりをしながら、平和へのチャンスを壊していた。
   近衛は、いろんな駒を手玉にとっているつもりだったが相手の方が数段上。
   結局は、ピエロにすぎなかった。






   


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サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ(4)

2024年04月20日 | 読書感想
2024年4月20日(土)

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」(4)
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

(7)悪魔の薬
サリドマイド禍から50年たった2010年に薬の機序が判明した。
・半田宏先生(東工大)と小椋俊彦(東北大)
・サリドマイドはプロテアーゼの1つを構成するタンパク質と結合して
その働きを阻害することがわかった。
その結果、手足の成長を促すタンパク質FGF8が阻害して奇形を発生させる。

(8)福音の薬
・1965年イスラエルの医師が、ハンセン病患者に鎮痛薬としてサリドマイドを処方したところ
 ハンセン病に改善が見られた。
・その他、エイズやがんその他の難病に対する効果もみられた。
・(7)によりサリドマイドの機序が判明したことにより、さらに研究が進められている。

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サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ(3)

2024年04月19日 | 読書感想
2024年4月19日㈮

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」(3)
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

(6)グリュネンタール社によるサリドマイドの回収が決定した後の各国の状況

①アメリカ
既にカナダでメレル社がサリドマイドを販売していて、1960年9月に米国に申請した。
これを審査するのは、フランシス・ケルシーというFDA入社したての新米の女性だった。
当時の米国の審査方法では、試薬として市場に出して60日以内に安全性に問題がなければ
自動的に新薬として認可をうけることができた。
だが、末梢神経炎の副作用があることから、ケルシーは追加データを求めた。メレル社は
ケルシーの頭越しに上司に苦情を申し立てたが、上司はケルシーに特に指示をしなかった。
ケルシーが申請を慎重に検討した結果、米国でのサリドマイド被害はなかった。

②日本では回収が遅れて被害が広まった
 1961年11月27日、ドイツではサリドマイドの販売中止と回収を開始した。
 11月30日、スウェーデンを除く北欧
 12月2日、英国
 12月18日、スウェーデン
 1962年9月13日、日本
ドイツで回収を始めた後、欧州諸国は遅い国でも21日で回収を始めた。
日本は295日後に回収を始め、実際の回収作業が完了したのは1963年半ばから末頃と考えられるので
ドイツでの回収より2年半近く遅れてしまった。
日本のサリドマイド児の多くは、レンツらがサリドマイドの催奇性を指摘した後に、この薬を服用した妊婦から生まれている。
なぜ、日本ではこのように遅れてしまったのだろうか。
  ***************************************************************************************************************
 レンツ警告に始まる西独、北欧諸国、英連邦での薬剤回収にもかかわらず、我が国においては、薬を回収させる
特別な措置は講じられていなかった。厚労省から西独に派遣された調査官による、「レンツの報告は科学的根拠が乏しい」
との一言で片づけられてしまった。
 このような日本の厚労省官僚と政府がとった態度を合理的に説明するには、
「裁判による結論がない限りサリドマイドが実際に胎児奇形の原因であるとは実証できない」ということになる。

③豪州
 シドニーにあるクラウン街婦人病院の青年医師ウイリアム・マクブライドは1961年5月4日、
生まれて初めて海豹肢症の新生児をみた。それか3週間以内に同じような新生児をみた。このような例は今までなかった。
詳細にしらべていくと、二人の母親はサリドマイドを服用していることがわかった。さらに、また奇形児が生まれ
サリドマイドの服用がみられた。
1961年5月、同病院はサリドマイドの調査を実施した。
このような早い時期での取り組みがあって、豪州ではサリドマイドの被害は少なかった。






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サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ(2)

2024年04月19日 | 読書感想
2024年4月19日㈮

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」(2)
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

(5)情報はどこから漏れたか?
 レンツ博士はまだ駆け出しの、あまり有名でない小児科医で、社会的影響力もさして大きなものではなかった。
ではなぜ、グリュネンタール者は急遽サリドマイドの回収に踏み切ったのか。
 それは、グリュネンタールがサリドマイドについての新聞記事を抑えることが出来なかったことに加え、
英国の販売元であるディスティラーズ社から、豪州の支店を通じて、ウィリアム・マクブライドからも同様な指摘があった
という情報を入手していたことが理由の一つだと言われている。
 
 しかし、なぜ11月25日の国際プレスの配信で、疑惑の薬がサリドマイドと特定され、内務省が販売中止を決定したと
誤情報が伝わったのか。11月18日のデュッセルドルフでの学会の席でも薬の名前を公表しなかったことや、
彼の人柄から、レンツ自身によってこのことが漏れたとは考えられない。情報提供者については長い間不明であった。
2013年のナップ博士の供述から推測すると、彼の母親がジャーナリストであったことから、ナップとその母親経由で
情報が伝わったと考えるのが合理的だと思われる。

 それでは、国際プレスの記事が誤報として取り消したにもかかわらず、翌日の新聞『ヴェルト・アム・ゾンターク』に
詳しい記事が書かれたのはなぜか? 事の真相について、レンツは1992年の論文で、この特ダネは有名なジャーナリストで作家の
プラウス博士によって書かれた記事であることを明らかにしている。
 レンツは、サリドマイド疑義の結論に至る前に、ハンブルグ小児医学界のヴェソロスキー博士と議論した。プラウス博士は
ヴェソロスキー博士の兄である。この兄弟はレンツの疑惑を公にすべきだと考えたのであった。
 ここで大切なのは、特ダネを書いたプラウス博士も、疑義の薬の名前を明らかにしていない。前日の国際プレスの誤報で
サリドマイドと特定していたことと組み合わさり、つまり情報メディア戦によって、
グリュネンタール社の早急なサリドマイド回収が実現した。




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新薬の罠 を読んでメモ

2024年04月04日 | 読書感想
2024年4月4日(木)

新薬の罠
鳥集徹(とりだまり とおる)著
2015年5月25日 第1刷発行
を、読んでメモ



 

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