狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

『この愛は、異端。-ベリアル文書- 』/森山絵凪

2020年04月20日 15時42分30秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は、森山絵凪の漫画『この愛は、異端。-ベリアル文書-』を読んでいました。

 事故で両親を亡くし、親戚の間で盥回しにされていた淑乃は、ある日、古本屋で悪魔召還の手順が書かれた本を見つける。
 将来を悲観していた淑乃は、その本に書かれていた悪魔の召還方法で悪魔を召還してしまう。
 ベリアルと名乗るその悪魔は淑乃に契約を迫る。
 何でも願いを叶える代わりに寿命と死後の魂を悪魔に譲渡する。
 しかし、淑乃は5000年に一人の美しい魂の持ち主でそれ故にべリアルは特別に別の契約を提案する。
 一つの願いを叶えるたびに一つの対価を払う。そして死ぬまで行動を共にする。対価は淑乃の肉体。
 しかし、淑乃はその時は10歳。
 どちらの契約を結べない。と淑乃は泣き出し愚痴る。
 淑乃に絆されたベリアルは、「18歳までは普通の口づけのみ、18歳からは舌を入れ、20歳を超えたら愛撫も加える」という契約に譲歩する。
 二人は共に暮らすことになり、一緒にご飯を食べ、一緒に眠る。
 淑乃は次第にベリアルに心を許すようになっていた。
 しかし、淑乃が18歳になった日、ベリアルはその本性を顕わにする……。
 
 『この愛は、異端。』の番外編であります。
 本編第1話から約2年前の淑乃18歳の高校の修学旅行のお話となっています。


 悪魔を呼び出した人が悪魔と契約をして云々かんぬんというお話は、よくあるお話ではあるのですが、このお話はとてもたくさんのメタファーをベリアルと淑乃の中に入れているのです。
 様々なメタファーを重ねているので各シーンが違った意味にも見えてくるのです。
 そしてそれぞれのメタファーのかなりエグいところを突いているのです。

 悪魔との純愛のお話であります。


 面白かったですよ。
 楽しめました。


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趣味は幸福を担う多くの副産物を生み出してくれます。

2020年04月19日 23時31分47秒 | VSの日記
 本日4月19日は、源頼朝が伊豆に流された日で、ロシア・キシニョフで大規模なユダヤ人迫害が発生した日で、田中義一内閣が中国・国民革命軍の北伐再開に対応して第二次山東出兵を決定した日で、ワルシャワ・ゲットー蜂起が勃発した日で、公金1億円を横領して逃亡していた鉱山品貿易公団職員とその妻が出頭した日で、ダグラス・マッカーサーが軍を退役した日で、朝日新聞が夕刊でカンボジア共産党ポル・ポト政権のプノンペン制圧は「武力解放のわりには流血の跡がほとんど見られなかった」「敵を遇するうえできわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる」という事実に全く反する記事を掲載した日で、米テキサス州・ウェーコのブランチ・ダビディアン本部にFBIの特殊部隊が突入して本部が炎上し児童25名を含む81名が死亡した日で、米オクラホマシティのアルフレッド・ミューラービルで爆弾テロが発生して168人が死亡した日で、ドイツ連邦議会がボンからベルリンに移転した日です。

 本日の倉敷は曇りのち晴れでありました。
 最高気温は二十二度。最低気温は十三度でありましたよ。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。




 或る日の事で御座います。
 御釈迦様は極楽の蓮池の淵を独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。
 池の中に咲いている蓮の花はみんな玉の様に真白で其の真中にある金色の蕊からは何とも云えない好い匂いが絶間なく周囲へ溢れて居ります。
 極楽は丁度朝なので御座いましょう。

 やがて御釈迦様は其の池の淵に御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間からふと下の容子を御覧になりました。
 この極楽の蓮池の下は丁度下界に当って居りますから、水晶の様な水を透き徹して下界の景色が丁度覗き眼鏡を見るようにはっきりと見えるので御座います。

 下界で狐と云う一匹の獣が蠢いている姿が御釈迦様の御眼に止まりました。
 狐はぐうたら者でふらふらと遊んでばかりいる怠け者です。
 それ故、孤独地獄をぶっちぎりで駆けていく羽目に陥っています。
 御釈迦様は狐の様子を御覧になりながらかつて狐が蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。
 そうしてそれだけの善い事をした報いには出来るなら狐を孤独地獄から救い出してやろうと御考えになりました。
 幸い、側を見ますと翡翠のような色をした蓮の葉の上に極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。
 御釈迦様は其の蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から遥か下にある下界の狐の元へ真っ直ぐにそれを御下しなさいました。

 然し、狐は新刊の本を買いに行く途中で本を買うことに夢中になっていたので御釈迦様が御卸下さった蜘蛛の糸には気が付きません。
 猛スピードで御釈迦様が御卸下さった蜘蛛の糸の前から駆け去っていきました。

 御釈迦様は極楽の蓮池の淵に立ってこの一部始終をぢっと見ていらっしゃいましたが、やがて狐が孤独地獄をひた走り過ぎ去っていくと悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。
 趣味に夢中で他に目もくれない狐の心が御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたので御座いましょう。

 しかし極楽の蓮池の蓮は少しもそんな事には頓着致しません。
 其の玉のような白い花は御釈迦様の御足の周辺にゆらゆら萼を動かしてその真ん中にある金色の蕊からは何とも云えない好い匂が絶間なく周囲へ溢れて居ります。

 極楽ももう正午に近くなったので御座いましょう。


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『シャーリー・ホームズとバスカヴィル家の狗』/高殿円

2020年04月19日 22時34分57秒 | 小説・本に関する日記
 昨日の夜は、高殿円の小説『シャーリー・ホームズとバスカヴィル家の狗』を読んでいました。

 2012年。ロンドンはオリンピック開催で沸いていた。
 アフガン帰りの軍医ジョー・ワトソンは、除隊してロンドンに戻ってきた。
 仕事を探しているのだが簡単に見つからない。
 住む場所に困っていた彼女は、友人ミカーラからフラットシェアを勧められた。
 シェアの相手はシャーリー・ホームズという名の女性で、ちょっと変わり者だという……。

 ジョーは、ベイカー街221bで、頭脳と電脳を駆使する顧問探偵のシャーリー・ホームズと同居することになった。
 シャーリーのもとには、女刑事レストレードや政府高官の姉マイキーから難事件が舞い込む。
 ジョーは助手としてシャーリーと現場に赴いてはwebストランド誌に事件の成り行きを(自分たちを男性化して)連載している。

 ある日。
 ジョーの叔母キャロルが結婚するとの報せが入る。
 夫となるヘンリーはデヴォン州アルスターの名家バルカヴィルの子孫で、最近、前当主が亡くなって跡を継ぐことになったという。
 ジョーはバスカヴィルの屋敷に招待されて……。



 『シャーロック・ホームズ』の登場人物を女性に置き換えて舞台を現代にした推理小説で『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』の続編であります。




 エンターテイメントとして非常に上質であります。
 面白かったですよ。
 楽しめました。


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恐怖はマラリアや黒熱病よりも恐ろしい病気である。マラリアや黒熱病は体を蝕む。しかし恐怖は精神を蝕む。

2020年04月19日 12時12分29秒 | その他の日記
 以下の文は、J-CASTニュースの『神奈川県医師会が、「不安をあおるメディア」に投げかける疑問 「医療現場の現実を、知ってもらいたいのです」』と題した記事の転載であります。




                  『神奈川県医師会が、「不安をあおるメディア」に投げかける疑問 「医療現場の現実を、知ってもらいたいのです」』


 「私たち医療従事者も、ストレスや恐怖に我慢して戦っています。お願いします。皆さんはぜひ、我慢と闘って、我慢してください」。
 公益社団法人神奈川県医師会が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する「お願い」のメッセージを発信している。
 それは、医療現場の実情と、テレビなど一部報道で繰り返される主張への疑問、そして今、人々はいかに行動すべきかを伝えるものだった。
 約3000字にわたる切実な訴えは、インターネット上で「県民だけでなく、全国民に読んでいただきたい」との声があがり、数多くの人の心に届いている。

 クルーズ船の停泊地となり、新型コロナウイルスによる国内初の死亡者が確認され、医療従事者への差別もクローズアップされることになった神奈川県。
 だからこそ思った。「最前線の現場で本当に起きていることを、皆さんに知ってもらわないといけない」。
 J-CASTニュースは2020年4月14日、この「お願い」を書いた宮川政昭・神奈川県医師会副会長に、詳しく話を聞いた。

 「本当の専門家がいません。本当は誰もわからないのです」

 県医師会は公式サイトで7日、「~神奈川県民の皆様へ~(神奈川県医師会からのお願い)」と題した会長名義のメッセージを公開した。
 同会が続けている「かながわコロナ通信」の発信の1つだ。
 こんな言葉で始まる。

  「連日の報道で、親も子供もストレスで大変ですとマスコミが取り上げています。だから、ストレス発散のために、外出したいという気持ちもわかります。爆発的な感染拡大に若い人たちに危機感はないのは当然かもしれません。若い人は感染しても比較的軽症ですむとの報道があるからです。しかし現実は違います。若い人でも、重症化して一定数以上は死亡するのです。現実を見つめてください。
  
  もし、自分の知り合いの人がコロナ感染症で亡くなられたらきっと哀しいはずです。そして、亡くなった人にうつしたあなたが、入院せずに軽度ですんでも本当に喜べるでしょうか。不用意に動き回るということは、その可能性を増やしてしまうことなのです。今は我慢する時なのだということを、ぜひ理解してください。出来るだけ冷静に、そして自分を大切に、そして周囲の人を大切に考えてください」

 新しく、未知の新型コロナウイルスには「本当の専門家がいません。本当は誰もわからないのです」という前提があり、それゆえ「過去の類似のウイルスの経験のみですべてを語ろうとする危うさがあります」として、こう指摘する。

  「専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように同じような主張を繰り返しているテレビ報道があります。視聴者の不安に寄り添うコメンテーターは、聞いていても視聴者の心情に心地よく響くものです。不安や苛立ちかが多い時こそ、慎重に考えてください」

 県医師会が重要視するのは、「実際の診療現場の実情に即した意見かどうか」だ。

  「正しい考えが、市民や県民に反映されないと不安だけが広まってしまいます。危機感だけあおり、感情的に的外れのお話を展開しているその時に、国籍を持たず、国境を持たないウイルスは密やかに感染を拡大しているのです。
  
  第一線で活躍している医師は、現場対応に追われてテレビに出ている時間はありません。出演している医療関係者も長時間メディアに出てくる時間があれば、出来るだけ早く第一線の医療現場に戻ってきて、今現場で戦っている医療従事者と一緒に奮闘すべきだろうと思います」

  「テレビなどのメディアに登場する人は、本当のPCR検査の実情を知っているのでしょうか」
 
 報道でも繰り返されるテーマの1つに、「PCR検査」の拡大論がある。
 車に乗ったまま検体を採取する「ドライブスルー方式」での検査を導入する自治体も出てきている。
 ただ、こうした検査にも課題はある。

  「医療関係者は、もうすでに感染のストレスの中で連日戦っています。その中で、PCR検査を何が何でも数多くするべきだという人がいます。しかしながら、新型コロナウイルスのPCR 検査の感度(編注:感染者に陽性の検査結果が出る割合)は高くて70%程度です。つまり、30%以上の人は感染しているのに『陰性』と判定され、『偽陰性』となります。検査をすり抜けた感染者が必ずいることを、決して忘れないでください。
  
  さっさとドライブスルー方式の検査をすればよいという人がいます。その手技の途中で、手袋や保護服を一つひとつ交換しているのでしょうか。もし複数の患者さんへ対応すると、二次感染の可能性も考えなければなりません。
  
  正確で次の検査の人に二次感染の危険性が及ばないようにするには、一人の患者さんの検査が終わったら、すべてのマスク・ゴーグル・保護服などを、検査した本人も慎重に外側を触れないように脱いで、破棄処分しなければなりません。マスク・保護服など必須装備が絶対的に不足する中、どうすればよいのでしょうか。次の患者さんに感染させないようにするために、消毒や交換のため、30 分以上1 時間近く必要となります」

 現場にはこうした壁がある。
 県医師会は「テレビなどのメディアに登場する人は、本当のPCR検査の実情を知っているのでしょうか。そして、専門家という人は実際にやったことがあるのでしょうか」と問いかける。
 胸部レントゲン検査やCT 検査においても同様に指摘している。

   「胸部レントゲン検査やCT 検査を、もっと積極的にしないのは怠慢だという人がいます。もし、疑われるとした患者さんを撮影したとすると、次の別の患者さんを検査する予定となっても、その人が二次感染しないように、部屋全体を換気するとともに装置をアルコール消毒しなければなりません。その作業は30 分以上、1 時間近く必要となります。アルコールが不足する中、どうすればいいのでしょうか。メディアなどで主張する専門家やコメンテーターは、そのようなことを考えたことがあるでしょうか」

  「もう少し、もう少し我慢して下さい」
 
 感染が拡大すれば、重症者も増え、医療機関のベッドは瞬く間に埋まる。
 それでも「今までと同じように医療は維持しなければならないのです」。
 そこで取り得る医療体制をこう伝えている。

  「軽症の人は、自宅や宿泊施設に移って静養や療養してもらい、少しでも新型コロナ感染症の人のために、病院のベッドを空けるなどの素早い行動が必要です。そして、新型コロナ感染者の治療が終わり、社会復帰しても良いというときこそ、素早くPCR検査をやって確認し、ベッドを開けなければなりません。そのためにも、少しでも時間が必要なのです。医療機関に時間をください。コロナ感染者の増加を、少しでも緩やかなカーブにしなければ、医療は崩壊します」

 過酷を極める医療現場の実情、そして差別や偏見がある現実もつづっている。
 それは、医療従事者本人に限った話ではない。

  「今この時も医療関係者は、コロナ感染の恐怖の中で戦っています。戦っている医療機関の医師や看護師や事務職員にも、子供や孫、そして親はいます。その愛する人たちに、うつすかもしれないという恐怖の内で、医療職という使命の中で戦っています。そして自分の子供が、バイキンと言われ、いじめにあうかもしれないという、悲しみとも戦っています」

  「実際に病院の中で重症の患者さんの治療を毎日繰り返し繰り返し治療にあたり、家に帰っても人工呼吸器の音が耳から離れず、懸命にしている立ち向かっている医師や看護師の人たちのことを想像してください。そんな恐怖といら立ちと、そしてストレスの毎日の中で生活しています」

 そのうえで読者に、現場への理解と、感染拡大防止の協力を呼び掛けた。

  「わかってください。知ってください。理解してください。感染が拡大すれば、誰もが感染者になります。そのとき、偏見や差別を受けたらどんな思いをするのか、一人ひとりが賢明に考えて、不確かな情報に惑わされて、人を決して傷つけないように、正しい情報に基づいた冷静な行動をするようにしてほしいのです。まして、地域の医療機関の活動が差別意識で妨げられるようなことは、決してあってはならないことでしょう」

  「もう少し、もう少し我慢して下さい。四週間、何か月いや一年以上になるかもしれません。病と闘って生きていたいと、つらい治療と闘っている患者さんもいます。生きていることだけでも幸せなのだと、ぜひ、ぜひ思ってください。安易に外出して、密集、密閉、密接のところには絶対行かないでください。あなたの行動が、新しい患者さんを作ってしまうかもしれません」

  「お願いします。私たち医療従事者も、ストレスや恐怖に我慢して戦っています。お願いします。皆さんはぜひ、我慢と闘って、我慢してください。戦いは、長くてつらいかもしれませんが、みんなで手を取り合っていきましょう」


 宮川政昭副会長が語る、発信の理由
 この「お願い」を編集した宮川政昭副会長はJ-CASTニュースの取材に、発信に込めた思いを語った。
 「もう少し優しい言葉で書きたいと思っていましたが、現場のことを思うと、強めの言葉で訴えざるを得ませんでした」。
 これまで神奈川の地で起きてきたことと、それに対するメディア報道の2点が、メッセージの大きな契機となっている。

  「神奈川県はクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』が停泊した地であり、初期段階から新型コロナウイルスの対応を迫られていました。
  新型コロナの性格や対処法など、情報が非常に少ない中で対応しなければなりませんでした。
  クルーズ船には『JMAT(日本医師会災害医療チーム)』も出動し、県医師会員も隊員として数多く出動して対応しました。
  
  3600人という乗員乗客に対応する時、メディアのコメンテーターからは『下船させればいいじゃないか。なぜクルーズ船に閉じ込めておくんだ』という一方的な論もありました。
  でも、何千人単位を完璧に移動させ、収容し、隔離できる医療施設や宿泊施設はどこにあったのでしょうか。
  そんな難題に対案を出しながら、批判した報道は当時見られませんでした。
  
  『神奈川県は何をしているんだ。ゾーンを分けるべき。船内で感染が広がる』と叱られました。
  ただ、船内は航行中に乗員乗客が動き回っていましたから、当初ゾーンをはっきり分けることは無意味でした。
  感染者と非感染者とに分け、消毒を徹底し、ゾーニンクしても、無症状の潜伏期の患者がいたら、もうすでに感染性を有していますから、まさにイタチごっことなり、非常に困難な作業を迫られていました。
  
  その後、相模原市にもさまざまな問題が起こりました。
  相模原の病院(編注:新型コロナウイルスによる国内初の死亡者が一時入院。その後看護師の感染も判明していた)に、差別の言動が寄せられたのです。
  そこに勤める女性看護師は、子どもが『バイ菌』扱いされたり、子どもの保育園から『登園しないで』と言われたり、家族が会社から『出勤するな』と言われたりしました。
  病院への問い合わせでは電話口で叱咤され、涙を流す事務職員もいるほどでした。
  病院の前のバス停に『バスを停めるな』と乗客から言われました。
  
  医療従事者からの苦労の報告を聞くたびに、私たちもつらい思いを募らせていったのです。
  県医師会には相模原の先生方もたくさんおり、地域医療を支えています。
  今後、軽症者は病院からホテルや自宅に移ることになります。
  ホテルに健康管理に出動する医療スタッフも、それを支える従業員の方々も同じような思いをされる可能性があります。
  何とかならないかと思いました。それが、発信を始めた理由の1つです」

  「もう1つは、新型コロナウイルスの報道、特にテレビのワイドショーの論調があまりにも一方的だったためです。
  児玉源太郎の『諸君は昨日の専門家だったかもしれん。しかし、明日の専門家ではない』という言葉があります。
  この新しい未知のウイルスに、本当の専門家はいないのかもしれません。
  すべてのことは本当に誰もわからないのかもしれません。
  過去の類似のウイルスの経験で対応するしかないのは当然ですが、それのみですべてを語ろうとするのは危ういことです。
  それなのに、その後間違っていたとわかった事柄も訂正せずに、別の話をし続けるようなことがありました。
 そして専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように、同じような感情的に主張を繰り返していたのです。
  
  実際に、コメントの内容が現場状況と異なっていることが往々にしてありました。
  コメンテーターの方々は実際の現場に足を運んでお話をしているのかと疑問を持ちました。
  レポーターの画面受けする取材をもとに、ただ遠くから見て、野次馬と同じように発言しているだけのようでした。
  
  医療現場で本当に起きていることを誰かが伝えないと、医療者も患者も多くの人々も、戸惑ってしまうのではないかと懸念しました。
 画面で伝えられたことに私たちも一般の視聴者のように過敏に反応し、現場に戻って視聴者と同じような反応していた自分たちを、他の医療者にたしなめられるという事態に気が付き、反省したことがきっかけの一つでした。
  
  ですから、県医師会の皆様に『今の状況を教えてくれないか』と呼びかけ、情報を集め、県医師会の『コロナ通信』が始まりました。
  情報が間違いないことを確認し、まとめなければならないために、時間がかかってしまいました。
  私たちも発信し始めるのが遅かったと反省しています。
  もう1か月ほど早ければ良かったと思っています。
  
  そのうちメディア側で情報発信の方向性を修正してくれるのではないかと願ってもいました。
  ずいぶん現場の声を取り上げてくれましたが、一部では同じことが続きました。
  これでは医療崩壊と同時に、医療者の精神的な医療崩壊が始まってしまうかもしれないと懸念しました」



  「窓ガラス越しに子どもと手を合わせただけで、また現場に戻っていく」 
 県内各地の医師会員に協力を仰ぎ、現場のヒアリングを丁寧に進め、情報を集約し、「お願い」を公開した。
 集まった現場の声はあまりにも切実だった。

  「どの医療従事者にも家族もいますし恋人もいます。
  現場で医療行為をした後、どんなに体を清潔にして、感染しないように心がけても、一抹の不安は残ります。
  今でも聞きます。
  『家に帰っても自分の子どもが感染しないか心配です』と。
  だから、窓ガラス越しに子どもと手を合わせただけで、そしておどけた姿を見せて子供が笑ってくれたのを喜び、また現場に戻っていく。
  『スマホでは子供のなまの反応を確かめられない』と語る医療者もいました。
  もちろん家族に会って、子供の顔を見て、一緒に温かい物を食べる医療者もいます。
  それでも『ぎゅっと抱きしめることはできなかった』という声が寄せられます。
  そういう医療従事者が実際にいるのです。
  本当に切実です。
  
  JMATでクルーズ船に入った人が、防護服などで完全防備した状態で動くと、1日動き続けることは難しかったと振り返る。
  装備で息がしづらく、半日で苦しくなります。
  クリーンな所に行ってやっとマスクを緩められます。
  それでもまた現場に帰っていきます。
  実際に脱落しそうになった医師もいます。
  そんな時、同僚に『ごめんなさい』と謝るんです。
  一瞬の気の緩みで間違いを起こすかもしれないというギリギリの緊張感の中で対応していました。
  
  医療従事者は『3密(密閉・密集・密接)』を避けられません。
  通常の日常診療では、患者さんと日々接し、聴診器で胸の音を聞き、腹痛があれば触診します。
  こまめに消毒したり、マスクをきつめに締めたり、できる限りの感染対策は当然尽くします。
  ですが、そのための医療物資も本当に足りません。
  マスクが足りません。
  アルコールも足りません。
  そして緊急時に使用する防護服(服とフェイスシールド)もありません。
  
  そういう情報が集まってきました。
  本当のことを皆さん知ってもらわないといけないと思いました。
  もし医療従事者が戦線離脱してしまったら、医療のパワーが落ちます。
  現場の実情を伝えられれば、読んでくださった皆さんと医療者、みんなの連帯感が出てくるのではないかと思いました。
  そのことで、新型コロナウイルスと闘っていくことができるのではないかと思いました」



 一部の報道は「不安をあおって終わります」
  新規で未知の新型コロナウイルスには「本当の専門家」がいない。
 「医療現場では、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)など類似するウイルスの経験をもとに闘って、そして目の前の新しい発見に軌道修正して、また闘いを挑んでいます」と話す宮川氏。
 これまでの報道について「メディアでは、そんなウイルスについての情報発信も徐々に変化しています。最近はさまざまなことが新型コロナウイルスのことが判明し、専門家として以前より冷静な語り口になり、少しずつ軌道修正がなされてきました」と振り返り、こう語る。

  「もちろん現場の医療者の対応を批評してもらって構いません。
  人間というものは完全ではなく、間違ったこともするからです。
  ですが、常に検証してほしいのです。
  毎日同じことを主張するのではなく、先日の発言は、改めて確認したところ間違いがありましたとか、そんなことがあれば現場の医療者は戸惑わなくて済みます。
  
  医療現場では、こうじゃないか、分かったそう考えてみよう、いや違った申し訳ない、じゃあこうしてみないかと、試行錯誤の毎日です。
  誰も知らないウイルスです。
  現場はそうやって動いています。
  それでないと確実に前に進むことができません。
  それを知ってほしい。
  メディアの方々も言いっぱなしで終わらないでいてくれたらありがたいと思います」

 報道が「不安をあおる」。
 これはネット上でも度々議論の的になる。
 人々が不安をあおられた結果、社会や医療の場で何が起きるのか。
 神奈川県医師会も戸惑いと動揺している医療現場を心配する。

  「『微熱が続いています。新型コロナにかかっていませんか?』。そう言って受診される患者さんが何人もいます。
  『大丈夫です。落ち着いてお薬を飲んで、また気になることがあったら来てください』となだめて、やっと気を取り戻します。
  それでも『検査できないんですか?』と泣いて帰る患者さんもいます。
  不安で不安で仕方がなくなっているのです。
  
  一部の報道は『危険なウイルスですね』『感染がどんどん広がっています』『あなたの近くにも感染者がいるかもしれない』と不安をあおって終わります。
  『もう少し落ち着きましょう。不安に思うかもしれませんが冷静に考えてください。どうすればいいか一歩立ち止まって考えましょう。報道する私たちも一緒に考えます』という言葉もほしかったと思います。
  
  現場に対してもそうです。
  『なぜさっさと検査しないんだ』『全然対応が追いついていない』。
  クタクタになっている医療現場の人間を後ろから叩くようなことを言ってどうするのでしょうか。
  どの現場も大きな荷物を背負っています。
  報道がさらに荷物を背負わせるようなことをしたらどうなるのでしょうか。
  社会全体が大変な思いをすることの無いように、現場が背負っている荷物を、少しでも軽くする言動が増えてほしいと思うのです。
  できない原因があります。
  現場の人間だけでは解決できないことがあるので、その壁を一緒に壊してほしいのです。
  物資の壁。
  制度の壁。
  縦割り行政の壁。
  医療者だけでは社会の壁を打ち破れないのです。
  それは報道の人はすでに知っているはずです」



 「対応の仕方を伝える提案型の報道が望まれるのでは」
  外出自粛要請を受け、現在は「家にいよう」と呼びかける動きも広がっている。
 だが、今度はこんな報道が見られるようになった。
 「多くの場所で人が減りましたが、こちらの商店街はこの人だかりです」「駅では今も、こんなに多くの人が仕事に向かっています」。
 こうした伝え方に神奈川県医師会も疑問を呈す。

  「日用品や食料品は皆さん買いに出ます。
  会社の事情でテレワークできない社員は仕方なく出社しないといけない。
  生活のために自粛したくても仕事を休めない人もいます。
  ソーシャル・ディスタンシングが叫ばれても、それができない仕事もあります。
  保健所、役所、警察や消防、コンビニやスーパー、クリニックや病院、電気やガスや水道、宅配便など、他にも私たちの生活を守るために、それぞれの『現場』で働いている人たちが大勢います。
  多くは『不要不急』でない人が、不安を抱えながら動かざるを得ないのでしょう。

  商店街の様子を報じるなら、『人だかりがある』ことを強調するのでなく、『食べ物がなくなるわけではないから2~3日分買えばいい。家族全員で買い物に出る必要もない。落ち着いて』と、人々が冷静になれるように語ってほしいのです。
  『老夫婦が手をつなぎ歩いている』のを見て、一緒に外に出なくてもいいだろうと非難できません。
  認知症をみる老々介護はそれを許さないのです。
  
  加えて、『外出時は最低限どうリスク管理すればいいか』が重要です。
  『3密は避けて』だけでなく、どうすれば避けられるか。
  避けられないなら、どうすれば少しでも減らせるか。
  コメンテーターが提言していけばいい。
  ただダメではなく、非難するのではなく、対案を明示しなければなりません。
  もし明らかに対策がないのであれば、本気になって一緒に嘆くしかないのではないでしょう。
  
  テレビの事情も分かります。
  視聴率を上げるため、あえて危険そうな場所を取り上げるのだと思います。
  ただ危機感をあおるような報道内容でいいのかどうか。
  社会貢献を詠うスポンサーの企業イメージが心配です。
  
   危険性を強調すれば不安が募りますが、『軽症であれば大丈夫』と逆に居直る人もいます。
  両極端です。
  その際どさが視聴者受けが良いからでしょうか。
  1人が何かを言ったら『それは言い過ぎかもしれませんよ』とか、『その点はもう少し強調してもいいですね』と、建設的な議論を積み上げていけば、もっと良い世の中になると思うのです。
  発生した現象を取り上げるだけではなく、『この場合どうすればいいか』と、対応の仕方を伝える提案型の報道が望まれるのではないでしょうか」



 「ウォークイン方式の検査を試し始めています」
  医療の場では、情報を日々アップデートしながら新たな対応の手を打っている。
 PCR検査については、神奈川県医師会では課題を検証し、検査体制の構築を進めているという。

  「私たちも、できることならPCR検査をもっとやりたい。
  本当に検査が必要な患者さんはたくさんいます。
  私も保健所に電話して、なかなか受け付けてもらえなかったことがあります。
  しかし保健所も本当に人数が少ない。
  その中でフル稼働して働いてくれています。
  でも、出来ない現状は打ち破りたいと思っています。
  
  ドライブスルー方式にしても、防護服など物資の問題、1日あたりの処理能力の問題や、精度を維持できるかという問題もあります。
  検査技師の人数だって必要です。
  こう考えると、ただ『ドライブスルー検査を導入します』と言っても、何百人という人数を毎日検査し続けることは難しいのです。
  どこかに壁があることを把握しながら、検査体制をつくらないといけません。
  各地で行われるようになってきたドライブスルー方式のPCR検査は、諸外国のように来た人を全員検査するわけではなく、正確で慎重な検査体制の中で行われています。
  そして、実際には事前の問診の上に必要な人が判定されて、検査が行われます。
  『検査を受けて安心したい』『陰性の証明書が欲しい』という病原体の非存在証明を求める要望にすべて叶えるようにはなっていません。
  
  そして、ウォークイン方式の検査を試し始めています。
  検査の手技をする人は、PPE(個人用防護具)を装着しなくてもよいのです。
  シールドボックスを作り、壁を隔て、マスクをして、手袋をして採取の手技を行い、手袋は破棄交換します。
  これであれば、スピートが上がります。
  そして、検査を実施している衛生研究所だけでなく、民間の力も借りることで、実施数を増やすことができるようになります。
  
  しかしながら、現状に甘んじている訳ではありません。
  課題を検証し、新しい検査体制を早急に進めています」



 「怖くさせているのは、人間です」
  医療現場に身を置き、医療現場の声を聞き続けるうちにわかったことは、新型コロナウイルスの「怖さ」についてであり、それは「『得体が知れないウイルスである』という当たり前のことなのです」と宮川氏は話す。

 新型コロナウイルス感染症は、感染者の80%は軽症か無症状だが、20%は重症化し、数%の人は死に至ってしまう。
 高齢者や基礎疾患をもつ人、免疫の低下した人の死亡率は高くなる。
 こうした特徴のため、軽症者が重症化リスクのある人に感染を広めてしまうおそれがある。
 「感染から発症までは5~14日ほどかかります。その間に他の人に感染させているかもしれず、私たちを『意識なき加害者』にしてしまうのです」と、その「怖さ」を語る。

  「若いから大丈夫という甘い考えを打ち砕く現実が迫っています。
  新型コロナウイルス感染症の、約7割が50代以下なのですが、死者の8割超が70代以上だったことが危機感を薄めてしまっています。
  若い人とて決して無敵ではありません。
  若い人でも何週間も入院させられたり、なかには重症になったり亡くなったりする人もいます。
  乳幼児も3%発症し、そのうち10%は重症化し、人工呼吸器を装着しなければなりません。
  しかも乳児に多いのです。
  得体が知れないウイルスは、あらゆる可能性を秘めた将来のある若い人の人生を奪うのです」

 加えて宮川氏が指摘した「怖さ」は、人間がもたらす混乱だ。

  「今の日本は諸外国に比べ、死者数を大きく増やしてはいません。
  これは、医療者が現場で日々戦っているからです。
  専門家会議メンバーはじめ多くの専門家が、日本に適した対策を考え、進めているからです。
  死者増加をどうにか食い止めているからこそ、みんなでもう少し頑張らなければいけません。
  
  もちろん、この方法が最適なのかということは後になって厳しい目で検証しなければなりませんが、現在の状況は、そのようなことに時間をとっていいわけではないでしょう。
  それなのに、色々な立場の人がこぞって自分の思い付きを競うように連呼しています。
  まるで人気取りのように。
  現実にすぐできないことをアピールして、それがいかに現場を混乱させているのかを理解していただけるとありがたいのです。
  もっと、現場の声に真撃に耳を傾けてください。
  お願いします。
  そのようなことをメディアも含めてしている最中でも医療現場では、少しでも多くの人を救おうと働き続ける医療者がいるのです。
  なるべく時間を浪費しないでください。
  一緒に集中して取り組んでください。
  
  新型コロナウイルスは、感染症を引き起こし、人間を死に至らしめます。
  そのことはとても恐ろしいことです。
  しかしながら、デマも、買い占めも、差別も、誹謗中傷も、不安をあおることも、人間の恐怖心が生み出していることです。
  怖いことは感染の恐怖から、不安や不満が蓄積し、不当な差別や、不毛な対立が生まれてしまうことです。
  最も怖いのはコロナではなく、人間のこころです」



 どう行動すべきか。考えるきっかけになれれば
  最後に宮川氏は、県医師会の「コロナ通信」について、医療崩壊を防ぎ、この苦難を乗り越える一助になるかもしれないと、願っている。

  「色々な言葉に恐怖や不安を覚えた方も多いと思います。
  『医療崩壊』はその1つです。
  新型コロナウイルス感染症の患者さんを1人でも多く助けるため我々は尽力していますが、一部の外国のように患者さんが病院の廊下に溢れかえる状態になってしまえば、年齢や持病の有無などで高度医療の提供を断念する『命の選択』を行わなければならなくなります。
  
  今まで当たり前に行われていた地域での医療提供が受けられなくなります。
  交通事故にあった時、心筋梗塞や脳梗塞を起こした時、心不全が悪化した時、ガンが悪化した時、医療が崩壊していると救命できなくなります。
  お子さんを授かったときでも、安心できる医療環境で出産を迎えられることも危ぶまれるかもしれません。
  
  新型コロナウイルスの感染者が増えれば増えるほど、感染症で命を落とす患者さんが増えるだけでなく、いつもなら助かるはずだった患者さんも命を落とすことになるのです。
  医療崩壊を防ぐためには、とにかく感染者を増やさないことに尽きます。
  
  そのために、どう行動すべきか。
  私たちの発信が、少しでもそれを考えるきっかけになれればいいと思います。
  
  これからは、もっといろいろな立場の方々から意見を募ることで、お互いのことをより尊重しあえると思います。
  そうして助け合えればいい。
  さまざまな情報を地道に収集し、編集していったら、良い『ガイド』ができるのではないかと思います。
  医学の専門的なガイドではありません。
  大事なのは『私たちはどう生きていけばいいのか』です。
  日々を暮らすための術を、みんなで積み上げていければいいなと思っています」

                     (J-CASTニュース編集部 青木正典)
                     転載終わり。



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藤のお花その11。

2020年04月18日 17時48分40秒 | お花に関する日記
 本日4月18日は、藤原清衡が中尊寺の金堂・三重塔の落慶法会を行った日で、北条時宗が鎌倉幕府執権に就任した日で、現在のサン・ピエトロ大聖堂の基礎石の設置式典が行われた日で、大奥御年寄・絵島の信濃国高遠への配流が決定した日で、杉田玄白・前野良沢らが処刑された死刑囚の解剖を見学(翌日から医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳にとりかかる)した日で、壬生浪士組のうち京都に残留した芹沢鴨ら24名が京都守護職・会津藩主の松平容保の配下に取立てられた日で、大坂天保山沖で日本初の観艦式が行われた日で、ビリー・ザ・キッドがリンカーン郡刑務所を脱走した日で、日本と清国が朝鮮出兵に関する天津条約を締結した日で、蒋介石を中心とし中国共産党が排除された南京国民政府が樹立された日で、国際司法裁判所が開所した日で、モナコ大公レーニエ3世がアメリカの映画俳優グレース・ケリーと結婚した日で、アメリカ大使館爆破事件が起こった日で、日本の海部俊樹首相とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が日ソ共同声明に署名して北方領土四島を領土画定協議の対象とすることで合意した日です。

 本日の倉敷は晴れ時々雨でありました。
 最高気温は十八度。最低気温は十三度でありました。
 明日は予報では倉敷は曇りとなっております。



 上の写真に写っているお花は藤です。
 藤のお花に関しては、よろしかったら2019年4月19日の記事2018年4月18日の記事2017年4月29日の記事2016年5月3日の記事2015年5月2日の記事2014年4月24日の記事2013年4月18日の記事2012年4月30日の記事2011年5月6日の記事2010年5月8日の記事も御覧下さいませ。
 2019年と2018年と2017年と2016年と2015年と2014年と2013年と2012年と2011年と2010年の藤のお花の記事です。


 藤のお花の花言葉は、「陶酔する恋」或いは「至福のひととき」です。
 藤のお花は、倉敷市の市花ですよ。


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『兄の嫁と暮らしています。』第7巻/くずしろ

2020年04月18日 15時23分46秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は、くずしろの漫画『兄の嫁と暮らしています。』の第7巻を読んでいました。

 主人公の岸辺志乃は、17歳の高校生。
 両親は亡くなっていて、更に半年前に唯一の肉親だった兄も亡くなってしまう。
 志乃は今は兄の嫁である「希さん」と暮らしている……。
 希さんのことは大好きなのだけれども、亡くなった兄の嫁なのでどうしても遠慮してしまう……。



 家族なのだけれども、他人。
 どこまで踏み込んでよいのかお互いに分からない。
 そんな二人の生活を繊細に描いています。

 お互いのことを大事に思っているのだけれども、上手くいっているように見えるのだけれども、でもまだ遠慮があって……。



 他人だけれども家族になろうと試行錯誤をしてるお二人の物語であります。

 面白かったですよ。
 続きが楽しみであります。


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Set The Controls For Heart Of The Sun

2020年04月18日 14時19分28秒 | 曲名がタイトルの日記
 昨日の夜は、ピンク・フロイドの『Pink Floyd: Live at Pompeii』のDVDを観ていました。

 収録されている曲は、
  1 Echoes Part I
  2 Careful With That Axe Eugene
  3 A Saucerful Of Secrets
  4 Us And Them
  5 One Of These Days
  6 Mademoiselle Nobs
  7 Brain Damage
  8 Set The Controls For Heart Of The Sun
  9 Echoes Part Ii
 の9曲です。

 撮影されたのは1971年10月。
 約2000年前に建立された円形劇場が舞台。
 入場者が誰もいない空虚な舞台での演奏となっております。

 人によっては不気味で不安をかきたてられると表現する、太古を思わせる幻想的な曲が揃っております。
 意味を探ると袋小路に陥ってしまいそうになるので、感じたままで捕らえた方が良いですね。
 私にとっては非常に心地良いです。

 良い映像でありますよ。
 お勧めであります。


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Careful with That Axe, Eugene

2020年04月17日 21時36分05秒 | 曲名がタイトルの日記
 本日4月17日は、天智天皇が近江宮に遷都した日で、対馬の国司が日本で初めて産出された銀を朝廷に献上した日で、豊臣秀吉が吉野の花見を開催した日で、文部省博物局が湯島聖堂の大成殿を文部省博物館として日本初の博覧会を開催した日で、日清戦争の講和条約である下関条約が調印された日で、シベリアのレナ川付近でストライキを行っていた金鉱労働者をロシア帝国軍が射殺した日で、前日にロシアに帰国したばかりのウラジーミル・レーニンが四月テーゼを発表して戦争を続ける臨時政府の全権をソビエトが握るべきと主張した日で、日本政府が憲法改正草案を公表した日で、コミンフォルムが解散した日で、アポロ13号が地球に帰還した日で、カンプチア民族統一戦線がプノンペンを制圧してロン・ノル率いるクメール共和国が崩壊してポル・ポト率いるクメール・ルージュが実権を掌握しやがった日で、阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガースVS読売ジャイアンツの試合でランディ・バース選手と掛布雅之選手と岡田彰布選手がバックスクリーン3連発を放った日で、オランダとシリー諸島の間の三百三十五年戦争の終結が宣言された日で、長崎駅前で長崎市市長の伊藤一長が山口組系暴力団員に銃撃された(翌18日未明に胸部大動脈損傷等による大量出血により死亡)日で、シアトルマリナーズのイチローがアナハイムエンゼルス戦で日米通算3086安打を達成して張本勲の持つ日本プロ野球最多記録を更新した日です。

 本日の倉敷は曇りでありましたよ。
 最高気温は十八度。最低気温は八度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 あれは……白昼の悪夢であつたか……それとも現実の出来事であつたか。
 晩春の生暖い風がおどろおどろと火照つた頬に感ぜられる、蒸し暑い日の午後であつた。
 用事があつて通つたのか、散歩の道すがらであつたのか、其れさえぼんやりとして思い出せぬけれど、私・狐は或る場末の見る限り何処までも何処までも真直ぐに続いている広い埃つぽい通りをてくてくと歩いていた。
 洗い晒した単衣物の様に白茶けた商家が黙つて軒を並べていた。
 三尺のショウウインドウに埃で段だら染めにした小学生の運動服が下つていたり、碁盤の様に仕切つた薄つぺらな木箱の中に赤や黄や白や茶色などの砂の様な種物を入れたのが店一杯に並んでいたり、狭い薄暗い家中が天井から何処から自転車のフレイムやタイヤで充満していたり、そして其れらの殺風景な家々の間に挟まつて細い格子戸の奥に煤けた御神燈の下つた二階家がそんなに両方から押しつけちや厭だわという恰好をしてぼろんぼろんと猥褻な三味線の音を洩していたりした。
 『かつて賢き女ども座せり。此処彼処に。或る者は縛めの鎖を整え、或る者は敵の軍兵を押さえ、或る者は鎖を毟り取れり。「縛めを脱し、敵を逃れよ!」』
 お下げを埃で御化粧した女の子達が道の真中に輪を作つて謡つていた。
 『縛めを脱し、敵を逃れよ!』という涙ぐましい旋律が、霞んだ春の空へのんびりと蒸発して行つた。
 男の子等は繩飛びをして遊んでいた。
 長い繩の弦が粘り強く地を叩いては空に上つた。
 田舎縞の前を肌蹴た一人の子がぴよいぴよいと飛んでいた。
 其の光景は高速度撮影機を使つた活動写真の様に如何にも悠長に見えた。
 時々、重い荷馬車がごろごろと道路や家々を震動させて狐を追い越した。
 ふと狐は、行手に当つて何かが起つているのを知つた。
 十四五人の大人や子供が、道端に不規則な半円を描いて立止つていた。
 其れらの人々の顔には、皆一種の笑いが浮んでいた。
 喜劇を見ている人の笑いが浮んでいた。
 或る者は大口を開いてげらげら笑つていた。
 好奇心が狐を其処へ近付かせた。
 近付くに従つて、大勢の笑顔と際立つた対照を示している一つの真面目くさった顔を発見した。
 其の青醒めた顔は、口を尖らせて何事か熱心に弁じ立てていた。
 香具師の口上にしては余りに熱心過ぎた。
 宗教家の辻説法にしては見物の態度が不謹慎だつた。
 一体、之は何事が始まつているのだ?
 狐は知らず知らず半円の群集に混つて聴聞者の一人となつていた。
 演説者は、蒼白い肌に漆黒の髪が艶やかな若く美しい女であつた。
 鬘の様に綺麗に光らせた頭髪の下に蒼白く冷めた顔。ぱつちりと大きく見開いた瞳。妖艶な真赫な脣。高い鼻。そして着物の裾からは砂埃に塗れた跣足の足が覗いていた。
 「……私はどんなに夫のことを愛していたか」
 演説は何度も繰り返されて今や高潮に達しているらしく見えた。
 女は無量の感慨を罩めてこう云ったまま、暫く見物達の顔から顔を見廻していた。
 「殺す程に愛していたのです。……。でも悲しい哉、あの男は浮気者だつた」
 どつと見物の間に笑い声が起つたので、其の次の「いつ余所の女とくつつくかも知れなかつた」という言葉は危く聞き洩す所だつた。
 「否。もうとつくにくつついていたかも知れないのです」
 そこで又、前にもました高笑いが起つた。
 「私は心配で心配で」
 彼女はそう云つて首を振つて「気が狂いそうでした。私は毎晩寝床の中で夫に頼みました。手を合せて頼みました」笑声。「どうか誓つてお呉れ。私より外の女には心を移さないと誓つてお呉れ……。……。併し、あの男は如何しても私の頼みを聞いては呉れない。手練手管で其の場其の場を誤魔化すばかりです。でも……其れが……其の手練手管が……どんなに私を惹きつけたか……」
 誰かが「ようよう。御馳走様!」と叫んだ。
 そして、笑声。
 「皆様」女はそんな半畳などを無視して続けた。
 「あなた方が、若し私の境遇に遭つたら一体如何しますか? 之が殺さないでいられましやうか? ……。あの男は寝顔が可愛いのです。につこりと笑つて寝る姿はとても可愛いのです」
 女は顔を上げて笑顔を見せた。
 赤い唇が半月状に吊り上がる。
 「……。あの男の寝姿を視ているうちに私は今だと思いました。此の好もしい姿を永久に私のものにして了うのは今だと思いました。……。用意していた千枚通しを、あの男の胸に力任せに叩き込みました。笑顔の消えぬ内にあの男は……死んで了いました」
 賑かな広告の楽隊が通り過ぎた。
 大喇叭が頓狂な音を出した。
 『蛇が這い来たりて人傷つけたり。ウォーデン 九つなる栄光の枝を取り、蛇を打ちつくるに、これ九つに砕け散りぬ。此処において林檎は毒に打ち克ちて、以後蛇人の家に住まうことを欲さざるなり』子供等が節に合せて歌いながら、ぞろぞろと付いて行つた。
 「皆様。あれは私のことを触れ回つているのです。私のことを人殺しだ人殺しだとそう云って触れ回つているのです」
 又、笑い声が起つた。
 楽隊の太鼓の音だけが、女の演説の伴奏ででもある様に、いつまでもいつまでも聞えていた。
 「……。私は夫の死骸を五つに切り離しました。胴が一つ。手が二本。足が二本。之で五つ」
 「……。あなた方はあの水の音を聞かなかったですか?」女は俄かに声を低めて云つた。
 首を前に突き出し目をきよろきよろさせながら然も一大事を打開けるのだと云わぬばかりに、「三七二十一日の間、私の家の水道はざーざーと開けつぱなしにしてあつたのですよ。五つに切った夫の死体をね、四斗樽の中へ入れて冷していたのですよ。之がね皆様」此処で女の声は聞えない位に低められた。
 「秘訣なのよ。秘訣なの。死骸を腐らせない。……屍蝋というものになるの」
 屍蝋……。
 或る医書の「屍蝋」の項が、狐の目の前に其の著者の黴くさい絵姿と共に浮んで来た。
 一体全体この女は何を云わんとしているの?
 何とも知れぬ恐怖が狐の心臓を風船玉の様に軽くした。
 「……。夫の胴体や手足が可愛い蝋細工になつて了つた……」
 「ははははは、お極りを云つてらあ。お前それを昨日から何度おさらいするんだい」誰かが不作法に怒鳴つた。
 「皆様」女の調子がいきなり元に戻つた。
 「私が述べていることを理解してくださらないのですか? 皆様は夫が家出をした。私は捨てられた女だと信じ切つているのでしやう。しかし私はあの男を殺したのです……」
 ……。断切つた様に笑声が止んだかと思うと、女は俯き、又囁き声で始めた。
 「それでもう、あの男は本当に私のものになり切つて了つたのです。ちつとも心配はいらないのです。接吻のしたい時に接吻が出来ます。抱き締めたい時には抱き締めることも出来ます。私はもう此れで本望です」
 「……。でも用心をしないと……。私は人殺しなのだから……。いつ巡査に見つかるかしれない……」
 女は顔をゆつくりと上げた。
 そして狐の顔を見詰めた。
 女の声はか細く小さくなつていた。
 「……。私は、夫の遺骸を隠すことにしました……」
 女は低く笑つて幽かな声で云う。
 その声は誰にも聞こえていないかのようだつた。
 「ほら……あなた……見て御覧。夫の死骸は……私の店先に飾つてあるのよ」
 狐ははつと後ろを振り向いた。
 今の今迄、気の付かなかつたすぐ鼻の先に日覆い……「薬」……「請合薬」……見覚えのある丸ゴシツクの書体……そして其の奥の硝子張りの箱の中の人体模型……。
 其の女は薬屋の女主人であつた……。
 「あすこなら……誰も気が付かないでしやう」
 周囲の人達、大勢の人達はもはや女の声が聞こえていないのだろうか?
 女の囁きは小さくか細く聞き取りにくい。
 何がそうさせたのか。狐はいつの間にか日覆の中へ這入つていた。
 目の前の硝子箱の中に若く美しい男の顔があつた。
 目を瞑りにつこりと笑つている。
 精巧な蝋細工の人形……。のはずだ……。人の首ではないはずだ……。
 すーつと心臓が喉の所へ飛び上つた。
 狐は倒れそうになる身体を危く支えて日覆から逃れ出た。
 女の演説は又、最初に戻つたやうだ……。
 「……私はどんなに夫のことを愛していたか」
 狐は女に見つからない様に注意しながら群集の側を離れた。
 ……。
 振り返つて見ると、群集の後ろに一人の警官が立つていた。
 彼も他の人達と同じ様ににこにこ笑いながら女の演説を聞いていた。
 狐は眩暈を感じながらひよろひよろと歩き出した。
 行手には何処までも何処までも果てしのない白い道が続いていた。
 陽炎が立並ぶ電柱を海草の様に揺つていた。



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『素足の季節』/小手鞠るい

2020年04月17日 15時46分11秒 | 小説・本に関する日記
 昨日の夜は、小手鞠るいの小説『素足の季節』を読み返していました。

 県立岡山A高校に入学した杉本香織は、隣のクラスの間宮優実と知り合いになり友達になる。
 香織は読書が好きで妄想が好き。中学生の時のある出来事がきっかけで友情や信頼という言葉が信じられなくなっていた。
 しかし優実と出会ったことで頑なな心がほぐされていく。
 ある日、優実は廃部となっていた演劇部を復活させると言い出す。
 そして香織に演劇部を立ち上げるので部員になって欲しいと頼み込む……。
 香織は断っていたのだけれども……。



 岡山県の進学校は私立よりも公立が強くかつては選抜方式もあって他県とは少し趣が違うのかもしんない。
 進学校で県立岡山A高校となるとあそこかぁ。と思いながら読んでいました。
 この小説のモデルとなった高校は岡山県の中では進学校として名高い高校なのです。
 私は倉敷に住んでいたので学区外。私は倉敷の進学校に通っていました。
 私が通った高校は部活動を奨励する変わった進学校であったので、この小説のモデルとなった高校とは少し雰囲気が違います。年代も違うし。
 でも方言は懐かしい。
 今は私の周囲の人達はきつい岡山弁は使わない人が多いのです。
 私も幾つか転々としたことがあるので純粋な岡山弁を使うことができなくなっています。
 昔は岡山弁で喋ってた。懐かしい。

 私の高校時代は灰色だったなぁ。と読みながら思い出してしまいました。
 主人公達は少女なのですが、大人に向けたお話であります。

 面白かったですよ。
 楽しめました。


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Love to Be Loved

2020年04月17日 15時40分38秒 | 曲名がタイトルの日記
 昨日の夜は、ピーター・ガブリエルのアルバム『Us』を聴いていました。

 収録されている曲は、
   1  Come Talk to Me
   2  Love to Be Loved
   3  Blood of Eden
   4  Steam
   5  Only Us
   6  Washing of the Water
   7  Digging in the Dirt
   8  Fourteen Black Paintings
   9  Kiss That Frog
   10 Secret World
 の10曲です。


 ポップ路線だけど民族音楽の要素が入っていて面白いアルバムになっています。
 物悲しくて切なくて切実で誠実で、晴れ晴れとした寂しさを感じる曲が多いですね。
 「Come Talk to Me」、「Digging in the Dirt」、「Secret World」と名曲が揃っていますよ。
 私はピーター・ガブリエルのアルバムの中で『Us』が一番好きです。
 名盤でありますよ。
 お勧めであります。



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紅花常磐満作その8。

2020年04月16日 23時40分24秒 | お花に関する日記
 本日4月16日は、オデュッセウスがトロイア戦争を終えて自国に帰還した日で、マサダ要塞に籠城したユダヤ人が集団自決してユダヤ戦争が終結した日で、セルビア王国国王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが皇帝に即位してセルビア帝国が成立した日で、マルティン・ルターがカール5世臨席の帝国会議に出席してローマ・カトリック教会の贖宥状を批判した日で、スコットランドでジャコバイトが最後の組織的抵抗をしてブリテン軍に完敗した日で、江戸幕府が江戸駒場で初めて洋式の兵士訓練を行った日で、札幌農学校教頭のウィリアム・スミス・クラークが「Boys, be ambitious」の言葉を残して帰国の途についた日で、ハリエット・キンビーが女性で初めてドーバー海峡を飛行機で横断した日で、レーニンが亡命先のスイスからペトログラードに帰還した日で、ドイツ・ソビエト政府間にラパッロ条約が結ばれて両国が修交した日で、聖ネデリャ教会襲撃事件があった日で、日本共産党(第二次共産党)に対する全国的な一斉検挙があった日で、西ヨーロッパ16か国が欧州経済協力条約に調印して欧州経済協力機構を結成した日で、GHQ総司令官などを解任されたダグラス・マッカーサーが離日した日で、佐世保市の佐世保炭鉱で大規模なボタ山崩落事故が起こった日で、ウィーンで米ソによる第一次戦略兵器制限交渉の本会議が開始された日で、モナコの大公アルベール2世がイギリス人やロシア人ら7名とともに国家元首初の北極点到達を達成した日で、バージニア工科大学銃乱射事件が起こった日です。

 本日の倉敷は晴れでありました。
 最高気温は二十一度。最低気温は八度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れのち曇りとなっております。




 上の写真に写っているお花は、「紅花常磐満作」です。
 紅花常磐満作のお花に関しては、2019年4月17日の記事2018年4月16日の記事2017年4月16日の記事2016年4月10日の記事2015年4月6日の記事2014年4月3日の記事2013年4月19日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2019年と2018年と2017年と2016年と2015年と2014年や2013年の紅花常磐満作のお花の記事です。

 紅花常磐満作のお花の花言葉は、「私から愛したい」或いは「霊感」です。



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LAZY

2020年04月16日 22時38分05秒 | 曲名がタイトルの日記
 「いよいよ我らの真の力を開放する時が来た」と、友人は云った。
 「これまで我らは『もっと頑張れ!』と云われてきた」
 確かにその通りです。
 「『もっと頑張れ!』と云われなければ頑張らないことに群を抜いた定評がある我らだ。それ故に延々と『もっと頑張れ!』と云われ続けてきた」
 確かにその通りです。
 「しかしだ。今、『頑張るな!』と云われている」
 その通りです。
 「ならば、全力で頑張らない!」
 ふむ?
 「真に頑張らないこととはどのようなことなのか、真の怠け者である我らが皆の者に見せつけてやろうぞ!」
 ……。そんなに気張って頑張らないことに頑張らなくてもよいのではないですか? 
 「む?」
 頑張るな! と云われたならば、我らならば自然と頑張らない。怠け者ですから。
 「む?」
 そして、怠け者が怠けだすととことんまで怠ける。その姿を見せるだけで、他の者は驚愕の目を向けることでしょう。
 「む?」
 それでよいのでは? 気張る必要はありませんよ? 
 「むむむ? 頑張らないことを頑張らない……だと!?」
 怠け者ですから。



 「嗚呼。暫らくは頑張らなくてよいのだ……。まさか、こんな事態が起こるとは思わなかった……」と、友人は云った。
 人生、何が起こるか分からないものです。
 「全くです。しかしですよ……。私には何も起こらない……」
 それでよいのです。あなたは幸せなのですよ。



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「敵うも何も……私とお前では格が違いすぎるでしょう? 私の様に誇り高き貴族と、泥臭い土着の民じゃぁね」「その格の違い、試してみる?」「そうね。格の違いを見てみるのも良いわね」

2020年04月16日 18時08分40秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は、同人サークル『あんかけスパ』のアクションRPG「東方紅輝心」で遊んでいました。
 東方Projectのファンゲームで、吸血鬼『レミリア・スカーレット』と従者『十六夜咲夜』を主人公としたアクション・ロールプレイング・ゲームであります。


 カリスマ溢れるレミリア・スカーレットお嬢様でプレイ。
 昨日は、『第11章:最終決戦』まで終了。
 レベルを上げて最終決戦。
 道中で道に迷う……。orz。
 そしてBOSS戦でまさかの遠距離戦を強いられる……。orz。
 さらにBOSS戦でおかわり……。orz。
 レベルを上げていたのでごり押しで大丈夫だろ。と思っていたら伊吹萃香に押し切られる……。orz。
 まぢかよ。
 鬼を相手に無様な姿を晒したので、レミリアお嬢様はお怒りモードであります。
 すまぬ。お嬢。

 さらにレベルを上げて何とかクリア!!! 
 うおっし!!! 
 と思っていたら、クリア後にエクストラダンジョンが出現。
 試しに入ってみたら、ここの雑魚敵が異様に強い……。ぐぬぬ。orz。
 暫らくはこのダンジョンを安全第一でうろついてレベルを上げていかなければならない……。
 レミリアお嬢様はまだまだ暴れ足りていないようで、エクストラダンジョンの出現に喜んでおります。

 暫らくはこのゲームで遊んでいきたい。と思っているところなのでございます。


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神にとっては全てが美しくて、良くて、正しい。ただ人間が、あるものは正しく、あるものは正しくないと思うだけである。

2020年04月16日 15時29分49秒 | その他の日記
  今の状態に何処か既視感があったので、ず~っとその既視感について考えていたのです。


 例えば、スポーツに熱中して観ている人達。
 この人達の中には試合中に好き勝手に主張する人がいる。試合結果に対しても好き勝手に主張する。
 興奮状態に入っていて、私が僕が考えた最強のプランを採用しろ! と喚く。
 多くの人が現場の問題も現実もデータも無視して、自分のプランを採用しろと主張する。
 この状態によく似ている……のではないか?


 何故バントをしない! あの場面はバントをすべきだった!
 何故シュートを打たない! あの場面はシュートを打つべきだった!
 何故ヒットエンドランをしない! あの作戦は間違いだ!
 何故あの場面でシュートを打った! あそこではボールをキープすべきだった!
 何故あの選手を使わないのか!
 何故あの選手を使うのか!
 ピッチャーを変えろ!
 なぜあのピッチャーを変えた! 帰るべきではなかった!
 あのフォアードは使えない! 交代させろ!
 四番を変えろ!
 監督辞めろ!
 金返せ!




 ど素人が、僕が私が考えたプランが至高のものであると、主張する……。
 興奮状態に陥っているのだけれども、自分が興奮状態に陥っていることに気がついていない……。
 暴言が乱舞する状態に今の状況はよく似ている……ように思える……。


 スポーツ観戦をしているとよく見かける事案であります。
 それらは、99.999%が与太話。
 このように興奮状態に陥っている人の与太話をまともに採用して成功した試しはありません。
 そもそも与太話はほとんどが採用されることはありません。与太話でしかないのですから。
 しかし、スポーツのそれもプロでの話ならば、ある程度はそれは許容すべきです。
 それも含めてのエンターテイメントなのですから。


 しかし、今のこの状況はエンターテイメントではありません。
 事実もデータも現場の意見も無視した論に意味はありません。
 しかし、今は居酒屋で話される与太話でしかないレベルの話を延々とTVや新聞や雑誌やネットで聞かされたり読まされたりする状況にあります。
 そして、全員が自分が正しいと思っている……。
 みんなが、「私が考えた最強のプラン」を述べて、他者の意見を否定する……。
 みんなが興奮状態に陥って混乱に拍車がかかる。
 マスメディアが真っ先にパニックに陥って取材もせずにデマを拡散させる……。
 でも、自分達が興奮状態に陥っていると理解していないので、自分の考えが正しいと思っている……。
 ど素人でしかないのに……。

 ややこしいことなのだけれども、専門家の意見も絶対ではない。
 ある部門の専門家がある部門について述べることはある部門においては勿論正しい可能性が高い。
 しかし、別の部門の専門家が同じものを見て同じ事柄について述べることは意見が違っていても勿論正しい可能性が高い。
 つまり、同じものを見ても専門家ごとに見る角度が全く違うので意見が異なる。
 そしてその意見は全てが正しい……。
 全く真逆の意見がどちらも正しい。ということが起こる。
 この時は、それぞれの意見を調停する人が必要となる。
 本来は、マスメディアがこの役割を担わなければならなかったはず。
 しかし、マスメディアが真っ先にパニックに陥って取材もせずにデマを拡散させて『自分達が考えた最強のプラン』を声高に主張するだけならば、マスメディアに意見の調停役を担ってもらうという期待を抱くことは出来ません。

 『我こそが正しい!』合戦を繰り広げたところで、意味はありません。
 そもそも、ど素人が思いつくプランは専門家ならば真っ先に思いつくプランです。
 理想的に思えるプランが実行されていないのは、実行するうえで何らかの問題があるから。
 マスメディアならば、その点を突くべきです。
 マスメディアが「○○をやれ!」と主張するのではなく、「○○をやれない理由」を探るべきです。
 与太話に意味はありません。


 斯く述べる私も、述べていることは与太話のレベルでしかありません。
 故に当ブログで主張していることを信じてはなりません。



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未来を予測するだけでは問題をまねくだけである。なすべきことは、すでに起こった未来に取り組み、あるいは来るべき未来を発生させるべく働くことである。

2020年04月16日 13時17分11秒 | その他の日記
 数理モデルは検証されなければなりませんよ? 
 未来予測のシミュレーションはパラメータや仮定を変えると全く別の数字を出します。
 計算式そのものも妥当なものかどうかは検証されなければなりません。
 数理モデルや各パラメータや仮定の詳細を出すべきです。
 未来予測のシミュレーションに意味があるとし、それを指針としているならば、数理モデルや各パラメータや仮定の詳細を全て出して多くの人の検証に委ねるべきです。


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