昭和40年から59年に
筑摩書房から出版された
高校の国語の教科書に
柳田國男の「清光館哀史」が、載っている
私もその教科書で学んだ一人なのですが
なぜか、「清光館哀史」が、とても印象的で
高校以来、45年間
「清光館哀史」には、特別な思いがあったような気がします
清光館哀史とは
大正9年に柳田國男が泊まった
清光館という宿にまつわる随想である
実在した宿なのですが
今は、建物はなく、建物があった場所に
「石碑」が立っているだけです
私は、この「石碑」をいつか見てみたい
清光館があった跡地に行ってみたい
という願いが常にあり
今回、やっと実現することができました🎵
「清光館の跡」の石碑(岩手県洋野町)
当時は、ここから浜辺が見えたのでしょうか
今は、防潮堤しか見えないのが残念
更に
できれば、どんな建物だったのか見てみたい
写真でもスケッチでもなんでもいいから
建ってる清光館を見てみたいという願いもありました
しかし、大正時代のことであるし
小さい宿の写真などあるわけが無いですよね~
ただ、唯一
建物を知る手がかりとしてわかっていたのは
小子内小学校の百周年記念誌に
手書きで書かれた清光館が載っているということ・・
見たい気持ちで一杯なんだけど
百周年記念誌を手に入れるなんて不可能~
清光館の姿を見ることは、すっかり諦めていました
清光館跡を見た後に
フラッと立ち寄った「種市歴史民族資料館」で
夫が突然、小子内小学校百周年記念誌について
係の方に質問し始めてびっくり~
そうしたら係の方が、「あると思いますよ。探してみますね」と・・
「えー、ホントですか?」とびっくり仰天のワタクシ(笑)
偶然、図書館と併設している資料館だということも幸いしたのか
なんと、記念誌があったのです
その中にしっかり清光館の図がありました
イメージだけだった建物が、具体的な建物に変わり
私の願いは、全て叶えられたのです
高校の時から、すでに45年が過ぎ・・
45年目にしてやっと願いが叶いました🎵
では、またね👋😃
私は教科書が違ったのか 全く記憶にありませんが
ななえさんの心に それほどに残るんですから すごく
素敵なのでしょうね♪
45年来の夢が叶ってよかったですね。
ななえさんが それほど気になった建物どんなだろう・・・
ご主人様にも感謝ですね(*^_^*)
三陸海岸沿いにある町です
行けそうでなかなか行けずにいました
石碑があった場所は
きちんと整備されているわけではなく
でもそれが当時を彷彿させてくれました
今回のことは、さもないことなのですが
私にとっては、とても嬉しいことでしたよ~🎵
習っていないと言っています
多分、違う教科書を使用したのではないかな
今回の夫の一言は、大きかったです
本当に感謝です
石碑を見るついでに
久しぶりに2泊3日の岩手の旅を楽しみました
三陸の海を満喫し
道の駅も沢山巡りましたよ~
楽しかったです🎵