「60年代のアメリカ文化」
もっと言えば
「サンフランシスコのヒッピー文化」
というものに10代~20代だったあの頃・・・
筆者は、強烈に憧れたものだ。
それは、まさしく「自由の象徴」であり
「生きていくための原動力」であった。
今でもそうだが、
私は「強制されるのを必要以上に嫌う」性分だ。
特に脂が乗っていた20代の頃には
「コレを書け!」
「コレを演奏しろ!」
と言う「上から目線の仕事」を
コトゴトク嫌い、断ったものだ。
その結果、仕事は無くなったがね(笑)。
その後そんな私を見かねてか?
様々な人のご尽力から
「(株)リクルート」への道が示され
そのプロ集団に転がり込めたのだから
まあ、最高でもあったのだが・・・。
あくまでも言っておくが自分の意思で、この
「(株)リクルート」への扉が開かれた訳ではない。
多くの大人たちが「20歳そこそこの私」を
考えてくれた結果・・・・であろう。
感謝しても仕切れない。
ただ、私はファッショナブルなOLたちで溢れる
その銀座のオフィスでさえ
「タイダイTシャツ」を着て、
とにかく「自由な思想のヒッピー」を追っていた・・・
そんな風に思う。
編集部での生活は、思いのほか窮屈ではなかった。
それどころか、自分の人生の中でも
「一番、楽しく充実した時間」であっただろう。
ただ、モーレツに仕事をしていたから
「音楽をヤル時間」が全く無くなり
「音楽に飢えていた・・・」のは確かだった。
退社し、ある人物の下で
「音楽業界の裏方の仕事」を経験し
その後、「自分のレーベル」を立ち上げ
プロデュースや録音、ライブの主催
そしてもちろん演奏まで・・・
その仕事は多岐に渡ったものだ。
レーベルの事務所として借りた場所に
自分達の「手持ちギター」を置いた所
「ヴィンテージ・ギターShop」
の経営者となって、そして
「あっ」と言う間に20年が過ぎた・・・
というワケだ。
今年「実店舗」を閉めて「通販のみでの営業」
という「新しい旅」への移行こそ、
自分が「ヒッピーからの脱却」へ向っている・・・・
と、ふと実感させるものでもあった。
10代、あの頃から「走り続けて来た」自分がいる。
「もう走れない!」
ってワケじゃぁ、決してないぜ(笑)。
ただ、今までは随分と全力疾走だったから
ココいらで「次の世代の若い人」にバトンタッチして
「少しスロー・ダウンさせようかなぁ」
ってね。
それがこの「コロナ禍」でハッキリして来てさ。
今までは、割とすぐに
「新しいルーティーン」
を築き上げることが可能だったんだけれど、
この「Withコロナ時代」では
「多少のアレンジ」じゃぁ通用せん!
「ヒッピー・マインドの延長」
じゃあ、ダメなんだよ。ってね!
そこで、筆者は
「大きくマインドを変化させる」
コトとしたのだが、
「そいつを実行するまで」には
何度も何度も「コロナ以前の通常時」に
知らず知らずと引き戻されてね・・・。
そんな中、先日お伝えしたとおり
「7月1日から当ブログをリニューアルする!」
と決めて、6月半ばから
「ソコをメインとした、新しいルーティーン」
を模索していったのだ。
その結果
「ヒッピー・マインドからの脱却」
と
「全く新しいマインドの構築」
が生まれた様に思う。
その
「内なるマインドの変化」
が、もたらした結果こそ
「ライフ・スタイル自体をガラッと再構築させる」
ということに他ならない。
私は見事に、この「内なる変化」から
大正解を手にしたワケだ!
筆もいつに無く軽やかに、進む進む!(笑)
とにかく「書きたい」んだよ!
ただ、読者諸君
「Mashからアメリカが遠くなっていく・・・・」
と嘆く必要は無い。
なぜなら、私が生きている限り
「生涯ブルースマンであり続ける」
から、心配はご無用でR。
ビートルズに憧れ、
ギターを始めた小学生だった筆者が
その周辺のバンド、
ストーンズやThe Whoを聴き始め
彼らのルーツにあった
「ブルース」という音楽に惹かれた。
そんなあの瞬間から、
アメリカは「ずっと自分の中」にある。
この「ブルース」というモノについては
今後じっくりと書いていこうと思うので、
是非、お楽しみにして欲しい!
そして、もちろん
筆者の座右の銘
「ヤリ過ぎぐらいが調度イイ!」
という言葉通り、
ある意味で「ヤリ過ぎる」つもりなので、
そこにも期待してくれてイイ。
それと今後は「タイダイTシャツ」を着ない
ってわけでもないゼ!(笑)
兎にも角にも・・・
現在(いま)こそ
「Mind Games...Togther!」
《 編集長「Mash」筆 》