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「フクシマン土屋」の「イイトコ探訪 福島県!」(第30回) 福島あれから10年の3月11日

2021-03-13 13:50:26 | 『フクシマン土屋』コラム集

こんにちは
「東北編集室長のフクシマン土屋」
です!

「なに?その肩書は!」だって?
読んで字のごとく「東北編集室長」なんです!
これまで特別に言ってこなかったけどね。

で、東北編集室長らしく
今年の3月11日の記事を、
今現在の、そしてこれからの「福島の課題」を、
数字とデータを出して書き始めたものの、
なんか違うんだよな。
それは確かに客観的な事実として知ってもらいたいこと!
には違いないのだけれど…

自分は津波を経験していないし、
住む場所を強制的に奪われてもいない。
それでも福島市に、福島県に、東北に暮らしてきて
「おもう」ところはあるんだよ。

今年は
「東日本大震災と原発事故から10年」
ということで様々な特集が組まれて、
随分とマスコミでも取り上げられているね。

10年間の推移とか、10年前との比較とかの
データや映像を見る機会も多いんじゃないかな。
だからそういうものはそっちで見てもらって、
今回はここでは書きません。
現場の現状をフクシマンの目線で伝えていきます。

「震災から10年」って言われてもさ、
「区切りがつく」わけじゃないし、
「線引き」できるもんでもないんだよ。
5年経っても10年経っても20年経っても、
「今年も3月11日が来たな」なんだよね。

そりゃ10年も経てば変わっている事の方が多いよ。
景色も環境も自身の気持ちだって変化しているよ。
間違いなく「3月11日」は
あの日から特別ではあるんだけど
でも、連綿と続く中の1日でもあるわけでさ。

年に一度来る3月11日が
今年は震災から「10回目」です!
「節目の年です」って。
違うよ、「特別」なのは10年ではなく3月11日。

10年前は「あんな状態」だったけど、
それから10年経って、じゃあどうなったのよ?
って比較しやすいのはわかるけどね。

10年前に「起きたこと」であって
この震災に「終了」はないのよ。
10年で「切り良く区切る」なんて
到底できないことなのよ。

「ここ」で暮らしていると
沿岸部の復旧工事は続いているし、
避難を続けている人たちもいる。
帰還困難区域で立ち入れない場所もある。
しかもそれは町単位で広大だ。
まったく途切れることなく
「今現在続いていること」なんだよね。

10年で区切りをつけたいのは「行政」だよ。
「復興支援」でとにかく「金」がかかるからね。
線引きして終了したり減額したいんだろうね。

でも工事など大金をつぎ込んでもらったというのに、
ぼくらのこの「心のもやもや」は晴れてはいないんだよ。
「箱物」は作ってもらえばそれば便利で見栄えもいいよ。
ありがたいとも思ってる。
原発事故の収束や廃炉作業に従事されている方々には本当に頭が下がるし、
地方の議員さん方もよくやってくれているよ。
でも、いまだに「もやもやしている」。

東電や復興庁トップの方々が
ご家族で福島に移住して、現場の現状を知るとか。
そのうえで方針を指示していくとか。
この10年に機会はあった思うけど…
それもしないで卓上の数字で区切りや線引きをするんですか?
これからも・・・。
今からでも遅くないありませんので、
是非とも検討をお願いします。

というのも「原発の処理水」の処分が
今後間違いなく大問題になるからだ。
東電第一原発では
「汚染水」から「「トリチウム」以外を取り除いた、
「処理水」をタンクに保管している。
そのタンクが2022年夏には満杯になる見通しなんだ。

(その後汚染水の増加量が減っているから同年秋以降と修正されたが、先月の地震で漏れはないがタンクがズレるなどの事例があったことから先延ばしはないと筆者は考える)

処理水の処分方法と時期について、
政府は方針をいまだに示していない。
方針は昨年末に決定するはずだったが、
「10年」を前に注目が集まっているから決定時期を
3月11日が過ぎてからにしたのでは?
と勘ぐってしまう。
処分方法は「海洋放出」の目算が高い。
「基準値」よりもさらに薄めるということだが…

問題は「みんなの海」そして勿論「風評被害」なんだ。
福島県は震災以降ずっとこれに悩まされてきた。
水産業だけでなく農業・林業・畜産業全てにおいて。
関係者やみんなの努力で少しずつ改善させてきた。
それでも未だにまだまだ影響がある。
処理水を基準値以下にしてから放出しても
「風評被害」は起こると不安視している。

いや、今までの経験から影響が出ると確信している。
もう勘弁してくれ。
これまでの努力が水の泡だよ。
国が前面に立つ!とか東電が適切に対応します!
とか言ったところで
正直この10年ですっかり信用できないんだよ。

「処理水の半分は東京湾に放出します。大丈夫基準値以下で問題ありませんから誰にも文句なんて言わせませんよ。風評なんて起こさせません、われわれにお任せください」
くらい言って実行してみてくれよ。
(注、筆者個人のこころの声です)

ちょうど1年くらい前。
まだ「コロナ」が得体が知れなかったころ。
誰もが怖かったでしょ。不安だったよね。
外に出ても大丈夫なんだろうか。
日用品が手に入りにくくなったり、行動が制限されたり。

不便で不自由で、国の対応の遅さにいら立って。
でも文句を言ってもどうにもならない。
いったいいつになったら元の生活に戻るのか…

そんな不安でやり場のない気持ちがあったし、
今でもあるじゃない。
わかりやすく言うと、
その感じが「震災からずっと続いている」んだ。

で、
こんな経験を二度としたくないし、
他の人にもしてほしくない。
それが被災者みんなの「おもい」だと思うんだ。

「震災と原発事故」を
「伝えていこう」
「忘れないでほしいと」
というのは、その「おもい」からなんだ。

東北人は我慢強いからね。
そんな「おもい」を抱えたま黙っている人がほとんどだ。
でもね「日常」を送ることで「おもい」を発信しているんだ。

「日常を送る」ってたいへんなことなんだよね。
「コロナ」になってそれがよくわかったよね。

人には向き不向きがあって、それぞれに役割が違うから
自分のやり方、自分のペースでひっしに
「日常」を送ればいいんじゃないか。
そうやってみんなが、がんばってきたから今があるんじゃないか。
「おもい」が広がって「おもいやり」になって今がある。
お陰様で今がある。

今年も多くの人の「おもい」を知ることができた。
「おもいやり」を感じることができた。
みんな力強く日常を送っているのがわかった。

3月11、あれから10年の福島でいま強く感じています。
フクシマンはここに住み、福島を東北を旅していきます。
そして、皆様もどうぞ福島へ、東北へ足を運んでみてください。
今を見て感じてください。知ってください。

「イイトコ探訪 福島県!」を読んでくれてありがとうございます。

《 フクシマン土屋 筆 》