夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

オリンピックでの名前の表記 真央ちゃん<Mao Asada> キムヨナさん<Kim yuna>、これはなぜ?

2014-03-02 14:56:40 | 政治

 その昔、ワシントンポスト紙に、日本の橋本龍太郎と中国の小平の名が、同時に一面に載ったことがあった。橋本<Ryoutaro Hashimoto>は,<Deng Xiaoping>はという表記で。これを見て、日本人は名-姓の順、中国人は姓-名の順で表記されているのを不思議に思い、知り合いのまた知り合いのアメリカ人(自称ジャーナリスト)に、なぜなのか訊いた。答えは、「新聞が判断して書いているのではなく、本人がそう言っているから」だった。ついでに、オリンピック(その当時での話ではあるが)でのローマ字での国際表記も、中国姓-名、韓国・北朝鮮姓-名、日本だけ名-姓の順になっているのはなぜ? と訊いたら「その国のオリンピック委員会が、ローマ字でそう登録しているから」だそうだ。IOCが勝手にやっているわけでなないということらしい。

 ソチでもやっぱりそうっだった。国際映像では、中国姓-名、韓国姓-名、日本だけ名-姓の順のローマ字で表記されていた。真央ちゃんとキムヨナさんは、タイトルにあげたとおりなのである。最近の、英米誌を見ても、習近平<Xio Jinping>,キムジョンウン<Kim Jong-un>,安倍晋三<Shinzo Abe>である。

 そもそも、日本人がローマ字で(英語で)自分の氏名を名-姓の順で表わすようになったのはいつからなのかを調べたら、諸説あったが、明治の外交使節がアメリカとの条約書に自分の氏名を、相手が分かりやすいだろうと、おもんぱかって、名-姓の順で署名したことが始まりだという説が有力だとあった。「相手が分かりやすいだろうと、おもんぱかる」ことは、悪いことではない。しかし、「本当は、日本ではタロー・ヤマダではなく、ヤマダ・タローなんです」と後から、相手に伝えるべきだろう。

 英語では、名-姓の順が正しいと主張する人がいる。そうだとすれば、日本語では、姓-名が正しく、バラク・オバマではなく、オバマ・バラクとカタカナで書くべきだ、となる。なぜなら、カタカナは日本語であるから。だが、そんな表記は見たこともなく、前記の人も不思議なことにそうは主張していない。より正しくは、英語ではなく、英米で(ハンガリーを除く欧米で)の習慣では、名-姓だというべきなのだ。したがって、「郷に入っては郷に従え」で、アメリカで活躍する一郎選手はで問題はない。因みに、事実上アメリカに住んでいるキムヨナさん個人は、<Yuna Kim>が好みらしい。

 もちろん、当然のように、上記のことに気づく人たちがいて、最近では、中学校の英語の教科書はとなっているらしい。国語審議会でも、ローマ字表記で姓-名で書くことを推奨している。したがって、オリンピックなどで、日本人選手が名-姓の順ではおかしいのではないかと、考える人もいる。私もそうだ。しかし、奇妙ななことに、日頃、日本は良い国だと声高に主張する人々、つまり政治的に「右」の(この場合に限っては保守という言葉が似合う)人たちからは、そういう声は聞こえてこない。「右」の人たちは、「正しくはアベシンゾーであって、シンゾーアベなどと日本の文化・習慣を否定するな。一国の総理大臣を馬鹿にするな」と、怒ってもよさそうなのに、である。これには、海外でも似たような現象がある。フランスでは、多文化主義、多言語主義の観点(言語は思考の基なので、世界を英語一色、つまりひとつの思考に都合のいいようにするなという意味)から、左派が仏語を守れと主張するのに対し、右派は国際競争に乗り遅れるという理由で、もっと英語を使えと言う傾向がある。本来なら、自国の文化・習慣を守れと言うのは、日頃、「愛国」を口にする「右」の人たちが強く主張してもよさそうなものなのに。この、奇妙さはどこから来るのか?

 この辺の問題を考えるにあたってのポイントは、アメリカ、あるいはアメリカが主導する秩序なのだ。そう考えると、すべて説明がつく。「アメリカ、あるいはアメリカが主導する秩序」が正しいもの、より価値があるものと考えているのは、総じて右派であり、それに疑問を投げかけるのは左派が多いからだ。(当然のように、これは「総じて」であり、そうでない右派も左派もいる) 日本では、名-姓は、アメリカ流でかっこよく、アメリカ流ということは世界標準でもある。フランスでは、世界一の経済大国の言語は英語なのだから、もっと英語を使わないと競争に負ける、というふうに。これは、「右」と「左」の基準である、平等に関する立場の違いからも説明できる。より平等という価値を求めるのが「左」で、そうでない価値、たとえば、自由(経済領域での)や秩序を求めるのが「右」だからだ。「左」は、氏名の順についての習慣は、世界標準などはなく、平等であるべきだ、言語使用も平等であるべきだと考える。「右」が自由の象徴として、「アメリカ、あるいはアメリカが主導する秩序」に価値を見出す。

 さらに奇妙なことは、新聞・テレビ・週刊誌などで、表記がおかしいという意見が、まったくないことだ。マスメディアでは、知る限りにおいて、誰ひとりして疑問を発する人がいないことだ。マスメディアで意見を述べる立場にある人が何人いるか知らないが、全員が疑問を持たないということか? 日頃、えらそうなことをのたまっている人も、誰ひとりとして、疑問を口にしていない。

 マスメディアが使う用語に「国際社会」という言葉がある。『中国に「国際社会」はどう向き合ったらいいのか、「国際社会」はこれを許さないでしょう』というふうに使われる。この場合、「国際社会」とは何を指すのだろうか? 「どう向き合うか」と言っているのだから、中国は入らないのは分かる。国連のことなのだろうか? 中国も国連加盟国なのだから、違う。これも実は、たいていの場合、「アメリカ、あるいはアメリカが主導する秩序」と想定するとつじつまが合う。少なくとも、「国際社会」という言葉にアメリカが入らないということはない。これは、自民党が『「国際社会」に貢献する』と言って、おもにアメリカに貢献しているのと同じ構図だ。

 これらから、推論されることは何か? 

 マスメディアは、故意かどうか分からないが、部分的であったとしても、暗黙のうちに、政権党である右派に同調しているということだ。つまり、それが、日本を覆う支配的な論調・考え・感じ方・思想(多くの人が嫌う言葉で言えば、「ドイツイデオロギー」という使い方での、イデオロギー)であるということだ。といっても、繰り返すが、推論に過ぎない。

 

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