夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

コロナ「ワクチン忌避派の自由と、護身のための銃所持派の自由とはどこが違うのか?」

2022-01-19 10:53:14 | 政治
 
 セルビアのジョコビッチがオーストラリアから入国拒否に遭い、出国した。ジョコビッチが、一度のコロナ感染を盾に、一定の免疫はできているとしてワクチン接種拒否を貫いているためだ。オーストラリア政府と司法は、例えどんなに優秀なスポーツ選手でも、規則上駄目なものは駄目と、当然の判断を下した。そもそも、ジョコビッチはワクチンが進まないセルビア(セルビアはワクチン2回接種率47%)の忌避派の「代表選手」のようなもので、その行動も陽性となってからも人に会い続けるなどcovid-19の危険性を軽視している人物である。

 世界では、欧米を中心にワクチン接種義務化の動きが進んでいる。アメリカのバイデン大統領は、従業員100人以上の企業に新型コロナウイルスのワクチン接種を実質的に義務付ける制度を進めようとしている(米連邦最高裁が1月13日に差し止めた)。フランスでは、レストランや文化・娯楽施設、長距離交通機関の利用はワクチン接種完了者に限るなどの法を準備中である。これらの動きに対して、ワクチン忌避派は反発し、個人の自由を叫び、義務化に反対する抗議デモが繰り広げられている。
 ここで言うワクチン忌避派とは、医学的科学的理由によるワクチンが打てない人びとのことではない。当然のように、アナフィラキシーショックやその他の医学的理由によってワクチンを打てない人びとは少なからず存在する。また、ワクチンに恐怖を覚えるなどの精神的理由による人びとも忌避派には入らない。
 ワクチン忌避派とは、陰謀論を唱える人、医学・科学・合理主義を否定する人、そして何よりも、個人の自由がいかなる場合にもすべてに優先すると考えるなど思想的に忌避する人びとのことである。思想的なことに起因するので、国や政党支持の差異によってワクチン供給量とは無関係に接種率に大きな差があるのは、そのためである。
 それは、ヨーロッパで東欧(「共産主義」から解放され、「自由主義」になったこと)が、ワクチンが他のヨーロッパ諸国同様に供給されているにもかかわらず、接種率が低く、アメリカで共和党支持者の多い州でも接種率が低いことなどに現れている。
 銃を保持する自由
 アメリカでは、2020年には、銃乱射事件が610件と過去最高を記録(Gun Violene Archive調査)し、銃犯罪による死者の数は1万9411人に達したという。しかしそれでも、 ギャラップ調査によると42%の国民が銃を保持し、銃規制の動きは鈍い(エコノミストOnline2021年8月20日)。
 アメリカで銃規制がなされないのは、伝統的な自由主義のためである。銃を保持するかどうかは、個人の自由意思に任せるべきで、国家が規制すべきではないという考えのためである。それには勿論、アメリカ開拓時のネイティブアメリカンとの戦いでの銃の役割や、銃を使用した犯罪から自分たちを守るために銃が必要だという考えも大きく影響している。
 銃の規制が銃使用の犯罪や誤射による死亡、傷病を減少させるのは極めて合理的な発想である。だから、アメリカ以外のほぼすべての国では、原則的に一般人の銃所持は禁止されている。それができないのは、銃所持という個人の自由が、人々の生命や健康に悪影響があろうとも、その規制に優先するという考えを持つ人びとが多いからである。その構図は、ワクチン忌避と同じものである。忌避派はワクチンを接種しないということが、感染拡大を招き、人々の生命や健康に悪影響があろうとも、するかしないかは個人の自由であって、国家が規制をすべきでないという。その義務化には断乎反対するというものである。それは、すべてのワクチン反対デモに「自由」という文字が掲げられていることにも表れている。
 アメリカで言えば、銃規制反対派も、ワクチン忌避派も、共和党支持者に多く、民主党支持者に少ない。ヨーロッパでも、ワクチン忌避派はドイツAfD支持者、フランス国民連合RN支持者などの極右に多い。
 ではなぜ、政治的右派が個人の自由を重要視するのか? それは、右派が自分たちの自由を守ることを何よりも優先するからである。個人の自由はおうおうにして、他者の自由を侵害する。ワクチン忌避も一般人の銃の所持という自由も、他者の生命を守る自由、健康を維持するという自由を侵害する。ヨーロッパの極右が移民や難民を排除したがるのは、彼らが自分たちの自由な生活を脅かすと考えるからである。彼らは何よりも、自分たちの自由を優先する。逆に、基本的立場を平等主義におく左派は、自分たちの自由も他者の自由も同じ価値だと見做す。ヨーロッパの左派が移民、難民を受け入れるべきだと主張するのは、移民、難民の生命・健康への自由も自分たちの自由と同じ価値だと考えるからである。
 万人にとっての自由など、ありもしない幻想に過ぎない。せいぜい最大多数者にとっての自由があるだけである。コロナ危機の当初、アメリカで、「マスクをするかしないかは個人の自由だ」というデモ隊に対し、「あなた方に、感染を拡大させる自由はない」というプラカードを掲げる人びとがいたが、その主張はまったく的を射ている。大金持ちが、何らの規制もなしに、カネ儲けに走る自由は、富の著しい不平等を生じさせ、一般庶民がまともに生きる自由を奪う。右派は、そういった自分たちだけの自由を希求するために、万人にとっての自由という幻想をまき散らす。その同じ手法が、ワクチン忌避派にも銃の自由保持派にも使われているのだ。
 
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