ドイツのインフレに抗議するドイツの公共交通スト「スーパーストライキ」
年金改悪に反対する女性グループ
英国公共サービス労組PCSのスト予告デモ
ヨーロッパでデモとストライキの嵐が吹き荒れている。
ドイツでは、物価上昇に抗議し、賃上げを要求する公共交通労組によるストライキが、ドイツ全土の公共交通を止める、今までにない規模のストライキに発展している。
英国でも同様に、物価上昇に見合う賃金と労働条件の改善を要求する交通労組や国民保健サービス NHSの従業員を含む公共サービス労組がストライキを決行し、さらに再度、再々度のストライキを予告したデモを実行している。
中でもフランスでは、年金受給年齢を62歳から64歳に遅らせる年金改革に反対するデモとストライキがフランス全土で実施され、パリは清掃労組のストでゴミに溢れ、ガソリン供給従業員労組のストでガソリンスタンドが空になるなど、国民生活をストップさせている。この状況に、フランス公共放送フランス2は、単にストライキを非難する者から、不便を訴えながらも、年金改悪を批判し、ストライキを支持する多くの国民の声まで報道している。さらに、デモ参加者の一部は暴力行為に走り、パリ中心部の商店などを破壊する者まで出ており、デモとストライキの嵐はフランス全土を大混乱に陥れている。
この暴力行為を批判するマスメディアに、デモとストライキを支持する「不服従のフランス」のジャン・リュック・メランションは、「政府は暴力を非難するなら、年金改悪をやめればいい」と答えている。
代表制は民主主義として機能していない
西側諸国を中心に多くの国で、自由かつ普通選挙によって選ばれた代表が大統領として、また選挙による議会の多数派が行政権を掌握し、国家を統治するというシステムが採られている。しかし、この代表制は民主主義とイコールではない。それは、ジャン・ジャック・ルソーの「人民は代表者をもつや否や、もはや自由ではなくなる。もはや人民は存在しなくなる。」(「社会契約論」)の言葉のとおり、人民による統治としての民主主義の「人民」は、代表者とイコールではないからだ。巨大な国家の統治には代表制をとらざるを得ないので、立憲主義や議会制によって、代表者の専制を避けるシステムがあるとしても、あくまでも代表制は民主主義とイコールではないのである。こんなことは、民主主義のイロハなのだが、いつに間にか、代表制が都合のいい政治勢力、(代表制が自分たちに有利な階級勢力によって、)代表制イコール民主主義という一種のイデオロギーが世間を覆うようになってしまったのである。
今日、世界中で新自由主義が蔓延し、裕福な者はますます裕福に、貧しい者、またはかつては中間層にいた者は、ますます貧しくなっている。そして各国の代表者の政府は、その政策に合致した政策をとり続けている。では、この政策が人民の意思なのか、不平等の拡大が人民の望みなのかと言えば、そうではないのは明らかである。代表者の政策は人民の意思など反映していないのだ。
だから、各国で抗議行動が起こるのである。フランスの場合で言えば、マクロンのエマニュエル・マクロンの年金改革には、世論調査では80%が反対している。だから、労働者はストライキで、市民は大規模デモで人民の意思を表明せざるを得ないのである。
日本は民主主義後進国なのか
ひるがえって日本では、労働者のストライキは激減し、デモは一部の勢力が必死になっておこなってはいるが、ヨーロッパ諸国の街を埋め尽くす規模と比べると、悲壮感が漂うほど小規模にしか行われない。
テレビは、WBCでお祭り騒ぎで、ニュース・ワイドショーでは、中国嫌いを作り出す中国の粗探しで溢れ、そこから自然に防衛力(軍事力の肯定的表現)増強を正当化している。新聞もテレビと似たような記事で埋もれ、産経・読売から朝日まで、ヨーロッパ諸国でのストやデモは、ほんのわずかしか記事にしない。当然のように、岸田政権の支持率は上昇する。
マスメディアの報道は、政権に都合のいいネタが多数を占め、選挙では有権者の6割しか投票せず、そのうち4割の得票率で政権は維持されている。これが「人民による統治」だとしたら、とてつもないほど悪いジョークだと言うしかない。