漢字の『トメ』『ハネ』『ハライ』と言う『問題』があります。
これは学校教育の『問題』であって、書道の問題ではないのですが、小学生や受験生が『トメ、ハネ、ハライ』が間違っているとされ、✖️をつけられたらかわいそうなので、教科書の活字を教えるようにしています。
元々漢字には、いくつもの『形』が存在すると、文科省も認めているのですが、それを統一しなければ教科書を印刷する事が出来ないので、仕方なく、トメ、ハネ、ハライが統一された経緯があるようです。
ところが、学校教育の現場では、トメ、ハネ、ハライを教科書の活字を唯一の正解と捉え採点するようになっているのです。
ある学習塾では
『トメかハネで迷ったら、とにかくハネろ!』
と教えているそうですし、それで✖️をつけられる確率は1割ほどらしいのです。
現実的ですが、書に携わる者としては少し悲しい話しです。
例えば『木』
学校では二画目はトメて教えます。
ハネるとこうなります。
水と間違えるかもしれませんが、ほとんどの人が『木』と読めるでしょう。
並べてみると
読めますし(笑)、専門用語で言うところの『結体』が崩れているわけではないので、そんなに違和感ないですよね。
でも学校では✖️にされてしまいます。
これは林でもそうです。
両方ハネるバージョンと並べて見ました。
両方ハネると、『うるさい』ですね(笑)
跳ね方を変えていくつか書けますがが、片方を跳ねないとこうなります。
この方が私は落ち着きます。
もちろん子供たちに左の木の二画目をハネる『林』は教えません(笑)
私だけが落ち着く感覚を子供に押し付けるつもりはありません。
私がなぜ落ち着くのかと言えば、それは『美しさ』を感じるからです。
私がこの多分誰も書かないであろう(笑)ハネる『林』に、美しさを感じる源泉がどこにあるのかを探ってみると、それは『動と静』の対比にあるからだと思います。
行書の『林』は右側の『木』の二画目をハネ、三画目から四画目をつなげて、最終画をおさめるようにトメます。
そこには『空間の筆意』があります。
楷書にも『空間の筆意』があり、それを感じる事ができる『ハネ』は、私にとってはとても重要なのです。
また、右の木』の二画目をハネることで、左の『木』が『静』、右の『木』には『動』を感じることが出来、その組み合わせとせめぎ合いが、楷書の結体として美しい仕上りを作ってくれるのです。
大人の名前のお手本を書くときも、色々と組み合わせを考えます。
『水木』なら『木』はハネませんが、『木本』なら『本』はハネても面白いでしょう。
もちろん学校では✖️つけられてしまいますよ(笑)
そして、それぞれの最終画である、永字八法で言うところの『磔(たく)』の形に変化を与えて、二文字で美しさを求めたいと考えます。
もちろんそれは苗字だけでなく、姓名として四文字や五文字、六文字で考えるのが書としての正解に近づくものと考えています。
水木永美さんという方の場合、少なくとも『美』の最終画はトメたほうがしまるでしょう。
『永』の最終画をトメる事もできますが、『美』をトメるならここは払っておきたいところです。
もちろんその逆も成立します。
しかし、三連続で最終画を払うことになるので、それぞれの払い方に工夫が必要となります。
もちろん『水』と『永』の縦画はハネるので、『木』の縦画はトメます。
こんなことの試行錯誤で文字単体の結体だけでなく、単語や行のまとまりとして、美しさを求める事が出来るようになり、それは作品作りにおいて芸術性へと繋がっていくと考えます。
学校教育や試験において、『トメ、ハネ、ハライ』を一つに強制する事が、文字から芸術性を奪ってしまう事であるのかを、教育者には理解していただき、教育現場の将来において、結体として成立しているのであれば、『トメ、ハネ、ハライ』の自由度を認めるように切に願うのであります。
文学は面白ければ良いですし、文字は美しければ良いのであります。
それから、象形文字からの変遷を辿れる『左右』等の、日本が独自に定めている書き順に関しては、きちんと教えるべきだと思います。
ただしこれも、一つの漢字にいくつもの書き順が認められていることを忘れてはいけません。
行書も草書も、先人の書き順を踏襲しているだけでは美しさを求めることは出来ないでしょうし、その先人の多くも、オリジナリティある書き順で書いている事が多い事実を、字書ひいて勉強なさっていらっしゃる方ならお分かりかと思います。
型ができていてこそ、型破りが可能なのであります。
朝からくたびれた〜
今日は西荻でドラム叩いてきます!