日清戦争後、劣悪な労働条件を改善するために労働者は団結するようになった
■労働組合運動から社会主義思想へ
高野房太郎、片山潜により【労働組合期成会】が結成。その指導のもと各地に労働組合がつくられ、待遇改善や賃金引き上げを要求する労働争議が起こり、労働組合運動が展開された
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労働運動の理論として社会主義思想が芽生えるようになった
1898年、社会主義研究会が生まれ
これを母体に、日本初の社会主義政党である社会民主党が結成された
しかし、政府はこれを禁止した
■社会民主党
〈中心メンバー〉
幸徳秋水
片山潜
安部磯雄
西川光二郎
木下尚江
河上清
〈理想〉
軍備全廃
階級廃止
土地・資本の公有化
■日本社会党結成
日露戦争を通じて社会矛盾が深まると、労働争議は激しくなった
片山潜・堺利彦・西川光二郎らは
日本社会党を結成。社会主義実現に燃えた
★東京市電の値上げ反対運動では、日本社会党は大衆行動にでて警官隊と衝突
★日本社会党内部では、幸徳秋水ら急進派が直接行動を主張して、穏健派と対立。日本社会党は政府から解散を命じられた
★翌年、仲間の出獄を歓迎した社会主義者たちが、革命歌を歌い、赤旗を揚げて行進し、警官隊と衝突し多数の検挙者を出す
★第二次桂内閣が成立すると、社会主義運動に対する取締りは厳しくなった。1910年、明治天皇暗殺を計画したという理由で、多くの社会主義者が逮捕され、翌年処刑された
(大逆事件)
■大逆事件(明治天皇暗殺計画)
第二次世界大戦後、その真相が明らかになった
宮下太吉、菅野スガら数人の活動家が、「天皇はすべての社会悪の根源」とし、暗殺を計画。爆弾製造にあたっていたことが発覚し逮捕された
政府はこれを機に大量の社会主義者を検挙
26名→非公開の裁判
12名→幸徳秋水ら死刑
14名→懲役刑
実際には幸徳秋水は天皇暗殺計画には消極的だったらしく、処刑された人々の中には無実だった者もあったとみられる
政府は、社会主義運動を弾圧するため、警視庁内に特別高課を設置
国民の大多数は社会主義を危険視するようになり、社会主義活動は衰えた
同時に工場法(労働者保護法)を制定するなど、労働条件の改善をはかり、労働者と資本家との協調をはかろうとした
(工場法は、今まで資本家側の強い反対で実現されなかった)
国民から嫌われて
処刑されて
、、、やっと労働者は保護された
立派にやり遂げましたよ