るるの日記

なんでも書きます

第三次世界大戦は勃発するのか?【資本主義VS社会主義】

2022-02-08 17:12:36 | 日記
■第三次世界大戦勃発しないよう

第一次世界大戦後のパリ講和会議後20年で、はかりしれない犠牲を人類にもたらした第二次世界大戦が再び勃発した、、という事実は、第二次世界大戦後に生きる私たちにとっては真剣に考慮する問題である。対岸の火事ではない

■平和を守るための軍備は必要

国際連盟にかわる国際連合では
【平和を守るためには最低限度の軍備が必要である】という立場をとった

■敗戦国は憲法や国家構造を平和なものに変えねばならない

敗戦国には、「敗戦国が2度と戦争に訴えることがないよう、敗戦国の憲法や国家構造を平和的なものに変えるための改革」を、連合国による長期の占領によって実現する道を選択した

■世界を社会主義国にリードしたいソ連と、資本主義にリードしたいソ連

安定した戦後秩序が生み出されるはずだった
しかし、圧倒的な影響力を持つようになったアメリカ・ソ連の間では、異質な国家理念・社会体制を背景にして戦後秩序をいずれがリードするかをめぐる利害関係が表面化し、戦後の世界はアメリカ・ソ連を軸に展開することになった

★アメリカ
ドルを基軸通過とする資本主義世界経済再建

★ソ連
併合していたバルト3国
ポーランド
ルーマニア
ブルガリア
ハンガリー
チェコスロバキア
など東欧諸国を影響下に置き
社会主義的な計画経済の影響下におくための領域拡大

■独立って何?

激しい民族解放運動がおこり、たくさんの独立国家ができたが、ベトナムにはフランスが軍事介入し戦乱が置き、朝鮮でも北はソ連軍、南はアメリカ軍によって占領され、南北は分断された

敗戦「昭和天皇がポツダム宣言受諾の裁断を下す」

2022-02-08 16:30:33 | 日記
■ヤルタ協定と秘密協定

昭和20年
〈2月〉
★ローズヴェルト(米)
★チャーチル(英)
★スターリン(ソ)
この3巨頭がソ連(現ウクライナ)のクリミア半島のヤルタで会合し
【ドイツ降伏後の処分、東欧の処理について、ヤルタ協定が結ばれた】

㊙️秘密協定として
【ソ連がドイツ降伏の2、3ヶ月後に対日参戦する】ことが極秘のうちに取り決められた

〈4月〉
ヒトラーが自殺

〈5月〉
ドイツ降伏

■ソ連の秘密の対日参戦を知らない日本はソ連の仲介に期待

〈6月〉
日本政府・鈴木貫太郎内閣は
戦争をどうやって終わらせるか
戦争終結手段を真剣に考えるようになる

ヤルタ秘密協定によるソ連の対日参戦を知らない日本は中立関係にあったソ連を通じて和平工作に着手

■「ソ連が何とかしてくれる」とポツダム宣言を日本は黙殺
アメリカが日本に原子爆弾投下

〈7月〉
トルーマン(米)
チャーチル(英)
スターリン(ソ)
またまた3巨頭が、ベルリン郊外のポツダムにて会談
【ドイツ処理問題】
【対日戦後処理】
【日本軍へ無条件降伏を呼びかけること】を会談

〈7月26日〉
アメリカ・イギリス・中国3国の共同宣言、ポツダム宣言を発した
日本はソ連が仲介してくれることを期待して、鈴木首相はポツダム宣言を黙殺(無視)
アメリカは拒絶と判断し
8月6日広島に
8月9日長崎に
原子爆弾投下
一瞬のうちに市街を壊滅
大量の一般市民を殺傷した
死者の総数は広島で約20万人
長崎で約7万人を推定されている

(広島の死者は1945年12月までで約14万人
その後も放射線障害や白血病など被爆が原因とみられる大量の死者が続いた)

■ソ連が日本に宣言布告

8月8日、日本が和平仲介者として期待していたソ連が、日ソ中立条約を破り日本に宣言布告し
満州・南樺太・千島に侵攻

■最高戦争指導会議で意見が割れる

日本政府はついに戦争終結の意を決し、政府・軍部(大本営)の最高首脳からなる【最高戦争指導会議】が開かれた

★ポツダム宣言受諾側
※東郷茂徳外務大臣
※米内光政海軍大臣
★本土決戦に望みを託し戦争継続を主張する側
※阿南惟幾陸軍大臣
※梅津美治郎参謀総長
※豊田副武軍令部総長
意見の対立があった

■昭和天皇がポツダム宣言受諾の裁断を下す

8月10日、14日に御前会議が開かれ、鈴木貫太郎首相の要請により昭和天皇が裁断を下すという異例なかたちでポツダム宣言の受諾は決定された

日本のポツダム宣言受諾の最終決定は昭和20年8月14日夜、中立国スイス政府を通じて連合国側に通告され翌8月15日正午、昭和天皇自身の玉音放送により国民に明らかにされた

9月2日
東京湾内に停泊中のアメリカ戦艦ミズリー号上で、日本と連合国との降伏文書調印式が行われ
史上空前の災害を及ぼした第二次世界大戦は終わった


沖縄戦【犠牲者・日本軍10万人弱、一般住民10万人余り、アメリカ軍1万2000人】

2022-02-08 15:15:31 | 日記
昭和20年3月硫黄島がアメリカ軍の手に落ちた

4月1日、沖縄本島にアメリカ軍が上陸した

沖縄戦は絶望的な激しい戦闘だった

■支援のため本土から出撃した世界最大の戦艦大和は、沖縄海域に到着することなくアメリカ軍機の空爆雷撃を受け撃沈

★日本軍10万人
★現地召集の一般住民による防衛隊
★沖縄の男子中等学校の生徒たち約1800人は鉄血勤皇隊に組織され戦闘に参加し、半数が戦死
★600人の女子学生たちもひめゆり隊・白梅隊など学徒隊に編成されて看護要員として動員され、半数以上の犠牲者を出した

激しい戦闘は3ヶ月近く続いたのち

■6月23日・日本軍は玉砕
玉砕とは玉のように美しく砕け散るように、全力で戦い、名誉と忠節を守って潔く死ぬ

■激戦の中で集団自決に追い込まれた住民もいる

〈沖縄戦の死者〉
日本軍人10万人弱
民間人10万人余り
アメリカ側約1万2000人

6月下旬アメリカは沖縄を占領した

アメリカ軍の日本本土空襲の目的「無差別爆撃による一般市民への徹底的打撃による国民の戦意喪失」

2022-02-08 14:40:59 | 日記
アメリカ軍機の日本本土空襲は
昭和17年4月、空母から発進したB25陸上爆撃機十数機による、東京などの爆撃が最初だった

被害はそれほど大きくなかったが、勝利に酔っていた軍部や国民の心理的衝撃となった

昭和19年、中国本土を基地とする北九州への爆撃に続き、11月頃からマリアナ諸島を発進した大型爆撃機B29による爆撃が開始された

昭和20年に入ると空襲は本格化
3月9~10日のB29約300機による
東京大空襲では、下町は19万発の焼夷弾攻撃で焼け野原となり、一夜で約10万人が死亡した
東京は4~5月にも大空襲にあい、ほとんどの市街地全域が焼き払われた

その後、空襲は全国の大都市、中小都市まで及び、被害は焼失破壊家屋240万、死者20万人、負傷者27万人に達した(原爆による被害を除く)

アメリカ軍の日本本土空襲の目的は、軍事施設や工業設備の破壊だけでなく、都市の無差別爆撃により、一般の市民生活に徹底的な打撃を加え、国民の戦意喪失させることにあった

なお日立・浜松など工業施設に対しては日本沿岸に接近したアメリカ艦隊から直接艦砲射撃が加えられた

連合国側「日本の無条件降伏まで戦い抜く」★日本軍部は本土空漠にて廃墟と化し多数の犠牲者が出ても「聖戦完遂」「必勝の信念」を説く(狂ってる)

2022-02-08 14:19:00 | 日記
♦️アジア・太平洋戦線では、アメリカが総力をあげ、巨大な物量をつぎ込んで反撃に転じた

■昭和17年
〈6月〉
【ミッドウェー海戦】で日本海軍敗北
アメリカ側の暗号解読により、事前に日本海軍の作戦が察知され、日本海軍は待ち構えていたアメリカ海軍の攻撃を受け、航空母艦4隻が撃沈。多数の艦載機を失うなど日本海軍は惨敗
太平洋での日本の制海権・制空権は失われた
日本海軍は敗北の事実を隠し、勝利の如く発表し、新聞は「大勝利」として報道。国民は真相を知らされないまま、戦局は敗勢に向かっていった

■昭和18年
〈2月〉
補給を断たれた陸軍部隊がアメリカ軍との【ガナルカナル戦で退却】

〈5月〉
【アッツ島】を占領していた日本軍がアメリカ軍の反攻により【全滅】

♦️ヨーロッパでは
■昭和18年
〈2月〉
スターリングラードで30万のドイツ軍全滅

〈7月〉
イタリアのムッソリーニ政権倒れる

〈9月〉
イタリアは連合国側に降伏

♦️連合国側のカイロ宣言
■昭和18年
〈11月〉
★ローズヴェルト米大統領
★チャーチル英首相
★蒋介石中国国民政府総統
がエジプトのカイロで会う

「日本の無条件高伏まで戦い抜く」ことを宣言した
これは
★日本が第一次世界大戦以来占領した太平洋の島々を、日本から取り上げ

★中国から奪った地域を中国に返還

★朝鮮を自由・独立の国とする

などの目的を持って、対日本戦の徹底遂行を目的とした宣言である

♦️太平洋戦線
昭和19年6月
マリアナ沖海峡で日本海軍が壊滅的打撃受け、制海権・制空権をまったく失う

7月
絶対国防圏の一角サイパン島がアメリカ軍に占領された

♦️東条内閣倒れる
昭和19年
日本国内においては海軍や重臣の間に反東条英機気運が高まり
7月東条内閣は倒れた

陸軍大将・小磯国昭が
海軍大将・米内光政と
と協力して内閣をつくる

♦️日本本土空漠始まる
■昭和19年
〈8月〉
本土空襲の危機
これを避けるため大都市の小学生は強制的に地方に疎開させられた

〈10月〉
アメリカ軍がフィリピンのレイテ島に上陸。日本軍後退

日本軍は特攻隊による体当たり攻撃まで行ったが、戦局挽回はもはやとうていできず

〈12月〉
日本本土は連日のようにアメリカ軍機による空襲に見舞われ、東京をはじめ全国の都市は廃墟と化した

■昭和20年
〈3月〉
東京は、9日夜半~10日早朝
焼夷弾による無差別爆撃を受け
下町一帯は完全に焼き払われ
約10万人の死者をだした

政府・軍部はなお【聖戦完遂】を叫び、ジャーナリズムは【必勝の信念】を国民に説いた
国民の戦意は次第に失われ、厭戦気分が漂う