当然、戦後経済状態はマヒした
そんななか軍人の復員、海外居留民の引揚げにより人口は増加
米は、、凶作だった
失業者は1400万人と見積もられた
復員すべき軍人→310万人
引揚げ者→320万人
軍需工場労働者→400万人
という内訳である
人々は農村に買い出し
各地には闇市
預貯金引き出しによる市場への通過供給量が急増し物価は急上昇
(金はあるけど物がない)
石炭生産は落ちこんだ
戦時の増産に従事させられていたのは、朝鮮や中国から連行されたり、捕虜として連れてこられたり、または募集された人々が多かったが、日本の敗戦とともに、これらの人々を迅速に本国に帰すことがGHQの考えであったから労働力はかなり失われ、石炭生産は減少した
♦️インフレを押さえるため軌道に乗った政策
■石橋湛山大蔵大臣
設備や人が余っているならば、大胆に資金を散布して生産を刺激すべきとして【復興金融金庫】を設立
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重要な産業に資金を供給
■傾斜生産方式構想
有沢広巳・大来佐武郎からなる石炭小委員会は復興金融金庫の融資を最優先でまわして、輸入重油を使った鉄鋼生産を行い
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増産された鉄鋼を炭鉱に投入
増産された石炭をまた鉄鋼業にまわす
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3000万トンの石炭生産を目標にかかげた
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昭和22年6月
片山内閣(日本社会党)が実行
昭和23年3月
芦田内閣でも受け継がれ
石炭産業は目標通りの出炭可能
一方巨額融資がインフレ助長