るるの日記

なんでも書きます

平家物語「祇王御前は思う『いつかは誰もが清盛に飽きられて終わる。新しい愛人16歳の仏御前でさえ』」

2022-02-23 15:11:24 | 日記
祇王は、いずれこの屋敷を出されることは覚悟はしていたが、、昨日の今日とは思いもよらなかった。清盛は「早く出よ」としきりに言われるので見苦しいものを片付けた。別れは悲しいのが世の常。まして3年も住みなれた所。名残惜しく悲しく涙がこぼれる。居なくなった跡の忘れ形見に襖に泣きながら一首の歌を書いた
「萌え出づるも、枯れるも、同じ野辺の草、いづれか秋にあはで、はつべき」
(春に草木が芽をふくように、仏御前が清盛に愛され栄えようとするのも、私が捨てられるのも、所詮は同じ野辺の草、、白拍子。どれも秋になって果てるように、誰が清盛に飽きられないで終わることがあろうか)

平家物語「祇王御前から仏御前へ、清盛一瞬に愛を移す」

2022-02-23 14:52:47 | 日記
「白拍子の仏御前が訪ねてきた」と、人が清盛に知らせに来た

清盛
「何ということだ。そのような遊女は人の招きに従って参るもんだ。簡単に訪ねて来るということがあるものか。その上祇王がいる所には神も仏も参ることは許さない。さっさと退出せよ」

祇王は申す
「遊女の突撃訪問は、いつもよくあることなのです。その上年もまだ若い。たまたま思い立って参ったのに、素っ気なく帰すのはかわいそうです
白拍子は私が生計を立てて来た道ですから人の上とも思えませんが、御対面だけでもなさってお帰しになったらこの上ないお情けでございます」

清盛は仏御前と対面して言った
「今日は会うことはしないつもりだったが、祇王があまりに勧めるから会ったのだ。会ったからには声を聞きたい。今様を一つ歌え」

仏御前は今様を一つ歌った
「君を初めて見る折りは
千代も経ぬべし姫小松
御前の池なる亀岡に
鶴こそ群れいて遊ぶめれ」
(わが君を初めて見る時は
あまりにも立派な姿なので
私は千年も命が延びそう
君の前の池にある中島の亀山に
鶴が群れて楽しく遊んでいる)

清盛
「お前は今様は上手であったな。この具合なら舞もきっと上手いだろう。見たいものだ。鼓打ちを呼べ」

仏御前は鼓に合わせて舞を舞った
思いも及ばないほどに立派に舞い終わった。清盛は舞に感心し、仏御前に心を移した

仏御前
「これは何事ですか。私は追い出されたのを祇王御前のとりなしで召し帰されたのに、私を召し置かれたら祇王御前が何と思われるか、、さっさと私を退出させてください」

清盛
「祇王がいるから遠慮するなら、祇王を追い出そう。祇王さっさと出て行け」




平家物語「平清盛寵愛する白拍子・祇王」VS「16歳の白拍子・仏御前」

2022-02-23 14:07:37 | 日記

都で評判の白拍子(歌舞を舞う女)の名手に、祇王・祇女という姉妹がいた。姉の祇王を清盛が寵愛なさったので、これによって妹の祇女も世の人からもてはやされていた
清盛は姉妹の母にも立派な家屋を建てて、毎月米100石、銭100貫を贈られたので一家は富み栄えて楽しいこと、楽しいこと

京都の白拍子ども祇王の幸せ話を聞いて、羨む者、そねむ者あり。
「素晴らしい祇王の幸運。遊女となるなら誰もがああなりたいもの。きっと祇という文字を名につけて、あんなに幸運となったのだろう。さあ私たちもつけてみよう」
「いやいや、名によるものではなく、幸運はただ前世からの宿命だろう」

清盛の寵愛受け3年、また都に白拍子の名手が一人現れた。加賀国の者で名は「仏」と申す。歳は16
「昔から多くの白拍子がいたが、こんな素晴らしい舞はまだ見たことがない」と、京中のすべての人々がもてはやしていた

仏御前は申す
「自分は天下に有名だが、平清盛の所に召されないのは残念だ。押しかけて参るは遊女の常。なんの不都合があろう。無理に参ろう」と、平清盛の別邸西八条へ参上した

平家物語「源義朝の愛人(義経母)を、平清盛清は自分の愛人とした」

2022-02-23 13:27:47 | 日記
清盛自身が栄華を極めるのみならず、一門揃って繁盛した

嫡子・重盛
内大臣、大将

次男・宗盛
中納言、右大将

三男・知盛
三位、中将

嫡孫・維盛
四位・少将

一門の公卿
16人

一門の殿上人
30余人

一門の地方役人
60余人

他に娘8人
皆とりどりに幸あり盛える

★一人は【桜町の中納言・成範】と8歳の時に結婚を約束していたが、平治の乱で成範が流された後引き離され、左大臣・花山院の御台所となり、男の子がたくさん生まれた

成範を桜町中納言と申したのは
優れた風流心を持っていた人で
常に吉野山の桜を恋慕い、一町(約109m)に桜を植え並べ、その中に家屋を建てて住んだ。来る春ごとにその桜を見る人が、「桜町」と申した
桜は7日で散るのを惜しんで、天照大神に祈ると21日間桜が名残りとどめていた。成範は賢王であったから神は神威を発揮し、花も心があったから成範の心に感じて21日の命を保った

★一人は高倉天皇の后に立つ
皇子御誕生ありて皇太子に立ち
即位されたので院号を受け
建礼門院と申した

★一人は六条の摂政殿(藤原基実)の妻となる。高倉院義母として
准三后の宣旨を受け、白河殿といって重んじられた

★一人は普賢寺殿(藤原基通)の妻

★一人は冷泉大納言(藤原隆季の子)の妻

★一人は七条修理大夫信隆(藤原信輔の子)に連れ添われた

★厳島神社の内侍の腹から生まれた娘は、後白河法皇の女御(側室)となる

★九条院(藤原伊通娘)の雑役
常葉(ときは、常磐とも)の腹から生まれた娘は、花山院の女房となり廊の御方と申す

常葉は源義朝の妾
源義経の母
義朝死後、清盛に召し出された




世に平氏の他に人がいないほどの様子だった

平家物語「清盛出家」「平家一門以外は人ではない」「清盛政治の悪口は絶対言わせない」

2022-02-23 11:56:49 | 日記
■清盛、病にて出家

仁安3年11月11日
平清盛、51歳にて病におかされ
命長らえ生き延びるため、急に出家入道した。そうすることで仏の功徳を受け病気を免れるのだ
法名は「浄海」
そのしるしに、病たちどころに癒え、天命を全うす

■平家一門でない者は人ではない

人が従いつくという事は
風が草木をなびかす如し
人がみな尊敬するという事は
降る雨が国土を潤すに同じ
平清盛殿御一家に対等に並ぶ者無し

清盛の小舅(妹が清盛妻)
大納言・平時忠が言う
「この平家一門にあらざらむ人は、皆人、非人なるべし」
世の人は必ず平家縁者に姻戚関係を持とうとした

装束の着方や烏帽子のかぶり方をはじめ何事も六波羅風(六波羅に清盛の邸宅があったから清盛をこう呼ぶ)を人は真似た

■町中の清盛スパイ

いかに優れた者による政、御成敗も、世間のおちぶれ者が悪口を言うことは世の常だが、清盛が盛んな頃は、少しの悪口も言う者はいなかった
その理由は清盛のはかりごととして、14、15、の童300人を揃えて、召し使い、その童が京都中に満ちあふれ、平家の悪口を言う者あればすぐ、他の仲間に連絡しあい、その家に乱入し、家財道具を没収し、悪口を言った本人を縛りあげ、六波羅へ連れて来る
だから、平家の横暴を誰もが見て、知っているが、口に出す者はなかった