比叡山衆徒は大講堂の庭に御輿を据えて評議した
祐慶が論ずる
【比叡山は霊地、鎮護国家の道場、山王の御威光が盛んで、仏法・王法は並行して優劣がない。だから衆徒の意見に至るまで立派で世間で軽蔑しない。徳行が重く比叡山の受戒の師である座主が罪がないのに罪をこうむる。これは比叡山の憤慨するところであり、興福寺・園城寺の嘲りを受けるところである
今、座主を失って多くの学僧が勉学を怠るというのは悲しいことだ
要するに、わたし祐慶が首謀者として流罪にされ、頭をはねられることにするが、それはこの世の面目であり、冥土のみやげであろう】
大衆は前座主を妙光房に入れた
一時の不慮の災難は、神仏の生まれ変りという人も逃れられないのか。昔、唐の一行阿闍梨は皇帝の護持僧だったが、皇帝の后・楊貴妃と浮き名が立った。昔も今も、どのような国も、人の口のはうるさいことだが、その疑いのために果羅国へ流された
その果羅国へ行くには3つの道がある。
輪池道といって行幸の道
幽池道といって雑人の道
暗穴道といって重罪の道
一行阿闍梨は大罪を犯した人だから、暗穴道へ行かせた。七日七夜月日の光を見ないで行く道だ。真っ暗でさ迷い歩く。露に濡れた衣も乾かない。濡れ衣を着て無実の罪によって流罪をこうむることを天が哀れんで、九曜の星の形を現して、一行阿闍梨を守られた。その時一行は右指を食い切って、その血で左たもとに九曜の形を写された。日本・中国で真言宗の本尊である九曜の曼陀羅がこれである