るるの日記

なんでも書きます

平家物語・朝敵となった三井寺と、黙りこんでる比叡山

2022-03-01 15:06:48 | 日記
日頃は比叡山の大衆こそ無法な訴えをするのに、今は角をたてないように穏やかに黙りこんでいる

三井寺・興福寺は朝敵となり、5月27日平家軍は一万騎の軍勢で三井寺へ向かった

午前6時矢合わせ(戦闘開始の合図)をし、一日中戦った。三井寺側は三百人が討たれ、夜になり官軍が三井寺に火をかけた

焼けたのは
★院、坊
★本尊の弥勒菩薩
★大講堂
★鐘堂
★経蔵
★灌頂堂
★社
★神殿
など637
民家1千853軒
一切経7千余巻
仏像2千余体

真言密教の道場が瞬く間に滅び
名高い師僧は修行、学問を怠り
師僧から法を受け継ぐべき弟子は
経文・教法から離れ
僧官13人が辞めさせられ
悪僧30余人が流された

平家物語・時々仏となる清盛・以仁王の男子を捕らえ殺さず、出家させた

2022-03-01 14:12:40 | 日記
平家の人々は以仁王、源頼政一族、三井寺の衆徒ら総計500余人の首を太刀の先に貫いて、高く差し上げ、夕方になって六波羅に帰り着いた
頼政の首は家臣が宇治川に沈めたので見えず

以仁王の首は、見知りした人もなく、以仁王がいつもお召しになった女が呼ばれた。女はただ一目拝見して、袖に顔をあてて涙を流されたので、以仁王の首だと解った

次に以仁王の男の子供を捜して捕らえねばならない。三位局の腹から生まれた子に7歳の男の子がいた。清盛の弟・頼盛がその三位局の邸宅へ行き若宮を連れに来た。三位局はなされようもなく、泣く泣く若宮を差し出した。頼盛は若宮を受け取り、車に乗せ、六波羅へ渡した

清盛三男・宗盛はこの若宮の姿を見て「どういうことでしょう。前世の契りがあるかのように、この若宮を見ると、あまりにも気の毒に思われてなりません。この若宮の命を宗盛にお預けください」と申した

清盛は「それならさっさと出家させなさい」と言った

後に、東寺の一の長者
安井宮の僧正道尊と申した

平家物語・以仁王あっけなく死す。目立たせないためか、以仁王の守りはたったの30余騎しかいなかった

2022-03-01 13:32:33 | 日記
平家方軍勢は平等院の門内へ襲いかか戦った
その混乱に紛れて以仁王を奈良へ先に行かせ、源頼政一族の郎党が平等院に残り戦った

■源頼政、長男仲綱、次男兼綱死す

源頼政は70歳を越えている。左膝を射られ重症なので、心静かに自害しようと、平等院門内に退いた
頼政は渡辺長七唱を呼んで「私の首を討て」と言われたところ渡辺は「とても私は首を討てません。御自害なさいましたなら、その後で首を頂戴しましょう」と申したので、頼政は西に向かい高らかに南無阿弥陀仏と十遍唱えたあと、太刀の先を腹に突き立て、うつむきざまに貫かれて亡くなられた
その首を渡辺が取って石にくくりつけ、敵の中を抜け出し、宇治川に沈めた
頼政嫡男・仲綱も平等院にて自害
次男兼綱は討死

■渡辺競、さんざん戦い腹をかき切って死す

■源覚は以仁王は逃げ延びたと思い、敵の中を討ち破り、宇治川へ飛び込み、潜って向こう岸に渡り着き、大声で「おーい平家の若者たち!お疲れでーす」と言って三井寺に帰った

■以仁王死す
藤原景家は戦をせず、軍勢五百余騎で以仁王を追いかけた。光明山の鳥居前で30騎ばかりで奈良へ行かれる以仁王に追いついた時、雨のように激しく矢を射かけられ、以仁王の脇腹に矢が一本突き刺さり、以仁王は馬から落ち御首を取られた
供についていた者たちも、以仁王が亡くなられたので命惜しまず討死した



平家物語・足利俊綱17歳、戦う前の立派な挨拶「名乗りを上げる」。その間は敵は襲ってはならない約束だった

2022-03-01 09:57:44 | 日記
足利忠綱は大声をあげ名のった
「遠くの者は声を聞き、近くの者は目で御覧なされ。昔、朝敵平将門を滅ぼし報奨を受けた藤原秀郷から十代目、足利俊綱の子、忠綱。今年十七歳
このように無官・無位の者が、以仁王に向かい奉って、弓を引き矢を放つのは、天の法則に背き畏れ多いことですが、弓も矢も神仏の加護も、すべて平家の方に加勢しております。源頼政の味方の者、我こそはと思う人々は出会え、お目にかかろう」
と言って平等院の門内へ、攻め入り戦った

平家方は残りの軍勢を川に渡らせ、平等院の門内へ襲いかかり、手勢を入れ替え、入れ替え、戦った

平家物語・【橋合戦】平家方足利忠綱の「的確・具体的な指示」で三百騎全て川を渡る

2022-03-01 09:37:27 | 日記
平家は橋合戦を見て、侍大将は、大将軍に
「兵を川に渡すべきですが、今はちょうど五月雨の頃で、水かさが増えており、川を渡したら馬や人が多く死にますので、淀・一口へ向かいましょうか、それとも河内路へ回りましょうか」と申している所に

足利忠綱が申す

「目の当たりの敵を討たないで、以仁王を奈良へ入れてしまったら、吉野・十津川の軍勢が集まっていよいよ大変です。それに敵を目前に見、川を隔てた戦いに水の水深を選り好みすることがあろうか。私の後に続いて来なされ、方々」
と言って馬を川に乗り入れた
三百余騎が続いた

■足利忠綱の的確・具体的な指示

★強い馬を上手に立てよ、弱い馬を下手にせよ

★馬の足の立つ間は、手綱をゆるめて歩かせよ

★馬が躍り上がったら、手綱を引き締めて泳がせよ

★流されて列から下がる者は、弓の筈につかまれ

★手を取り組み、肩を並べて渡れ

★鞍にしっかり尻を落ちつけて、鐙(足を乗せる所)を強く踏め

★馬の頭が水中に沈んだら引き上げてやれ

★馬にはやさしく当たり、水には強く当たるようにしろ

★川の中で弓を引くな

★敵が弓を引いても、それに応じて弓を引くな

★いつも兜の錣(しころ・首に垂れている布)を横に傾けろ。だが傾けすぎて兜のてっぺんを射られるな

★流れと直角に渡して流されるな

★水に逆らわずに渡せ、渡せ

こうして三百余騎を一騎も流さずに向かいの岸へ上陸させた