日頃は比叡山の大衆こそ無法な訴えをするのに、今は角をたてないように穏やかに黙りこんでいる
三井寺・興福寺は朝敵となり、5月27日平家軍は一万騎の軍勢で三井寺へ向かった
午前6時矢合わせ(戦闘開始の合図)をし、一日中戦った。三井寺側は三百人が討たれ、夜になり官軍が三井寺に火をかけた
焼けたのは
★院、坊
★本尊の弥勒菩薩
★大講堂
★鐘堂
★経蔵
★灌頂堂
★社
★神殿
など637
民家1千853軒
一切経7千余巻
仏像2千余体
真言密教の道場が瞬く間に滅び
名高い師僧は修行、学問を怠り
師僧から法を受け継ぐべき弟子は
経文・教法から離れ
僧官13人が辞めさせられ
悪僧30余人が流された